第15話:逃避行

 大学生の夏休みはとても長い。春休みの方が長いのはさておき、ぼーっとし続けるには少々長過ぎるのは間違いない。さすがの僕も暇を持て余し、キョウから教えてもらったイベント設営などの日雇いバイトで時間を使う。

 さすがに態度が悪過ぎたのか時田さんからは「ごめんなさい」と一言だけ送られてきて以降、連絡が来ることはなかった。

 まあ、来たところで返信することはないのだが。

 彼女のことは尊敬している。彼女の友人たちにことだって尊敬している。ただ、僕は外野で、受け手に戻ったのだ。創作者を尊敬している。創作者の勇気を尊敬している。自分をさらけ出し、戦っている彼女たちを尊敬している。

 受け手として、消費者として、離れた場所からそう思う。

 それでいい。

「バイト君、そっちにビシャモンあるから取ってきて」

「はーい」

 自分をさらけ出して、傷ついても立ち上がれるほど僕は強くなかった。傷ついて立ち上がれるほど表現したいものがあるわけでもなかった。

 所詮僕はその程度の、一山いくらにもならぬ有象無象でしかなかった。

 ただ、それだけ。


     ○


 夏休みが終われば後期が始まる。前期の反省を生かし、後期の履修登録をせねばならない。前期の成績は散々だったから、その分後期で埋める。

 これは僕の悪癖でもあるのだが、創作関係のことを切り離したい時には勉強欲が何故か高まる。全然悪じゃないじゃん、と思うかもしれないが、根っこに逃避したい気持ちがあるのだからこれは立派な負け犬根性の発露でしかない。

 と言うわけで今の僕は非常に前向きな履修登録を組んでいた。

「正気か、島崎」

「大学生が真面目ぶってんじゃねえよ!」

 心では思っても口に出すなよ。学費払っている親が泣きますよ、先輩。

「……」

「何だよ、キョウ」

「……いや、なんでもない。そう言えば時田さんから進捗、何か聞いているか?」

「俺に聞かれても」

「何も聞かされてないのか?」

「そりゃあ実写部分が終わったら雑用は解雇だろ。もうやることないって」

「……何かあったのか?」

「何も。それよりキョウも履修組めよ。サボるとツケがたまるぞ」

「……ああ」

 目下、僕は前期に落とした分の単位を拾わねばならない。我ながら随分と見事に落としたものである。だが、今の状態は単位にとって追い風。

 何でも良いからやることが欲しい。不登校の、浪人の、受験の時と同じ。

 今はとにかく、何かを詰め込みたい。

 創作以外の、何かを。


     ○


 大学生の時の流れは爆速である。

 履修を組めばあっという間に九月が終わり十月へ入る。僕は何と語学以外、よほどの真面目野郎でなければ回避する一限の講義を入れ、前期からの巻き返しを図っていた。と言っても出席し、レジュメを回収、あとは寝るだけ。

 一限はお猿さんがいないのでとても静かで快適な空間である。登校する際の電車だけは混んでいるが、それ以外の部分では朝も悪くないと思う。

 まあ、その満員電車がささやかなプラスを塗り潰して余りあるマイナスであるのだが。とある疫病の蔓延から多少の緩和はされた気もするが、すし詰め状態にほんのり隙間が出来た程度の変化しかない。まだまだ世の中、リモートだけでは回らぬ様子。朝のサラリーマン、その辛そうな表情のなんと趣深いことか。

 あと数年で自分もこの仲間入りとなるとげんなりしてしまう。家が裕福であれば留年も視野に入れたいところだが、普通の中流家庭でここまで支えてもらってきた以上、いくら恩知らずな僕でもその一線を踏み越える気はなかった。

