第7話


 宮廷医師は礼拝室に足を踏み入れるや、その場にいる全員から視線を浴びた。


 異様な雰囲気を察したのだろう。茶色い口ひげと瞳を不審そうに動かし、戸惑いの表情を見せる。

 自分が呼び出された経緯を説明され、彼は顔つきを厳しいものにした。


「告白いたしましょう。陛下のお命は確かに、あと三ヶ月も持てば良い方でした」


 頭の中が真っ白になり、エゼルディアは声なく呻いた。

 確かに父は持病に苦しみ、年々体が弱ってはいたが……。


(よく効く薬を見つけて、楽になったはずじゃなかったの?)

 本人からそう聞いていたのに。


「陛下のご病気は、不治と言われる肺の病でした。回復する患者はほとんど存在せず、最後は肺や血管のあちこちに穴が開き、苦しみながら死にます。

 症状が軽いうちに、自ら死を選ぶ者も多いですが、ある程度のカネが自由になる者なら大抵、ある賭けに出ます」


 聴衆をぐるりと見渡し、医師は専門家らしい割り切った口調で淡々と話した。


「健康体の者にとっては猛毒になる、希少な植物の根があるのです。

 患者の体質によっては、それを処方することで、病が治ることがあります。

 まあ、滅多に成功しませんが、成功しなくても、症状は一時的に軽くなるのです。ただし、大幅に命を縮めることになる」


 国王はその賭けに出て、そして破れたのだ。

 医師が最後まで言わずとも、その場の全員がそう理解した。


「誤解しないでいただきたいのだが、全ては陛下が望まれたことです。

 賭けに出たことは、自分が死ぬまで黙っているようにと、以前から命じられておりました。このことは、わたしと陛下しか知りません。

 だから不思議ですな。なぜ王妃様がそれをご存知だったのか……」


 礼拝室の隅に追いやられていた王妃は、フンと鼻を鳴らした。


「陛下と同じ病に罹って死んだ者が、親戚にいたのです。

 その者も残念ながら賭けに負け、薬を使い始めてから半年後に亡くなりましたの。

 そのときの様子と陛下の容態がそっくりだったから、気付いたのですわ。顔色や特徴的な咳の仕方がね。

 サスキアのような田舎では知らない者が多いでしょうけれど、わたくしの実家や周辺の大貴族の間では、あの植物はよく知られていましてよ。だから予測がついたのですわ。気丈に振る舞ってはいらっしゃるけれども、陛下の死期は近いと」


「だからといって、弑さないとは言いきれない。ただちに手を下さなければ都合の悪いことができた可能性もあるだろう。現にあんたは、王女殿下を暗殺しようとした」


 捕らえられた近衛兵が、怒りの込められた低い声を発する。


「王女殿下が陛下を弑していないことを知っている証拠だ。殿下の罪を信じているなら、裁きはあんたらのご立派な神に任せればいい。それとも、己の神を信じていないのか!?」


「違うわ! 神の手を煩わせるまでもない……」

 口を滑らせかけて王妃は顔を引きつらせ、そっぽを向く。

「知らないと言っているでしょう、そんな男」


 礼拝室の隅では、気絶した巻き毛の男が椅子に縛り付けられていた。

 アンルーの言った通り、毒矢を持って倒れているところを衛兵に発見されたのだ。


「僕が王女暗殺未遂の件をここで暴露した意図は、これを確認したかったからだ」


 言いながらアンルーが、男から押収した荷物に手を伸ばした。

 取り上げたのは報酬を約束する手紙だ。前金として金貨五十枚、追加で五十枚。

 契約の証として押されているのは、王妃の印章だった。


「こちらは貨幣が統一されている。相手によって支払いの方法を変えるのは、いかにも不自然だな」


 緑の瞳に見据えられ、近衛兵たちは居心地悪そうにそっぽを向いた。

 アンルーは周囲を見渡し、おもむろに状況を整理する。


「王妃と共謀したという彼らの告白が狂言ならば、国王はやはり、王妃と別れた後も生きていたことになる。仮に『国王と会話した』という彼らの証言を取り下げたところで、やはり王妃を疑うのは難しいだろう。なぜなら彼女には、国王を殺すことで得られる利点がないからだ。動機を王位継承権に求めるのなら、殺すべきは国王ではなく、王女だ。最初から暗殺者を雇えばいい」


