第4話


 ラーフィー神殿総本山は、全ての信仰国に大神官を派遣している。

 大神官は派遣先の国内における最高の宗教的権威であり、裁判官だ。


 王となる者は、まず自国の大神官にその正当性を認められたのち、神殿の最高指導者である大主教から、冠を授からなくてはならない。

 つまり大神官は、一国の王をも凌駕する権力を持っているわけで、権力は財力を呼び寄せるものである。


 大神官と呼ばれる人は、大抵が贅を凝らした屋敷に住んでいた。

 貴族や富裕商人に有利な判決を下し、裁判は金で解決するのが当然、という常識を持っていた。

 冬の豚よりも丸々と太り、王族と見紛うような豪奢な服を着て、空よりも高い場所から見下す目つきをしている。それが大神官の基本的な姿であるはずだった。


 ところがサスキア王国だけは、その類型が当てはまらない、史上稀に見る幸運な常識はずれを享受している。

 派遣されてきた大神官ザビドが、非常に誠実でつつましやかな人物だったからだ。


「……君は」

 ザビドは驚いて立ち止まり、目の前に現れた黒衣の青年をしげしげと眺めた。

「誰だね? 急に現れたように見えたが……」

「僕は弁護士だ。国王殺害事件について、あなたに訊きたいことがある」


 あまり詳しく説明する気はないようで、アンルーは端的にそれだけ言う。

 当然ながらザビドは、警戒する顔つきになった。


「弁護士など、わしは頼んだ覚えがないのだがね」

「王女の裁きを神に託した覚えならあるはずだ。被告人には弁護を依頼する権利がある。神の法廷に立たされた被告人につくのは、人間の弁護士ではないがな」

「人間の弁護士ではないとは……まさか、黒衣の御使いとでも名乗るつもりかね?」

「あなたが納得するなら、そう考えてもらって結構だ」

 アンルーが頷くのを、ザビドは胡散臭そうに見やった。


 黒衣の御使いとは耳慣れない言葉だが、どこかで聞いたような覚えもある。

 少し考えてエゼルディアは、いつかの礼拝中に聞いたのだと思い出した。


(ザビド様がお話ししてくださる神話の中に出てきたんだわ。

 かつて神が直接人間を裁いていた頃、傍には白衣と黒衣の御使いがいて、その裁きを手伝っていたとか……)


 言われてみればアンルーの存在は、ぴったり当てはまるような気がした。エゼルディアの弁護は神の裁きの手伝いに他ならないし、全身黒尽くめなのだから。

(詳しい内容は忘れたけど、黒衣の御使いは被告人の無罪を主張していたはず……)

 しかしザビドは、本当にそう思ってその単語を出したわけではなさそうだった。


「衛兵!」

 正面扉に向かってザビドが声を張り上げると、すぐに扉が勢いよく開き、衛兵が武器を構えて首を突き出した。

 礼拝室は普段、衛兵に守らせてなどいないが、事件を受けて、今だけ見張りを立てているのだろう。事件当日に扉の前に立っていた近衛兵たちは、あくまで国王の警護をしていた連中である。


「どうされました、大神官様」

 真面目そうな中年の衛兵に向かって、ザビドは厳しい口調で問い質した。

「君はずっとその扉を見張っていたはずだな。なぜ彼を通したのだね?」

 訊きながら片手でアンルーを示す。


 衛兵はしばし沈黙した後、ぐっと眉根を寄せた。

「あの……申し訳ありません。今、なんと……?」

「なぜ彼を通したのか、と訊いたのだ」

「彼というのは、誰のことでしょう」

「ここに立っている青年のことだ」

「誰かがお傍に、いらっしゃるのですか?」

 そこでようやくザビドも、何かがおかしいと気付いたらしい。言葉を呑んで口をつぐむ。


 衛兵は困り果てた様子で立ち尽くしていたが、やがておずおずと口を開いた。

「大神官様。わたしは誰も、通しておりませんが……」

 困惑顔の衛兵とアンルーとを、ゆっくり交互に眺めやってから。

 ザビドは表情を和らげ、とぼけた調子で頬を掻いた。


「そのようだね。すまない。光を人影と見間違えたようだ」

「はあ……」

「ありがとう。仕事に戻ってくれ」


 心配そうな顔つきで衛兵が引っ込むのを見届け、ザビドは溜息混じりにぼやいた。

「やれやれ。あの者はわしが耄碌したと思ったでしょうな」

 やおらアンルーに視線を戻し、顔つきを真面目なものにする。


「彼にはあなたの姿が見えなかったようだ。最初にわしがそうだったように」

「見えるように仕向けていないからな」


 無表情に答える黒衣の青年を改めて観察し、認めざるを得ないと悟ったのだろう。

 ザビドはふいに居住まいを正し、深く頭を下げた。

「ご無礼をお許しください。ようこそお越し下さいました、黒衣の御使い殿」

 対するアンルーは会釈もせず、無愛想に質問を再開する。


「サスキア国王殺害事件について、あなたに訊きたいことがあるのだが」

「この老体に答えられることでしたら、なんなりと」

「あなたは王女が悲鳴を上げた直後、近衛兵と共にこの部屋へ入ってきたそうだな。 

 そもそも事件当時、なぜ礼拝室の近くにいたのか。そこから説明してもらいたい」

「それは王女殿下が礼拝室へ向かわれるのを、庭でお見かけしたからです」

 先ほどまでよりも厳粛な面持ちで、ザビドは丁寧に答え始めた。


「近ごろ王女殿下は、神の存在についてお悩みのようでした。礼拝室へ向かったのも、神学的な思考を巡らせるためかと思い、何かお力になれることもあるかと、後を追ったのです。礼拝室に着くと、悲鳴が聞こえたので、近衛兵と共に室内へ踏み込みました」