 バイト経験の良いところはお金のありがたみがわかること。あれだけ深夜せっせと働いても割増しで一万そこら。昼の警備だと七、八千円ぐらいか。

 苦労して、汗水流して、たったそれだけ。

 親の苦労がしのばれる。

 まあ、ならもっと真面目にしろよ、と思うかもしれないが、そうもいかないのが大学生の辛いところ。きっとこの環境が僕をそうさせるのだ。

「ウキーウキーウキー!」

「ウキャキャキャキャ!」

 見よ、この三限から集まるお猿さんたちを。こんな彼らでも十倍以上の倍率を潜り抜けて入学した選ばれた者たちなのだ。

 教授も気にせず講義を進行している。たまに真面目な教授は退室させたりするのだが、そんな光景も十月半ばまでくると落ち着いてくる。

 注意にぷんすか怒ったお猿さんが来なくなるから。

 これぞモンキーパークたる所以よ。偏差値で品性は買えないのだ。

 もっと上は知らんけど。


     ○


 さらに時が流れて十一月。これは学祭のシーズンである。かつて、ここ市ヶ谷モンキーパークの学祭は無法地帯だったという伝説を聞く。何処でもお酒飲み放題、構内の至る所に酔っぱらいが倒れ伏し、さながら戦場の如し光景が広がっていた、そうな。ビラ張りと言う文化も熾烈を極め、すでに建て替えられた旧校舎の壁には一面、各サークルが量産したビラと、とあるアンダーグランドサークルが某スネークもびっくりのスニーキングで前日から校舎へ忍び込み、謎のビラを張り付けていたのも今は昔。すっかり清浄化された学祭はまあ、普通に賑わっている。

 時は流れて令和の今、アイドルや声優がイベントを打ち活気に充ち溢れた学祭の片隅で、我らCCCは部室で展示をしていた。

 そう、あのよく謎の文化部がやるあれである。とりあえず学校側に活動していますよ、という姿勢を見せるためだけの立ち回り。

 展示物もキョウなどの個人で活動しているサークルメンバーの制作物を引き伸ばし、先輩たちが鼻くそをほじりながら怪文を張り付けただけの無味乾燥なものである。ただ、さすがにキョウがいるのでそこそこ人は来ていたが。

 大体女性、これだからイケメンは。

 まあ彼らのおかげで学祭期間中は特にやることもなくのんびり出来るので感謝すべきなのだろう。僕も一日だけ部室の守り人を仰せつかっただけで、基本的には学祭期間はバイトや家でアニメを消化する日々であった。

