第5話


 王妃の部屋は、王宮の北翼にある。

 十年前までそこで暮らしていたのは、エゼルディアの亡き母だった。

 

 六年前、ラーフィー神殿総本山のお膝元である都市国家から、新たな妃としてロザリンデがやって来た。神殿と繋がりの深い、名門貴族の令嬢だ。

 もしも彼女の息子が王位に就いたなら、サスキア王国はこれまで以上に、ラーフィー神殿の介入を受けることだろう。


 そんな事情も相まって、次期国王にエゼルディアを推す王女派の構成員は、そのまま反神殿派と呼び変えても問題のない人物ばかりだった。

 中には神殿の打倒を目論む、過激な思想家もいる。

 エゼルディア自身、神殿が仲介する神の在り方に疑問を抱いていることからして、過激派の範疇に含まれるのかもしれない。


 政治と信仰を抜きにしても、義理の母娘はとことん合わなかった。欲望のままに着飾り遊ぶことを王妃の役割と考えるロザリンデは、化粧も装飾品も最小限で書物を抱えてばかりいるエゼルディアを、社交も知らぬ地味な小娘と侮った。


「今さら弁護士だなんて妙な話だけれど、王女びいきの大神官が特別に手配させたと思えば、あながちあり得ない話でもなさそうね。神のご裁断を待てばいいのに、ラーフィー法典を奉じる立場の者とは思えない振る舞いですこと。

 それで? わたくしに何を訊きたいの?」

 ザビドの指輪を見るやロザリンデは、眉をひそめて剣呑な言葉を並べ立てた。


 実家と神殿の繋がりを考えれば、彼女と大神官は本来、協力関係にあるべきだろう。しかしザビドは、ロザリンデが用意する贈り物を一切受け取らなかった。結果、今や王妃は、かの誠実な老人のことを誰よりも嫌っている。


「あなたは王女よりも先に、礼拝室で国王と会っていたそうだな。なんのためだ?」

 質問を開始するアンルーを広げた扇の奥から眺め、王妃は作り笑いを浮かべた。


「なんのためって……ほほ、あの礼拝室は王家のものですよ。王妃として神と祖霊に感謝の祈りを捧げることは、義務のようなものではありませんの。日課ですわ」

「嘘よ。この人が自分から進んで礼拝室に行くところなんて、見たことがないわ!」

 思わずエゼルディアは叫んでいた。一歩踏み出し、繋いだ手に力を込める。


「自分の息子を後継者に選ぶよう、お父様を説得しに行ったんでしょうね。あんまりしつこいからお父様はいつも逃げていたの。それを追い回すのがこの人の日課よ!」


 いくら前王が推挙した後継者であっても、その正当性を認めるのは大神官だ。

 普通ならそんな説得をする必要はなく、ロザリンデは大神官と仲良くしてさえいれば、それで良いはずだった。

 しかし、ザビドが珍しく清貧な人物であったがため、息子を王位に就かせるために、しなくても良い奔走をせざるを得なくなったのだ。

 実家を通して神殿本部にザビドの更迭を打診してもいるようだが、その望みはまず叶わないだろう。なぜならザビドは、ロザリンデの実家を遥かに凌駕する大貴族の出だから。


「王位継承権の話をしに行ったのではないか?」

 アンルーは単刀直入に切り込んだ。

「今回の事件は、あなたにとっては悪くない展開だな。国王が死に、エゼルディア王女が犯人として裁かれれば、玉座が息子に転がり込んでくるのだから」

「あなたもしかして、わたくしを犯人に仕立て上げたいの? だとしたら残念ね。わたくしが礼拝室から出た後、外で扉を守っていた近衛兵たちが、陛下と言葉を交わしているのよ。わたくしが陛下を弑したのなら、あの者たちは一体、誰と喋ったの?」

