俺の名前
混乱はすぐに収まった。その事実が、すでに自分がなにか違う存在になってしまっていることを感じる。
『落ち着きましたか? 勇者よ』
『うむ、光の精霊の状態異常回復は、敵にすれば実にうっとおしかったがの。味方となれば実に便利ではないか』
『精神異常の類は貴方の方が得意でしょうに、闇の精霊』
なんかこいつら敵対してたんじゃなかったかね? 仲良くなってやがる。自分自身の変化に対しても特に動揺はなかった。勇者なのか魔王なのかはわからないけど、どうやらその加護のようだった。
『して、我が魔王よ。汝の名を告げよ』
『ええ、我が勇者よ。貴方の名前を捧げなさい』
意識を失っている間にも呼びかけられていた声だ。そして、ここで大事なことに思い至る。
「えーっと……」
生い立ちとかいろいろと記憶はある。あるんだが名前に関する記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
『ああ、名を思い出せないことに困惑しているのですね? それはそうでしょう』
「はい?」
なんか聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。
『で、あるな』
黒い塊もなんかうなずいているようだ。
「どういうことかな?」
『うむ。例えば龍族の名付けは慎重に行われる。その名がその性質すら縛る故にな』
「ほうほう?」
『ということは勇者たるあなたの名によっては……そういうことです』
「どういうことだよ!?」
『しかしこやつは魔王にして勇者であるからな。多少の呪われた名前であっても撥ねつけはしまいか?』
『なるほど、ではいつぞやの呪われし勇者の名を……』
『その当時の祝福されし魔王の名をつけて見ても面白いかもしれぬな』
なんか好き勝手なことを言い始めた。というかなんか呪いでもかかっているのか、勇者候補生だった時に教わった歴代の勇者の名前は記憶の彼方にすっ飛んで行っている。その時にしのぎを削った魔王の名前もだ。
まるでそこの記憶だけが切り離されたようにすっぱりと思い出せなかった。
『うぬ? なんということだ』
『ええ、あなたも気づきましたか』
光と闇の塊が互いにうなずき合っている。
『一度使用した勇者の名前は使えないようです』
『魔王の名についても同じであるな。おそらく世界の座に格納でもされたのであろうよ』
『ふむ、であるならば全く新たなる名を付けねばなるまい』
『ええ、勇者にして魔王たる新たなる存在ですからね』
またなんか不穏なことを言い始めた。
『ふむ、ではルシフェルなどはいかがでしょうか?』
『神の使徒の名ではないか。であれば……』
何やら言い争いが始まるが、俺は一人で頭をひねっていた。下手な名前を名乗れない。呪われた名を持つ勇者が引き起こした悲劇はおぼろげに覚えている。
ただ同じく変な名前でトチ狂った魔王が魔国を大混乱に陥らせていたとも聞いた。これは誰かに教わったのかそれとも我が身に宿った精霊の知識なのかはわからない。
俺の頭上ではくるくると回転しながら精霊たちが言い争いを続けている。
だから簡単に名乗ることができた。
「俺の名は……アルバートだ」
『『おお!?』』
「何か問題があるだろうか?」
『んー、ありませんね』
『我の方でもないな』
『では、認めましょう。勇者アルバートよ』
『うむ。魔王アルバートよ』
精霊となにかつながりのようなものができて行くのを感じる。
『『契約は成った』』
身体の中になんとなくたゆたっていた魔力が方向性を持って巡りだす。
ぴかっと光った後は、なぜか服と剣と盾を装備していた。
「えーっと……?」
『ああ、勇者よ。貴方の身体ですけどね、ほぼ魔力で構築されているの』
『うむ、何しろ100年に渡って崩れていくお主の身体を癒し続けたのだからな』
『だからね、物質化の魔法の応用であなたの身につけるものを作ることができるわ。ただ剣を両手に持ってもいいんだけど、攻撃力は闇の剣の方が強いの。だから光の盾に換えてあるわ』
「ああ、うん。承知した」
剣を手にするとやたら馴染む振るうと魔力の余波が黒い軌跡となって残った。
「はあっ!」
気合とともに振るうと魔力の刃が放たれ、壁に当たって霧散した。普通ならここで壁を斬り裂くとかできるものだと思うが……?
『この場所は百年に渡って我らの魔力にさらされているからのう。ある種の聖域となっておる』
『まあ転移魔法陣を設置すればいいだけよね。ほいっ!』
光の精霊の気の抜けたような掛け声ののち、部屋の中央に青く光る魔法陣が現れた。
『では、今代の勇者の』
『今代の魔王の』
『『冒険譚を見守るとしよう』』
二人のお気楽な声を聞きながら、俺は地上に向け転移するのだった。
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