第5話 脱出

「いっつ……」

「エイナ、どうした?」


 里から抜けたジョシュとエイナは、森の中を移動していた。まだ夜明けには時間がある。暗い森の中は方角が分かりづらい。ジョシュは空を見上げ、星の位置を頼りにする。北の空で一番光り輝いている星、エノヴァ。その星は時間が経っても動かない。迷える者を救う道しるべの星として、旅人は常にエノヴァの位置を確認するのだと、父から話を聞いたことがあった。


「足が痛くて……」

 ジョシュはエイナを手ごろな岩に座らせ、左足を見た。月明かりでうっすらだが、腫れている事が分かる。

「足をくじいたのか。気付かなくてごめん。逃げるのに必死で、ちゃんとエイナを見てなかったね」

 ジョシュの温かく大きな手が、エイナの左足首に触れた。そっと気遣うように触れているので、全く痛くない。むしろ、その優しい気持ちが嬉しくて、エイナの心は温かくなっていた。

「ううん。私こそ、ごめんなさい。足手まといになっちゃう。里の皆が、ここまで来ちゃうかも」

 二人は、何の用意もなく、身一つで里を出たのだ。着替えも、防寒の用意も、救急道具もない。少し冷たい風が吹き、身震いした。


(寒い……。温かい布団で眠りたい……。お父さん、お母さん、心配してるよね……)


 心臓がじくじくと痛みだした。愛情をもって育ててくれた両親に黙って出て来てしまったのだ。罪悪感にかられる。


「マット……、皆、怒ってるよな」

 ジョシュもぼそりと呟いた。家族の顔が思い浮かぶ。兄弟のマットウェルは、自分の気持ちを理解してくれるだろうか。こんな事をしてしまった自分を責めるだろうか。彼なら眉を寄せながらも、「おかえり」と言ってくれるかもしれない。今なら、まだ戻れるかもしれないと、淡い期待さえ芽生えて来る。

 しかし、ジョシュはそんな気持ちを振り払うように首を振った。

「ねぇ、マットは来てるのかな?」

「いや。彼はきっと来ないよ。自分が、俺達を探す為の餌に使われると思うはずだ。俺達を逃がす為に、あえて探しには来ないんだと思う」

「そっか……」

「エイナ、行こう。俺の背中に乗って」

 ジョシュが背を向けてしゃがんだ。その背中には、決意を感じる。二人で逃げ切るのだという決意が。エイナも、里に戻れば、また巫女として嫌な仕事をしなくてはならないのだと気持ちを切り替え、ジョシュの背にその身を預けた。





「――太陽が……」

 マットウェルが呟いた。結局、一睡もする事なく朝を迎える。空が白んで明るくなり、太陽の光も家の中に届く。母親は、リビングの机に突っ伏して寝ている。

 窓に手を付いた。外はまだ、里の者がうろうろしているのが見える。まだジョシュとエイナが捕まっていないのだろう。

「大丈夫か……? エイナは目立つからな。さっさと遠くへ行けよ」

 二人を心配し、届くはずもない言葉だったが、言わずにはいられなかった。





「はぁ……。見えた」

 ジョシュはエイナをおぶったまま、山を下りて来た。足元は崖になっているが、下は道が整備されていて、遠くに建物の屋根がいくつも見える。視界が明るい事が、なんだかとても嬉しい。希望が持てる。

「とりあえず街に行こう。お金はいくらかあるから、必要な物をそろえよう」

「うん。でも、ここ、崖になってるよ。私を背負っては無理でしょ!?」

「大丈夫。そこまで高くないから、エイナを背負ったままでもいける。崖の鍛錬もした事あるから心配いらない。しっかり捕まってて」

「う、うん」

 落ちないように、エイナはジョシュの首にしっかり腕を巻き付けた。ジョシュから、小さくグフッと声が漏れる。

「エ、エイナ……。ぐるじ……。首は絞めないで」

「ごっ、ごめんっ!」

 顔を見合わせ、笑いあった。ここを下りれば、きっと幸せを掴める。そんな気がしたのだ。





「いたぞ!!」




「!?」

 後ろから声がかかった。振り返って見れば、里の屈強な男が二人、茂みの中から出て来た。

「もう追いつかれた!」

「ジョシュ、さっきはよくもやってくれたなぁ」

 声をかけた男は、頭に包帯を巻いている。里の境界線を抜ける時に、ジョシュが殴った見張りだ。見張りだった男は、怒りに顔を歪ませている。そして、ようやく見つけた事に歓喜を覚えていた。

「走るよ!」

 このまま崖を下りれば、逆に危険と判断したジョシュは、エイナをおぶったまま走り出した。もう一度森の中に入り、撒こうというのだ。

「逃がさねぇ!!」

 もう一人いた男が笛を吹き、居場所を辺りに教える。近くに仲間がいれば、すぐに駆け付けられるようにだ。包帯を巻いた男が突進していく。ジョシュはかわしてジグザグに森の中を走った。男がうまくスピードに乗れず、付いて来られないように。


