不完全な変身願望Ⅰ

 東京湾に浮かんでいる人工島は、上空から見下ろすと円形グラフのように区切られた数々の施設がある。遊園地や公園、ゲームセンターにショッピングエリア、他にもスポーツセンターなど。


 多くの観光客が、人工島と都心部を繋ぐ虹の橋を歩いて渡ったり、専用のモノレールに乗って遊びに来ている。客はお洒落な私服が殆どだが、中には制服を着た若い男女も多く居る。といっても、わざわざ制服に着替えて来ている訳でなく、またコスプレでもない。


 レジャー施設から少し離れた所だが、この人工島の端には学校と住居区が建てられている。そこの生徒たちにとって、人工島の中心部は放課後に寄れる絶好の遊び場という事だ。

 そして、このショッピングエリアの広場は待ち合わせ場所の定番でもある。


まことー、お待たせ! 帰ろ」

「……またずいぶんと買い込んだな、かがり


 きゃいきゃいとはしゃぐ観光客を眺めながら、身に付けているペンダントを手持ち無沙汰に弄くり回している少年――阿片あがたまことの元に、少女が元気いっぱいな様子で走ってきた。


「うんっ。テーピングにサポーターに、プロテイン……他にもたくさんかな」

 パンパンに詰め込まれた袋を両手に持った少女、篝は見せつけるようにひょいっと掲げる。


「重いだろ、片方持つよ」

「へーき。それに、真に無理させられないって」

「別にそれくらい持てるっての」


 気を遣った真だが、逆に気を遣われた事にムッときた様子で、篝の持っていた袋を一つ奪い取った。

「うっ、んぐぅッ。お、おも……これ何入ってんの」

「え? 鉄アレイ」

「鉄アレイを持ち帰る女子高生って珍しいんじゃないかッ。普通、ネット通販で済ませるぞ」

「そうかな」


 篝が片手で楽に持っていた袋を、真は両手で必死に持つ。そのままだと動けない事を察した篝は「やれやれ」という表情で袋を奪い返した。


「もう、だから言ったのに。無理しないでよ」

 そう桃野もものかがりに――幼馴染みの少女に心配された真は、地面に手をついて項垂れた。

 物心ついた時から体を壊しやすい虚弱体質の真に比べて、篝は中学生くらいの頃に武道を始めて強くなっていった。率直的に言って、真は自分が情けないと思った。


 今一度、顔をあげて篝と自分を見比べてみた。

 茶髪に染められたショートカットの髪は左片が編み込まれ、お洒落なイマドキ女子を表現している。そして小柄ながら健康的な肉体美と夏服仕様の制服が活発な美少女を強調している。

