第58話 戦いの後

「ごほっ! げほっっ!! ぜい、ぜぃ……」

 マットウェルはようやく解放され、肺が酸素を求めている。大きく深呼吸をしながら咳き込んでしまった。泥が突然砂のようになり消えたのだ。視界が明るくなり、呼吸が出来る。助かったと実感した。

「ラフィさん……」


 小さくその名を呼んだ。ラフィはもう動く事もなく、眠るように大きな体を丸めたまま命尽きていた。泥の魔族から受けたダメージが大きすぎたのだ。衝撃波は、実は一度が限界だった。だが、マットウェルの為に、彼女は命を賭けたのだった。


 そっと体に触れる。美しかった毛並みが、ざらざらだ。

「俺を守ってくれた……。ありがとうございます」

 ラフィは、マットウェルが泥に襲われる直前、彼の周りに入り込み、体を丸めた。マットウェルが泥に触れないようにしたのだ。大きな泥の山になっていたのはその為だった。ラフィの体の隙間にいたマットウェルだったが、泥のせいで酸素が入らず、酸欠状態になっていた。

「どうなったんだ……?」

 辺りを見回す。ラフィの上の息子は助からなかった。同じ場所から動いていない。


 そして――


「サーヤ……?」

 マットウェルから少し離れた場所に、サーヤが倒れていた。まだ酸欠の影響で頭がクラクラしている。幻覚を見ているのかと思ったが、もつれる足をなんとか動かし、サーヤに駆け寄った。

「サーヤ、サーヤ!! なんでここに!?」

 仰向けで気を失っている。呼吸を確認すれば、規則的に胸が動いていた。とりあえずホッとするが、避難していたはずの彼女が何故この場所にいるのか疑問だった。


「サーヤが、いや、クロウが助けてくれたんだ」


「クロウって……。はっ、ディルンムット様! その足!!」

 ディルンムットは両腕を使って、ズルズルと進んでいた。ラフィの息子、弟の所に辿り着き、頭をそっとなでる。

「な、んで……弟まで……」

「狼の魔族と戦って散った。最期まで、逃げずに戦っていたよ……。僕は、彼に救われた」

 魔族が弟の方を向かなければ、近くにいたディルンムットを襲っていただろう。結果は悲しいものになってしまった。

「そんな……」


 魔族を全員倒す事が出来た。しかし、失ったものが多すぎる。決着がついても、全く嬉しくない。



「お父さん? うそっ、お父さん!! いやあぁぁっ!!」


 後方から悲鳴が聞こえた。見れば、リリーシャが倒れている人物に駆け寄る所だった。泥の中から飛び出した人間の一人に、彼女の父親がいたのだ。

「これは……」

 一緒にいたエクレーは辺りを見て、言葉を失っている。

「サーヤ!」

 倒れているサーヤに気付き、駆け寄った。


「リリーシャ……」

 ディルンムットが呟いた。彼女の所へ行きたいが、足が動かない。

「ディルンムット様、足は治りますか?」

 マットウェルが側に来て膝を付いた。

「ああ。時間はかかるが、僕の力で治せるよ。家に帰れればいいんだけどね」

「俺が手を貸します」

「ありがとう。移動の時は頼もうかな。サーヤも、ベッドに寝かせてあげないと」

 二人は横たわるサーヤを見た。

「サーヤは、クロウの力を借りていました。力だけですか?」

「いや、姿が全くの別人になっていた。クロウ本人だろう。強かった……。あれだけ苦戦していた魔族を、一瞬で消してしまった」

「一瞬で……」

「!」

 エクレーは驚愕の表情だった。マットウェルはサーヤの所へ戻る。強すぎる力のせいで、実体を持てなかったクロウ。サーヤの体を借りて出て来たと言うのか。

 サーヤの頬に触れる。冷たい。

「逃げろと言ったではないですか。クロウだけは、出してはいけないと……」

 エクレーはサーヤの頭をなでた。

「クロウに体を貸して、平気なわけねぇよな? 力を出しただけで、あれだけ苦しんでたんだ」

 目を閉じたまま、サーヤは何も反応を返さない。

「サーヤ、目を開けてくれよ……」

 冷たい手をぎゅっと握る。


「追いついたあああぁぁ!!」

「コル!」

 エクレーが一番に反応した。ラフィの一番下の子の背に乗っている。子供の狼は、キャンキャンと鳴きながら、母親の元へ。そしてコルはサーヤを見つけ、こちらに向かって来た。

