US『ジロンド』 12
「グッ…ウゥッ…」
土の臭いが鼻に充満している。
俺は瞼を開ける間も無く、呻き声をあげた。
気を失ってからどのぐらいの時間が経ったのかは分からない。
とにかく背中にとめどなく走る強烈な痛みで俺は意識を取り戻した。
それと同時に俺はここ数分の記憶をなぞる様に頭を働かせる。
エボルの突然の変形と攻撃、加速しきる前に自らの身体をエボルに引き寄せたこと、そして咄嗟に背中側を硬質化させた事と木々がクッションになったおかげでペチャンコにならずには済んだ事。
全て実際に経験したというのに、俺はそういう映画を見てたかの様な夢見心地の気分であった。
てかあの時よく俺冷静に対処したな。
ぶっ飛ばされ慣れしてるのかもしれない。
そう自分を軽く褒め、メンタル管理をした。
我ながらピーキーなメンタルである。
あの時エボルの身体に何が起こったのかは分からない、まさかミスったのだろうか。
サルシャによる一撃で殺しきれなかった。
正確な要因は分からないが心当たるミスなら幾らでもある。
だがそれを考えている暇は無い、何故なら…
「やっと起きたか!
死んだのかと思って心配したよ。
僕の覚醒した姿を誰かに見せたくて仕方なかったんだ」
目の前で軽やかなステップを踏んでいる異形の猪が君臨していたからに他ならない。
気を失う直前、CVO基地で見た変形したエボル。
神様が自然界にあるパーツを継ぎ接ぎして無視やり猪の形にした様な見た目だ。
その見た目に先程のエボルの…いやクロムウェルの姿は無い。
共通点といえば毛がピンク色なことぐらいか。
「聞いてよ!今僕凄く気分がいいんだッ!
この全能感、今ならなんでも出来る気がする!
将棋で相手の飛車角を全部取った時みたいな気分だ。
今なら君如き、幾らでも殺せる。
あの女もそうだ。
君らはこの形態のチカラを試すのには弱すぎる」
うるさいな…例えも微妙に下手だし。
パワーアップしてハイになってんのか。
俺はエボルが話している隙に自分の置かれている状況を整理した。
どうやら
周りにある薙ぎ倒された木々と遠くに見える海がそれを物語っていた。
身体はどうだろうか。
…まあどうなっているかは大体分かる。
まず背中の骨は二、三本確実に折れている、能力を使った時に気が回らなかった左腕も痛さ的に折れているのだろう。
痛いっちゃ痛いが……現在その二つより強烈な痛みが全身を襲っていた。
「脂汗かいてるぜ?
まあ理由は分かるさ、僕も勉強したからね。
『USの限界時間』だろ?
USは体内に注入し、浸透させる兵器。
いくら『シラト』とチューニングによって身体との親和性が上がっているとしても異物は異物、長時間使えば体は拒絶反応を示す。
君が体感してるのはそれだ。
ごめんね僕が注射器を奪っちゃったせいで」
どうりで
エボルの言う通りこの痛みはUSの拒絶反応によるものだろう。
USについての知識は蚊ほども無いがそれについては知っている。
行動不能になるとは聞いては居たが聞いていた以上だ。
身体のありとあらゆるところを内側から針でグサグサと刺されてるみたいな痛みだ。
指の一つでも動かそうと試みるが力を入れると同時に激痛は増した。
このまま行動も出来ずに殺されるのか?
「今『このまま殺されるのか?』とか思っただろ。
正直言ってどーでもいいんだ、そんぐらい凄く気分がいいんだ。
命令はサルシャを殺すこと、ただそれだけだ。
君は面白そうだから俺が個人的に連れてこうとしただけなのさ」
再び出た『命令』というワードに俺は首を傾げた。
エボルが誰かの言う事を聞くような性格には見えない。
そもそもヴァイラス同士に上下関係の様なものがあるなど聞いた事がない。
サルシャの敵のヴァイラスと何か関係があったりするのか?
「八木カムナ、お前に聞きたかったことがあるんだよ。
なんでヴァイラスの力を使っておきながら僕らに刃を向ける?
人助け?社会貢献?或いは自らの自己承認欲求の為か?
