第17話:『私』たちよ、ありがとう
「寒かったでしょ」
「あ、ありがとうございます」
寒空の下、どうやらお待たせしてしまったようなので僕は時田さんに缶コーヒーをおごる。缶コーヒーは良い。猫舌の人でもしばらくカイロ代わりにもなるし。こういう時にパッとお金を出せるのはバイト戦士になっていたおかげか。
それにしてもどれだけの時間、ラブホで一人瞑想していたんだろうか。そして、そんな場所に一人いる気持ち悪い僕を、この子はよく待っていたな。
変な子だ。最初から、そうだった。
「制作は順調?」
「ほどほどに。アニ研の皆さんやあの三人にも手伝ってもらい、年明けには完成出来たらな、と見込んでいます。あくまで見込みですが」
「もうそこまで……さすがに手が早い」
「皆さんのご協力あってこそです」
いつの間にか年末も迫り、僕が身にならない、いや、身にするつもりのない講義やバイトに明け暮れている中、彼女は黙々とただひたすらに突き進んでいた。
本当に凄い子だ。
ただ、
「さっきから髪押さえたり、何か挙動不審だけど」
先ほどから妙な行動が多いので聞いてみた。
「……いえ、その、最近美容室から遠ざかっていたのと身の回りのケアが出来ていなかったので、みすぼらしく見えないかと思いまして」
確かに僕ほどではないが髪が跳ねてる。寝ぐせがそのままだ。
「時田さんでもそういうの気にするんだね」
「……どういう意味ですか?」
「い、いや、いい意味で、だよ。我が道を征くと言うか」
「……まあ、確かに普段はあまり気にしません。陰キャ生まれ陰キャ育ちですから」
「時田さんがねえ。僕が知っている時田さんはそう見えなかったけど」
「だから普段、と言いました」
「……」
普段はむしろこちらが彼女の自然体だとする。僕はこの彼女を知らない。僕と会う時の彼女は普段ではなかった。其処から導き出される答えは――駄目だな、クソオタクだからすぐに間抜けな方程式を打ち立ててしまう。
女の子に優しくされるとすぐに調子に乗るんだ。それがお世辞でも、本気で受け止めて相手を困惑させる。あー、高校でもあったなぁ。
お腹痛くなってきた。
「あー、それでさ。本題なんだけど」
「……何でしょうか?」
僕らは橋の途上で立ち止まる。東京にはこういう小さな川が結構多い。用水路の面もあるのだろうが元々湿地帯であったことも関係しているのだろうか。僕は詳しくないのでわからないけれど。ただ、シチュエーションだけはドラマ的だ。
時田さんはともかく、僕は絵にならないけれど。
あと時田さん、なんでかちょっとむくれていないか。いや、今日寒いしそこそこ待たせたっぽいから体調を崩したとか。顔、少し赤いし。
話、極力短く済ませよう。田中さんじゃないけど、半分愚痴になるから他人にとっては聞くだけでタルいし、胃もたれしてしまうかもしれないから。
「時田さんって僕の、その、小説を読んでくれたことがあるんだよね」
「はい。全部、読みました」
「……全部? 書籍化したのだけじゃなくて?」
「そもそも私、書籍化するずっと前からKOYO先生のファンでしたので」
「……僕、活動期間三年かそこらだけど」
「連載を開始されてひと月ぐらいだったと思います。一気に上げていましたよね。怒涛の勢いで更新しているから何事かと思い拝見しました」
「よくもまあ、底辺にいた僕を見つけたもんだ」
「当時、スコッパーをしていましたので。自己満足の底辺でしたが」
「……本当にいるんだね、スコッパーって」
Web小説界隈の打ち上げ師ことスコッパー。彼らはランキングではなくその外側に常々目を光らせ、輝く原石と思った作品を拾い上げ、天高くぶん投げる。
肩の強さはスコッパーの知名度、作品の力次第だけど、創作者にとっては強い味方である。ス○速は神。そう言えば完結後、スコップされていたような気もする。
結局作品力が足りず多少数字が変動しただけだったから。
「ただの活字中毒でした」
「僕もそうだったなぁ。Web小説は読み込む前に書き始めちゃったけど、その前は結構凄かったんだよ。読み方は雑だったけど」
