第7話 あま~い朝食
早朝から開店している喫茶店に入った私と桐谷さん。
「モーニングセットをふたつお願いします」
申し訳なさのあまりにテーブルに突っ伏す私の代わりに桐谷さんが注文をしてくれた。
本当は私が代わりに注文しなければならないのに、すでに役立たずだ。
「大石さん、そろそろ顔を上げてください」
「いえ、合わせる顔がありませんので」
「面と向かってでなければ、お話もできませんよ」
「いえ、桐谷さんが許しても、私が私を許せないんです」
そうやって押し問答をしていると、
「お待たせしました。ご注文のモーニングセットふたつです」
「ありがとうございます」
店員さんの声に、桐谷さんが応じる。
「あ、あの~」
店員さんの困ったような声。
「大石さん。そうやって頭を下げていては、店員さんが困ってしまいますよ」
そう言われ、私は自分が邪魔になっていることに気づき、また生き恥を晒してしまったことに、死にたくなった。
「す、すみません」
「いえ」
顔を上げる私の目の前に、モーニングセットが置かれる。
店員さんは気にする様子もなく、「ごゆっくり」と言って去って行った。
きっと、バックヤードに戻ったら噂されるに違いない。
そう思うと、私はまた顔を覆い隠したい気持ちになってしまうのだった。
「さっ、冷めないうちにいただきましょう」
桐谷さんにすすめられ、私はコーヒーカップに手を伸ばした。
意外とカップが重く、桐谷さんを見やると、利き手じゃないこともあって、少し不安定に見えた。
「大丈夫ですか? さ、支えますか?」
カップを下ろし、両手を空にして見せる。
「これくらいは助けがなくても大丈夫です。助けが欲しいときは言いますから」
「わ、分かりました。遠慮なく言ってくださいね」
「はい。頼りにしてます」
不便さを少しも見せない桐谷さんの姿に、私は自分が嫌になってしまった。
そもそも私が加害者だからという引け目もあるのだろうが、どうしても桐谷さんをかわいそうな人に見てしまうのだ。
だけど桐谷さんは、実際には不便さを感じているはずなのに、それを見せようとしない。
不便ななかでも、やれることはひとりでやる。
甘えないのとも違う。
それはきっと、桐谷さんのなかでは当然のことなのだろう。
だから、私も必要以上に桐谷さんをかわいそうな人と思わないようにしなければならない。
私は空にした手をカップに戻し、コーヒーを飲んだ。
「に、苦いです」
「大石さんは、コーヒーは飲む方なんですか?」
「お金を払ってまでは飲まないですね。そもそもそんなお金もなかったですし」
人間、飲み物なんて水だけで十分なのだ。
アルバイト先のコンビニの店長が、そんな私の境遇にカフェラテを奢ってくれたことがあったけど、あれは格別なおいしさだった。
きっと、『やさしさ』という成分が含まれていたからだろう。
「そうだったんですね。コーヒー自体は飲めるんですか?」
「そうですね。お母さんがコーヒーを飲んでいたので、よく一緒に飲んでいました。ブラックは苦いですけど、お母さんがブラック派だったので、ブラックで飲んでましたね」
「私も、コーヒーはブラックで飲みますね。やっぱり、これが一番、コーヒーの味を楽しめますから」
「桐谷さんは、コーヒーが好きなんですか」
「はい。コーヒー豆の専門店で豆を買ってます」
「すごいです。本格派ですね」
「そんなことないですよ」
そう言いながらも、少し照れる仕草を見せる桐谷さんに、私はほっこりした。
コーヒーを口に含み、次に大きなトーストに手を伸ばす。
そのままのっていたバターが、今はほどよく溶けている。
トレイには、ハチミツが入った小さな容器が置かれていて、バターの風味を味わった後で、私は残りにハチミツをたっぷりとかけて頬張った。
「大石さん、大石さん」
「ふぁ、ふぁい」
もぐもぐと咀嚼していたところで呼ばれた私は、変な声で返事をしてしまった。
「ごめんなさい。飲み込んでからでいいですよ」
「ふ、ふみまへん」
すみませんと言いながら(言えてなかったけど)、ようやく飲み込む。
「すみません。それで、どうしたんですか?」
「手伝ってほしいことができました」
「ホントですか!? なんでも言ってください!」
思わず喜んでしまったけど、喜んでいいことではない。
それなのに、そんな私の様子に桐谷さんは笑ってくれる。
なんだか、自分が犬になったような気分になる。
「それじゃあ、トーストをひと口大に切って、食べさせてください」
テーブルの中央には、モーニングセットと一緒に運ばれてきたナイフとフォークがある。
「任せてください」
私は食べ終わった自分のトレイを横へスライドさせ、桐谷さんのトレイを引き寄せた。
「ハチミツはどうしますか?」
「ましましでお願いします」
「ましましですね」
ましましの注文を受け、私はハチミツをトーストに全部かけ、それだけでなく、私の余ったハチミツもかけた。
「おいしそうです」
そんな様子に、桐谷さんが子どものようにワクワクさせている。
トーストの耳から垂れ落ちるハチミツが皿に広がっていく。
私は、ナイフとフォークでひと口大に切ると、皿に広がったハチミツを掬いとるようにくるくるとトーストを回してコーティングさせた。
「ご注文の、ひと口大トースト、ハチミツましましです」
私は中腰に立ち、紙ナプキンを左手に、トーストの下に差し入れる。
「あ~ん」
桐谷さんの小さな口が開かれる。
まるで、大きな口を開けたことがないような、上品な唇。
その口が、私の切ったトーストの大きさに合わせるように、大きく開かれる。
もう少し小さく切った方が良かったかな、と思いつつ、私は桐谷さんの口にトーストを入れた。
「――ん」
桐谷さんの口が閉じられ、私はそっとフォークを引っ張る。
抜くのに抵抗があるのは、桐谷さんがぎゅっと唇を閉じているから。
そのフォークの先端が口から抜かれると、私はその勢いのまま椅子に座った。
桐谷さんは左手で口を隠し、上品に咀嚼している。
しかし、リアルで口を手で隠す人なんて初めて見た。
やっぱり、桐谷さんはそういう人なのだろうか。
やがて桐谷さんが飲み込む動作をすると、
「おいしいです」
「桐谷さん、すごくおいしそうに食べてましたね」
「甘いものが好きなので、つい」
「あっ」
桐谷さんの唇の下にハチミツがついているのを見た私は、左手に持ったままになっていた紙ナプキンを伸ばし、
「少しそのままでいてくださいね」
「ん――」
桐谷さんの唇に紙ナプキンごしに触れ、ハチミツを拭いとった。
「はい。これできれいになりました」
「なんだか、子どもに戻ったように感じました」
「あ、ごめんなさい。やりすぎでしたか? 嫌だと思うことをしてしまったら、はっきりと言ってくださいね。私、お節介が過ぎるときがあるようなので」
「いえ、むしろ尽くされてるなぁ~って、嬉しかったです」
「世話役ですから、尽くしまくりますよ」
胸を張る私に、桐谷さんが微笑む。
「はい、次です。あ~ん」
「あ~ん」
それから残りのトーストも切り分け、桐谷さんに食べさせてあげるのだった。
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