第26話 親子

 魔界の黒いもやが出ていないか注意しながら歩いた。マットウェルはまだ体に呪いの魔力を宿している。彼を追って来る、他の魔族の襲撃にも気を配りながら。


 森は暗く、冷たい空気が漂っていた。生い茂る木々の葉は密度が濃く生えており、太陽の光が差し込む隙間が少ない。風すら森の中に入れないような気分になる。森と言えば、鳥や動物達の生活の動きがあるはずなのだが、しんと静まり返り、生き物の気配がしない。生者が自分達だけしかいないのではと感じていると突如、サーヤ達の周りがざわざわと騒がしくなっていく。


「な、なに!?」

 三人と一羽は立ち止まり、警戒した。木の隙間や茂みから見えた影は、とても大きい獣の形をしている。

「森に巨獣が!? 複数いる――」

 エクレーが自分の影から剣を出し、構えた。

「魔族でもなさそうだ。俺達を餌にしようってか?」

 マットウェルも、アルゴスの剣をすらりと抜く。彼は魔族の気配を掴めるようになっていた。サーヤとコルは、身を縮めて二人の間でじっとしている。


 ぴょこっ。


「……ん?」

 茂みから顔を出したのは、一匹の小さな狼だった。まだ子供だ。目が黒く丸く、くりっとしていて、白い毛がふわふわだ。全員の目が、一瞬、点になった。

「かっ、かわいい!」

 サーヤが声を上げた。警戒心が一気に溶けてしまったようだ。

「サーヤ、気を抜かないで!」

 エクレーが注意する。と、木の間から今度は巨大な狼が現れた。


『我が子に触れるな』


「しゃ、しゃべった!? 本当に魔族じゃ、ないんだよな?」

 マットウェルが確認した。ズローブル達のような、気分が悪くなる気配はしない。目の前の狼は、ぐるる、と今にも喉笛に噛みついてきそうなくらいに牙をむいている。

『世界の異物と一緒にするな。われらは、古くからこの地に住む者ぞ。東から光に乗って来た者は、お前達か?』

「そ、そうです。私達は土の柱の使いです。金の柱の賢者に会いに来ました。どこにいらっしゃるか、ご存じですか!?」

 さすがに巨大な狼には恐怖心を覚える。サーヤはぐっと拳を握り、声を張り上げた。声色から察するに、狼は母親のようだ。彼女の後ろには、あと二匹、子供がいた。一番小さな狼よりも大きく、もうすぐ一人前になるくらいだろう。母狼は、三匹の子供を守るように自分の後ろに下げた。


『……あの者は、ここにはいない。町はずれにきょを構えている。それ以上は知らぬ』


 ちゃんと西の国に来ていたのだ。金の柱の賢者の情報を得られた。サーヤ達は希望が見えたので、顔を見合わせ笑顔になる。

「ありがとうございます。そこへ向かいます」

 サーヤは礼儀正しく頭を下げた。

「剣を向けた事、お詫びします」

 マットウェルとエクレーは剣を収め、礼をし、狼達に敬意を表した。狼も見せていた牙を隠し、敵意を消す。

『良い。そなたらを認めよう。だが、この森にはもう入らない方が良い。ここには太古より生きる獣が我らの他にもいる。人間と友好的でない者もいるのだ。食われても文句は言えない』

 冷たい空気が頬をなでる。ふいにいろいろな所から視線を感じて、サーヤ達は背筋が冷たくなる感覚を覚えた。

「助言、ありがとうございます。すぐに行きます」

 サーヤは顔が引きつりながら笑顔で頷いた。


『そなたらは柱の使い。襲われる事はないだろう。早々にこの森を抜けなさい。アルゴスの娘よ、過酷な道だが前を見て進むのだよ』


「!」

 はっと母狼を見た。彼女は、穏やかな表情をしている。

『アルゴスは友だった。ここ数十年は会う事がなかったが、近況は風が教えてくれたのだ。そなたの事も聞いていた。アルゴスは、良い子育てをしたようだな。見習いたいものだ』

「……はい。良い母であり、父でした」

 まさかアルゴスの友に会うとは。母狼の言葉に、視界がじわりとにじんだが、ぐっとこらえた。

「あの、名前を教えてもらえませんか?」

『我ら太古の生き物に固有の名はない。我らはウルヴという狼の種族だ。……アルゴスは、我の事を“ラフィ”と呼んでいた』

 母狼ラフィは、懐かしそうに目を細めた。

「ラフィさん、会えてよかったです。私達は前に進みます。この役目を、果たしてみせます」


 ラフィは頷くと、子供達を連れて森の奥へと帰って行った。サーヤ達も森の外へと歩み始める。

 森は相変わらず暗く、冷えていたが、サーヤの心は温かかった。

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