「知っています」
「……?」
知っている、なんてことある? 僕、SNSで年齢的なものに触れたの、書籍化が決まった後だったんだけど――
「私たち、同じ中学校です」
「……へ?」
「小学校の学区も、クラスも違いましたので覚えてらっしゃらないのも当然ですが。まあ、委員会は同じでしたけどね」
「……図書委員?」
「もちろん」
「……あ、あれー」
参った。全然覚えていない。と言うのも陰キャな僕は女子と接点がほとんどない。浮いた話に限定すれば皆無と言ってもいい。その経験値不足が高校でのやらかしにつながったのだが、とにかく中学時代同じクラスの女子の名前も思い出せないのだ。決して時田さんの影が薄かったとか、そういうわけでは――
「……こ、今度実家に戻ったら卒アル見てみるよ」
「絶対に! 見ないでください!」
「……こわぁ」
フォローのつもりだったのだが、今まで見たこともないほどの圧を彼女から感じる。先ほどの田中さんとは毛色が違えど近しい恐怖であった。
触らぬ神に祟りなし、と判断する。
それにしても――
「何かあれだ。構図だけ見たらラブコメだね」
「チープな展開ですが」
「事実は小説より奇なり、でもないか。ありがちなわけだし」
「ですね」
これで僕らがもっと映える格好をしていれば、まさにラブコメ的であるのだが哀しいかな僕では完全に力不足。役不足と言いたいところだが仕方がない。
こんな感じでもなければ、僕はクソオタクになどなっていないのだから。
「……ねえ、時田さん」
「何ですか?」
「僕の小説ってさ、面白いと思う?」
これが、本題。僕はこの手の質問を他者に投げかけたことがない。自分が面白いと思うのだから面白い、そう信じて疑わなかったから。
だけど、あの日全てが崩れた。根拠のない自信はもうない。
だから――
「……面白くなければファンになりません」
「聞いておいてなんだけど、知人の評価って当てにならないよね。面白くないって言うとほら、角が立つし」
「私は言いますよ。この前ジローの機嫌が悪かったの、私が少し前クソミソに言ったからですし。なので、あの日のことは気にしないでください」
「き、君が気にしなよ」
「私、映像関係のことは嘘をつきたくないので」
僕が思うよりもずっとこの女、やべーやつだった。僕でさえキョウの絵が気に入らなくてもオブラートに包んだ言い方をするし、それだってよほど『ない』と思わなければ基本的に感想自体口にしない。親しき仲にも、と言うやつである。
「なので信じてください」
真っ直ぐな眼だ。それに僕の求めていた言葉でもある。だけど、何故だろうか。何故僕は、真っ直ぐにそれを受け止められないのだろうか。
知っている人だから? 僕に好意がありそうだから?
それとも――所詮一人でしかないから?
「……信じられませんか?」
「そんなことないよ。とても嬉しいし、光栄だ。だけど、なんでだろうね。なんでか、すとんと腑に落ちない。結局それは、僕に自信がないからなのだけれど」
「……なるほど」
田中さんの前ではいきり立ってはみたものの、挫折を経験した今、どうしたってあの頃の根拠のない自信を取り戻すことは出来ない。自分の面白いに確信を持つことが出来ない。近づけば近づくほどに、怖い。
「作品を読み返されたりは?」
「しない。と言うか、打ち切り決定からここまでログインすらしていない」
あの頃、自分が確信を持っていた『面白い』を詰め込んだ作品たち。それが今見て、面白くなかった時が怖い。結局、『面白い』には正解などなく、不定形で、個人の感覚でしかない。僕の中でも当然変化し、面白いが面白くないにも成り得る。
それが怖い。目指さんとした場所が、そもそも存在しないと知る。
それが一番、怖い。
だから逃げてきた。だから見ないようにしてきた。
昔の自分を。
「私たちは皆、逃亡者です」
「……?」
「現実で上手くいかず、自己実現の手段が見つからない。だから、幻想に逃げ込む。妄想に浸る。其処なら傷つかないから。其処なら思い通りだから」
「……ああ、それは、わかるよ。僕もそうだった」
