第60話 代償
暗い闇の中、誰かのシルエットが見えた。
『サーヤ……』
「クロウ?」
サーヤは、ここが自分の心の中だと気付いた。目の前にいるクロウは、揺らぐ髪の毛で顔の表情があまり見えないが、俯いている。周りが暗くても、サーヤの目には彼がはっきりと見えた。
『……すまん。サーヤのエネルギーを喰っちまった……』
しゅんとする姿に、サーヤはそっと頭をなでた。クロウの髪の毛は意外と柔らかい。
「気にしないで。これは私が望んだ事だもの。クロウがいてくれたおかげで戦えた。町の人を守れたわ。マットとディルンムット様も助けられた」
クロウの力は強い。強すぎる。だが、今回のようにいざという時、頼りになる力だ。ここまで長い時間、クロウを外の世界に出したのは初めてだった。その影響が今出ている事は、サーヤも理解している。
『すまない……。サーヤが望むなら、俺は迷わず戦う。だが、本当に必要な時以外は、絶対に呼ぶな。いいな?』
クロウの真剣な瞳が見えた。どこまでも深い黒だ。サーヤは頷いた。
「うん。分かった。でも今回の事は、本当にありがとう」
微笑むサーヤを見て、クロウは一瞬目を見開いた。そして、ふっと笑う。
『嫌われた方が楽なのに。俺の主は、甘ちゃんだな……』
「……ん……」
ずっと沈んでいた意識が浮上した。瞼を閉じていても、外の明るさを感じる。サーヤはゆっくりと目を開けた。
ぼんやりと見えたのは、木の天井だ。
(ここは……?)
「サーヤ!」
「……マット」
サーヤが寝ていたベッドの側で、椅子に座っていたのはマットウェルだった。彼は、ホッとして、笑顔になった。
「体調はどうだ? 気分は?」
「大丈夫。よく寝た感じ」
ベッドに横になったまま、サーヤはへらりと笑った。
「皆を呼んで来る。そのまま待ってろよ!」
そう言って、マットウェルは部屋を出て行った。サーヤは首を動かし、窓の外を見る。青空が見えた。朝か昼かは分からない。そして、部屋を見渡す。木製の机と棚が視界に入った。見た事のない部屋だ。
「サーヤ!」
エクレーとコルが我先にと部屋になだれ込んできた。
「ああっ、良かったです!」
エクレーはいつもの冷静さを欠いており、涙ぐんでいる。サーヤの右手をぎゅっと握った。
「痛い所はないか? 苦しくないか?」
コルは小さな羽をサーヤの頬にぺちぺちと当てて、まるで保護者のような口ぶり。柔らかい羽がくすぐったい。
「ふふ。大丈夫だよ。心配かけたね。私、どれくらい寝てたの?」
「一日だよ」
ガシャン。独特な足音が聞こえた。
「ディルンムット様、リリーシャさん」
二人も一緒に入って来た。ディルンムットは松葉杖をついている。左足がまだうまく動かせないようだ。
「サーヤ、本当にありがとう。クロウに助けられたよ。感謝してる」
ディルンムットが礼を言った。サーヤはにこりと微笑む。
「クロウも必要な存在なんだと実感できて、嬉しいです。彼も喜んでると思います」
言いながら、サーヤは起き上がった。ゆっくりと上体を起こす。エクレーが手伝ったが、サーヤは違和感に気付いた。
左手を見る。
「……サーヤ、左手を診てもいいかい?」
ディルンムットは一歩ベッドに近付いた。
「はい……」
ベッド側の椅子に腰かけ、サーヤの左手を取った。
「なんだ?」
マットウェルは首を
「力で繋がっているエクレーとコルは分かっているようだね。サーヤ、マットに隠しても良い事はない。ここではっきり言うよ?」
ディルンムットの言う事は尤もだった。サーヤは頷いて、承諾した。
「左手が動かないね。機能が停止している」
「……えぇ!?」
マットウェルが声を上げた。リリーシャも口に手を当てて驚いている。
「ど、どういう事ですか! サーヤの左手の機能が停止って……」
頭をガンと殴られたような感覚だった。サーヤを見れば、マットウェルを見て困ったように眉を寄せて苦笑している。
「知ってたのか? はっ、クロウを出した影響か!?」
「うん。ここまで表に出したのは初めてだったから、どんな事になるのか分からなかったけど。力を使うだけで苦しいから、体のどこかに影響が出るだろうとは思ってた。まだ左手で良かったかもね。足だったら、歩けなかったから……」
「良いわけあるか!! ディルンムット様、治らないんですか?」
マットウェルは、すがるように彼を見た。首を横に振るディルンムットを見て、悔しそうに顔を歪める。
「そんな……」
「人の体には、生きる為のエネルギーが流れている。頭の先から足の先、隅々までね。でもサーヤは、左手首から先にエネルギーが全く流れていない。手首をつねると、痛いかい?」
「はい」
「でも、手の甲をつねると――」
ディルンムットは力を入れて、サーヤの左手の甲をぎゅっとつねる。普通なら痛いはず。
「痛くないです。触れられてる感覚もない」
見た目は右手と変わらない。普通の手だ。しかし、痛覚や触覚、握力さえ、左手にあったはずの機能が全て失われていた。ディルンムットが手首の所で支えると、左手はだらんと力なく垂れ下がった。全く動かない。
「これは、ケガをして手足が麻痺してしまう事とは違う。完全に機能がゼロになってしまっているんだ。リハビリをして、機能を取り戻す事すら不可能にしている」
「そんな事って……」
マットウェルが呟いた。
「クロウを使う危険性は、師匠から聞いていたので、全て受け入れているつもりです。今回戦いに出す事も、覚悟の上でした。クロウ自身も、私に負担がかからないよう気を遣ってくれていました。左手は、戦いの勲章というヤツです。仕方のない事なんです。私はクロウを責めたりしません。彼も辛そうにしてた……」
サーヤはこうなる事が分かった上で、クロウと入れ替わった。クロウ一人を悪者にしたくなかった思いもある。皆に納得してもらえるよう、しっかりと説明した。
「確かにクロウの力は頼りになる。しかし、代償が大きい。サーヤ、彼を戦わせる度に君の体が悲鳴を上げるんだ。なるべくなら、使って欲しくないと僕は思ってる。仲間の皆が心配するし、クロウももっと辛い思いをするだろう。アルゴスも苦しむ君を見たくはないはずだ」
サーヤは、マットウェル、エクレー、コルを見た。彼らは今、既にサーヤを心配している。
「分かっています。クロウにも言われました。“本当に必要な時以外、絶対に呼ぶな”って。その通りです。皆、私は大丈夫だからそんなに苦しそうにしないで。これから気を付けるから」
そう言って変わらない笑顔を向ける。マットウェル達は互いを見て、ふぅ、と息を吐くと張り詰めていた緊張を解いた。
「本当、そうしてくれよ」
コルがサーヤの頭にちょこんと乗った。温かい。
「サーヤ、クロウを使わなくて良いように、私達が全力で戦います」
「うん。よろしくね」
エクレーも気持ちを引き締め直したようだ。
「……」
マットウェルは、何も言わず部屋を出て行ってしまった。声をかけてもらえるかと思っていたサーヤは、少し寂しそうにその後ろ姿を見送るだけだ。
「サーヤ、一つ提案なんだが」
ディルンムットが口を開いた。サーヤは首を傾げる。
「提案?」
影の力を持つ私が、光の巫女である姉を倒しに行くことになりました うた @aozora-sakura
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