 なるほど。エゼルディアは思わず頷いた。

 自分の暗殺について納得するというのも奇妙な話だが、確かにそうだ。ロザリンデには国王を殺す動機が、そもそも乏しい。

 

「しかし個人的な恨みや、痴情のもつれが原因ということもある!」

 すぐに灰色髪の近衛兵が反論した。

「凄腕の暗殺者を雇い、殺害後に陛下の声真似をさせたのかもしれない。そうだ、この礼拝室にはきっと、俺たちの知らない秘密の通路や隠れ場所があって……!」


「王妃は国王の命が長くないことを知っていた。危険を冒し、大金を払ってまでわざわざ殺すとは考えにくい。衝動的な犯行なら誰かを雇って工作する暇はないはずだし、誰かを雇うなら、もっとやりやすい場面を狙うはずだ。

 それに凶器の短剣は、国王がたまたま持ち込んだものだった。暗殺者が雇われたなら普通、自分の仕事道具を持参するだろう。使い勝手のわからない他人の刃物を使うより、ずっと確実だ」


 近衛兵たちは黙り込み、エゼルディアは不安になった。自分の弁護をしてくれるはずが、これでは追いつめられているようではないか。


「あなた、いつからロザリンデ様の味方になったのよ」

 思わず恨み言をつぶやくと、アンルーは僅かに肩をすくめて言い足した。


「だからといって、やはり王女が犯人だと考えるのも疑問が残る。状況から言えば第一の容疑者かもしれないが、動機が見えてこないのでな」


「さっきから言っているじゃない! 王位継承権を剥奪されると知って、衝動的に陛下を刺したのよ!」

 アンルーを睨みつけ、ロザリンデは縛られた男に指を突きつけた。

「だから神が、その男に毒矢を与えたのです!」


「……衛兵隊長、王妃様を落ち着ける場所へ。その暗殺者も然るべきところへ」

 疲れた声でザビドが命じ、ロザリンデは暗殺者もろとも礼拝室から連れ出された。

 喚きちらす声が遠のいていき、静かになった空間に、気を取り直すような医師の咳払いが響く。


「失礼。王女の動機ということですが……わたしは一つの可能性を考えております」


 状況からして、黒衣の青年がこの場のまとめ役らしいと当たりをつけたのだろう。

 彼は最初からアンルーに向かって提案した。アンルーも当然のように頷く。

「聞かせてくれ」


「陛下を短剣で刺したのが王女殿下だとして、起因はあくまで陛下の病であり、王女殿下に殺意はなかった、という考えです」


 この突飛な発言にはエゼルディアを含め、その場の全員が瞠目した。


「気丈に振る舞ってはおいででしたが、陛下のお体は限界に近づいていました。

 痛み止めや咳止めなどあらゆる薬を使い、ごまかして生活していたに過ぎません。

 咳き込んだ拍子に喀血することも増えておいででした。当然、ひどく苦しむことも……もしや王女殿下は、その場面を見てしまったのではないかと」


 一同を見回し、医師は痛ましげな表情で続ける。


「人間には殺す慈悲がありますな。馬が行軍中に脚の骨を折ったとき、乗り手は馬がそれ以上苦しまないよう、首を切って安らかにしてやる。まだ命があるのに一見残酷なようだが、それは慈悲でしょう。陛下を馬にたとえるようで、不敬ですが……」


