第35話 遠慮と諦め
「マット」
「はい?」
食事が終わり、サーヤ達は隠れ家で寝る準備に入った。リリーシャも今日は隠れ家の風呂を使わせてもらっている。
マットは一人、誰もいない庭でアルゴスの剣を持ち、月明りの下で素振りをしていた。彼は暇があれば剣の鍛錬に励む。そう父に教えられ、そう生きて来たのだ。アルゴスの剣はとても彼の手に馴染み、振りやすい。もっとこの剣を扱えるようにならなくてはと思っていた。
そんな時に、ディルンムットに声をかけられたのだ。頬を伝う汗を
「何でしょう?」
「ちょっといいかい?」
金の賢者に手招きされ、マットは剣を
(俺、怒られる? 失礼な事してないよな……。もしかして、さっき肉を横取りしてた!?)
食べ物の恨みは怖いものだ。賢者の怒りを買っていたらどうしようと、心臓がバクバクしている。
「座って。お茶を用意しよう」
「い、いえ。おかまいなく」
マットは椅子に座り、机を挟んで正面にディルンムットが腰を下ろした。夜は冷える。温かいお茶が二つ机の上に置かれ、湯気がゆったりと揺れている。
「ありがとうございます。いただきます」
お茶のお礼を言うマット。ディルンムットは笑顔で頷いた。
「アルゴスの剣は、君と相性が良いみたいだね」
「とても軽くて、この体でも振りやすいです。あの方には、感謝しかありません」
そっと
「この剣は護身用だからなくても平気だと言われましたが、大切な物だったはずですよね」
「そうだね。賢者の剣は普通の剣とは違うんだ。柱の力が
ふっと懐かしむように微笑んだディルンムット。少し、悲しそうだ。マットウェルは、その表情を見て、
「マット、僕に何か、言う事はないかい?」
「え……」
顔を上げれば、ディルンムットが真っ直ぐマットウェルを見ていた。その視線から逃げるように顔をそむけてしまう。
「えと……、肉、横取りして、すみません……」
「うーん。君は何か思い違いをしてるのかな?」
「え?」
じゃあ何だろうと、首を
「腕、だよ」
「……あ……」
思わずマットウェルは、自分の二の腕をぎゅっと掴んでいた。
「僕に頼まないのかい? 封印を解いてほしいと。最初に会った時、君は封印を解く気まんまんだったのに、今は解呪よりも鍛錬に集中していたね」
「……封印を解いてもらう事が、申し訳なくて……」
「申し訳ない?」
思ってもいなかった返事に、ディルンムットは目を
「俺にかけられてる封印て、解くのにすごく力を使うんですよね? アルゴス様は、解呪した時に力をだいぶ使ってしまったはずなんです。精神だけじゃなくて、腕の封印まで解こうとしたから……。だから、ズローブルを倒すことが出来なかった」
拳を力いっぱい握りしめる。力を入れすぎて、爪が食い込んでいた。
「アルゴス様を殺したのは、俺です……。俺の封印を解かなければ、ズローブルに勝てたはず。サーヤ達が悲しむこともなかった……」
マットウェルは、ずっと自分を責めていた。土の柱の前でサーヤが泣いていた顔を思い出す。アルゴスの強さを知っていれば、彼女の敗北の一因が封印の解呪であることは明らかだ。なのに、サーヤ達は決してマットウェルを責めようとしなかった。アルゴスもだ。マットウェルは、自分のせいでサーヤ達の大切な人を奪ってしまったと、解呪を素直に喜ぶ事が出来なくなっていた。
「ここで、腕の封印を解いてもらおうと思いました。あと半分だから、まともに戦えるようになれれば、もう体はこのままでも構わないって……。でも、あなたにはリリーシャさんがいた」
「!」
リリーシャの名前が出て、ディルンムットは少し驚いた。
「俺はバカでした。考えが甘かった。今夜は運が良かったんです。俺がいる場所に魔族は来る。そうなれば、彼女を巻き込みます。力を削がれたまま魔族と戦う危険性は、身に染みて理解しています。自己紹介の時に、封印を解いて欲しいって、言わなければよかった……。お二人に傷ついて欲しくないし、失わせるわけにもいきません。もう、誰かが悲しむ姿は見たくないんです。だから――」
「自分を諦めると?」
マットウェルがディルンムットを見れば、彼の目は厳しいものだった。
「そんな中途半端な姿では、守れるものも守れないよ」
「!」
――今のあんたに勝ち目があると思う? 子供の姿に中途半端な力で、勝てない相手に向かえば破滅を招く。今ある力を賢く使わないと、守れるものも守れないよ!――
(同じ事を……)
アルゴスに言われた事を思い出した。
「アルゴスは全てを分かった上で、自分が出来る最大限の事をしたんだよ。それはサーヤ達も承知だ。だから誰も君を責めたりしない」
ディルンムットは続けた。
「サーヤがね、少し前、僕に言ったんだよ。『マットの封印を解いて欲しい』って」
「え」
「自分達がここまで来られたのは、マットが戦ってくれたおかげだってね。アルゴスが命がけで守った人だから、彼の役目を果たして欲しいって。サーヤも力になりたいと思ってくれているよ」
「俺の、役目……」
――自分の目で世界を見て来なさい。そこで何を感じ、何をすべきかを考え、自分の力を最大限に使うんだよ――
そう言って、アルゴスは自分も旅に同行させたのだ。
「この世界、ガイヤは全ての者に役目を与える。もちろん君にもね。君にしか出来ない役目。それを果たすためには、その歪んだ術が邪魔だ」
がたり、とディルンムットは立ち上がる。ガシャ、と足音が部屋に響いた。
「遠慮しなくて良い。僕も賢者だ。それなりに強いんだよ。自分の大切な者くらい、守ってみせる」
マットウェルの前まで来ると、彼の両手を持ち上げる。ぽっと温かい光が、肩まで広がった。
「君は幸せ者だ。その事実を、忘れてはいけないよ」
「……はい」
顔を赤くして俯くマットウェルを見て、ディルンムットは微笑んだ。
「さぁ、いくよ。“解呪”!」
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