第6話:野生の田中さん
最近、時田さんやキョウに振り回され、自分の時間が取れなかったので本日は自分デーとして映画を観に来た。大作ではない長編アニメ映画、東京の良いところはこういった小規模作品でも何処かで必ず上映していると言うこと。
ここがオタクにとって田舎との大きな差である。
下北沢のトリウッドで上映されるラインナップなど眺めているだけで涙が出てきそうだった。本当にいいセンスしてますよ、あそこは。
あそこでしか見られない作品もたまにありますし。
ただ、映画館に定休日があると思わずに下北沢へ上陸、定休日だった時の絶望感たるや今思い出しても寒気がする。基本、サブカルの町であるがあそこは僕らと違って意識高い、もしくは意識高い系のサブカルチャーが占拠している町である。
相性は何ならそこらの陽キャと掛け合わせるより悪い。圧倒的なアウェー感、行きたい場所がない。逃げ出したいと思ってしまった。
結果、昨年の僕は何も観ず、何もせずに下北沢から逃げ去るように帰って行ったとさ。後日配信でその作品は観ました。
小規模作品でも見逃さずに済む、いい時代です。
と、ここまでは完全に余談である。
本日は川崎のオタクに優しい某映画館へ来ていた。周囲の風景はパリピを超え、エス○ーニャかな、と思ってしまうほど異国情緒あふれる、いや、この区画全体がラブホかよ、と思ってしまう景観なのだが、ここの映画館は素晴らしい。
まず、チュリトス(呼び名に諸説あり)がある。もはやこの映画館にはこれを食べに来ていると言っても過言ではない。いや、過言か。
オタク作品が手厚い。まあこれが一番であろう。一般ピープルがラ○ーナへ吸われていく中、イイ感じの景観を求めているカップルやファミリーに混じってオタクが一心不乱に映画館へ足を向ける様は、良き風刺画になると思う。
上映前に甘いチュリトスをかじり、チュリトスの甘味で甘さを消されたコーラを流し込む時、僕らは生を実感する。糖質最高。
「……」
作品自体はこう、何とも言えない出来であった。言っては何だが、こういった小規模作品で当たりを引く確率はかなり低い。挑戦的、野心的な作品はあるのだが、如何せん踏み込み過ぎてエンタメから外れていることが多々ある。
ズラしの連打。監督の趣味が詰まった映像は、それはそれで味のあるものであるが、小一時間ズレた映像を観続けるのはなかなかいい趣味だと我ながら思う。
まあ、個人的には嫌いではない。パッケージからあからさまにマイナー感と言うか、他とは違いますよ、と言うオーラ全開の作品はこちらも身構えられるし、端からそういう作品だと思えば視点もそちらへ向くから。
最悪なのは大作面してめっちゃズレている作品。おま、正気かよ、構成死んだか、脚本寝てんのか、と言う作品がたまーにある。
そういう作品に当たった時は馬鹿ほど毒を吐きたくなるし、SNSにまき散らしたくなるが、其処は我が親友、キョウに受け止めてもらうことで精神を保っている。オタクだからさ、大作は教養のためにも回避出来ないんだよ。
せめてよ、六十点で良いから無難な物語を創ってくれ。その画力と演出力があればそれだけで佳作、良作になれるから。マジで。
と毒をまき散らしたところで、映画を観終わる。評価は可もなく不可もなく。監督がしたいことは伝わったし頑張っていたと思うが、予算の問題か、それともスキルの問題か、哀しいかな色々と追い付いていなかった。
まあ、小規模作品とはそういう未完の何かを見つける部分もある。明らかに脚本が破綻しつつ、それを他で補っている作品を観た後よりずっと、個人的には気分が良い。今後に期待したい。どこ目線だよ、と我ながら思うが。
さて、遅めの昼食を食べるか、と考えを巡らせていると、
「あれあれ、チミ、どこかで会ったことある?」
「……」
女性から声をかけられたような気がした。たぶん、僕の近くに誰かがいるのだろう。こんなフェイントに引っ掛かるほど、僕の陰キャ歴は浅くない。
勘違いして「誰?」と振り返った日には「いやお前が誰だよ」と言う理不尽な視線が突き刺さってくること請け合いである。
だが、
「おーい、無視すんなぁ。傷つくぞー」
「……え、と、自分すか?」
「それ以外誰もおらんじゃろうがい」