「……つまりあなたは、こう言いたいのか」

 アンルーは何かを読み上げるような口調で言った。

「王女の目の前で国王が発作を起こし、激しく喀血した。驚いた王女は父のあまりに辛そうな姿を見て、思わず短剣を手に取った。そして苦しみを終わらせたと」


「感傷的に過ぎる考えだと、わかってはいますが」

「しかしそれなら王女は、最初からそう言うのでは?」


 ちらりと視線を寄越され、エゼルディアは思いっきり首を横に振った。

 慈悲の心で父を殺すなどとんでもない。自分がそんな行動を取るとは思えないし、そもそも礼拝室へ入ったときには、父は既に死んでいた。

 医師の推理はとんだ的外れと言うしかない。


「人間の記憶とは、実に曖昧なものです。心もまた、思うほど強いものではない。

 王女殿下は相反する自分の行動と心を許容できなくなり、部分的な記憶喪失に陥ったのかもしれません。実際にそうした症例はいくつか存在します。

 人は忘れてしまいたいほど辛くひどい体験をしたとき、積極的にその記憶をなくすことができるのですよ」


(記憶喪失? 私が?)

 エゼルディアは唖然と医師を見つめ、自分の記憶を改めて探り直した。

 衛兵たちに敬礼され、礼拝室の扉を割ると、見慣れた室内風景の中に一点だけ違うところがあった。最初は何かわからなかったが、それは血に塗れて床に倒れ込む父の姿で――。


(その後の記憶は確かに曖昧だわ。動揺していたから。でも)

 苦しみを終わらせるために父を殺す。そんなことはありえないはずだ。

 妙な嫌疑を払うべく、父の最期の姿をもう一度克明に思い浮かべる。

 病の発作でひどく苦しんだ痕跡はあっただろうか。

 それを見て、思わず短剣を手にしてしまうような。


「……確かにお父様は、口からも血を流していたわ。短剣で刺されたせいだと思っていたけれど、もしかしたらその前に、大量に血を吐いていたのは事実かも」


 言葉を選びながら慎重に告げると、アンルーは僅かに目を見開いた。

「そうか。喀血が先だとしたら……」

 医師に向き直り、口早に尋ねる。


「先ほどの仮定から察するに、あなたは、国王は短剣で刺されるより先に喀血をした、と考えているようだな。刺されたのはあくまでその後だと」


「ええ。しかし、直接的な死因が病か短剣かは、今となってはわかりません」


「喀血が先だと考えた根拠はなんだ?」


「短剣が心臓だけを貫き、肺や他の器官を傷つけていなかったからです。

 あのように大量の喀血は通常、肺などの呼吸器を傷付けることで起こります。

 それに陛下のご遺体には、抵抗した痕跡が見られませんでした。正面から刃物で襲われたら、普通は手や腕に、自分を庇おうとした痕が残るものです。

 しかし陛下の手は、血に濡れているだけで、傷痕はなかった」


「刺し傷による喀血とは考えにくい上に、喀血で意識が不明瞭になっていたときなら、抵抗できなくてもおかしくはない、ということか」


「しかし喀血が先かどうか、抵抗の痕跡があるかどうか、そんなことは大した問題ではないでしょう。問題は陛下が刺されたという事実ですから……」


 アンルーは嘆息して頭を振った。

「いや、それはかなり重要な証言だ。喀血が先なら、国王は病によって死んだとの見方ができる。すると短剣で刺した犯人の候補が、一人増える」

「増える……?」


 医師は目を丸くし、近衛兵たちは顔を見合わせた。成り行きを見守っていたザビドが、彼らを代表するかのように口を開く。

「教えていただきたい。それは一体、誰なのです」


「単純な消去法だ。王妃が礼拝室を出た後、国王は近衛兵と会話をした。

 次に礼拝室に入ったのは王女で、このときに国王の死が確認された。

 次いで駆けつけたのは大神官と近衛兵たち。

 この中で王女の他に、国王に短剣を突き刺す機会があったのは……」


 アンルーは眼差しをまっすぐにその人物へ向ける。

「自分でわかっているだろう。あなただ」


 視線を追ってエゼルディアは、息を呑んだ。


 ザビドが粛然とした面持ちで、そこに佇んでいた。

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