第5話 来客
「じゃあ、汚いかもしれないけど・・・」
「おじゃましまーす」
その時、隣の部屋のドアが開き、入れ違いになった。隣の住人は二人を見ていた。
カギを開け貴音を招く。とりあえずキッチンスペースに彼女の買ったものを置いてもらった。比企は買ってきた品を冷蔵庫に入れていく。彼女の買った冷凍パスタなども入れておいた方がいいだろう。
貴音は興味津々といった感じで部屋を見回していた。
比企の部屋には壁掛けの本棚があり、そこに実家から持ってきたマンガが置いてあった。
「浦安木琴家族・・・?」
それは伝説のハイテンションギャグコメディマンガだった。比企はこの作品の世界観が好きで集めていた。現在でもちょっとタイトルが変わっているが続編が出ている。
「マサくん、マンガ読んでもいい?」
「えっ、いいけど・・・女子が読むようなマンガじゃないかもしれないよ?」
浦安木琴家族はいろんな意味で”濃い”マンガだった。少年誌に連載されているマンガだし、読者も男性がメインだろう。
貴音はマンガを取り、ちゃぶ台の前に座り読み始めた。やがてすぐに「くくくっ」という声が漏れ始める。どうやら刺さったらしい。
浦安木琴家族はページをめくっただけでもインパクトがすごい。そしてそれを彩る多彩なキャラクターが躍動するのだ。まさにギャグを極めたマンガといっても過言ではないだろう。
貴音は寝っ転がりながら本を上にあげ笑い転げていた。その様子を見て「自由だな・・・」と思う。
だがその時、胸の膨らみに目が行ってしまう。スウェットだからいつもはわかりづらいが、横になると結構ボリュームがあった。そんな自分を「ふしだらなことはいけない!」と戒めた。
そうして冷蔵庫や棚に買ってきたものを詰めて、貴音にコーヒーでも入れようと思うがコップがない。ここに引っ越してきて誰かが来ることなんて想定していなかった。食器類は自分の物しかない。流石に自分のものでは提供できないだろう。
そういえば冷蔵庫に未開封のお茶があった。それを持っていく。
「ごめん。これしかないんだけど・・・」
「はははっ・・・え?」
ずっと浦安に夢中だった貴音はペットボトルのお茶を前に不思議な顔をする。
「どうして謝るの?」
「えっ・・・いや、こういうときってコーヒーとか出すんじゃないかなーって」
本を閉じ、比企に向き合う。そしてじっと比企を見つめる。
「優しいね、マサくん」
「えっ・・・そうかな・・・?」
まずい、これは非常にまずいぞ比企真次!なんかときめいてしまっている自分がいる!
未城さんは一緒にスーパー快活に通う仲でしかないはずだ。それ以上でもそれ以下でもない!
ちゃぶ台の向かいに座り、何か話さなきゃと考える。その間沈黙が続いた。
「ええっと・・・未城さんのお仕事は?」
いきなり「あなたひきこもりですよね?」とも言えないし、働いてるという前提で話を始める。そうすると貴音がゆっくりと口を開いた。
「今は・・・そのドロップアウトしてて・・・」
「人生を?」
「・・・はい」
やはり今は働いていないようだ。自分も働いてないし、人のことをとやかく言える立場ではない。それでもどうしてここにいるのか気になった。
「スーパー快活に通うってことは近所なんだよね?俺は1年前くらいにここに引っ越してきたんだけど」
「私も最近引っ越して来たんです!オーシャンズヒルズタワーっていうマンションに住んでいて、お惣菜がおいしいから・・・」
「オーシャンズヒルズタワー?いいところに住んでるんだな・・・」
オーシャンズヒルズタワーとはこの辺にある50階建てのマンションで、比企のアパートの家賃の3倍くらいするところだ。女の子だしセキュリティがちゃんとしたところに住んでいるのだろう。オートロックといってドアを閉じたらカギが閉まるという、このアパートとは次元の違うところに住んでいるようだった。
「俺は今まで飛び込みの営業の仕事をしてたんだけどさ、3年くらいで限界が来てやめちゃって・・・今はフリーターなんだ」
無職で無気力なのでひきこもりのカテゴリーだが、自分から「ひきこもってるんだ」とは流石に言えなかった。