 正直言えば、サークル活動をする学生以外にとって、この学祭期間はただの小規模なお休み期間でしかないのだ。

 適当に散策するのも楽しいものではあるが、そういう熱意のある者は何処かのサークルに所属していることが多い。

 無気力組はほぼ、顔を出さないと言うのが学祭の闇である。

 ちなみにアニ研はさすがガチサーだけあり、各人が制作したアニメーションの上映会を行い、かなり盛況であるらしい。

 と、キョウから教えてもらった。

 もちろんまだまだあの作品は完成しておらず、時田さんも過去作品を提供するだけで学祭にはそれほど深入りしていないそうな。

 上映するとすれば来年か。まあ、もう自分には関係ないけれど。

 キョウから、

『力作揃いだったぞ。明日も上映するみたいだから顔出せよ』

 と送られてきたが、

『バイト入れた』

 それだけを返してアニメ視聴へ戻る。最近はもう、本当に作品を摂取するだけ。逆張りでぶっ叩くことも、頭を使って観ることもしなくなった。

 そう言うのが未練だったのだと、何となく思ってしまったから。本当にそういうものを断ち切りたいのなら、自分ならこうするのに、を捨てる必要がある。

 面白い、面白くなかった、感想などそれだけでいい。

 それ以外は必要ない。

 学祭期間、僕は結局一日しか学校へ行かなかった。部室の展示物、その守り人をしていただけ。他の展示やイベントなどには目を向けずに。

 学祭が終わればもうすぐ冬。後期の切り替わりは二月であるが、年末年始を挟み祝日も多く、テスト期間も含まれる一月などはほぼ消化試合。

 十一月と十二月を乗り切ったなら、次は三年生である。

 ここから時はさらに加速するだろう。実際に八月半ばから九月、十月、十一月と一瞬で過ぎ去っていった。何の記憶も残っていない。

 ただテスト前だけに整理するだけのレジュメと出席だけはしっかり確保していたが。後期は安泰、卒業への道筋が見えてきた。

 大丈夫。僕は何一つ間違っていない。

 これが『普通』の生き方だ。

「あれ、今日は一人?」

「さっきまで先輩たち居たけど、出席がヤバいからって講義に行った」

「珍し」

 そう言えばキョウと二人きりと言うのも久しぶりか。別に避けていたわけではないけれど、何となくタイミングが合わなかったんだ。

「最近、時田さんと話したか?」

「前にも言っただろ。合宿で最後、もう会う理由がないって」

「盆にわざわざ下北沢まで行ったのに?」

「……あー、忘れてたわ」

 たださ、何となく伝わってはいたよ。僕も馬鹿じゃない。アニ研の部室で僕が切れた後から、君は一度も僕に何かを創れと言わなくなったよね。

 今まで冗談めかして、よく言っていたのに。

 別にあの頃は何も感じていなかったけど、

「なあ、さすがに感じ悪くねえか」

 さすがに今は勘づいているよ。裏で何かあったことぐらいは。

「俺からすればキョウの方が感じ悪いだろ。人の足取りこっそり掴んでさ。さすがに引くわ。聞いた方も、漏らした方もさ」

「……相談に乗っていただけだ。それも下北沢まで。何があったかは知らない」

「へえ。まあどうでもいいわ」

「どうでもいいってなんだよ。彼女がどれだけ――」

「……ウザイなぁ」

 何も知らない癖に本当にお節介だな、キョウは。人の心配より自分の単位のことを心配していろよ。後期、そんなに取れないだろ。

「神絵師と新進気鋭のアニメーター、お似合いだ。二人で仲良くやってりゃいい。俺を巻き込むな。俺はお前たちとは違うんだから」

「……紅葉」

 面倒くさい。結局、何のかんの言っても僕が創作者と友達になれるわけがなかった。いや、僕みたいなのが友達を作るべきじゃなかった。

 一人で良い。もう放っておいてくれ。

「これ、読んだぞ」

 こっちがそう思っているのに、キョウは無理やり距離を詰めてこようとする。無理やり踏み込んでくる。忌まわしい、僕のトラウマを手に。

 消し去りたい過去を手に。

「……ちっ。マジで悪趣味だな、あの女。何処まで穿ったら気が済むんだ? 本当にさ、勘弁してくれ。黒歴史なんだ――」

「面白かった。普段読書しない俺でも、楽しめた。先が読みたかったからWebの方も読んだよ。そっちも面白かった。俺の想像より、ずっと」

「……はは、何なんだよ。猿もおだてりゃ木に登るってか? ふざけんなよ。それは爆死したクソなんだよ! 結果が全てを物語ってんだ!」

「結果? お前さ、結果を語れるほどのことしたか?」

「……っ」

 キョウの眼が、今までにないほど鋭く、僕を貫く。

「出版不況なのは端からわかっていたことだろ? レーベル選択に関しては結果論だから言わないけど、フォロワー数が根本的に足りていない。無料で読めるものに金を出す奴は稀だ。だからこそ、数は正義なんだよ。だからこそ、俺らは死に物狂いで数を集めてんだ。お前の立ち回りからは甘えしか感じない。何とかなるって楽観だけしか感じない。だから負けたんだ。作品のせいにしてんじゃねえよ!」

「……そ、それは」

「お前わかってんのか? 作品を殺したのは読者じゃない。クソみたいなプレイングをしたお前自身だって。活動報告から、停止しているSNSから、何から何まで俺からすれば勝つ気を感じられなかった」

