第18話:日陰より

 時田真琴、私には昔から何の取り柄もありませんでした。

 勉強や絵はほどほどに、運動はまるでダメ。容姿だって皆からは暗い、影が薄い、おばけみたい、と散々な言われよう。今となっては気にしていませんが、当時はそれなりに悩んでいた記憶があります。孤立して、遊ぶ相手がいないから仕方なく勉強して、さらに孤立して、一人ぼっちの日々でした。

 小学校時代、楽しかった思い出はありません。運動会では足を引っ張りクラスの顰蹙を買い、林間学校ではほとんど先生と一緒に居ました。

 なので中学は、一応とある高校の付属校、大学の付属校、この辺りは受験も出来レベルも高いので受験するよう親に言われていましたが、何故でしょうか、全然幸せではないですし、嫌なことしかなかったはずなのに、変えて失うものもなければ、変えて得られる可能性の方が高いはずなのに、踏み出す勇気がありませんでした。

 両親も困っていたと思います。

 受験は結局体調不良で辞退。あの時は本当に体調が悪くなっていたような気もしますが、今となっては何もわかりません。

 ただ学区内の中学に進学し、また一人孤立する。

 地味で根暗で、何の取り柄もない人間ですので当然です。

 そんな私にも一つだけ趣味がありました。それがWeb小説を巡り、評価を付けてレビューをするいわゆるスコッパーです。探すのはもっぱら、現状評価されていない作者の作品です。原石を見つけよう、とかそういう高尚な思いではありません。

 自分の拙い言葉でも褒めると感謝してもらえる。反応が返ってくる。コミュニケーションが取れる。そんな暗い欲望が私を突き動かしていました。

 時には褒めちぎるため思ってもいない言葉を並べたりもしました。今思えば何と醜悪で、残酷な行動なのでしょうか。一時の慰め、それを真に受けた結果さらに沈んでいく。自分はこれで良いのだと思わせてしまう愚かな行為でした。

 だけど当時の私は褒められたくて、会話がしたくて、そんなことばかりを続けていました。居場所が欲しかったのです。

 そうしている内に――

「……新人なのにもう完結させているんですね。拝見します」

 私はKOYO先生の作品に出会った。少々続けていた結果、その界隈ではそれなりに(と言っても有名どころには遥か及びませんが)知名度を得ていた私はのぼせ上り、上から目線で作品を見ていました。さあ、この作品はどうかな、と。

 正直最初はいきなり知らない人物同士が戦い始めて、全くこのアマチュアめ、などと思った記憶があります。だけど、少しずつ、少しずつ、物語は加速していき、中盤に入り推しキャラが中ボスっぽいのに殺された時には作者へ怒りの感想を送ろうかと考えたほど、彼の世界にのめり込んでいました。

 あまり背景や人物の情報を書き込まない人だから、逆に妄想の余地があって、自分の頭の中に世界がどんどん広がっていくのです。もちろん、その部分について苦言を呈している人はいました。まあ、作者は完結させた作品には興味がないのか、更新して完結させた後の感想に関しては何の反応も示していませんでしたが。

 自分もレビューを書いたのに無視されました。スコップしてあげたのに何と非礼な、と憤慨していましたが、それでも『面白い』から腹を立てながらも読み進めました。適当に出しただけのキャラを上手く使い、展開をぐるぐる回していく。悔しいですけど私にとってはずっと面白い展開が続きます。

 まさか打破したはずの中ボスをラスボスに起用するとは思わず、全キャラ入り乱れての最終戦は迫力満点でした。満を持しての主人公の登場にはグッと手を握りこみ、他のキャラと一緒に応援する。まるで世界の一部になった感覚です。最後の最後にはあれだけ嫌いだった推しキャラを殺したボスすら好きになっていました。