「その話は聞いている。だが、あなたと近衛兵たちが手を組んでいれば別だろう」

「どうやらあなた、あまり王宮の事情に明るくないようね」

 フンと鼻を鳴らし、ロザリンデは音を立てて扇を閉じる。


「わたくしと彼らが手を組むなんて、そんなことはあり得ないわ。何しろ、奉じる神が違うのですもの」

「神が違う?」

「陛下が近衛兵に取り立てた連中は元々、サスキアに土着の邪教を信じる、ならずもの集団だったのよ。片やわたくしは神殿総本山のお膝元で育った、生まれながらの敬虔なラーフィー信徒。相容れるはずがないでしょう?」

 言葉に出すことさえ汚らわしいとでも言いたげに、ロザリンデは顔をしかめた。


「神殿がいくら教化に努めても、改心するどころか武力抵抗をする始末。

 陛下が説得してようやく改宗したけれど、そんなの表向きに過ぎないわ。

 心の広い陛下は彼らを信じていらしたようだけれど、地下活動は続いていてよ。

 調べさせればすぐにわかるわ」


 説明を求めるようなアンルーの視線を感じ、エゼルディアは口早にささやいた。

「今の近衛兵団は元々、サスキア古来の信仰を守る傭兵集団だったの。神殿に弾圧されて壊滅の危機に陥ったとき、表向きの改宗を条件に、お父様が助けたのよ。

 以来、サスキア王家に忠誠を誓っているわ。わざわざ近衛兵団にしたのは、味方につければとても信用できる人たちだから。お父様も神殿のやり方に疑問を抱いていたから、思惑が一致したのよね」


 ロザリンデの輿入れを拒否できなかったのは、その事件が神殿に対する弱みとなったからでもあった。多大な財力と兵力を持つ神殿と簡単に事を構えられるほど、サスキアは大きな国ではないのだ。


「犯人は王女に決まっているわ。王位継承権を剥奪されたくなかったのよ」

 退屈だといわんばかりの口調で、ロザリンデがそう決めつけた。

「返された短剣で犯行に及んだはいいものの、言い逃れできる状況ではないと気付いて、何もわからないふりをしたのではなくて? 絵に描いたような小娘の浅知恵じゃない。ちょっと考えれば誰もがわかることだわ」

「短剣は返されていない。鞘が国王の帯に挟まれていたそうだ」

「なら、返される前に中身だけ奪ったのでしょ。どっちでもいいわ、そんなこと」

「国王は、王女の王位継承権を剥奪するつもりだったのか?」

「もちろんよ。大主教猊下も女の王を快く思っていないし、神殿の不興を買ってまで長子継承にこだわる必要はないと、陛下も気付いていたはずですからね。他に候補がいないならまだしも、サスキアには立派な王子がいるのだし」

「……と、いうことは、まだ剥奪の事実はなかったんだな」


 アンルーが念押しのように問うと、「まあ、今のところは」と不服そうなつぶやきが返ってきた。

 勝手な言い分を並べ立てられ、エゼルディアは再び語気を荒くする。

「お父様の後継者は間違いなく私よ! 話したでしょアンルー。礼拝室の秘密の地下室は、歴代の王しか入り口を知らないって。お父様はそれを私に教えてくれたし、事業の一部まで引き継がせていたんだから。あの日待ち合わせたのも、その事業の引き継ぎのためよ!」


 あえて話す必要もないかと思っていたが、こうなったら黙っていられない。

 ロザリンデの発言が独りよがりなものに過ぎないと証明すべく、エゼルディアは口早に訴えた。


「地下室にはサスキアの古い法典が隠されているの。お父様はそれを読み解いてサスキア独自の法を蘇らせ、ラーフィー神殿から法を取り戻すおつもりだったのよ!」


 万全の態勢を整える前に神殿側に知られては、そんな計画はたちまち取り潰されるに決まっている。不要な騒乱を招かないよう、後継者についてはまだ心が決まらない体を装い、事業計画についてもひた隠しにしていたのだ。


「ラーフィー神殿は、神が唯一絶対で法は神と同義だから、法もまた唯一絶対でなくてはならないと言っている。でもその二つは、本当に切り離せないものなの? 

 違う土地で、違う言葉を使って生きる人たちの間でも? 

