第6話
礼拝室に戻るとそこには、まだ歳若い二人の青年が捕らえられていた。
茶と灰色の髪に見覚えがある。
事件があった日、礼拝室の扉を守っていた近衛兵たちだ。
「嘘でしょ……」
彼らの姿を見た途端、エゼルディアは後ろに数歩よろけていた。
近衛兵団は、王女派の主要構成員だ。
神殿に恨みを抱く彼らを父は信頼し、例の事業計画を明かすまではしなかったが、理念を共有するまでには至っていた。
父亡き後、エゼルディアが計画を表沙汰にする際、武力的な後ろ盾となるのが彼らであるはずだった。
その信頼は、一方的なものに過ぎなかったのだろうか。
「さて、こういう状況になりましてな……」
ザビドは衛兵隊長にロザリンデの付き添いを任せ、他の二人に外での見張りを命じた。そしてアンルーに向き直り、疲れた様子で経緯を説明し始める。
城壁を巡回していた衛兵が、人目を避けるようにして移動する二人を見つけた。
用水路から城外へ出ようとしていたので捕らえ、調べてみたところ、大金を隠し持っていた。
兵を取り締まる監察官が尋問した結果、王妃との共謀による国王殺害を自供したという――。
「冗談じゃない。狂言にしてもひどすぎるわ!」
話を聞くなりロザリンデが、顔を真っ赤にして吐き捨てた。
「そんな戯言を真に受けて、わたくしを犯人扱いしたというの? お粗末ね! 少し考えればわかることじゃない。この者たちはわたくしを陥れようとしているのよ!」
「つまり、身に覚えがないということですかな?」
「当たり前でしょう? 万に一つ、わたくしが陛下の暗殺を計画するようなことがあったとして、こんな野蛮な者たちの手を借りようとは思いません!」
「では、他の者の手なら借りるのですか」
後ろ手に縛られ、床に膝をついている近衛兵の一人が、王妃を睨みつけた。
「俺たちはあなたに命じられたのです。今から王女殿下がいらっしゃるまでの間に、陛下と言葉を交わしたことにしろと。報酬は弾むと言われて、つい乗ってしまった」
「よ、よくもそんなでたらめを……!」
「訊きたいが、君たちは国王に恩があったはずだな。王妃とは政治的にも宗教的にも、立場を異にしていたと聞いている。それがなぜ、急に協力する気になった?」
喚き散らすロザリンデを押し退け、アンルーが会話に割って入った。
二人の近衛兵は見知らぬ青年の登場に怪訝な顔をしたが、大神官の態度から、何か訳ありだと察したのだろう。目上の者に対する態度と口調で、落ち着き払ってそれぞれの理由を答えた。
「カネが欲しかったからです。老いた両親と幼い兄弟たちを養うのに、自分の給金だけではとてもやっていけないので」
「俺の一族は元々農民です。神殿に迫害されて土地を失ったが、いつか買い戻して定住するのが一族の悲願です。大金が手に入る機会に、つい飛びついてしまった」
この大嘘つき! 金切り声を上げるロザリンデは、いつの間にか衛兵隊長の手によって、礼拝室の隅に追いやられていた。
「それが報酬としてもらったカネか」
近くの長椅子に二つの皮袋が置かれているのを見て取り、アンルーが歩み寄る。
無造作に手を入れて中身を掴み出すと、様々な貨幣がこぼれて床で音を立てた。
大半が銀と銅なのを見て取り、エゼルディアの胸に小さな疑念が灯る。
(何か変ね……)
貨幣の種類が気になった。
王族が報酬を与えるなら、普通は金貨だろう。
低額貨幣の方が使い勝手はいいのかもしれないが、それは与えられた側が両替すればいいだけの話だ。受け渡し時には金貨で統一した方がかさばらないし、枚数の確認も簡単に済む。
ロザリンデが用意させたにしては、この袋の中身は庶民的過ぎないか。
「王妃から直接渡されたのか?」
アンルーの問いに、若者たちは失笑した。
「まさか。使者を通じてですよ。王妃様が俺たちなんかに、直接会うわけがない」
受け答えの態度も、事前に用意していたかのような周到さを感じる。
(もしかしてロザリンデ様の言うように、狂言なのでは……)
だとしたら目的はなんなのかと、エゼルディアは胸中で首を捻った。
(私の代わりに、ロザリンデ様が犯人だと思わせるため?)