 この世界が大好きになって、この世界を自分ならどう描くか、どうしたらこの好きを表現できるのか、そんなことばかり考えていました。

 だけど、当時の私には表現する手段がありません。それに田舎に生まれて、何の取り柄もない自分がそんな大それたこと、出来るわけがないと思っていました。

 新しい作品は最初、ナーロッパってこんな感じだろ臭がきつくて嫌いでした。それなのに、腹が立つほどに、その後怒涛の勢いで巻き返してきて――

「……うう」

 嫌いなのに好き、腹が立つのに面白い、複雑な心境でした。

 そんな中、

「一組の島崎ってやつネットで小説書いてるってさ」

 いつものようにうつ伏せに、寝たふりをしていると――

「へえ、この学校にもいるんだ。なんてペンネームなん? ググろうぜ」

「名前をそのままローマ字だと。確か……島崎『紅葉』って――」

「ッ!?」

「な、なんだ?」

「ウスいのが立ったぞ!」

 私にとって最も衝撃的な日が訪れました。信じられない話です。フィクションのような、物語の中としか思えない展開でした。こんな田舎の学校で中学から創作活動をしている人がいるのも驚きでしたが、それが自分の好きな作家だった時の衝撃がわかりますか? わからないでしょう。本当に、とんでもないことです。

 彼の作品と出会って作品への向き合い方が変わった。そして、彼と出会って私の人生が変わったのです。比喩ではなく、本当に。

 島崎君は私のような地味な子でした。でも、私と違って友達はいるみたいです。私も知らなかったのですが、私と同じで三年間図書委員を務めていました。ただ、そうと知るまでは認識していませんでした。人の顔と名前を覚えるの、苦手です。

 ただ、其処からはもう我ながら気持ち悪いムーブ全開です。自分が地味で目立たないことをいいことに、半分ストーカーまがいのことを続けました。

 たまたま同じ方向に向かっていたら図書館に辿り着き、彼の近くで勉強しているふりをして観察したり、たまたま同じ方向へ向かっていたら彼の自宅に辿り着いたり(もちろん素通りしました)、何と言っても夏休みにあった図書委員のイベント、これに参加した時は人生で一番豊かな気持ちになれました。

 何せ合法的に同じ空間、同じ場所で同じ体験が出来るのです。こんなに素晴らしいことはないでしょう。まあ、二人きりではないですし、一言も話すことはありませんでしたが。それでも私にはとても楽しかったのです。

 あのクソみたいな修学旅行よりもずっと、比較にならぬほどに。

 彼の話をこっそり聞き、彼の読んでいる本を自分も読み、そして彼の描く世界を満喫する。満たされていました。幸せでした。

 だけど、

「僕は○○高校かなぁ?」

「……あっ」

 島崎君は全てを小説に注いでいたため、哀しいかな成績があまりよくありませんでした。いくら何でも志望校のランクが違い過ぎますし、両親に説明のしようがありません。何でたかが中学の勉強でそんなに頭が悪いの、と理不尽な怒りを覚えました。今思うと本当に理不尽ですね、笑っちゃいます。

 そうなって来ると途端に、残りの中学生である期間を意識しています。あれだけ苦痛だった学校生活は今、自分の中では薔薇色だと言うのにこれが失われるのです。恐怖でした。嫌でした。また、あの頃に戻りたくはありません。

 それに――

「私も、島崎君みたいに――」

 彼を見てきました。後ろから、横から、影から、時折一人になると彼は物語を考えているのか、キャラのセリフを口ずさみます。当然、私は全キャラ把握しているのでそれが誰のセリフかわかりますし、その日の更新を見て私は知ってましたけどね、と謎の優越感にも浸っていました。それぐらい、見てきたのです。

 息を吸うように物語を紡ぎ、物語を構築するために当然の如く信じ難い量の物語を摂取する。怪物です。休日だって一緒に映画館へ何度か行きました。

 もちろん、同じ映画館に、同じ時間、同じ作品を前後の席で観ているだけ、ですが。彼にとっては当たり前。別に義務感でも何でもなく好きだから見ている。

 その積み重ねが、趣味と言う名の膨大な努力が、

「――なりたいなぁ」

 彼の物語の背骨でした。私はその一端しか知らないけれど。

 だから、卒業式の日に私は勇気を出してファンであることを、自分も何かしようと思っていることを、伝えたくて式が終わった後、すぐに彼のクラスへ行きました。

 だけど、

「島崎? あれ、あいつどこ行った?」

「あれじゃね?」

「早ッ!?」

 島崎君は誰よりも速く、風の如く卒業式後帰宅していました。やはり普通じゃありません。その日も当たり前のように更新がありました。

 私は沢山笑って、改めて決めました。この人と肩を並べよう。そしていつか、この人の世界を、自分の頭の中で描いた彼の世界を、自らの手で発信したい、と。

 最初は漫画を描くつもりで絵の勉強をしました。美術部にも入ってデッサンなどもやりつつ、動きを描くために色んな動作を描き連ねていく。自慢ではないが美術はいつも最高評価しかもらったことはない。コミュ障だが成績は良いのです。