「むぎっ!!?」

 コルはエクレーに顔を掴まれた。なかなかに強い力で握られ、自慢のくちばしが歪んでしまう。

「コル……お前がいながら、何故サーヤはこんな状態なの? 守れと言ったでしょう。焼き鳥決定ね!」

 エクレーが本気で怒っている。コルは涙目だ。

「すまねぇって!! でもオレ様もがんばって戦ったんだぞ! エクレーが町に戻った後、里の大穴から出て来た魔族二匹が来たんだ」

「え!?」

 マットウェルがコルを見た。

「避難してきた町の人間の命と引き換えに、マット、お前を差し出せって言ってきた」

 コルの声が聞こえたディルンムットも、マットウェルの方を見た。

「お、俺!?」

「生きたまま連れて来いって言われてたみたいだ。どんな状態でも、生きてりゃいいってな。サーヤはお前と町の人間を守る為に、クロウに体を預けた。止めたけど、ああしなきゃ最悪の事態になってたと思う」

 コルは続けた。

「町にいる魔族も倒す手助けをして欲しいって、サーヤの願いを叶える為にクロウはここに来たんだ」


「おかげで、僕は助けられたよ……」


 ディルンムットは申し訳なさそうに言った。

「ディル……」

 リリーシャが、いつの間にかこちらに来ていた。ディルンムットの正面に立つ。

「泥の魔族に、ジル殿が喰われていたなんて……。すまない。助けられなかった」

 リリーシャは膝を付き、ディルンムットに抱きついた。

「こんなに傷付いて……。あなたは必死に戦ったんでしょう? こんな事になったのは、あなたの責任じゃないって知ってる。だから、責めたりしないわ。あなたも自分を責めないで。ただ……仲直りが出来なくなったのは……悲しいかな……うぅ……」

「リリー……」

 ディルンムットもぎゅっと抱きしめる。リリーシャは、肩を揺らして泣いていた。

「ディルが生きててくれて……よかった……」

「うん……」



 エクレーは、掴んでいたコルを放す。

「今回は、やむを得ない状況だったのね。私も戦えていればと悔やまれるわ……。コル、あなたを責めて、ごめんなさい」

「そーだぞ! オレ様も必死だったんだ。もっと謝れ!」

「素直に認めていれば良い気になって……。その毛、全部むしってあげるわ」

「ひぃっ! 調子に乗りましたぁ!!」

 いつもの調子の二人に戻ったのを見て、マットウェルは苦笑している。

「サーヤ、早く目、覚めてくれ……。皆待ってるぞ」


 サーヤは固く目を閉じている。その目が再び開く事を願い、立ち上がり、子供の狼の元へと向かった。

「キャンッ、キャンッ!」

 小さな手で、必死に母親を押している。早く起きてと言っているようだった。次は兄の所へ。一番上の兄の所へ駆けて行き、頭を押し付けている。

「お前の母さんと兄さんは……もう……」

 マットウェルが声をかけた。末っ子の狼は、まだ鳴き続けている。いつか返事が返って来ると信じているかのように。

 そっと、マットウェルは抱き上げた。下ろせと暴れるが、ぐっと抱きしめる。

「お前の母さん達は立派に戦った! すごくカッコよかった!! 誇りに思え!!」

「っ!」

 大きな声を出したので、狼はびくりとして静かになった。

「俺は、命を救われた。感謝してもしきれない。……ごめんな。助けられなくて……。大事な家族だったのに……。ごめん……」

 狼がマットウェルの顔を見た。

『……あぁーーー……。うあぁぁぁーーーー!』

 まるで、人間の子供のように泣き出した小さな狼。黒く丸い瞳から、涙がぽろぽろとこぼれている。マットウェルは、悔しさがこみ上げ奥歯を噛みしめ、ぎゅっと狼を抱きしめた。




 しばらく、狼の子の泣き声が辺りに響いていた。

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