ヴァイラスを殺したいならまず自殺すればいい、確実に一体は殺せる。
なのにそうしないのは己の命が恋しいからか?」
「………」
ムカつくけど否定はできないな。
俺は人の為に自分の命を捨てれるほど聖人じゃない。
ただの小心者の一般人だ。
自分がヴァイラスの能力が使えるのも身分不相応だとも思っている。
眼前で喉を鳴らせる猪は嘲るような表情をしている。
動物の専門家でもなんでもないので本当にそういう表情をしているのかは分からないが、エボルはそういう奴だという今までの経験がその勘を捕捉させた。
「ガッカリだよ、ヴァイラスを収めれるって人間がこんな奴だったなんてさ。」
そう言うとエボルは身体を一回転させた。
つまりはCVO基地の方向である。
「戻って基地ごとサルシャを木っ端微塵に消し飛ばす。
その後はひたすらに蹂躙だ。
この地域で手足となる感染者を大量に増やし、その後感染者達を率いて首都名古屋へと向かうんだ。
この形態となった事で習得した僕の『アクセラレーション』の強化版である『マキシマ』。
これで名古屋にいる代田会弦、それとCVOのエリート戦闘員達を圧倒するのが楽しみだ!
お前はそこで指に歯形つけて待ってな」
桃色の体毛が逆立ち、獣の瞳が基地を真っ直ぐに見据える。
額にある喜怒哀楽の四つの人面が全て怒りの表情へと変わった。
再びアイツに能力を使われたら基地ごと消し飛ぶ。
生死不明なサルシャの死は確実となる。
俺のせいで、人が死ぬ。
また……
「『アクセラレーション:ライナーマキシ…」
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
「ッ………ッンヌゥゥゥゥァァア゛ア゛ア゛ア゛アアア!」
内臓を直接荒ヤスリで絶え間なく擦られている様な、不快感と激痛が同居している感覚に嘔吐しながら耐え、俺は震える脚で立ち上がった。
己の吐瀉物を踏みつけ、折れた左腕に力を入れて刀を形成した。
形は到底刀とは言えないが刺せるんならどうでも良い、とにかくコイツを止めなきゃ。
ううん、こんなやつ殺さなきゃだめだ。
そうやってぼくの頭の中でなにかがカチッと切りかわった。
ぼくは右手を黒くしてえぼるの近くのとう木にむかって自分の能力を使った。
引き寄せられた拍子に着けていたネックレスがぼくの顔の高さまで上がった。
オレンジ色の宝石は何も反射せずくすんでいる。
まさか来るとは思ってなかったのか。
えぼるはおどろいた表情をして体の方向を変え、前足で地面をけって小石を飛ばしてきた。
小石は弾丸みたいに速かったけど、なぜか当たる寸前に全部止まってるみたいに見えて、ぼくはほとんどよけた。
お腹に何個か当たった気がしたけど気にならなかった。
あせった表情をしたえぼるは、ぼくへととっ進するふりをした。
『ふり』だっていうのはすぐ分かった。
こんなとこでぼくに能力を使うのは、えぼるにとってもただ手間がかかるだけだし、
なにしろまともに当たれば死ぬこうげきなんだから、ぼくはにげると考えると思ったからだろう。
だからぼくは自分から近づいて頭に刀をさした。
能力を使わずに近づいたので、空いてる右手で眼球に指をつっこんだ。
えぼるは言葉にならない言葉をさけんで、首をふってもだえてた、それを見てるとなぜかこっちが悪く思えてきたので見ないように目をつぶった。
体には相変わらず激痛が走ってたけど、動いてなかった時より気にならなかった。
どれぐらいの時間が経っただろう。
えぼるにささってる刀を必死ににぎってたぼくだったけど、ついにふり落とされた。
形成されていた刀はぼくの体内に戻り、目のキズもえぼるに開いてた傷跡もすでにすっかり消えていた。
「なんだ…なんなんだよ……、なんなんだよお前…!こんなのイカれてる…。
さっきの攻撃で腹に穴が空いてんだぞ…?
なんで動けるんだよ……なにがお前をそうさせる!?