 それに比べて自分はどうだ? と、真は立ち上がって砂のついた手をはらいながら思った。


「俺には力も何もない。地味な男だ」

「え、急にどうしたの? 何処か痛い?」


 俯いた真を見て、彼女は心配そうに覗き込んできた。その時、ふわっとした匂いにつられて真は顔を上げる。


「コーヒーの匂い?」

 突然、飲み物の名前を呟いた真。篝はそれを聞くと、ちょっと離れて照れくさそうに笑った。


「あ、うん。真ってコーヒー好きでしょ? だから香水もそれにしたんだ」

「うん、良い匂い。でも、この前まで香水なんて使ってなかったよな」

「ボク、汗臭いって言われちゃってね。だから使うようにしたんだ」

 嫌な気分になった真は、低い声で聞き出す。

「誰だよ、そんな事言ったやつ。俺が成敗してやる」


 篝はきょとんとした。そしてにっこり笑うと、ステップを踏むように前を歩き出した。

「ふふ、同じ武道を習ってる子だから、真が返り討ちにされちゃうよ。でも、ありがと」

「ちょっ、置いてくなって」

 篝を追いかけ、並んで歩く。そうして暫く雑談しながら帰っていると、彼女がふと思い出したように話を切り出した。


「そういえば、昨日のニュース見た?」

「昨日? もしかして、未確認飛行物体のか。近くに落ちたの見つかったんだっけ」

 そうだと頷いた篝は面白そうに続けるが、真は興味なさそうな面持ちだった。


「もしかして宇宙人が来たのかな? いよいよ人類との交信が始まったり?」

「いや、どうせ軍事関係の飛行機とかってオチだろ。宇宙人なんて居るわけないって」


 そんな冷めた発言に、篝は頬を膨らませて抗議する。

「夢がないなぁ。そんな事言ってると、攫われて人体改造とかされちゃうんじゃない?」

「改造されて体が強くなるなら本望だね。それじゃ、俺はこっちの道だから」

「あッ、もう! また明日迎えに行くからね!」

 篝はそう言って住居区の方へ歩いて行った。彼女の後ろ姿を見送り、商店街エリアの中をボーッと歩く。


 観光客たちとすれ違い、やがて人気が無くなる。並びゆく店の中でも客足が少ない場所を進み、裏道の更に奥へ歩くと小さな喫茶店が見えてくる。

 扉の横には、控えめに置かれている小さな立て看板があり、『喫茶店アスピラシオン。バイト一名募集中』と書かれていた。

 時刻は夕方の五時。扉にはまだ『open』の文字が下げられていた。

 躊躇なく扉を開くと、来店を知らせるベルが鳴る。


「いらっしゃ――おや」

 中にはマスターと思しき初老の男性がカウンターの奥でカップを磨いていた。入ってきた真に気付くと、柔く微笑む。


「おかえり、真」

「ただいま、ショーンさん」

 見た目ダンディな英国イケオジから完璧な日本語が聞こえてくると二度見をするかもしれないが、真にとっては赤ん坊の頃から育ててくれた親なので驚きはない。


「手を洗っておいで、美味しいコーヒーを煎れてあげよう」

「ん、ありがとう」

 制服のボタンを外しながら、店の奥にある階段を登る。その先にある二つの部屋の内、片方が真の暮らしている自室である。脱いだ制服をベッドの上に放り投げて、下に著ているパーカーのジッパーを降ろした。


「今日の豆は何だろうな」

 機嫌良くカウンターに降り、ショーンの前に座る。

 サイフォン式で抽出されていくコーヒーの香りを楽しみながら、店内に飾られている写真を眺める。真はこの時間が好きだった。


「改めて思うけど、俺もショーンさんみたいに世界中を旅したいな」

 写真の殆どは海外で撮られたモノだ。更に言えば、元トレジャーハンターという経歴を持つショーンが巡ってきた世界中の遺跡の写真でもある。そのどれも、今より年若いショーンの姿が写っていた。


「やっぱり、男の子としてはトレジャーハンターに憧れるのかい?」

「それもいいけど、単純に旅がしたいな。人助けしながら、世界をまわりたい。それが俺の夢」

 からかうようなショーンの言葉に、真は頬杖つきながらポツリと溢した。


「世界をまわって人助け? そりゃまたどうして」

 サイフォンを取り外し、コーヒーをカップに注ぎながら聞くショーン。真は照れたように、首にある白い宝石が埋め込まれたペンダントを弄りながら視線を下げた。

「……俺を拾ってくれたショーンさんみたいになりたいんだ。まぁ、それ以外の理由もあるけどさ」


 自分は何処かも知らぬ場所で捨てられていた赤ん坊だった。親の手掛かりらしきものは、握り締めていたペンダントのみ。そんな真を拾ったのが、目の前に居るショーン・阿片(あがた)という人物。お陰でこうして生きていられる事に、真は恩を感じていた。


「そうかい。まぁ、私みたいになりたいなら、もう少し体を丈夫にしなきゃね」

「昔よりは丈夫になったっての」

「そうかね? まぁ、ただ丈夫になった程度で真を旅に行かせはしないけれど」

「えっ。な、なんで?」

「今のままだとぽっくり死にそうだからだよ。んー、そうだな。最低限として、身近な誰かを守れる強さを身に付けたなら、許可しようじゃないか」

「身近な誰か……って、誰だよ?」

「さぁ、誰だろう」


 そう言いながらコーヒーを置いたショーンは、これ以上の質問は受け付けないという風にカップ磨きに集中した。

「いや本当に誰だよ……あ、うめぇ」


 ほどよいブラックの苦みに頬が緩み、真もそれ以上は何も喋らなかった。

 明日の天気でもと思い、テレビを付けると丁度よくニュースの時間帯になっていた。

『――という事で、先日発見された未確認飛行物体は過去に打ち上げられたスペースシャトルと酷似しており』


 篝も言っていた宇宙人の話題だ。まだやってるのかとうんざりし、湯気立つコーヒーをずずりと啜る。


「ショーンさんはさ、宇宙人って居ると思う?」

 まるで小学生になって間もない子供が「サンタクロースって居るかな」というような質問に、高校二年生である真は少し恥ずかしさを感じた。


「そうだね。今まで潜ってきた遺跡の中に、理解出来ない文字や今の人類には難しい技術が使われている物もあった」

「古代文字とか、オーパーツってやつ?」

「そう。だから、否定は出来ないかな」


 ショーンがそう言うなら少しは存在を信じられると思った。「ふぅん」と返事し、やっと天気予報に切り替わった画面を眺める。


「おや、明日のメニューに出す素材が足りないな。真、すまないが今から買い出しに行くから店番をよろしく」


 エプロンを外し、カウンターから出てくるショーン。だが真はコーヒーを一気に飲み干して、ショーンを止めた。


「いや、俺が行くよ」

「いいのかい? 結構買い込むから重くなるよ」

 ひらひらと手を振りながら、真は立ち上がる。


「買い出しくらい出来るっての」

「……少し心配だけど、お願いするよ」

 おつかいメモを受け取り、真は出て行った。消し忘れたテレビからは天気予報が流れる。


『夕方から明日の朝までは雨模様。外出の際には傘をお忘れなく』

「……やれやれ。お風呂の準備をしておくか」

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