第13話 解呪の前に

 翌日。


 空は快晴。青空が眩しい。魔界へ通じる穴が開いてしまったなど、夢だったのではと思わせるほどの良い天気だ。


 ふと、マットウェルは部屋に違和感を覚えた。よく周りを見ると、本棚や棚の中身が空っぽだ。

(昨日はたくさん詰まってたよな……)

 首をひねる。


「おはよう。早起きね」

 ガチャリとドアが開き、サーヤが顔を出した。彼女は黒髪をポニーテールにして、明るい笑顔を見せている。

「ああ。いろいろありがとう。お茶も。おかげでよく眠れたよ」

「それは良かった。コルが一緒に寝てくれたんだって? もう仲良くなったの?」

「それがよー! こいつ、めちゃくちゃ寝相悪ぃんだって! 何回かオレ様がつぶされそうになったぞ」

 コルがギャーギャー騒ぎ出した。

「ごめんて、いててっ」

 笑いながら謝るマットウェルの頭に、コルの固いくちばしが当たる。ベッドから落ちた彼を元に戻そうと頑張ったコルだが、もちろん、持ち上がるはずがなく、代わりに枕にされて重い頭が小さい体に乗っていたのだ。そして、寝相の悪さで奇跡的に自力でベッドに戻った彼だった。

「お疲れ様、コル。君はもう動ける? 一緒に朝食、食べようか」

「分かった」

 初めて部屋を出るマットウェル。廊下に出ると、香ばしいとても良い香りがした。賢者の家というので、どれほど立派な造りだろうかと思っていたが、普通の家だ。ダイニングに着くと、エクレーが朝食の用意をしており、挨拶を交わす。

「なんか、もっと豪華なものが飾ってあると思った」

「ははっ。それはお金持ちの家ね。師匠は研究ができる環境なら、何でも良いの。変に金持ち感を出したら、盗賊に狙われるし。普通が一番なのよ」

 テーブルに向かい合って座ると、エクレーがホカホカのパンと野菜たっぷりスープ、サラダを出してくれた。

「いただきます」

 サーヤが手をパンッと合わせ、合掌する。マットウェルは初めて見る動作だったので、スプーンを持とうとしていた手を止めた。

「何? それ」

「ご飯を食べる時の挨拶。“ありがたく、命をいただきます”の意味だよって、小さい頃、師匠にそう教えてもらったよ」

「へえ」

 マットウェルも彼女に習い、合掌した。

「いただきます」

「はい、どうぞ」

 エクレーも笑顔で答えてくれ、お茶のカップを置く。サーヤ達と初めての食事は、とても楽しくて、美味しかった。昨夜は、サーヤ達は忙しく、体も本調子ではなかったので、部屋で食べていたのだ。全て食べ終えると、サーヤと二人で「ごちそうさまでした」と挨拶した。マットウェルは、その挨拶をする事で食事が尊いもののように感じて、とても新鮮だった。





「はぁ、何とか出来たわ……」


 アルゴスが自分の部屋から出て来た。なんだか、フラフラのよれよれだ。美しい顔は疲れ、金の髪の毛も乱れている。

「徹夜、お疲れ様。お茶、入れるね」

「ああ」

 サーヤがキッチンに立った。マットウェルはコルと一緒にリビングでじゃれ合っている。たまに指を噛まれて「いたぁっ!」という彼の声が聞こえているのだが。


 サーヤの入れたお茶をぐびっと一気飲みし、アルゴスは大きく息を吐いた。

「はぁー、やっと落ち着いた。皆、荷造りは済んだね?」

「もちろん」

 サーヤとエクレーが頷いた。

「荷造り?」

 マットウェルはコルを見る。

「これからの事を見越してだよ。ちゃんと話を聞いとけよ」

「えっ、あ、うん」

 アルゴスと目が合った。よし、と頷くと、アルゴスは手に持っていた袋から何かを取り出した。


「君の体の封印は解く。でもその前に、解呪した後の事を話しておこう。何が起こるか分からないからね。混乱の中、行動の話なんて出来ないから」

 テーブルに、ごとりと五つの金属が並べられる。黄色、青、赤、白、黒のキレイな石が一つずつはめ込まれた銀細工だ。それは、拳ほどの大きさだった。

「これは、ガイヤの柱に取り付けると、力を増幅する装置よ。それぞれの石が柱と対応してる。黄色の石は土の柱、赤は火の柱というようにね」

「柱の力を増幅なんて、この石、何処で手に入れたの?」

 サーヤが問うた。彼女がアルゴスと一緒に暮らしている間、他の柱を守る賢者と会った事など一度もないのだ。

「これは元々、透明な水晶だったの。この装置を作る事は、ガイヤの意思によるもの。ガイヤの力が弱まった時に使える物が必要だってね。三百年くらい前だったかな。私は各地の賢者仲間を訪ねて、柱の力の一部を借りた。それを水晶と一緒に瓶の中に入れたのよ。水晶が柱の力を取り込み、凝縮した濃いエネルギーになるように」