なあ!?八木カムナ!」
うるさいな
つかれたな
いたいな
でもやらなきゃ。
たおれたぼくはもう一回立ちあがろうとした。
でも体は電池の切れたラジコンみたいに自分の意思で動かすことが出来なかった。
その代わり再び体が認識しだした激痛にぼくはのたうち回った。
「ア゛ッ……ア゛……」
悲鳴ともうめきとも呼べない声をあげる。
どうこうはかっ開き、歯はカチカチと音を立てた。
「予定を変更だ…八木カムナ、お前を殺す。
お前は生かしちゃダメな奴だ。
気ッ持ち悪いんだよクソッ!」
どの口が言うのか。
何かしら反論してやろうかと思ったけどノドをふさがれてるみたいに声が出ない。
激痛で体がもだえ、もだえることでさらに激痛が走る無限ループにぼくはおちいっていた。
まだだ。もっと長い時間止めなきゃ。
コイツを止めなきゃ。
もだえ動く自分の四しの一つでも切断しようかと思ったその時、そのループにとつじょとして終止ふが打たれた。
何者かによって首に注射器がさしこまれ、体の中にあったあんだーすーつが全て注射器の中へと吸収されていったのだ。
激痛が無くなったせいなのかあるいは視界の端に映った物体を見て安心したのか、ぼくは気絶した。
アンク型の触手が意識を失う最後に見た物体だった。
ぼくが知る中で一番強い人が来たのだ。
◆◆◆
「よく頑張りましたね八木君」
眠った彼の頭をポンポンと手のひらで叩きながらその男は言った。
少年を抱き抱え近くの木立へと横たえた男のその顔は慈悲深い神父のような優しい表情していた。
目の前にいるヴァイラスを見据える迄は。
「会うのは二回目か。
まったく…面倒な足止めなんかして…お陰で名古屋からここに来るまでに20分もかかった」
隠しきれぬ彼の憤怒と憎悪が威圧となってエボルに降りかかり、エボルは思わず後退りをした。
先程とは打って変わって乱暴な口調となったその男の格好はスニーカーにスラックス、肘まで捲ったワイシャツから出た筋骨隆々の二本の腕には手斧が握られている。
背中からは左右五対計十本の触手が生え、先端に形成されたエジプト十字が目の前のヴァイラスを捉える。
代田のUS『ジロンド』が主の怒りをその動きによって表していた。
「ッ……フフフ、会いたかったよ代田会弦。
まさか君の方から会いにきてくれるなんてな。
でももう遅い。
街はボロボロ、八木カムナも重体だ。
お前は何一つ守れていない!
この後僕はこのチカラをもってこの国を蹂躙する!
大量の犠牲者を出した今回の事件は世間で大きく報道されるだろう。
やがて世間の矛先はCVOへと向かい、人間同士は互いを責め合う!そうなれば最早ヴァイラスどころじゃない、人類は分断されやがてそれは争いへと発展する。
人類同士が戦い、弱ったその隙に僕らが全てを奪っていく。
人類自身が自分達を破滅へと導くのさ!」
エボルの額の四つの顔が三日月状に目を開き、半月状に口を開けた。
代田が自責の念に駆られるのを今か今かと待ち侘びるように。
「大量の、犠牲者?」
だが代田の反応はエボルが予想したものではなかった。
彼は全てを知っているかのような目でエボルを見る。
憐憫に溢れているとも捉えれるその目線はエボルをイラつかせた。
「…はあ?
目ェ腐ってるのか?
周りを見てみろ!
僕の突進で作られたおびただしい数の死体を…」
そこまで言ってエボルはハッと己の軌跡を振り返った。
「死体が…無い。
いや…人間がいない…?」
「気づいてなかったのか。
既にCVO基地から半径30キロの住民は一週間前から全員避難が完了している。
準備していたのはお前だけじゃない。
この二十年間、人類は休む事なくお前達ヴァイラスへの対抗策を考え続けてきた。
戦える者は如何にお前達を殺すか。
戦えぬ者は如何に迅速に避難し、闘う修羅達の邪魔をしないか。
どちらも日々訓練に邁進し、犠牲者を減らす為に。
そしてお前が政府高官達とその家族を攫い、感染させたのは知っている。
犠牲になった彼等の為にもお前は今ここで殺す」
「『殺す』?