 ただ、次第に漫画の表現と自分の表現にズレが生まれていき、本当に自分が描きたいものは何か、それに悩む日々が訪れます。

 もっと細かく描きたい。手間がかかってもいい。自分の頭の中に在る全てを、作品に出力したい、と。私はもう、答えをその手に握っていました。

 だって、一緒に行った映画館で観た、あれが答えだったから。

 アニメーション。答えに辿り着いてから私は迅速に動きました。一人でアニメは作れないこともないが非効率的。彼の世界を描くなら尚更、一人では限界があります。コミュ障です。人と接するのが苦手です。それでもやりたいから、私がやりたいことだから、勇気を出して踏み込みました。自分の作品を提示し、一緒にやってくれる人を探しました。なかなか、合う人には出会えません。

 だけど、

「初めまして。絵の世界観格好いいですね。私の作品も観てください!」

 少しずつ、

「私の方が凄い」

 確実に、

「スケベが足りませんよぉ」

 同じ志ではないですが、同じ熱量を持った仲間が集まりました。一人では出来ないことも四人なら出来る。全員で案を出し合い、時に衝突しながら、必死に、必死に、前に進まんと足掻く日々。大変でした。でも、楽しかったです。

 たった一分のアニメーション。だけど、自信を持って送り出したそれはSNS上でわずかな期間、輝きました。わずかばかりの手応え、達成感。

 少しだけ近づいたと思った頃――私は島崎君の作品が書籍化したことを知りました。時間がなくしばらく追えていませんでしたが、私はとても喜んで書店へ駆けこんだのを覚えています。私は小さな一歩を進んだ。その間にあの人は大きな一歩を刻んだ。

 負けられない。私ももっと頑張らなきゃ、と。

 でも、

「……あれ?」

 なかなか見つかりません。発売からまだ少ししか経ってないのに、置いていない書店の方が多かったような気がします。私の探し方にも問題があったかもしれませんが。ようやく見つけた本は、無数の背表紙に埋もれていました。

 必死に探してようやく見つけられたのです。

 嫌な予感がしていました。その予感はその通りになって――彼は筆を折った。私は悔しかった。とてもとても悔しかった。

 彼の世界を元にした短いアニメーションはウケたのに、その大元である彼の物語が通用しなかったのは間違えている。

 途中で途絶えた物語が、彼の挫折の、絶望の大きさを示しています。あんなにも、呼吸をするように物語を紡いできた人が筆を折ったのだから。

 私にはかける言葉がありません。ただ、帰ってきて欲しい旨だけを刻み、彼の帰還を祈ることしか出来ません。それに、彼が筆を折ったからこそ、尚更私は立ち止まるわけにはいかないのです。私が辞めてしまえば、誰が私の愛した彼の世界を創り出せると言うのか。彼が筆を折ったからこそ、私は必死になりました。

 成績は徐々に下降。ただ、すでに両親にはその手の道に進むことは伝えていましたので、特に問題はありません。今自分に必要なのは創作への没頭。

 出来る限りたくさんの作品を世に放ちました。高校生アニメーターグループとして、私たち四人はそれなりの知名度を得ていたと思います。

 それぞれが自分の道に進みつつ(ジローは浪人、二回したのでジローです。でも芸大だから立派)、さらに己を高めんとしていた時でしたか。

 風の噂で島崎君が大学に受験をすると言う話を聞きつけました。噂の出どころは内緒です。おそらく学力的には問題なく受かるだろう、と。

 一応、特にその、下心があったわけではありませんが、美大在学中にこっそり受験を受け、なんとか合格。そして出所を調査し、島崎君も無事合格したと掴んだ瞬間、私は美大へ退学する旨を伝えました。あとはもう気合です。

