第19話



 矢作夫妻はウルグアイ軍から寄贈された兵舎の一室から出るとマーケットに向かった。

二人、肩を寄せ合っての新婚夫婦らしい、初々しい光景である。

日本から持ってきた食料などと物々交換で、生活に必要な日用品を手に入れようとしてのことで、陸に出てからの初めてのデートのようなものである。


 既にドルやペソも本来の値打ちを失っている。

物々交換が手っ取り早い。

衣服が必要な者は、日用品や食料と交換するし、酒を飲みたいものは食料を二人分持って行き、一つは自分が酒を飲む時のためのもの、もう一つは酒と交換である。


 矢作は日本からワインを一本持って来ているが、自分は飲まない。

飲めない訳ではない。

いざという時のために置いておきたい、と思っている。


 彼の妻、綾子とは潜水艦内で知り合った。

彼女は海士長であったが、たまたま艦内の廊下ですれ違ったのがきっかけであった。

最初に矢作から声を掛けた。

戦時中なら有り得ないことであるが、誰も宣言した訳でもない終戦を迎えた今の潜水艦内は、全乗組員が階級を越えた家族のような付き合いをしている。


 だからこそ声を掛けられたのである。


「最後の日を一人で迎えるのは寂しい、本当は時代が時代なら、結婚して子供を育てたかった」


 飲む量に制限のかかっているバーで、ウイスキーソーダを飲みながら矢作は言った。


「でも、それは私じゃなくても良いんじゃないですか」


 という海士長の言葉に矢作は顔を赤くして、


「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない・・・。」


 と答えた。


 それからも、二人はすれ違う度に挨拶を、やがて敬礼ではない挨拶をするようになり、言葉を交わす数も増えていき、人の居ないのを見計らって、初めてキスをした。

それは、死を見つめて互いに生きていくことを決めた初めての口づけであった。


 そして二人の独身の男と女は、最後を夫婦として暮らして行くことになった。

ちゃんと結婚式を挙げて、婚姻届は無いが、艦長権限の下での正式な夫婦として認められた。


 世界の終わりを目前にして出会った二人は、偶然とは思えない、必然というものが働いた出会いであったかのように。

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