俺が見えないのか代田。
僕は進化した!
この禍々しい姿こそ生物兵器としての僕の真の姿!
パワーアップした僕の能力『アクセラレーション』と『ファンクション』、いくらお前といえど勝ち目は無い!」
エボルは口を大きく上に開け、恍惚として叫んだ。
「ああ、その形態になったってことは…お前一度殺されたな」
「…それがどうした」
「その状態は『変異』と呼ばれるものだ。
一定量以上、つまり喋れる知能を持てるほどのヴァイラス因子を持った感染者が絶命した時に体内に存在するヴァイラス因子を全て燃焼させてる状態。
つまりお前が変異状態になっているということは紅宮さんの作戦に嵌ったということだ。
お前の言う通り爆発的な能力の向上が可能になるがヴァイラスにとって因子は命も同然。
その形態になった以上お前は後数分で死ぬ」
一点変わって死期宣告されたエボルは沈黙する。
額の四つの面が真顔となり、それがまるでエボル自身の感情を表面化しているようだった。
残り数分で自分という個が消滅することに絶望しているのか。
答えはNOである。
彼は自分の命を惜しく思えるほどの深みのある一生を送ってはいなかった。
「数分で死ぬだと…?
フフッそんなことでこの俺がガクガクブルブルして止まるとでも思ってんのか代田ァ!
逆だ!ゴールが見えてスッキリした。
どうせ死ぬなら僕は最後まで好きに生きる!
じゃないと産まれてきた意味が無いじゃないか!
僕が生きてる以上この世界の主役は僕だ!
なにがなんでも僕なんだ!
勝負だ代田会弦、僕の
頬まで裂けた口がそう垂れた。
代田はポリポリと頬を掻き、スルリとネクタイを緩めるとエボルに答えた。
「どうでもいい、元よりお前達を全く赦すつもりは無い。
俺はただ自分の信条に沿って奪うだけのお前達を殺すだけだ。
と、その前に…『ピピッ』 志賀先生今です来て下さい」
代田が自身の腕に貼られたタスプレイを起動し、とある人物に合図をするとガサガサと近くの草陰から颯爽と人影が飛び出した。
体長は140センチ程、身長に似合う童顔とその童顔に似合わぬ大きさのバストを持ったその人影はノギアの教員志賀である。
その動きの速さで志賀が持つ存在感のある二つの物体がブルンと揺れる。
その物体運動にエボルは思わず一瞬目を奪われた。
「準備は出来た!八木ちゃんちゃんは任せてシロちゃん!」
独特な敬称をつけた志賀は一瞬のうちにその小さな身体でカムナを持ち上げその場から立ち去った。
無駄のないスムーズな動きは彼女が熟練のUSerであることの証明に他ならない。
エボルもそれを感じ取り深追いするのを中止した。
今目の前にいる代田から意識を逸らせば確実にそこを狩られるとエボルの本能が予期していたからだ。
邪魔者はいなくなった。
ここからは代田とエボルだけの世界
互いにただ目の前の敵に集中している。
興奮気味であったエボルの呼吸はいつの間に落ち着き、代田は絶えず蠢いていた触手を静止させた。
本人達にしか知り得ない緊張感、相互の動きを指の末端まで見極めている。
木の葉が落ちる音さえ聞こえる沈黙の中、口火を切ったのはエボルだった。
「『アクセラレーション:ライナー;マキシ…!」
「第11リミッター架動」
能力を発動させる直前にエボルの左脚にアンクが出現した。
ガゴガコンとアンクは更に深く刺さり込み、左脚の力を失ったエボルは前のめりに倒れる。
やってくれたなと言わんばかりにエボルは目の前の代田を睨みつけた。
「お前の左前脚にリミッターを架けた。
お前が脚にいくら力を入れようと、立つことは不可能だ」
代田の金色の左目が輝く。
瞳孔内には彼のUS『ジロンド』の触手の形であるエジプト十字が刻まれ、それに重なるように異形の猪となったエボルの姿が反射していた。
「その眼のことについても色々と聞きたいけど…それについては長くなりそうだ。
そんなことより忘れたのか代田会弦、僕の能力は『アクセラレーション』
脚にリミッターを架けたところで初速が少し落ちるだけで能力による加速自体をどうこう出来るわけじゃない。
