第7話 隣人に挨拶をする

二人が連絡先を交換し合った後、毎日のように連絡を取り合っていた。

簡単なメッセージのやり取りから通話まで何気ないことを二人で共有していった。

そんな中で比企にある心理の変化が生まれた。それは・・・


「(ちゃんと働いて恥ずかしくない男になろう)」


それは貴音に出会って、彼女に相応しい男とはなんだろうと考えたときに「きちんと就職している人」になろうと思った。これからどうなるかわからないが、それでも一緒に食事とか水族館に行ったりしたい。それにはお金が必要になってくる。

”働いていない”という自分がどうしても許せなくなっていた。

コンビニで求人情報誌をもらってきたりスマホで検索してみたものの、どれもパッとしたものがない。

3年間の営業の経験があるものの、また営業職に就きたいかと言われれば答えはノーだ。毎日のノルマで頭がどうにかなってしまいそうになったのだ。そんな思いはもうしたくはない。

そんな時に貴音からメッセージが来る。


貴音「今度一緒に食事でもどうですか?」


なんだか今の自分では相応しくない気がして返信をためらう。そうして返信しないまま時間が経ったとき、スマホが着信を知らせた。貴音からだ。すぐに応答する。


「あのっ!メッセージ見てくれましたか・・・?」

「・・・ああ、見たんだけど・・・」


なんだか比企が乗り気ではない。貴音はその様子を察して落ち込んでしまう。


「・・・私とじゃ・・・嫌ですか・・・?」

「ちがっ・・・そうじゃないんだ!実は・・・」


比企は自分が今どう思っているのか、自分が貴音に相応しい男になるにはどうすればいいか、思っていることをそのまま貴音に伝えた。

貴音は自分が嫌われたわけではないことがわかり安堵した。


「マサくんが働くなら、私も働きます!」

「貴音も?どんな仕事がいい?」

「うーん・・・働いていて楽しいところがいいです!」

「楽しいところ・・・」


ざっくりしすぎていて絞り切れない。それに貴音はアイドルを目指していた経歴はあるものの”実質無職”だ。コンビニのアルバイトは楽しくないし、貴音にはやってほしくはない。コンビニには変な客も多いから危険だ。

そうして黙っていたところに貴音が提案する。


「鬼塚さんに聞いてみるとかはどうですか?」

「鬼塚さん?・・・でも・・・」


隣人の鬼塚さん。いきなり部屋に上がり込んできたヤバい人だと思っていたが、きちんと布団を敷いてくれてファボリーズまでしてくれた人だ。そういえばお酒を持って詫びに来いと言っていた。それに引っ越した時に挨拶もしなかったし、改めて挨拶するのもいいかなと思った。


「そうだな・・・鬼塚さんくらいしか知り合いはいないし、改めて挨拶しにいってくるよ」


そうして貴音との通話を終了し、スーパー快活にお酒を買いに向かった。

お酒を飲むならおつまみもあったほうがいいだろう。スーパー快活のお酒コーナーに着いたのだが・・・


「(全然わからん・・・)」


たくさんのお酒が置いてあり、その数ほど銘柄がある。比企はお酒を飲まないのでどれがおいしいとかわからなかった。こうなったら直観で選ぶしかない。そうして一本のお酒が目についた。


「(怒首領酒・・・?なんかネーミングに惹かれるぞ・・・?)」


いつまで迷っていても仕方ない。怒首領酒を手に取りかごに入れた。そしておつまみのでかいカルパスもかごにいれる。そうしてレジで会計をして鬼塚さんの部屋に向かった。


インターホンを鳴らすが、壊れているようで鳴らない。ドアを直接ノックする。


「すみませーん!隣の比企ですけどー!」

「・・・なんだようるせぇな・・・」


機嫌が悪そうな鬼塚が出てきた。着衣も乱れている。もしかしたら起こしてしまったのかもしれない。


「えっと・・・この前のお詫びでお酒買ってきたんですけど・・・」

「ふーん・・・まぁいい。とりあえず上がれ」


女性の部屋に入るのは始めてだ。恐る恐る慎重に入っていく。テーブルの上にはノートパソコンがあり、何か作業していたようだ。

テーブルにクッションがあり、そこに座るように言われる。言われるがまま座った。


「で?一体どんな風の吹き回しだ?」

「えっと・・・この前はその布団とか敷いてもらって・・・」

「!!!・・・お前本当に真に受けて酒を持ってきたのか?!可愛いやつだな」

「え・・・可愛い?」


鬼塚はおそらく比企より年上だろう。可愛いと言われて対応に困る。

その様子を面白そうな顔で見ながら鬼塚は言う。


「何か相談したいことがあるんじゃないのか?私にできることなら力を貸そう」

「あの・・・実は・・・」


比企は自分が貴音に相応しい男になるために就職したい、貴音も働くところを探していると告げた。


「あの少女・・・貴音の職歴は?」

「えっと・・・アイドル目指していたけどやめちゃって・・・」

「職歴はないんだな」

「はい・・・」

「前職がアイドル・・・ちょっと待ってろ」


鬼塚はスマホで誰かに電話をかける。数コールで相手は応答し、話始めた。


「ああ、アイドルの職歴を生かせる職場だ。あまり変な奴が来ないところがいい」


そうしてパソコンで何かを入力していく。その後、通話を切って比企に向き直る。


「ここはどうだ?ニコニコベーカリィ。学歴、職歴不問だ。ただし・・・」

「学歴、職歴不問!でも何か条件が・・・?」

「ああ。※要笑顔 だ」

「※要笑顔・・・!」


鬼塚の説明によると、ニコニコベーカリィは笑顔を大切にするところらしく、どんなにスペックが高くても”笑顔”がダメなら落とされる、そんなところのようだった。


「おい、真次。貴音の笑顔はどうだ?合格できそうか?」


比企は貴音のマンションで別れたときのことを思い出す。自分に向けていたとびきりの笑顔。あの笑顔は本当に美しいと思った。


「はい!貴音なら大丈夫だと思います!」

「嬉しそうにしやがって・・・ならこれが詳しい募集要項だ。連絡先も記載してある」


鬼塚は部屋にあるプリンターから印刷された紙を比企に渡す。部屋に戻ったら貴音に連絡しよう。


「次は真次だな。ちょうど今人手が足りないところがある。私のツテで紹介できるが・・・どうだ?」

「俺にもできるでしょうか?」

「パソコンの基礎入力ができればいい。あとは現場で教えてくれるだろう。ただし、私の紹介で入るんだ。すぐやめたりするなよ?」

「はい!ありがとうございます!」


鬼塚から詳しい話を聞くと医療事務の仕事だと言っていた。こちらは鬼塚に任せればいいだろう。真次は証明写真と履歴書の準備をするまで待ってほしいと鬼塚に告げた。


「あの・・・鬼塚さん・・・」

「なんだ?」

「貴音は昔、マネージャーからセクハラを受けていたようで・・・その体のこととかは言わないであげてほしいんです」

「・・・そうか。貴音に私が詫びを言っていたと伝えてくれないか?」

「はい!伝えておきます!」

「じゃあ、仕事の件は真次の携帯に連絡するから、連絡先を教えてくれ」


そうして鬼塚と連絡先を交換し、鬼塚の部屋を後にした。

早速貴音にニコニコベーカリィのことを連絡する。彼女の就職活動をサポートしてあげようと思った。


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