第28話 東の森

 マスターが話して聞かせてくれた。


 三年前、突然、森から大きな鳥が飛来し、この町を襲ったという。太古から生きるその白い鳥はとても大きく、翼は炎のように揺らいでいるらしい。額には太陽の光を反射すると眩しく光る石が付いており、目は赤く、鳴き声は耳が痛くなるほど甲高い。

 鳥は宿屋の建物を破壊し、町中を飛び回った。羽が周りの建物の壁に当たり、崩れたりヒビが入った。その騒ぎに気付いて賢者は駆けつけたが、その鳥に近付きしばらくすると、どこかへ走って行ってしまったのだ。町の人間は、賢者が止めてくれると期待したのだが、何もせず町を離れてしまった彼に裏切られたような気持ちになった。鳥はしばらく町の中を飛び回り、人々をぎろりと睨むような眼差しを向け続けた。そして、恐怖の顔に満ちた人間を眼下に、ようやく森へと戻って行った。幸い、ケガ人はいたが、死者は出なかった。




「どう思う?」

 マットウェルがサーヤ達に問う。食事処を出て、賢者の所へ向かう道中なのだが、せっかくお腹いっぱいになったはずなのに、幸福感が微塵もない。

「やっぱり、デザートを頼むべきだったなぁ……」

「おーい、そこかよ」

 マットウェルの呆れた視線が来たので、サーヤは冗談だと笑った。

「正直、信じられない気持ちが大きいよ。ずっと師匠の賢者としての、人との向き合い方を見て来たから、事態を収めずにその場を離れたって言うのが引っかかる」


 アルゴスは、その能力を使って人々を助けていた。相談に乗り、金が払えない貧しい人にも薬を与え、植物の育て方を教授きょうじゅしてきた。皆、彼女を慕い、尊敬していた。向けられる顔は、笑顔だった。


 先程のような、困惑するような、怒りがこもった難しい顔ではない。


「俺も。太古から生きてた鳥って、あの森に住んでるって事だよな」

「そうでしょうね。ラフィさんが言っていた、『人間と友好的でない者』というのが、その鳥かと」

 エクレーは、森で会った狼、ラフィの事を思い出していた。

「とにかく、本人に会って、直接話を聞けば分かるはず。何か訳があるのかもしれないし」

 マスターの話だけで、賢者に先入観をもってはいけない。全ては自分達が己の目で見て、耳で聞いて判断しなければ。サーヤ達は道を急いだ。


 太古の獣が住む森は町から北にある。そして東にも、また別の森があった。コルが空から確認すると、東の森はわりと小規模で、北の森と繋がっているわけではないと分かった。

 サーヤ達は森へと入る。が、人が通れそうな道がない。どこも獣道ばかり。進むのに苦労し、まっすぐ歩いているかさえ分からなくなってきた。

「ってぇ。手の平、枝で引っかけた」

「マット、大丈夫?」

 先頭を歩くマットウェルにサーヤが声をかける。茂みに突っ込んで行くので、全員、服が葉っぱや枝まみれになっていた。

「ああ。この獣道、まるで誰も入って来られないようにしてるみたいだ……」

「うん。外から来る者を、こばんでるように感じる」

 草木をかき分け、いくらか進むと、マットが気付いた。

「あれ? 茂みが切られてる。人が通れる道があるぞ!」

 枝や葉がバサバサと地面に落ちている。荒い切り方だが、人が一人通れるくらいの隙間が奥へと続いていたのだ。反対を見れば、即席の通路が森の外へと向かっている。誰かが刃物で枝葉を切り落としながら奥へと行った事は一目瞭然だった。サーヤ達も、ありがたくその道を使わせてもらう。おかげで進むのが楽になった。



「ん?」

 奥の方から、人の話し声が聞こえて来た。

「言い争っている声ですね」

 エクレーが耳を澄ませる。

「男の人と、女の人の声だ」

 マットが速足で先へ進んだ。サーヤとエクレーも後に続く。すると、ぽっかりと広い空間に出た。森の中の広場のような場所だ。空が見え、とても明るい。側には美しく澄んだ小川も流れていた。