「はぁっ、はぁっ!」

 息を切らすジョシュ。背中にいるエイナは声を上げた。

「ジョシュ、もういいよ。私を下ろして」

「ダメだ! 君をあの里へは返さない。もう、苦しむ姿を見たくないんだ!」

 何度も襲われ、心が傷付いたエイナ。それでも、光の巫女だからと祈りを強制された。金を積み、その代わりにエイナに触れようとする男達。そんな状況でも、根本的な解決をしようとしない族長やユニ達。ジョシュはもう我慢の限界だった。

「あそこにいたら、君は幸せにはなれない」

「ジョシュ……」

 愛しい人の背中は大きく温かい。エイナはぎゅっと抱き着いて、振り落とされないようにした。ジョシュも彼女の気持ちを察し、まっすぐ前を向く。


(もっと綿密に計画するべきだったな)


 ジョシュは柄にもなく、感情で動いてしまった。それがこの結果だ。エイナに痛い思いをさせてしまった。だが、自分の気持ちに嘘は付けない。エイナをあの里から、一刻も早く抜けさせてやりたかった。この選択は間違いではないと、自分に言い聞かせる。


 ドッ!


「あっ!!」

「きゃあ!」

 右足に痛みが走り、倒れてしまった。エイナも放り出される。二人は土の上をゴロゴロと転がり、全身が汚れた。そして、エイナはその勢いで石に額をぶつけて血が流れる。

「エイナっ!」

 美しい顔に傷が付いた。白い髪の毛に赤い血が付着している。幼い頃にやんちゃをしてケガをしたという次元ではない。ジョシュもエイナを崇拝している所があるので、この衝撃は、思った以上に大きかった。

「エイ――あっつ!」

 右足のふくらはぎに、矢が刺さっていた。ザクザクとこちらに近付いてくる足音。見上げれば、頭に包帯を巻いた男と笛を吹いた男だ。他の里の者はまだ集まっていない。

「そう言えば……、おじさん、弓が得意だったっけ……」

「ああ。エイナを背負ってなければ、その剣で落とされただろうけどな」

 言いながら、男は、ジョシュの胸倉を掴んで引き上げた。首を圧迫され、うめく。

「やめ……、やめて!」

 エイナが手を伸ばした。頭を打ってまだクラクラしているせいで、動けない。なんとか腕は動いたが、力は入っていない。

「エイナ、こいつに無理やり連れて来られたんだろ? 待ってろ。今助けてやるからな!」

「がはっ!」

 男の拳がジョシュの腹にめり込んだ。メキ、と嫌な音が聞こえた。あまりの痛さに気を失いそうになったが、震える手で腰の剣を握る。が、今度はその手からボキッと音が鳴る。

「あ゛あ゛!!」

「お前が剣を持ったら、俺ら死ぬに決まってんだろ」

 笛を揺らしながら、もう一人の男がこん棒をくるくる回す。こん棒でジョシュの手の骨を砕いたのだ。彼は苦悶の表情をしながらも、眼は二人を睨んでいた。

「んだよ。うちの里生まれじゃないくせに。ずっとお前は気に食わなかったんだよ!!」

 恨みを晴らさんと、二人の男はジョシュを殴る蹴るの暴行を働きだした。すぐに息の根を止めては面白くないと、あえて剣ではなくこん棒を使う所が性悪だ。ジョシュは、身を丸めて体と頭を守っている。


「やめてぇ! ジョシュを殴らないで!! わたし……、里に帰るから! 帰ります!!」


 エイナの必死の頼みに、しんと静まり返る。男がエイナを見た。

「ああ。もちろん里に連れ帰るさ。……他の奴らは?」

「まだだ」

 二人の男は目配せをして、にやりと笑った。足元では、ジョシュがうずくまっている。

「なぁ、エイナ」

 彼女の前に来た包帯を巻いた男は、膝を付いて身を屈める。

「あいつに連れ去られて、何もされてないか?」

「何もありません。それに私は、ジョシュに着いて来たんです。もう里に戻りますから、どうか、彼の事を許して下さい――っ!?」

 男は、エイナの腕をいきなり掴んだ。

「それは、お前さんの行動次第だ」

「え……?」

 何を言われているのか、分からない。


「一夜を共にして、何もなかった事ねぇだろ。俺達にも良い思い、させてもらおうか」


「……」

 頭が真っ白になり、思考が停止した。

「やめろよ……。変態おやじ」

「動けねぇ奴は騒ぐんじゃねぇ。一回、光の巫女様に触れてみたかったんだよなぁ」

「俺、笛吹いちまったから、早くしろよ!」

 もう一人の男が急かす。



(この人達も、あいつらと同じだった……)



 エイナの中で、黒い感情が首をもたげる。



(里の皆は家族なんて嘘……。マット、何で助けに来てくれないの……。きらい……。キライ、嫌い)



 拳を握る。男に掴まれている腕を振って離そうとしたが、びくともしなかった。

「逃がさねぇよ!」

 エイナの襟元に手がかけられ、服を破られそうになる。ジョシュは必死に体を動かすが、体が痛み、前に進めずにいた。

「エイナっ!!」

 ジョシュの掠れた声が、風にかき消される。



(皆、大嫌い!!)



「私に触れるなあぁぁっ!!」


 ずっと堪え、押さえつけていた感情が、弾けた。




 どぉんっ!



 爆発音が森に響く。そして、土埃や煙と共に、黒い稲妻のような光が空へと昇って行くのを、離れた場所で二人を探していた里の者達が目にしていた。

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