第13話:『僕』

 僕、島崎紅葉は石川県のとある場所に生まれた。石川県と言う時点で都会ではないけれど、田舎過ぎない程よい環境は住みやすい場所だな、とは今も思っている。故郷の土地柄は嫌いじゃない。ちょっと雨が多くて湿気が凄いこと以外は。

 弁当忘れても傘忘れるな、だ。

 子どもの頃、何か一つでも成し遂げられたのならきっと、僕がその先で夢を見ることなど無かったのだと思う。でも、残念ながら僕は運動音痴でリズム感がなく、あとついでに音痴だった。勉強はそこそこ出来たけど、田舎の中学受験がほぼ存在しない環境での勉強が出来るは、子どものヒエラルキーに何の影響も及ぼさない。

 むしろ頭が良過ぎて孤立する子が出てくるほどだ。

 もちろん僕はそこそこなので関係ないが――

 とにかく子どもの頃は妄想ばかりしていた。逃避にも似た、妄想だ。何せ褒められるようなことは何も出来なかったから。自分を活躍させるには妄想の世界に逃げ込むしかなかったのだ。頭の中なら、自分が主役になれるから。

 まあ現実はかけっこも、ドッジボールも、バスケットボールも、サッカーも、何をやっても上手くいかない。運動を重んじる小学生界では最下層であった。

 そうしている内に、周りは皆似たような連中になっていく。

 ナードの群れ、陰キャ黎明期である。

 よくゲーム機を持っている子の家に集まって、皆でゲームをしたことだけ覚えている。そんな集まりだから当然、オタクな趣味を持つ子も多かった。

 トンビの兄もトンビと言うべきか、

「見ろ、兄ちゃんの本持ってきた。エッチなやつ!」

「えっちだ!」

 兄弟そろってオタクの子の家に遊びに行った際、僕は人生で初めてライトノベルというものを見ることになった。今思えば微塵もエロくはない、と言うのは言い過ぎか、ややエロい水着のキャラが目に入ったことを覚えている。

 未だに家にあるから、そのラノベ。のちのち改めて買ったやつね。この時借りたのはちゃんと後日返したよ。

 友達に色々と言い訳しながら借りたっけ。スケベ目的と思われたくなくて、我ながらかなり無理筋な言い訳を並べていた気がする。

 そして、初めて読んだんだ。

 元々、親が本好きで家にはたくさん本があった。本だと親の財布の紐も緩く、色々と買ってもらっていた。小学生にしてはかなり読んでいた方だと思う。絵本から始まり、児童書やファンタジー諸小説、果ては指○物語まで読んだ。

 正直、難しくて面白さの半分も理解していなかったと思う。まあ、あれも設定狂がそれを詰め込んだ作品だし、今でもそんなに好きではないが。

 そんな読書家な僕君だったが、ライトノベルの世界は衝撃だった。まず、水着のキャラ目当てで読み始めたのに、該当シーンが全然エッチじゃないことに憤慨していたけど、そんなこと気にならないくらいのテンポで繰り広げられる掛け合い、怒涛の勢いで展開されるエンタメ満点の物語は僕を夢中にさせた。

 とにかくサクサク読める。これなんだろう、よくわからないな、と思う間もなく進んでいくから歯切れが良い。気持ち良い。

 簡易に、わかりやすく、それでいて物語性に差はない。設定の練り込みや深さ、のようなものは欠けていたのかもしれないが、僕にとってそれらは物語への没入を妨げていたノイズでしかなかったようだ。現に設定がウリの作品はどうにもハマらなかったし、今でもあまり好きではない。個人の趣向と言うやつである。

 そして、これまたありがたいことに近所の、と言っても自転車で十五分くらいかかるが、せっせと行った場所にある図書館にもライトノベルが入っていたのだ。

 しかも大量に。僕はそれをオタ友兄から聞いた時、狂喜乱舞した。こんなにもたくさん読んでいいのか、と。当時はもう、本当に本の虫だった。

 図書館のルールで一度に借りられるのは十冊まで。だから全部ライトノベルで借りて、三日で読み切り返却、また十冊を借りた。その繰り返し。

 浴びるように本を、物語を摂取した。

 今思えば作者に一円も還元していなかったため申し訳なく思うが、当時は小学生でお小遣いもなかったので許してほしい。

 あとその図書館、ちょっと古めの漫画も置いてあったのでそれも読んだ。ドハマりした。漫画は買ってもらえなかったから、オタ友兄の部屋に乗り込み週刊誌を読ませてもらったり、単行本も色々見せてもらった。

 あの人が僕のオタク師匠だったのかもしれない。

 中学に上がり、お小遣いがもらえるようになって僕のオタク趣味は加速した。今まで買えなかった新刊をお小遣い全ツッパして購入し、さらに読み漁った。その頃には親が入っている動画配信のサイトでアニメを無限視聴し始めていたっけ。

 四六時中、何かを見ていた。今では半分謎の義務感でしているインプットが、あの頃はただただ楽しい、ただただ面白い、それだけで出来た。

 世の中には創作が溢れている。いくら吸収しても涸れることはない。今でもこんな名作を見逃していたのか、という驚きは絶えないから。

 遡ればいくらでも名作に、素晴らしい作品たちに出会うことが出来る。僕らはとても幸運な時代に生まれた。こんなに安価で、大量の創作物に触れられる時代はなかったと思うから。配信サイトで無限視聴する僕に父が言っていた。

