第6話 ふたりで歩く道

「それじゃあ、戻りましょうか」


 桐谷さんが立ち上がって、私に手を差し伸べる。

 私はその手に自分の手を重ね、立ち上がった。


「わ、私がエスコートします」


 右腕が使えない桐谷さんが万が一にも階段を下りる途中で足を滑らせたり踏みはずしたりしたら大変だ。

 ギプスで固定された右腕をさらに胸に密着させるようにベルトで固定されているため、思った以上にバランスをとるのが難しい――と私は思った。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


 私が一段下りて、一段分遅れて桐谷さんが足を運ばせながら、一階までゆっくりと時間をかけて階段を下りた。


            ※


 そうして、桐谷さんをエスコートしながら一階の応急処置室まで戻った私は、


「大石さん! まったく、点滴の針を抜いて抜け出すなんて、何事ですか! 心配して院内じゅう探し回ったんですからね! それに桐谷さんまでいなくなって、もう本当に何か遭ったんじゃないかって気が気じゃなかったですよ! 大体――」


 看護師さんにめちゃくちゃ怒られた。


            ※


 それから、病院での手続きを終えた私と桐谷さんは、ようやく病院を出ることができた。

 引き止められた理由の主な原因が看護師さんのなが~い説教だったのは、胸の内に秘めておくとして――。


「もうすぐ夜明けですね」


 桐谷さんの視線が、遠くを見やる。

 空は白み、建物の間から太陽の光が漏れる。


「はぁ~気持ちぃ~です」


 私は朝日を正面から受け、思いっきり深呼吸した。

 両腕を広げて空を仰ぎ、まだ少し冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。


「これからどうしましょうか?」

「あっ、とりあえず、連絡先を交換しましょう」

「そうでしたね。うっかりです」


 少し照れたような笑みを浮かべる桐谷さんに、私はにへらと表情を緩めてしまう。

 桐谷さんの見た目は、すごくしっかりした印象を与えるのに、こうやって話していると、表情も言葉も柔らかくて、そのギャップにくすぐったく感じてしまうのだ。


「いいですか?」

「ちょっと待ってくださいね」


 私がスマホを取り出して用意をすると、桐谷さんは手に持っていたカバン(ブランド品っぽく見える)を地面に置き、その手でカバンの中からスマホを取り出した。


(あっ……)


 スマホを取り出すという簡単な行為も、片腕が使えないだけでこうした余計な動作が増える。

 それを目の当たりにした私は、より強く思うのだった。


(私が桐谷さんを支えてあげないと)


 それからラインの交換をすると、私たちは病院を後にした――のだが、自転車を持って帰らなけばならず、桐谷さんを歩かせることになってしまった。


「ごめんなさい」

「いいんですよ。早朝の誰も起きてない時間に歩くのもまた乙なものです」

「確かに、なんだか特別なことをしているような感じがしますよね」

「はい」


 自転車を押して歩く私の隣で、桐谷さんが同じ歩調で歩く。

 なんだか不思議な感じ。

 加害者と被害者がこうやって肩を並べて歩いているなんて、本人もびっくりだ。

 カバンを持つ桐谷さんの負担を減らすため、そのカバンは今、自転車のカゴに入っている。

 揺らさないように段差に気をつけながら、割れ物を扱うようにしなければならない。

 そんな様子に桐谷さんがフフッと笑み、


「大丈夫ですよ。大したものは入っていませんから」

「いやいや、桐谷さんのカバンを傷つけるわけには――」

「それなら、なおのこと大丈夫です」

「へ?」

「だって――」


 そう言って、桐谷さんはカゴに入ったカバンの取っ手を掴んで持ち上げ、


「ほら」


 くるりと反転させると、


「大石さんとの衝撃的な出会いで、すでに傷ついていますから」

「――ッ!」


 削ったような痕がくっきりと残っているのが見え、私は声にならない悲鳴を上げた。


「べ、べ、弁償……しま……す……ぅ」


 できるはずもないのに、それが分かっているから言葉にまったく力が入らなかった。


「そうですね。キズモノにされた責任は、とってもらわないといけませんね」

「うっ――!」


 心のダメージが大きい。

 別の意味にも聞こえてしまう桐谷さんの台詞だけど、ある意味では桐谷さんの大切なものを奪ってしまったのだから、やっぱりその相手としては責任はとらなくちゃいけない。


「では、朝食の相手をしてください」

「へ?」

「実は私、お腹がぺこぺこなんです」


 そう言ってお腹を押さえる桐谷さん。


「大石さんはどうですか?」


 訊かれた私が返事をするよりも先に、ぐぅぅぅ~とお腹が鳴った。


「――ッ!」


 私は咄嗟に片手でお腹を押さえたけど、胃を押さえられるはずもなく、お腹はこれでもかと主張するかのように鳴り続けた。

 あまりの恥ずかしさに顔を赤くする私に、


「いい返事ですね」


 そう言って、桐谷さんは私のお腹に目を向けるのだった。

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