「いい加減にしろ! さっさと家へ戻って来るんだ!!」

「お父さん、何度言ったら分かってくれるの!? 私はあの人と一緒に生きるって決めたの! 絶対に帰らないから!」

「わがまま言うんじゃない!」

 話を聞いて察するに、娘を連れ戻しに来た父親との口論だった。彼の腰には斧がぶら下がっている。獣道を切り崩しながら通って来たのだろう。父親は、怒りにまかせて女性の胸倉を左手で掴むと、右手を振り上げ頬を叩いた。

「うっ」


「!!」

 サーヤ達は思わず目を見開く。


「力づくでも連れ帰り、家に閉じ込めてやる。あんな奴の嫁になど、絶対認めん!」

「あの人は……、皆が思うような人じゃない……。ちゃんと、話を聞いてあげてよ……」

「まだ言うかっ!!」

 父親がもう一度右手を上げようとしたので、急いでサーヤが駆け寄る。

「あ、あのっ! 暴力はダメです!」

「だ、誰だお前は!?」

 割って入って来たサーヤに、父親は驚いていた。

「あんたらには関係ないだろう!」

「ですけどっ、見て見ぬふりは出来ません。冷静になりましょう?」

「俺は冷静だ。邪魔だ、どけっ!」

「きゃっ」

 父親がサーヤをどんと突き飛ばした。後ろに倒れる。そう思ったが、サーヤは倒れる事なく、しっかりと体を支えてくれる腕の中にいた。

「マ、マット……」

「おっさん、どこが冷静だよ。ここは賢者がいる森だろ? そんな所で暴力沙汰なんて、怒りを受けても知らねぇぞ」

「っ!」

 父親が辺りを見回した。ギャアギャアとどこからか鳥の鳴き声が響いてくる。温かい雰囲気の広場なのだが、彼にとっては不気味な空間に思えてしまい、ぞくりと背筋が寒くなった。

「リリーシャ、かえ――」

「ごめんなさい、お父さん。私、帰れない」

 リリーシャと呼ばれた娘は、きっぱりと言い放ち、父親から距離を取った。

「……、絶対に、連れ戻すからな!」

 父親は、両手をぐっと握りしめ、眉間に深いしわを刻みながら、悔しそうに通路を引き返していった。すると不思議な事に、切られた茂みが元に戻ったのだ。アルゴスの力のようだとサーヤ達は感じた。


「マット、いつまでサーヤを抱きしめてるのですか?」


「へ? あっ!」

 倒れかけたサーヤを支えたままだったマットウェル。父親を睨んで力を入れていたので、サーヤを抱きしめるような形になっていたことに、本人は全く気付いていなかった。サーヤも目の前の事に集中しすぎて気にも止めていなかった。エクレーの一言で、はっと我に返り、マットウェルは両腕をバッと放した。コルが視界の端でニヤニヤしている。

「す、すまねぇ」

「ううん。おかげで倒れなかったから。ありがとう」

 マットウェルの耳が赤い。サーヤも頬に熱を持ち、恥ずかしかったが、素直に礼を言った。


「あ、あの……、助けていただき、ありがとうございました」

 リリーシャが声をかけた。

「ほっぺた、大丈夫ですか?」

 サーヤが彼女を見た。茶色のウェーブがかった長い髪の毛は、太陽の光を浴びるとキラキラと輝き、金色に見える。同じく茶色の瞳は意思の強さを見せていて、凛とした雰囲気と表情は女性らしく美しい。

「ええ。思ったよりも痛くありませんから」

 あの父親は娘に手を上げたが、彼なりに手加減をしたらしい。頬は少し赤いだけで腫れてもいないので、すぐに治るだろう。

「皆さんは、森の奥に用事が?」

 リリーシャは、探るように問うた。

「はい。賢者に会いに来ました」

「どういったご用件で? あ、すみません。彼をここから追い出そうとする人もいますから……」

 彼女は、賢者を守ろうとしているらしい。サーヤ達は敵ではないと示すように、笑顔を向けた。

「私達は土の柱、アルゴスの使いです。私はアルゴスの娘のサーヤと言います。彼らは仲間のマットウェル、エクレー、コルです。お話すべき事と、お渡ししたい物がありまして」

「サーヤさんですか!? アルゴス様とサーヤさんの事は、聞いた事があります。それなら、すぐにご案内しますね。私はリリーシャです」

 リリーシャが笑顔になった。

「すみません、リリーシャさん。あなたは、賢者の方とどのようなご関係で?」

 エクレーが質問した。



「私は、金の柱、賢者ディルンムットの妻です」

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