「昔は五の付く日とかにまとめて借りたもんだけどなぁ。CDとかも借りてMDに焼いたり、あれがナウでヤングな若者のたしなみだったっけ」

 煩い、こっちはアニメ見てるんじゃ黙ってろ、と昔は思っていたけど、今思えばなかなかに趣深い話である。何を摂取するにもお金が必要だった時代。もちろん今でも必要は必要だけど、最新を諦めたならかなり安価に抑えられるのは間違いない。

 いい時代だと思う。少なくとも消費する側にとっては。

 生産する側も単価は下がれど選択肢の多様化は追い風だろうし、まあ、時代の波を乗りこなすかどうかで感じ方は人それぞれか。

 その頃には妄想も随分と複雑化していたような気がする。例えば小学生の頃はテロリストが教室を襲い、其処で僕が大立ち回りをしてやれやれ、何かやっちゃいましたか、で満足出来ていたけれど、中学生の僕はおませさんだったからそんな千回以上した妄想では満足出来なかった。

 そのテロリストが教室を襲った理由を考えて、それに対抗する僕の立ち位置、所属する組織、学校にも裏の顔がある、とか考えたりして。おかげで中学時代が一番勉強できなかったと思う。妄想妄想妄想妄想、そんな日々。

 妄想のクオリティを上げて、一人悦に浸る最高に気持ち悪い奴だった。

 中学二年の頃だったかな、反抗期真っ盛りの中二病全開の時代、僕は様々な体験を経て、新たなる未踏の大地に辿り着いた。

 Web小説である。

 其処では素人が玄人に混ざって小説を公開する、という極めて破廉恥な行為が繰り広げられていた。僕は驚愕したものである。

 あと破廉恥な作品もたくさんあった。当時は好きだったよ。中学生だもの。

 其処は本当に玉石混交で、凄い、と唸らされる作品もあれば、え、ええ、と思う作品もあった。その敷居の低さが良かったのだと思う。

 だからこそ僕も、

「……僕でもやれるかも」

 そう思えた。

 妄想を文章化する。最初は苦戦した。いくら妄想を複雑化していた僕でも、所詮妄想は妄想でしかなく、描きたいシーンとシーンの間を埋めて、受け手に物語として伝わるように創り上げるところまでは考えたことがなかったから。

 妄想は所詮己だけの世界。其処に客観性はなく、どれだけ空白があろうと問題なかったから。継ぎ目を埋めるのは慣れるまで本当に大変だったことを覚えている。当時はまだゴールを設定せず、見切り発車で創作していたから尚更きつい。

 それでも僕が妄想を気合で文章化できたのはこの国の国語教育のたまもの、ではなく僕の原点がライトノベルにあったからだろう。あの時、無差別に、活字中毒者も真っ青なキマりっぷりで乱読していた時代が、僕の背骨だった。

 そして漫画やアニメ、映画、全ての創作が僕の血肉だった。

 苦労したのは最初だけ。あとは呼吸をするように妄想を繋ぎ合わせ、物語とすることが出来た。もちろん、粗い部分は多々あった。今見ると、きっと目を覆いたくなることもあるだろう。それでも僕は、哀しいかな僕は、

「……!」

 僕の作品を面白いと思う。何度読んでも、読み直しても――そりゃあそうだ。これは僕の妄想で、僕が一番面白いと思ったものを詰め込んだのだから。

 其処が創作の怖いところだ。今は、そう思う。

 そう言えばこの頃の僕は、楽しいだけで創作していたっけか。何も知らずに、馬鹿みたいに鼻息を荒くしながら、ただ自分だけの楽しいに満たされて――

「出来た!」

 最初の作品は一週間ぐらいで書き上げた記憶がある。僕が好きだったゲームと同じ題材、VRを導入したゲーム世界で繰り広げられる冒険譚。文章量は三十万文字くらいかな。我ながらよくもまあやり遂げたものだ。

 筆が早いわけではなく、ただ没頭していただけ。帰宅部の夏休み一週間を食事と睡眠、トイレ以外をぶち込んだから出来た荒業だ。

 途中でゴールがおぼろげながら浮かんできて、あとは一直線に進んだ。それなりに綺麗なエンディングだった、はず。大団円で気持ちの良い読後感。

 と言うのは僕の評価。あてにならん。

 処女作だ。ネットの反応はそれほど多くなかった。自分の中では結構いい出来だったから、見る目無いなこいつら、なんて思っていたっけ。

 いや、思い上がっていた、だな。

 それでもそれなりに綺麗な着地をしたからか、完結すると面白かった、というコメントをいくつか貰うことが出来た。僕は震えたよ。

 だって、今までの人生で褒められたことなんて全然、まったく、これっぽっちもなかったから。親の欲目ぐらいはあるけれど、赤の他人からは初めてだった。

 それが本当に嬉しくて、モチベーションも跳ね上がった。やれる気がした。その感覚もまた人生では初めてだった。勉強も上を見たらやる気が出ず、運動はそもそもやる気のやの字もない。そんな僕がとうとう見つけたのだ。

 自分の居場所を。自分が褒めてもらえる場所を。認めてもらえる場所を。

 僕は見つけた。そう思った。

 『僕』を見てもらえる。

 そう――思ってしまった。

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