わかる。
「だけど、一人は寂しい」
そうだね。僕だけの世界は優しいけれど、他者からの何かを求めて僕も外に飛び出したんだ。何かって何だろう。何が欲しくて僕は――
「妄想の共有。それが私たち創作者の原点だと、私は思います。少なくとも、私はそうでした。島崎君の妄想に共感し、刺激を受けたから、今の私があります」
「……一巻打ち切りの作者だよ、僕」
「その時はランキング外の作者でしたよ」
「……そう言えば、そうか」
「箔の重要性を否定はしません。その世界で食べていく気なら、時にそれは実力以上の力を持つ。そのことを無視するわけにはいかない」
時田さんはぐびっと、男より男らしくコーヒーを一気飲みする。
「ぷは、それでも所詮は付加価値です。其処は重要じゃない。売るためには重要ですが、創るためにそれは必要ではないから」
「……お金がなきゃ創れないよ」
「生きていくことと創ることは別の話です。働きながら一枚ずつでも絵を描けば、いつかはアニメーションが完成する。小説もそうじゃないですか? 文字を連ねることにお金が必要ですか? 創作と生きることは一緒でなければなりませんか?」
「……」
「私は一生創作を続けます。いくつになっても、おばあちゃんになっても、妄想の世界が尽きぬ限り、自分と同じ世界を分かち合ってもらいたいから……出力します!」
「……君は強いね」
「所詮は学生の妄言ですが。まだ、私たちは社会を知りません。絶対続けると、言える立場でもないですし説得力も皆無です」
「まあ、確かに」
「でも、言うだけはタダですので言います」
「……言うだけは、タダ、か」
その決意表明をすることがどれほど勇気の必要なことか、僕は知っている。小説で食べていきたいと願った。それで食べられないと知った。
夢破れ、現実に直面してもなお、僕はそれが言えるか?
言えたなら僕は、今も――
「……僕は――」
進みたい。もう、さっき口に出してしまった。認めていたはずの敗北は、本当の敗北を認めたくないから掲げていたものでしかなかった。
内容じゃない、数字に負けたのだと。
だけど、改めて見て、内容でも負けていたら? 他者はともかく、自分までそう思ってしまったら? 僕は立ち直れるのだろうか。生きていけるのだろうか。
それでも戦おうと思えるのだろうか。
たった一人で――
「もう一度向き合ってください。自分の作品と」
「……勇気が、出ないよ」
「大丈夫です」
時田さんはごそごそと、ポケットからスマホを取り出す。
その画面を見せて、
「一人じゃないです。ここには沢山、『私』がいます」
「……あっ」
そっと背中を押してくれた。
○
駅で時田さんを別れてからずっと、ホームで、電車の中で、僕はスマホを見つめていた。久しぶりの画面、だけど初めての経験だ。
読者側の画面で自分の作品を読むのは。
内容は記憶にある通り。そりゃあ自分で書いたんだ。そうなるよ。久しぶりに、いや、もしかすると初めて客観的に読んだ自作は、拍子抜けするほど面白かった。まあ、自分の『面白い』を詰め込んだのだから、当然のことなのだが。
粗はある。特に最初の方は目も当てられない。それでも物語は自分好み。安心した、ほっとした。べたべたな展開に笑みがこぼれる。たまのズラしにやったなこいつ、と苦笑する。技量は足りない。だけど、『面白い』は確かに在った。
だけど、それは全然、これっぽっちも、重要なことじゃなかったんだ。
「……くそ」
僕は途中からずっと『それ』が当たり前にあるものだと思っていた。自分の作品は面白いのだ。人が読むのも、人が楽しむのも、当然のことなのだと。
書籍化が決まりより、その傾向は強くなった。
「……馬鹿か、僕は」
挫折がその傲慢を打ち砕いた。
そしてその傲慢が曇らせていた、見えなくしていた言葉が、胸を刺す。
『今回も面白かったです!』
『○○が死んで涙が出ました。許せないけど面白いです』
『××最初好きじゃなかったのに、今では一番推しています』
『この作品が一番面白い』
『同じ作者のなら▽▽▽だろ常考』