「……すね」
平日の午後二時、周りには誰もおらず、声をかけた人と声をかけられた僕の二人しかいなかった。しかも相手は――
「で、誰だっけ?」
「……アニ研の時田さんを手伝ってる、島崎です」
「あー……誰?」
「……何で声かけたんですか」
「さあ?」
喫煙所で時田さんがスカウトした野生の田中、であった。
○
何故こんなことになったのか。キョウのおかげでだいぶあか抜けたが、それでも根が陰キャなのはご覧の通り。女子の前では金縛りにあってしまう。時田さん相手だと意外と何とかなったのは、彼女の根も実は僕らに近いのだろうか。
女子との食事は緊張しかない。
「ウェーイ、カンパーイ!」
ちなみにここは田中さんに引きずられてやって来たここ周辺の街並みに合わせたお洒落な店である。行きつけなのかと聞いたら「全然」と返された。
ってか、そもそもほぼ面識ないのに何で一緒にご飯食べに来ているんだろうか。
「か、乾杯す」
「しまっち、もっとアゲてこ!」
「う、うす」
「サゲサゲじゃーん」
何が可笑しいのか野生の田中、遭遇してからずっとゲラゲラと笑い続けている。もしかして僕が珍獣なのか。確かに、最近キョウからそろそろ髪を切れと言われてもお金の問題で伸びてから三か月ぐらい美容室行きをスルーしているが。
やっぱりあれか、陽キャは整髪料もバチバチに決めなきゃダメか。
と言うかしまっち、ってなんだよ。呼ばれたことないわ。
「しまっちって川崎良く来るの?」
「まあ、たまに。田中さんは?」
「お初。風俗しかないと思ってたし」
「……すか」
まあ、その認識は決して間違いではないだろうが――
「今から行くの? これ」
田中さんがにやにやと指で卑猥な形を作る。おま、地上波なら手にモザイクかかってんぞ。倫理観はどうなってんだ倫理観は!
「行かないですよ。ただ、映画見に来ただけなので」
「変わってんね」
「……田中さんはどうなんすか?」
「映画見に来た」
同じじゃねえか、と突っ込みたくなるのをぐっとこらえる。一応、学年は三年なので一つ上、つまりは先輩である。年齢は同じだが大学とは浪人や社会人を経て入学など、多種多様な人が入り混じるため、基本は学年で上下が決まる。
あまりにかけ離れていると難しい部分もあるが。ちな、これは社会人でも近いルールなので間違っても年齢で判断しないようにしよう。
ただ、社会人中盤、後半になると中途も入り混じるため社歴で判断がつかず、結局年齢で判断するようになるのは面白いところ。
ま、その頃には役職で差がついているのだが。
「知り合いがね、出てたの」
「……?」
出ていた? 僕らが観ていたのはアニメ映画なのだが。
「声優だって。察し悪いね、しまっち」
「あ、え、本当ですか!? 凄いですね」
「頑張ってるみたいだねえ。一応これでも一つ上の先輩だから、こう、様子を見に来たわけですよ。んー、田中さん偉いねえ。褒めてあげたいねえ」
「へえ、大学の後輩ですか?」
「んにゃ、地下アイドルの。あと褒めろや」
「……地下、アイドル?」
「そ、田中さん地下アイドルやってたからね。ちょっと前まで」
「……し、知らなかったです」
「言ってないから当然~」
人に歴史あり。演技を見ていて妙に堂々としているな、とは思っていたが、まさか身近に地下とは言えアイドルがいたとは思わなかった。
と言うか僕、今元アイドルとランチしているのか。東京ってすげえ。
「で、先輩偉いって褒めてくれんのかい?」
「……せ、先輩偉いですね」
「うふふ、だよねぇ。偉いのだよ、田中さんは」
力ずくで褒めさせといて、褒められたら満面の笑みを浮かべる。僕にとっては初めての人種である。正直、つかみどころはない。
ただ、物語的には面白い人だよなぁ、と客観的に思う自分もいた。
自分が主役なら面白い物語を創れる。けど、自分が主役ではないので物語足り得ない。などとよくわからないことを考えてしまうのがオタクの悪いところ。
「あ、煙草吸っていい?」
「俺はいいですけど、ここ吸っていいんですか?」
田中さんはピッと机の上にある灰皿を指さし、
「お酒が飲める、煙草が吸える、田中さんが飲食店を選ぶうえで重視していることね。これはもう絶対だから。味は二の次三の次ぃ~」