確殺歩数が一歩増える程度だ、なんの影響もない」
代田の目がピクッと動いた。
エボルの言うことは正しい。
代田会弦の持つ眼『
無論デメリットもある。
その一つとして『アクセラレーション』を発動させているヴァイラス因子自体に『制見』によるリミッターの操作は出来ない。
ヴァイラス因子は感染者の体内に存在する為だ。
エボルはそれに気づいていた。
更に
変異状態のエボルの『アクセラレーション』は元来の能力が速度を二倍するのに対し、速度を二乗分加速させる能力と化していた。
エボルだけがその事を知っている。
猪は架けられたリミッターに躊躇わず、能力を発動させたまま代田へと突進した。
例え初速が時速20キロ前後であったとしても一歩踏み出せば時速400キロ、二歩目には時速16万キロつまり約マッハ130.6となる。
これは大陸間弾道ミサイルの約六倍の速さ、スナイパーライフル弾の約六十五倍の速さである。
想像もつかないような速度であるがどのような被害が出るかは想像に難くない。
人間である以上このスピードの物体が突撃すれば絶命は必至である。
「初速が落ちれば十分だ」
が、相手は代田会弦、最もヴァイラスを殺した生物。
彼はエボルがリミッターに構わずに自身に突進することを予測し、エボルから離れるように上に飛んだ。
一見すると逃げたように思えるその一手にエボルはニヤリとほくそ笑む。
空中では避けれまいと踏んだエボルは改めて突進体勢に入った。
その時であった。
エボルの四方八方から長さ10センチ程の無数の物体が弾丸のような速さで飛来したのだ。
速度はエボルの足下にも及ばないが物体は瞬く間にエボルを囲み、空間に飽和する。
「トンボ?」
細長い身体に巨大な複眼、左右に伸びた四枚の羽を携えたその姿形はまさしくトンボであった。
だが、ただのトンボでは無かった。
その答えを示すように代田は口からこう放った。
「『トンボmber』起爆」
ピッ と何かのスイッチが入ったような音が聞こえたその瞬間、代田の合図で大量のトンボ型小型爆弾は一斉に起爆した。
爆発は絨毯爆撃のように辺りの地面を覆い、爆風が空中にいる代田の髪を靡き、轟音が彼の耳をつんざく。
爆炎が止んだ後、代田は焼け野原と化した地表へと降りたった。
常人であれば息も出来ぬような状況であるが代田は意に介さない。
代田の意識は頭上100メートル程にいる生物へ向けられていた。
「ハアァ…ハアァ……」
エボルは十分な速度を出すことが出来ずに加速の出来ない空中へ逃げてしまっていた。
ピンク色の体毛の至る所が焼け焦げ、体温調節を担っていた管は数本砕けていた。
「『ファンクション:クアッド
エボルはもう一つの能力を使い、代田に突進する為急降下する。
猛スピードで真っ直ぐ自分へと向かうエボルを見た代田は、右手に形成していた手斧を崩して体内へ戻し、そのまま手を自身のこめかみへとやった。
「エボル、ヴァイラスに変異が存在するようにUSerにも強化形態が在る。
触手が武器形成の極致と言うのであればこちらは個々のUSが持つ特質能力の自体の進化形態。
熟練のUSerが使用するUSの決戦モード。
名を『
こめかみに親指サイズ程のアンクが形成される。
代田はアンクの○部分に指を引っ掛けた。
何か不穏なものを感じ取ったエボルは様子を見る為、軌道修正を試みる。
「睨極に必要なのは1%の才能と99%の経験。
同じUSを幾千回も使用し、ごく稀に発生するゾーン状態を暴発しないよう特定の動作をトリガーとして任意で持っていけるように訓練する。
そして…トリガーが複雑であればあるほどUSは応え、睨極はより強力なものとなる。
俺の場合、脳に常に挿している第十二リミッターを抜くのが発動条件だ」
「…まさかッ!『ファンクション:キュービック‼︎』
俺を代田から遠ざけろォォォ!」
代田の指に力が入る。
その行動と異様な殺気で全てを悟ったエボルは迷わず退避を選択していた。
(死、、、死、、死‼︎この男に殺される!)
