第2話 大石つかさの苦難
私こと大石つかさは生まれてこのかた十九年――服飾専門の大学に通い、順風満帆とは行かずとも実直に生きてきた。
幼い頃、母親がよく手作りの服を作ってくれた。
私はそれが嬉しくて、友達にもよく自慢をしていた。
小学生になると、自分でも作るようになった。
家庭科でお母さんにエプロンを作る授業があったとき、私は誰よりもうまく作ることができたし、先生にも褒められた。
家に持って帰ってお母さんにプレゼントすると、すごく喜んでくれた。
もう十年も経って、色褪せたり破けりほつれた部分を縫い直したりしてあるけど、今でもお母さんは使ってくれている。
それが、私の背中を押した。
ファッションの勉強をしたいことに対して、お母さんは賛成してくれた。
だけど、お父さんは反対した。
『好きにすればいい。だけど、学費も生活費も自分でなんとかしなさい』
これにお母さんは反対してくれたけど、私は意固地になって家を出た。
それから私は、安いアパートを探し、部屋を借りた。
私が入学したのは、桜花服飾大学で、学費も安くはない。
それに加え生活費も必要になるし、家賃だって払わなくちゃいけない。
だから、私は大学で勉強を終えると、とにかくアルバイトに時間を使った。
受講する講義も、間が開かないようにして、アルバイトの時間を多く確保できるようにした。
思えば、ここから私の優先順位が変わってしまっていた。
すべての優先順位がアルバイトになってしまい、大学に通うために稼ぐお金が、いつの間にか稼ぐこと自体が目的になってしまっていた。
一年目には、アルバイトが終わってアパートに戻っても、買ってきた生地で練習したりしていたのに、二年目に入ると、次の日のために眠るようになり、受講中も今月の支払いに必要なお金の計算などを無意識にするようになっていた。
そのせいで、成績は悪くなるし、何よりも学んでいる気になれなくなっていた。
それでもアルバイトは続けなくちゃ生きていけないし、今さら大学を辞めるわけにもいかない。
でも、もう自分がなんのために生きているのかすら、分からなくなっていた。
コンビニのアルバイトも、一年目は笑顔で接客していたのに、今では笑うことすら苦痛になり、まるで機械のように事務的な笑顔を浮かべるようになってしまっていた。
あまりに不自然な笑顔だったのか、
『大丈夫ですか?』
なんて、お客さんに心配されてしまったこともあった。
店長も注意はしないけど、内心では一年目の元気な私に戻ってほしいって思ってるに違いない。
私だって笑いたい。
だけど、今の私はもう、心から笑えない。
そんな私にトドメを刺したのが、これだ。
「大石さん」
名前を呼ばれた私は顔を上げると、ドアから顔を覗かせる看護師の女性と目が合った。
どうやら、処置が終わったらしい。
「相手の方が、お話をしたいと」
「は、はい」
まるで大手企業の面接に呼ばれたかのような緊張感。
いや、それ以上だ。
心臓がドクドクと高鳴り、立ってすぐに頭がふらっとしてしまう。
だけど、ちゃんと相手と話さなくちゃいけない。
せめて、親には迷惑がかからないように話をもっていかないと。
責任は私ひとりで負うべきだ。
賛成はしてくれなかったけど、わがままな私を止めず、放っておいてくれた両親のことが好きだから。
ドアを押さえてくれていた看護師さんの横を抜け、個室に入る。
「あなたが、大石さんですか?」
柔らかい女性の声がした。
その声は、個室の真ん中にあるベッドの上から聞こえた。
艶のあるまっすぐな髪。
ほんのり垂れ目がやさしく温和な印象を与えていて、口は微笑みを浮かべている。
ベッドの上にいても、身長の高さがうかがえるほどに抜群のプロポーション。
体つきは細身で、胸もスレンダーだ。
職業はモデルですと言われても、当然でしょ、と頷いてしまう。
「あの……」
「あ、はい、すみません」
つい見惚れてしまった私は、ますます罪悪感に襲われた。
何せ、こんなにも美しい女性を、私は傷つけてしまったのだから。
女性の右腕には、ギプスが取り付けられていた。
遡ること、一時間前。
アルバイトが終わり、自転車を漕いでアパートに帰っていた私は、すでに限界を迎えていた。
大学も二年目に入ると、講義が増え、勉強の難易度や密度も上がっていった。
講義の時間だけではとても賄いきれず、アパートに戻ってからも勉強の日々。
だけど、私はアルバイトをしなくちゃいけないから、夜中まで作業をしなければならなかった。
睡眠時間は削られ、一年目からまず最初に抑えていた食費をさらに削り、食事に関してはもう諦めていた。
満腹になったことなんてないし、おやつなど言語道断だ。
身も心も削りに削り、もう支える力も残っていない。
そんな私の体は、アパートの部屋に戻るのを待てず、自転車を漕いでいる間にふっと眠ってしまったのだ。
起きたのは、何かにぶつかったような衝撃と、自転車から放り出されて体をコンクリートにぶつけたときだった。
何が起きたの分からず、体を起こした私の目に飛び込んできたのは、倒れる女性の姿だった。
そこから先のことは、あまり記憶にない。
病院にいると言うことは、救急車を呼んで、搬送してもらったに違いない。
だけど、私はもう頭が真っ白で、気がつけば待合室の椅子に座っていた。
そして、思ったのだ。
人生終わった、と。
「あの、二人にしてもらってもいいですか?」
女性が、視線を私の後ろ――看護師さんに向ける。
スライドドアが静かに閉まる音が聞こえる。
二人っきりになった。
これから私は、損害賠償という名の死刑宣告を受けるに違いない。
ネットのニュースで見た。
い、い、一億だ。
いや、さすがにここまでの金額にはならないのかもしれないけど、問題は私が自転車保険に加入していなかったことだ。
つまり、請求された金額を、私がすべて負担しなければならない。
今の私には、一万円ですら死活問題なのだ。
それが十万も百万も請求されれば、それはもう死ねと言われているのと同義。
「あ、あの、私……」
とにかくまずは謝らなければと私は口を開くも、これからのことに頭がうまく回らず、それに連動するかのように口まで回らなくなってしまっていた。
「私――」
そこで、私は気分が悪くなった。
視界がぼやけ、眩暈がする。
頭から一気に血が引いて、ぎゅっと締め付けられるような痛みが走る。
体を支えていられなくなり、私は膝が折れるのを最後に、
――バタッ。
「え、ちょっと、大丈夫ですか!? か、看護師さん! 看護師さん!」
情けなくも申し訳なく、気絶したのだった。
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