 戦略を練り、将来の自由を勝ち取るために日々戦う男。

 その眼が僕を断罪する。

「俺なら勝てたとは言わない。商売は絶対のない世界で、俺だって狙いを外すことは多々ある。でも、俺ならここまで無様な敗北はさせなかった」

「成功者の君に何がわかる!?」

「狙って当ててるからわかるんだよ! 舐めんなアマチュア!」

 キョウが僕の襟首をつかむ。これはれっきとした暴行だぞ。

「負けるべくして負けた。作品の出来不出来以前の話だ。島崎紅葉はプロフェッショナルじゃなかった。くだらないプライドを抱いて溺死しただけ」

 クソ、なんだよ。こいつ、身長差のせいで振り払えない。

「煩い」

「たかが一回尻もちついたくらいで、心が折れてはいやめました? それじゃあただのクソオタクだろ」

「煩いッ」

「お前昔言っていたよな? 風呂敷をたためない作者は二流以下だって。なあ、どの口が言っていたんだ? あの途中で全部放り投げて、捨てられた作品の生みの親がよ。笑っちまったよ、ここで終わるのかって。どんだけ無責任だよってな!」

「煩い!」

 僕はただ、一般論を言っただけだ。アマチュアじゃなくてプロの、業界の最前線に立つ人たちに向けて、受け手としての目線で――

「俺はさ、紅葉の逆張り、結構好きだったんだ。自分にない視点で、ズバズバ切り捨てる。SNSじゃ炎上間違いなしだ。でも、面白い見方だと思った。世論がどう思うかさておき、俺は間違っているとは思わなかったよ」

「……うるさい」

「だけどな、それは島崎紅葉がクリエイターじゃないと思っていたからだ。受け手の感想だから、面白いと思えた。参考になると思った。だが、お前がクリエイターなら話は別だ。言いたいことがあるなら、グダグダ言わずに作品で語れよ!」

「……だまれよ」

「逆張りクソオタクなのは良い。でも、クソダサいのはやめろ!」

「……もう、むりなんだって」

「戻って来い。お前は、島崎紅葉は、こっち側であるべきだ!」

「……たのむよ」

「紅葉!」

 キョウが正しい。僕が間違っている。そんなこと、わかっているさ。遠い場所から好き放題言う。ダサいよな、格好悪いよな。

 だから、もうしないからさ。

 許してくれ。僕は君たちみたいに、強くないんだ。

「……バイト、あるから、帰る」

「……」

 今、キョウはどんな顔をしているんだろうか。たぶん、がっかりしているんだろうな。失望しているんだろうな。本当、僕に不釣り合いなほどいい奴だった。

 だけど、僕は耐えられない。僕のことを知った君の隣で、笑っていられる自信がない。昔みたいに楽しくべらべら話せる気がしない。

 悪いのは全部僕だ。

 だから――

「……俺から逃げるのはいい。でも、一度でいい。たった一度でいい。作品と向き合え。受け手と向き合え」

「……」

「一度で、いいから。そうしたらきっと――」

 また逃げる。辛いことがあったらすぐに逃げる。ダサいよな。本当に格好悪い。自分で自分が嫌になる。でも、許してくれ。

 僕は――弱い。

 逃げた。学校の外へ。家に帰りたくもないから、その辺をぶらつく。まだ講義が残っているけどどうでもいい。別にレジュメが一枚無くても単位は取れる。

 今はちょっと、何もしたくない。

 本当に僕は弱くて、ダサくて、卑怯なやつだ。

 そんなことを思っていたら、

「おんやぁ、既読無視のチェリーボーイ君。随分と久しぶりだねえ」

「……田中、さん」

「美人な田中さんとお茶しない? おごっちゃうよぉ」

 甘美な逃避先がやって来た。僕の弱さを嗅ぎつけて。

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