 アルゴスは、黄色の石が埋め込まれている装置を手に取った。

「三百年間、力を溜め込んだこの石なら、龍脈りゅうみゃくを守れるはず。銀細工は、金の柱の賢者が作ってくれたの。器用よね」

 言いながら、装置を袋に大切にしまう。

「で、本題はここから。この装置を各地の柱の元へ行って、賢者に渡さないといけない。その仕事を、サーヤ達、そして君に頼みたい」

「え、俺も!?」

 そう、とアルゴスは頷いた。

「私は柱を守る役目があるから、この地から離れる事は出来ないの。サーヤのボディーガードにと思うけど、君の実力を私は知らないから、無理強いはしない。コル達がちゃんと守ってくれるから、道中の危険への心配はいらないよ。どうやら君は、世界を見て回る運命にあるようだからね」

 賢者からの不思議な言葉に、マットウェルは目を丸くした。

「それは、予言ですか?」

「ううん。予感ってやつかな。賢者でも、未来は見えない。ただ、君がここへ来た事には意味があると思うんだよ。封印を解く為もだけど、きっと、ガイヤは君をここへ導いたんだと思う。大地の母は、どこまで先を見ているのかしらね」

 知るのはガイヤのみだと言う。不思議な縁は、人間の想像では計り知れない力によるものだと、アルゴスは話して聞かせた。


「良いね? 君も共に行き、自分の目で世界を見て来なさい。そこで何を感じ、何をすべきかを考え、自分の力を最大限に使うんだよ。大切なものが出来たら、必ず、守り通しなさい」


 彼女の言葉は、マットウェルの心に深く刻まれた。

「分かりました」


「それからこれを」

「?」

 マットウェルの目の前に、一枚の封筒が置かれた。そこには、“里について知りたいのであれば読みなさい”と書かれている。

「里……」

「君が記憶を取り戻した後、自分の生まれ故郷がどうなったのか気になるだろう。私が見た全ての事が書いてある。受け止める覚悟があるなら、読めば良い」

 手紙を手に持った。とても軽い。何枚も便せんで書かれているわけではなさそうだ。マットウェルは頷いた。

「はい。ありがとうございます」

 アルゴスは微笑み、マットウェルの頭を優しくなでた。彼は少し照れ臭かったが、大人しくしている。彼女の手は、温かかった。



「さて、大事な荷物はカバンに入れて、用意は良いね?」

 柱の力増幅装置は、既にテーブルの上にはない。サーヤが肩かけのカバンをごそごそしているので、彼女が持っているのは明らかだ。


(けっこう重そうだったけど、大丈夫なのかな)


 マットウェルは、漠然ばくぜんとそう思っていた。

「君のカバンはコレ。ナイフを入れておいた。万一の武器は必要だろう?」

 肩かけカバンを受け取る。ガチャガチャと音がしているので見れば、本当にナイフが五本入っているだけだった。

「着替えとか生活必需品は、サーヤが持ってるから心配ない。言えば出してもらえるから、遠慮せずにね」

「えっ、サーヤの荷物がたくさんなんじゃ!? 重いだろ? 俺も持つから」

「だーいじょうぶ! ちゃんと持てるから」

 サーヤはキャンプに行くような、動きやすいズボンスタイルの服装だ。しかし、彼女の荷物は肩かけカバン一つだけ。しかも、カバンが荷物で膨れている様子は全くない。どういう事か分からなかったが、心配ないと言うので、マットウェルはそれに従うしかないのだ。



「さぁ、それじゃあ、やりますか」

 アルゴスはテーブルを部屋の隅に移動させ、マットウェルを椅子に座らせたまま、目の前に立った。

「記憶が戻る時、封印された後の新しい記憶である昨日からの事を、忘れてしまう可能性がある。その時はサーヤ、コル、エクレー、頼んだよ」

「うん」

 二人と一羽は頷いた。

「この封印は、五ヶ所を一つずつ解いていかないとダメみたいね。まずは一番大事な精神の封印を解いて、君の記憶を取り戻す」

「はい」

 マットウェルは緊張した。

「それから、次は両腕にしよう。見た感じ、運動神経は良さそうだものね。足は速そうだし、頭部と胴体も、順番は後にしても良いと思う。何か武術をやってるなら、腕力を戻しておいた方が良いはずだから」

「お任せします」

 彼も同意した。

「魔族が襲って来たら、全ての封印を解く事は難しい。他の賢者に会った時に解いてもらってね」

 アルゴスの両手が、マットウェルの顔の前にかざされた。


「いくよ。解呪!」



 眩しいほどの光が、部屋の中にあふれた。

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