第3話 どうして?

「ん……」


 頭がぼーっとする。

 なんで私、天井を見上げてるんだろ?


「気がつきましたか?」


 その声に顔を横に向けた私の視界に映ったのは、女性の看護師さんだった。

 看護師さんが近づいてきて、私の横にある点滴に手を伸ばす。

 よく見ると、その管の先は私の肘の内側に刺さった針と繋がっていて、なぜか私が点滴を打たれてた。


「気分はどうですか?」

「頭が、少し痛いです」

「倒れたときに、頭を打ったのかもしれませんね」

「……倒れた?」


 その言葉に、私は眉を寄せた。


「慢性的な睡眠不足と栄養失調。それに加えて、精神的な負担で限界を超えてしまったんでしょうね。点滴もまだ落ち切っていませんし、このまま休んでいてください」

「いえ、でも――」

 

 そんなお金がない――と言おうとして、でもそれが恥ずかしくて、私は口を閉ざした。


「あと、起きたら桐谷さんにもお礼を言ってあげてください」

「桐谷さん?」


 誰とも知らない名前に首を傾げる私に、看護師さんがくすりと笑い、私の足下を指さす。

 私は首を曲げて顔だけを上げると、自分の足下を見た。


「……すぅ……すぅ」


 黒髪の美人さんが眠っていた。

 いや、よく見ると、私が自転車でぶつかってしまった人だ。

 ギプスをしていない左腕を枕にして、突っ伏している。

 その寝顔を見て、美人は寝ている姿もキレイなんだなと、場違いなことを思ってしまった。


「あの、この方が、どうしてここに……」

「まぁ、目の前で倒れられたら、心配にもなりますよね。ナースコールがあるのも忘れて、大声で私たちを呼んで知らせてくれたんです。ストレッチャーであなたを応急処置室ここまで運んでくる間も後ろからついてきていましたし。応急処置している間も、ずっと見守ってくれていたんですよ」


 そう説明してくれた看護師さんが、カーテンを閉めて去って行く。


「なんで……」


 頭の中で『どうして?』の疑問がぐるぐると渦巻く。

 私は、この人を怪我させてしまった張本人で、恨んだっていいはずなのに。

 倒れた私を見て、ざまあみろと思ってくれたっていい。

 放っておいて、そのまま手遅れになったっていい。

 それなのに、どうして……。


「あ……」


 頭を起こしたときに移されたベッドが動いたせいか、カーテンの音のせいか、桐谷さんが目を覚ました。

 不意打ちのようなそれに、私の心臓が痛いほどに高鳴り、そこから動けなくなってしまった。


「目を覚ましたんですね」


 柔和な笑み。

 すべてを受け入れて、そっと――だけど離さないと言わんばかりの包容力を詰め込んだようなその微笑みに、私はドキッとすると同時に、いたたまれなくなった。


「体は大丈夫ですか? どこか痛いところがあるなら、看護師さんを呼んできますから遠慮なく言ってくださいね」


 桐谷さんが体を起こし、椅子を滑らせながら、私の頭の方へと近づいてくる。


「どうして……」

「え?」

「どうして……心配してくれるんですか?」

「……え?」


 私の言っていることが分からないと言わんばかりに首を傾げる桐谷さんに、私は気づいた。

 この人は、本当に、ただ倒れた私を心配してくれて、こうやって付き添ってくれていたのだと。

 怪我を負わせた相手に対して、『どうしてそんなに親身に?』と思っていたのは、私の心が卑屈になっていたからだ。


「……ごめん……なさい」


 それは、事故に対する謝罪か、それとも心配してくれたことを疑問に思ってしまったことに対するものか。


「いいんですよ。今はあなたの方が大事です。休んでいてください」


 その気遣いが嬉しくて、でも申し訳なくて、私は顔を背けた。

 点滴が刺さっていなかったら、背中を向けて丸くなっていたくらいだ。


「桐谷さん?」


 シャ――とカーテンの開く音がして、隙間から看護師さんが顔を覗かせる。


「声がしたので……少しいいですか?」

「はい」


 振り返った桐谷さんが立ち上がり、


「少し席を外しますね」


 わざわざ断る必要なんてないのに、まるでまた戻ってくるような口ぶりだ。

 そんな変わり者の桐谷さんのことが気になって、私はつい耳を澄ませてしまった。

 カーテンの向こうで、桐谷さんと看護師さんの話す声が聞こえる。

 小声で話しているせいか、途切れ途切れにしか聞こえなかったが、十分だった。


「警察――事故――通報――」


(――ッ!)


 看護師さんの言葉の中でも、それらの単語が私の頭に殴るかのような衝撃を与えた。


「分かりました。私が話をします。わざわざありがとうございます」


 桐谷さんが礼を述べて、そのまま足音が遠ざかって行く。

 きっと、桐谷さんが通報して呼んだ警察が来たんだ。

 そこで私は、事故の加害者として訴えられ、損害賠償を請求される。

 幾らになるかなんて分からない。

 分かるのはひとつ――私には払えるお金がないということだけ。

 私は起き上がると、ベッドから足を下ろした。


「はぁ……」


 とても重い、息をともに生気すら抜けていったかのような溜息。

 実際に、今の私に生きる気力はない。

 こうして点滴を打ってもらっていることすら、申し訳ない。

 意味がないのに。

 だって、私はもう……。


            ※


「すみません。話が長くなってしまって、でも――え?」


 カーテンを開くと、ベッドで横になっていた少女が消えていた。

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