其処には沢山の『感想』があった。見知らぬ他人がそれぞれの言葉を書き連ねてくれていた。一つ一つは大した労力じゃないかもしれない。だけど、毎話感想をくれている人がいる。僕の一話よりも長い文章の人もたまにいた。自分が面白いと感じた話だけ感想をくれている人もいる。たまにアンチもいる。
数字は彼らをただの1としか数えない。
其処に在る熱量を伝えてなどくれない。僕が見ようとしなければ、彼らの熱量は届かなかった。面倒くさいだろうに、根気もいるだろうに。
読書感想文なんて、僕が子どもの頃一番嫌いなものだったじゃないか。
それと同じことをたかが僕如きの妄想に、こんなにも情熱を、時間を、手間を割いてくれていた。これを僕は無視していたのか。見ずにおごり高ぶっていたのか。
僕は馬鹿だ。
「……は、はは」
公衆の面前だ。引っ込めよ。恥ずかしいだろ。でも、仕方がない。今はこの言葉一つ一つが僕に勇気を、力を、本当に欲しかったものをくれる。
本当に恥ずかしいのは誰だ。
本当に馬鹿だったのは誰だ。
見るべきものを遠ざけ、見なくていいものばかりを見つめていた。
その挙句、
「クソ作者が……死ね」
いいとこでエタりやがって。どんだけカスだよ、クソ作者がよ。悲鳴に満ちた『感想』が胸を刺す。ここまで楽しんでくれた人たちを突き落とすような所業。自分の世界に共感してくれた、愛すべき隣人たちへの裏切り行為だ。
風呂敷を広げたのは誰だ。
共感して欲しいと望んだのは誰だ。
僕を見ろ、と叫んだのは何処のどいつだ!
「……」
ありがとう。僕の作品は無価値じゃなかった。僕の作品には意味があった。例え売れなくても、例え有名にならずとも、確かに僕の作品は誰かと共に在った。
今更、それを知る。
僕を見てくれた人の、無数の『感想』と共に僕は立ち上がる。最寄りに到着したから。人の流れに沿って進む。早く帰りたい。早くPCの前に座りたい。
今はただ一刻でも早く、この想いを吐き出したい。
○
家に着き、挨拶代わりの手洗いうがいをし、明かりをつけてPCを起動。立ち上がる前に道中コンビニで買ってきたポカリを男らしくがぶ飲みする。
「うぇ、げほ、ごほ」
気道に入って咽た。格好がつかないけど、まあいい。これで糖分チャージ完了。さすがにこの時間じゃ美容室も開いているわけがないので、その辺にあった輪ゴムで髪をまとめる。ちょっと引っ掛かって痛いが気にしない。
準備万端。
久方ぶりにログインする。
「……あれ?」
パスワードが、わからない。覚えていない。と、とりあえず今一番使っている奴から。違う。じゃあこっちは。あ、違う。え、とならこれ。これも違う。
結局、
「……け、携帯番号。大丈夫か、こいつ」
自分の携帯番号の頭にaを入れただけのパスワードだった。こいつは一度、情報の授業を受け直した方が良いと思う。
「ま、まあ、気を取り直して」
久方ぶりの画面。少しばかり手が震える。最初はとあるエディターに書いていたんだけど、そのうちストックが切れてずっと自分が定めた締め切りに追われていたから、いつの間にか直接打ち込むのが習慣になった。
折角なので今回は当時に倣う。
何年ぶりの執筆だろうか。きちんと書けるだろうか。不安はある。だけど今は、モチベーションがそれに勝る。
もうとっくに忘れられ、読者はいないだろう。何年もエタればそうなる。だけどそれは身から出た錆。当然のことだ。
忘れるな、これはただ僕がしたいからやっていることでしかない。自己満足のクソオナニーだ。それを見てくれ、と言うのだから始末に負えない馬鹿の所業だ。
その上で、もし見てくれる人が一人でもいるのなら、もし、あの中の一人でも待ち望んでくれている人がいるのなら――
「……ふぅ、やるか」
今度こそ裏切らないから任せてくれ。
『面白い』ものを書いて見せる。僕のクソオナニーを、僕の『面白い』を、僕にとって一番面白いものを、書く。
ただそれだけだ。たった、それだけのことだった。
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