 神はそれぞれの民の前で異なる姿を取る。その表れ方が法なのであって、神の本質ではないというのがお父様のお考えよ。

 サスキアの古い法は、サスキアの土地に即した内容になっていた。

 でも神殿は、ラーフィー法典以外を認めないから、法を取り上げられた私たちは、様々な判断を神殿に頼るしかなくなった。

 独立国家なのに、自分の足で立つことができないなんて、絶対に変よ!」


 唯一絶対の法のもとで開かれるはずの裁判は、神殿関係者による身内のひいきや、寄付金の多寡で決まってしまうのが現状だった。

 近衛兵団となった元傭兵集団には、不当な裁判で土地を追われ、傭兵として生きるしかなくなった農民たちが多く身を寄せていた。

 神殿に対する庶民の不満は大きく、こういった集団が見られるのは、何もサスキアに限った話ではない。どの国にも同じような問題が燻っているのだ。


「今のラーフィー神殿は腐っているわ。ザビド様のように清廉な方も中にはいるけれど、大元が腐敗しきっている。そして貴族の大半がそれと癒着し、政治をほしいままにしようとしている。お父様と私は、その状況を変えたかったの。

 この際、神はラーフィーのままでいい。でもせめて裁判だけは、自分たちの手で開けるようになりたいって……!」


「――つまり君たちは、神と法の分離を望んでいるのか」

 ふいに問われ、エゼルディアは我に返った。


 ロザリンデの手前、無言を通すだろうと思っていたアンルーが、声を発したことに驚く。同時に自分が、今の場面に関係のない、余計なことを話していたと気付く。


「ごめんなさい……」

「いや」

 赤面して謝ると、アンルーは意外にも真面目な顔つきで頭を振った。

 戸惑いながらロザリンデを見ると、彼女も訝しげな顔をしていた。

「あなた、誰と話しているの?」

 そのとき、部屋の外から複数の足音と、揉めるような誰かの声が聞こえてきた。


「困ります」と訴える侍女の声にかぶせて、部屋の扉が勢いよく開かれる。

 現れたのは衛兵隊の隊長だった。後ろには二人の若い部下が従っている。

 隊長は許しも得ずに部屋へ入り込むなり、鋭い眼光でロザリンデを捉えた。

「王妃殿下、火急のご用件がございます。そちらは弁護士殿ですね? 

 ご一緒に礼拝室までお越し下さいとの、大神官様からのご通達です」


(また火急の用件?)

 エゼルディアはアンルーの顔を見上げた。

 彼の向こうではロザリンデが、怒りの形相でぶるぶると震えている。


「何事です! 侍女も通さずいきなり扉を開けるとは、なんと失礼な!」

「礼儀を云々している場合ではありません。国家の大事ですからな」

 隊長に目で指示され、衛兵たちがロザリンデの両脇を固めた。

 手を触れることはせず、ただ逃げられないように彼女を挟む。

 ロザリンデはいよいよ色を失った。


「どういうことですか、これは!」

「緊急の措置だということをご理解いただきたい。あなただけへの不当な対応ではありません。先日は王女殿下も、このような形で自室謹慎となりました」


 その言葉を待つまでもなく、エゼルディアは、衛兵に挟まれて自室へ送られる自分の姿を思い出していた。理由はもちろん、国王殺害の容疑をかけられたからである。

 ということは、まさか。


「カネを持って城から逃げようとしていた者が捕まりました。あなたの計画に手を貸したと供述しています。容疑が晴れるまでは、相応の待遇をご覚悟ください」

 隊長の言葉に目をみはってロザリンデを見ると、彼女は顔を真っ青にしていた。


「ど……どういうことです……?」

「参りましょう。大神官様がお待ちです」

 衛兵たちに促され、ロザリンデはよろめくような足取りで歩き出す。

 あっけに取られてエゼルディアは、その後ろ姿をしばし呆然と見送った。


「ロザリンデ様が、お父様を殺害した犯人ということ?」

「さあな。少なくとも本人は、何か後ろめたい事実を隠しているようだが」

 アンルーは肩をすくめ、彼らに続いて歩き始めた。

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