「中の様子はどうだった?」

「国王陛下は主祭壇の前に伏し、王女殿下は傍らで呆然とされていました。わしは近衛兵の一人に翼廊の扉を調べるよう命じ、もう一人には宮廷医師を呼ぶよう命令を」

「王女と近衛兵が周囲を探っている間、あなたは何をしていた?」

「まだ回復する余地があるのではないかと、陛下のご容態を確認しておりました。

 姿勢をずらして口腔に溜まった血を外に出し、心の臓を刺激した程度ですが……」

「国王を殺した凶器は、王女の短剣だったそうだな」

「はい、短剣は床に転がっていました。見つけたのは王妃のロザリンデ様です」

「血が付いていたそうだが、鞘はなかったのか?」

「ありましたとも。陛下の腰帯に挟まれ、ガウンに隠れていました」

「ということは、犯人は国王の懐から刃だけ奪って刺したことになるな。

 王女ならばそんなことをするまでもなく、短剣は返してもらえたはずだ。

 不自然ではないか?」

「もちろん検討いたしました。ですが不利な状況には変わりなく、疑いを完全に晴らすことはできませんでしたので……」

 一応訊いてみただけなのだろう。アンルーは軽く頷き、すぐに次の質問へ移る。


「王女が疑われたのは、直前に国王と会話をしたという、近衛兵の証言があったからだそうだが。証拠もないのに、その者たちはそんなに信用できるのか?」

「今回は信用できると判断いたしました。何しろ彼らは王女派ですので……次期王位継承を巡って、宮廷が王女派と王妃派に分かれていることは、ご存知ですか?」

 アンルーが首を横に振るのを見て、ザビドは詳しい説明を加えた。


「陛下の後妻であるロザリンデ様は、五年前に王子をお産みになられました。

 以来、長子のエゼルディア殿下ではなく、男子である我が子を第一位王位継承者にすべきだ、との主張を始めたのです。それで城内が二つに割れたのですが、証言した近衛兵たちは、王女派に属するのです。

 政治的判断を優先したなら、彼らはその証言を隠したでしょう。何しろ近衛兵たちと陛下が最後の会話をする直前まで、礼拝室にはロザリンデ様がいらしたので」

「……なに?」

 片眉を上げ、アンルーは一瞬だけエゼルディアを見やった。


「つまり近衛兵たちの証言がなければ、ロザリンデも容疑者になっていたのか」

「ええ。証言を隠せば王女派にとって、王妃派を窮地に追い込む絶好の機会となったことでしょう。それをしなかったのは、真実が口をついて出たからだと思われます」

「なるほどな。話を整理すると、こうか。

 1、国王が王女の短剣を持って礼拝室に入る。

 2、王妃が訪れる。

 3、王妃の退室後に近衛兵と国王が言葉を交わす。

 4、王女が国王の遺体を見つける。

 5、叫び声を聞いてあなたと近衛兵が中に入り、医師と王妃も駆けつける。

 ……ちなみに、王と近衛兵はどんな会話を?」

「近衛兵によると、『王女殿下以外、誰が来ても入れるな』と命じられたそうです」

「国王におかしな様子はなかったのか?」

「特に変わった点はなかったと聞きました。強いて挙げれば咳をされていたそうですが、それは陛下の持病によるものですので……」


 ちらりと視線を寄越され、エゼルディアは反射的に頷いた。

「そうよ、お父様には持病がおありだったの。最近はよく効く薬を見つけたとかで、随分と楽になっていたようだけれど。一度咳き込むと続くから苦しそうだったわ」

 ザビドに目を戻してアンルーはつぶやいた。


「やはり、近衛兵から直接話を聞く必要があるな」

「もちろん、ご協力いたします。わしが連れて参りましょう」

 そう言ってザビドが踵を返しかけたときだ。礼拝室の扉が外から激しく叩かれた。


「大神官様、火急のご用件がございます!」

「なんだね、こんなときに」

 眉をひそめ、ザビドはアンルーを振り返る。


「何かあったようです。申し訳ないが、少しお待ちいただけますかな」

「近衛兵たちの居場所を教えてくれれば、こちらから出向くが」

「兵たちの持ち場は日替わりです。いずれにせよ、調べるのに時間がかかります」

「では、他の人物に当たる。王妃はどうだ?」

「この時間でしたら、ご自分の部屋にいらっしゃるはずです。誰かに案内を……」

「必要ない。自分で移動できる」

「ではせめて、これをどうぞ」

 ザビドは自分の指輪を外してアンルーに渡した。


「王妃様は何かと難しい方ですが、その指輪を見せれば、わしがあなたの来訪を承知していると察して、最低限の協力はしてくださるでしょう」

 頷いて指輪を受け取り、アンルーはエゼルディアの手を軽く引いて合図した。

(王妃の部屋ね。行きたくないけど、仕方ないわ。訪れるのは何年ぶりかしら……)


 抵抗を感じつつも、エゼルディアは目をつむり、その場所を思い浮かべた。


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