第12話 エクレーとコル

「……眠れない……」


 夜。部屋の明かりが消えた中、マットウェルはベッドの上で身を起こしたまま、外をぼんやり眺めていた。小さく星は見えるのだが、暗闇は恐怖心を掻き立てる。自分の中にある魔族の力という、想像しても全く分からない、未知のもの。分からないという事ほど、恐ろしい事はないと感じていた。


(俺は魔族をこの目で見たのか? 今、あの暗がりから魔族が襲って来たらどうしよう……)


 変な事ばかり考えては、背筋が冷たくなる。余計に眠れなくなっているのに、脳の勝手な思考は止まらない。

「はぁ……」

 ため息をついてしまった。



「ため息をつくと、幸せが逃げると聞きました」



「!?」

 いきなり声が聞こえたので、マットウェルはびくりと肩を揺らして扉の方を見た。


 ランプを持った、見た事のない女性が立っている。

 日焼けしていない白い肌。

 細身で高い身長。

 黒い髪の毛と、キリッとした黒い瞳。

 黒いメイド服。


 黒ばかりが目立つ。彼女が夜を表しているように見えた。

「えっと……、誰ですか……?」

 恐る恐る聞いてみた。

「エクレーと申します。この家で家事全般と守護を任されております」

 ぺこりとお辞儀をするエクレー。とても礼儀正しい。黒い髪の毛は、後ろでお団子にして、シニヨンキャップで留めている。“家の守護”とは、賢者の家なので貴重な品々を守る役目という事かと、マットウェルは思った。こつり、と部屋に入って来るエクレー。見れば、何やらお盆を手に持っている。

「ハーブティーです。心を落ち着け、寝つきを良くしてくれます」

 ホカホカと湯気が揺れている。エクレーは、サイドテーブルにティーカップを置いた。マットウェルが手に取ると、カップからじんわりと温かさが伝わって来る。レモンのような爽やかな香りがした。

「良い匂い」

「レモンバームと言うハーブです。ハチミツも入れているので、飲みやすいかと。体も温まりますよ」

 にこりと笑顔を見せたエクレー。アルゴスとは違う美しさだ。マットウェルは「ありがとうございます」と礼を言い、一口飲んだ。

「おいしい……」

「それは良かったです。サーヤが持って行って欲しいと、用意したのですよ」

「え?」

 薬を持って来てくれたり、パニックになりかけた自分をなだめてくれた。サーヤの姿を思い出す。

(背中に触れた手……、温かかったな)

「良い人ですね」

「ええ。皆、あの子の事が大好きなのです」

「そーそー」

「……は?」

 今度はエクレーの後ろから、また別の声が聞こえた。彼女の肩からぴょこりと顔を出したのは、一羽のカラス。

「だからよ、サーヤを泣かしたら、その目ぇつぶすぞ」

「カラスが喋った! しかも物騒な事言ってる……」

 驚いて、お茶をこぼす所だった。このカラス、手の平に乗るくらいの小さい体なのだが、態度がでかい。エクレーは、ふぅ、と呆れた顔をしている。

「コル、脅すんじゃないの。すみません。この子はコルと言います。少し、特殊なカラスでして。口は悪いですが、悪い子ではないのです」

「はあ……」


 賢者の家は、不思議でいっぱいだ。



「お茶飲んだら、さっさと寝ろ。明日はいろいろ大変だからな」

 コルがマットウェルの肩に乗ると、ほっぺたを軽くつつきだした。

「痛いよ。確かに、さっきよりも気持ちが落ち着いたかな。ポカポカしてきた」

 手が熱を持っている。眠たくなる時に体温が上がる現象だろう。

「じゃ寝ろ。オレ様が添い寝してやる」

「えっ、添い寝?!」

 一晩中、頬をつつかれるのだろうか。困惑していると、エクレーが口を開いた。

「アルゴスから、側についているようにと言われたのです。サーヤも同意を。一人でいると、余計な事を考えてしまうからと」

 彼女らの考えは大当たりだった。マットウェルの不安をちゃんと理解してくれている。それが嬉しくもあるのだが、コルと一緒に寝て大丈夫だろうかと、新たな不安が芽生えてしまった。

「心配すんな♪ オレ様の羽はあったけぇぞー」

「コルが嫌でしたら、私が添い寝を」

「コルで良いですっっ!!」

「おいっ、コル“で”って何だ、“で”って!」

 エクレーの申し出を丁重にお断りし、ばふっと布団に潜り込んだ。温かく、柔らかい布団。首元にはコルが丸まっている。確かに温かい。

「それでは、おやすみなさい」

「はい。ありがとうございました」

 笑顔で会釈えしゃくをしたエクレーは、カップを持って部屋を出て行く。ホッと息を吐くと、一気に眠気に襲われた。

「ゆっくり寝ろ」

「うん。おやすみ」


(確かに良い奴だな)


 コルの温もりを首と肩に感じながら、マットウェルはようやく眠りにつく事が出来た。皆の心遣いのおかげか、悪夢を見る事はなかった。


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