先程死を覚悟しているような物言いをしていたエボルは、はっきりと自分を死に導く存在を認識した事で恐怖の頂点に達していた。
その様子はまさに無様という言葉が似合うだろう。
そしてそれはエボルが初めて感じた絶対的敗北感であった。
そして、敗者に訪れるものはいつだって死である。
「『睨極
その言葉と同時に代田の頭に挿さっていたアンクが手榴弾のピンを抜くように外される。
アンクは抜かれた瞬間その形を失い代田の右手から体内へ戻っていった。
ガゴゴゴンと何かが一斉に鈍重に音を立てた。
それは代田会弦の身体に元より備わっているリミッターの全てが最大まで解放された音。
限界を忘却した奔放な破壊者は、逃亡するヴァイラスをその眼に捉える。
そこからは一回の瞬きの長さに相当する刹那のことであった。
突如としてエボルの全ての脚が宙へ舞った。
状況を理解できていないエボルは当初何者かによる幻覚攻撃なのかと錯覚する。
幻覚で無いことはエボルに走った多数の鋭痛によって証明された。
気づかぬ程の一瞬のうちに自慢の牙は削がれ、身体中に切り傷を刻まれたエボルは足掻こうと手当たり次第暴れた。
虚に噛みつき、虚に体当たりし、虚に牙を振るい続けたエボルは痛さの余り能力を解除してしまう。
落下するただの肉塊と化したエボルは頭上に人影を見た、他でもない代田会弦である。
抵抗の術を失ったエボルに代田の刃は容赦無く襲いかかった。
「詰みだエボル、ここがお前の限界だ」
一閃
竹を裂くかの様に縦に真っ直ぐ振るわれた代田の手斧。
シャン…という鈴が鳴ったかのような斬撃音の後、直下の地面に巨大なクレーターが現れた。
「うおッ!シッッロちゃんヤッバ‼︎
…ってうわ!八木ちゃんちゃーん!!」
離れた所にいた志賀は代田の一撃の余波で持ち抱えていたカムナを手から離してしまい、吹き飛ばされる寸前で触手を展開してキャッチした。
そのままカムナを近くの木に触手で縛りつけた志賀はほっと一息つくと衝撃の方向を向いた。
(シロちゃんの睨極、久しぶりに見たけどやっぱ凄い。私がギリ耐えれるぐらいの威力になるようにコントロールされてる。私とかいつも睨極の時全ブッパなのに。あの感じで意外と繊細だよねシロちゃん)
本人の知らぬところで軽くディスられた代田は眼下のエボルを見た。
前後で真っ二つに切断され身体の至る所にリミッターをつけられ、見るも無惨なエボルであったが未だ微かに息を残していた。
「ハァ…ハァ…お見事だ代田会弦。
まさかここまでこっ酷くやられるとは思わなかったよ……カハッッ」
エボルの口から血が出る。
虫の息であるエボルに代田は容赦なく尋問した。
「お前みたいな手合いはどうせ言わないと思うが…今回の目的と仲間の数と能力を答えろ」
代田は手斧をエボルに向けてそう言う。
そんな代田をエボルはカカッと笑い、顎を動かし答えた。
「いや答えないことも無いさ、俺は負けたしなぁ。
教えてやるよ、ただし内容は仲間の数でも目的でもない。たった一つの予言だ」
「予言?」
代田が訝しげに言った。
「復活するんだよ。近いうち俺たちヴァイラスを導く存在が。
抵抗を続ける人類を薙ぎ、蹂躙する圧倒的な存在が!
全てはそいつに支配され、彼の統率の元動く!
僕はその駒の一つに過ぎない。
この世界の覇権を握り、造り替える!それが!その存在が!
エボルの乾いた嗤いが辺りに響く。
それはこれから訪れる波乱の幕開けを知らせる鐘の音色であった。
代田は溢れる不快感から、嗤うエボルにトドメを刺した。
次の更新予定
5週ごと 日・金・土 05:00 予定は変更される可能性があります
キング・オブ・ミクロ 水車小屋 @suisya410
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