比企の職歴を聞いて貴音も自分のことを話し出す。
「私、アイドルを目指してたんですけど・・・その批判とかやっかみとかそういうドロドロしたことに耐えられなくて・・・」
「ああ・・・そうなのか・・・」
比企は貴音の容姿や抜群のプロポーションなどを見ていたので納得してしまった。
確かに普通の女の子ではない。かわいらしさは群を抜いていた。
しかしアイドルか・・・。テレビの前では微笑みを絶やさないが、その裏ではレギュラーを勝ち取るために吐き気を催す邪悪のようなことが起きているとネットで見て知っていた。
「だから、あなたの優しさがうれしくて・・・また会いたいなって思って・・・」
「お、おう・・・」
優しさも何もただスーパー快活が出禁にならないように助言しただけだ。そんな大そうなことはしていない。
おずおずと比企の隣にやってきて頭を比企の肩に預けて目を閉じた。
比企は思った。
「(”どもらない”ように神経を使いすぎて疲れたんだ!)」
そう。”どもらない”ように喋るという行為はかなり疲れる。そもそもひきこもりが外に出るだけで体力ゲージが減ってしまう。それにこんな知らない人と会話したらストレスはマッハだ。どうにかして休ませてあげたい。そう思っていた時にいきなりドアが開かれて女が入ってきた。左手には酒瓶を持っている。
「なんだ・・・お楽しみじゃなかったのか・・・」
「ちょ・・・あなたは?!」
「隣に住んでる鬼塚だ。お前が女を連れ込んでいたからもしやと思ったんだが」
いやなんで入ってきたんだよ?となったが、無理やり追い返せる性格でもない。
だがファーストインプレッションで感じたが、これ絶対やばいやつだろ・・・。
目を閉じている貴音をじっと見る。鬼塚はそれを見て何か面白そうなことを思いついた顔をしていた。
「おい。揉まないのか?今が絶好のチャンスだぞ?」
「え・・・」
比企の隣には貴音がいて、比企の右腕は貴音の腰辺りにあった。確かに触ろうと思えば触れるが・・・。
貴音の瞼がピクっと動いたが比企は気づかない。
「だ、ダメですよ!そんなこと!」
「ドスケベボディなのが悪い。お前もそう思うだろ?」
ドスケベボディ・・・確かにエロい体つきだが、かといって心までスケベとは限らない。
それに貴音は比企を信頼しているのだ。それを裏切るようなことをしてはいけないと思った。
左手の人差し指を立てて口元に持ってくる。静かにしてくださいのポーズだ。
比企は声を抑えながら言う。
「彼女は疲れているんです・・・色々と。だからこのまま寝かせてあげたいんです」
「なら布団でも敷くか?そこにあるし」
鬼塚は呆れ顔で言う。こいつ本気で言ってるのかという表情だ。
比企はその提案に賛同した。横になった方がいいだろう。
貴音はうつむき目を閉じたままだ。
「じゃあ、お願いします!」
「ったく、なんであたしが・・・」
文句を言いながらも酒瓶をちゃぶ台に置いてから部屋の隅まで行き、たたんであった布団を敷く。
そこに比企の声がかけられる。
「そこにあるファボリーズもお願いします!」
「こんなのが天日干しと同じ効果があるわけねぇだろ・・・」
「気分の問題です・・・!」
「はぁ・・・」
鬼塚はうんざりしながらも慣れた手つきで布団にファボリーズしていく。
そして乾くのを待ってから目をつむったままの貴音を運んでいく。人生初のお姫様抱っこだったが、羽毛布団並みに軽いと思った。ちゃんと食事を取っているのか気になった。
そして押し入れからまだ開けてないタオルケットを取り出し、貴音にかけてあげる。
比企は一仕事終えた顔をしていた。
「ありがとうございます鬼塚さん」
「このあたしをこんだけ労働させたんだ。今度詫びの印に酒でも持ってこい。じゃあな」
そういって鬼塚は不機嫌そうに帰っていった。
部屋には比企と貴音だけになる。貴音は寝返りをうったのか、比企に背中を向けていた。
比企はやることもないし、さっき貴音が取り出した浦安を静かに読み始めた。
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