今更ながら店選びの理由を知る。
「最近、それ大変じゃないですか? 条例的にも」
「それ! 田中さんはね、許せないの。喫煙者を縛り、巻き上げる政治家たちが。断固抵抗するで」
来るか、拳で。
「色気で」
ハニトラかよ。まあ、そりゃあそうか。この人、オタク感ないし、たぶんあの伝説の映像も見たことないんだろうなぁ。見る必要ないけど。
「しまっちはわかっているねえ。先輩の苦労をわかっている後輩には特別におごって進ぜよう。何でも食べていいよ」
「そ、そういうわけには」
「大丈夫大丈夫。田中さん、キャバで働いているから。二年前くらいはほれ、あれのせいでマジのガチで仕事無くて金欠だったけど、今はもうバキバキよ、バキバキ」
「……二年前って、その時地下アイドルは?」
「やってた」
「煙草も?」
「もちのロンですわ」
「……先輩って現え――」
「おっと、それ以上はお口チャックだぜ。壁に耳あり障子にポリスメンだ」
「……う、うす」
こ、この人馬鹿面白いじゃん。
「ちな、しまっちは?」
「吸わないけど煙は大丈夫です。母親がヘビースモーカーなので」
「ママの匂い、ってコト!?」
「まあ、そうっすね」
構文使いやがって。わからん、この人の守備範囲が、まるで見えない。
「お酒は?」
「下戸なんで。練習したんですけど、ビール半分で吐いてから飲んでないです」
「弱ーい。でも、ま、この辺は体質だからね。無理せんでいいよ。飲めない人は飲めないし、無理して飲む酒は美味しくないし」
「……どうも」
「ま、田中さんたちは飲むし吸うけどね。これだけが生きがいなのだ、ガハハ!」
「どうぞどうぞ」
「君はいい後輩だねえ。ほれ、食いねえ食いねえ寿司食いねえ」
寿司はメニューにないですけどね。イタリアンだし。
「じゃ、その、ご厚意に甘えて」
先輩からの厚意は無下にしてはならぬ、とCCCの先輩たちからも叩き込まれている。まあ、あの人たちがおごってくれることなど滅多にないのだが。
全員もれなく金欠なので。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「田中さんが気になっちゃう? ふふ、美人は罪だなぁ」
「……美人は否定しませんけど、いや、その、地下アイドルって喫煙しても良いんですか? と、ふと思いまして」
「アイドルの喫煙率高いよぉ。メジャーもインディーズもあんまり変わらない。サービス業はね、ストレスの塊だから。お酒と煙草、これ大事」
「……そう、なんですか?」
「あれ、しまっちもしかしてアイドルに幻想抱いちゃってるタイプ?」
「いや、そんなことないすけど」
「アイドルなんてね、自己顕示欲と承認欲求の塊だよん。我も強いしげっぷもおならもうんこもする。煙草大好きお酒大好き悪口も大好き。適当に有名になってちやほやされたら、あとは金持ちのイケメン捕まえてゴール。そんなもん」
「……う、穿ち過ぎじゃないすか?」
「ま、全部が全部じゃないけど……少なくともまともなメンタルしてるやつに出来る仕事じゃないよ。夢見させて金を巻き上げるのが仕事なんだから」
さっきまでへらへらしていたのがウソのような顔つき。
「夢の裏側はね、どす黒いの。覚えておくと良いよ。騙されないように、ね」
「う、うす」
急に彼女の笑顔すら怖くなる。これが深淵を覗くと言うことなのだろうか。夢を観させる女の恐ろしさ、その一端を垣間見た気がした。
「さてはしまっち、童貞だなぁ?」
「ぶっ、あ、え、まあ、そう、すけど」
「ぷくく、可愛いねえ。田中さんは好きだなぁ、しまっちのこと」
「……騙す気ですか?」
「どうだろね。でも、眼が好きなのは本当」
「……?」
「田中さんと同じだから。負け犬の眼。好きだなぁ」
「……」
何となく、何となく、自分が抱いていた親近感、それが言語化された気がして、僕はきっと顔を歪めていたと思う。
「ほら、食べて食べて冷めちゃうよ」
「は、はい」
「また、一緒に遊ぼうね」
「……」
そうか、この人『も』負け犬なのか。
深淵の底には――自分がいた。
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