「……裁判のやり直しを要求する気かしら」
思いつきを小さくつぶやくと、アンルーが視線をこちらに向けた。
「理由はなんでもいいから、とにかくごねて、裁判を一度白紙に戻したかった?」
返事を期待したわけではなかったが、彼は微かに頷いてくれた。
「そうかもしれない。狂言かどうか確かめるための、いい材料がある」
「なあに、それ」
答える代わりに目を逸らし、彼はすぐに近衛兵たちとの会話に戻った。
「報酬を渡しに来た使者の外見を覚えているか?」
二人の目に戸惑いがよぎる。視線を交わし合い、片方が慎重な口調で答えた。
「目深に帽子を被っていたし、受け渡しは夜でした。男か女かもわかりません」
「そうか。では王妃に訊こう。あなたの使者は今、どこにいる?」
急に話を振られ、隅の方で喚いていたロザリンデは、悲鳴に近い声を上げた。
「知るわけがないでしょう! そんな者は存在しないのですから!」
「では、僕が当てよう。そいつは男で、髪は褐色の巻き毛だ。頬に三日月型の大きな傷があり、今は毒矢を携えて王女のもとにいる。どうだ?」
「なっ……」
ロザリンデが絶句し、顔色が赤から蒼白へと、遠目にも明らかな変化を見せた。
礼拝室中がシンと、水を打ったように静まり返る。
最初に我に返り、言葉の意味を察したのはエゼルディアだ。
「アンルー、毒矢って……王女って、つまり……」
うまく尋ねることができなかったのだが、アンルーはさらりと答えた。
「安心しろ。依頼主の体を守るのも僕の仕事だ。毒矢を持った男は眠らせてある。
大神官、衛兵を派遣して捕まえてくれないか。柱の付近に倒れているはずだ」
数秒の空白を経て、いっぺんに空気が変わった。
ザビドが衛兵隊長に指示を出し、隊長は慌てふためいて礼拝室を飛び出す。
放置されたロザリンデは、顔面蒼白でその場にへたり込んだ。
化け物でも見るかのような目つきで、愕然とアンルーを眺めている。
「王妃様、どういうことです!」
「王女殿下を弑そうとしたのか!? なんて汚いんだ!」
近衛兵たちの激高する声が天井にこだまし、ロザリンデは取り乱して頭を抱えた。
「ち、違う、違うわ! そんな男、わたくしは知らない! わたくしではない!」
「本当のことを仰ってください、王妃様。調べればわかることです。自ら認めるのと暴かれるのとでは、魂の救済に大きな差が出ます」
努めて冷静に事を運ぼうとするザビドにも、近衛兵たちは次々と噛み付いた。
「大神官様、王女殿下は無実です! 国王陛下もこの女が弑したのです!」
「すぐに神明裁判の中止を! このままでは王女殿下のお体に障りが出ます!」
「王妃が王位継承に横槍を入れていたのは皆も承知のこと。動機は明らかではないですか! 要求を呑もうとしない陛下に恨みを抱いて、犯行に及んだのです!」
「ち……違う! わたくしは殺していない! 陛下の寿命が長くないと知っていたのに、どうして殺す必要があるというの!」
ロザリンデの叫びに、礼拝室は再び静まり返った。
一番驚いたのはエゼルディアだ。父の寿命がまだまだ長いと思っていたわけではないが、持病があるとはいえ、長くないとはっきり言えるほどの根拠は知らない。
まさか王妃は他にも何か、後ろ暗いことに手を染めていたのだろうか。
神聖であるはずの礼拝室に、殺伐とした空気が満ちた。
肩で息をし、乱れた髪を撫で付るロザリンデに、ザビドが険しい顔つきで迫る。
「今の発言は、どういうことですかな? 陛下の寿命が長くないとは……」
追いつめられて口走っただけで、本来は言うつもりがなかったのだろう。
ロザリンデは気まずそうな顔つきでいたが、やがて開き直った。
腰に手を当て、ぐるりと周囲の面々を睥睨する。
「結構ですわ。陛下の寿命が長くなかったことを、説明できる者を呼びましょう」
要求はすぐに実行に移され、礼拝室には、初老の宮廷医師が呼び出された。
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