 親に頭を下げ、東京に行きたい旨を伝えました。色々と滅茶苦茶な理屈を語っていたと思います。主にアニメの仕事関連で地元よりも東京に居を構えたい、という屁理屈で押し通しました。意外といけました。

 親に感謝です。

 入学金は私が案件などで稼いだお金を入れ、颯爽と東京へ降り立ちました。その時の私には密かな野望がありました。未だ止まったままの時間。これをどうにかして動かしたい、と言う野望です。彼の苦しみは私にはわかりません。

 でも、彼がどれだけ物語へ情熱を注ぎ、リソースを割いていたかはわかります。簡単に捨てられるとは思いたくなかった。

 もし、自分が背中を押されたように、自分の作品で彼の背中を押すことが出来たなら、そんな妄想が私の原動力でした。

 ですが、

「……」

 構内でとうとう発見した島崎君は、どう見ても陽キャにしか見えないクソイケメンと仲良しの陽キャの仲間入りをしていました。あとでイケメンから話を聞くと自分が母親代わりに服を選んでいると言っていたので、実質クソ陰キャだったのですが。その時の芋臭い私には彼が陽の者にしか見えませんでした。

 これはいかんと数少ない友人に相談、その中でもお洒落度の高い千秋にお洒落な服を選んでもらい、彼女の行きつけの美容室も紹介してもらいました。人生初の下北沢は、アウェー感が半端なかったです。意識高い系は苦手です。

 本当はその時、千秋と会おうかな、と過ったのですが、私の過去がその一歩を踏み出すことを許さず、結局実際に会うのはあの時が初めてでした。

 美容室の紹介は本当にありがたかったです。何せ私、今までの人生は全てお母さんに髪を切ってもらっていたので、これからどうしようと悩んでおりましたので。

 まあそんなこんなで準備も万端。しかし勇気が出ない。口実もない。なのでアニ研でアニメ制作をやるばかりの日々。何のために上京したのかわかりません。

 それなりに手は早く、実績もあるので一年も経てばサークルでもそれなりの立場になり、私が主導で大作を作ってみないか、と会長から提案されました。最初は正直、学校での活動よりも外での活動の方が身になりますし、あまり乗り気ではありませんでした。ですが、他のサークルとの連携(この時は声優関係の話でした)、その一言が私の中で繋がり、一つの戦略となったのです。

 自分の野望を叶えるために――

「では、やらせていただきます」

 アニ研を利用する。どうせここまで来た。今更、中学のように何もせずに終わるのは真っ平ごめん。あの頃、踏み出せなかった一歩を、今度こそ踏み出す。

 私の人生は彼が変えてくれた。

 彼は望んでいないのかもしれない。彼はもう創作から離れたいのかもしれない。だけど、これは私のエゴです。いちファンとしての望みです。

 勇気と覚悟、そして大いなる下心(続きを見せろ的な)と共に、

「失礼します」

 私はその一歩を踏み出す。


     ○


 私はずっと待っていました。ずっとずっと、この時を待ち望んでいました。彼の描いた世界、一番好きなのは最初の作品ですが、彼がもう一度物語を紡ぐ、その時を待っていたのです。長い、長い、とても長い時間が経ちました。

 私はきっと、今泣いているのでしょうね。

 泣きながら、きっと笑っているのだと思います。

 とても不細工です。人には見せられません。島崎君には絶対嫌です。

「……一話二万字は飛ばし過ぎですよ、島崎君」

 Web小説の一話適正字数はジャンルにもよりますが三千くらいでしょうか。分割にすればいいのに、本当に馬鹿だと思います。

 もうこの字数がただの逆張りです。

 さて、どんな『感想』を送ろうかな。記念すべき再開一発目、何かいい言葉はないものか。昔はあんなにも簡単に書けた感想がなかなか言語化出来ません。

 そうこうしている内に、

「……あっ」

 どうやら先客が来たようです。それはきっと、私の言葉よりもずっと、今の彼に必要だと思うから。だから、蛇足はやめました。

 あとでこっそり、書き込んでおきます。

「……おかえりなさい」

 今はただ、つぶやくだけにしておきましょうか。

 陰でこっそりと、私らしく。

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