マグリアの花冠

@kazunon

はじまりとおわり

 それは、どこまでも穏やかな春の昼下がりのことだった。

 陽が少し傾いたマグリアの花畑は薄紫色に輝き、見渡す限り一面に咲き誇る花々からはかぐわしい香りが漂っていた。

 薔薇に似た花弁を持つ美しい花は急斜面に咲き誇り、雲ひとつ無い青空まで続いている。そよぐ風に揺れるマグリア。絨毯のようになだらかに丘を覆う花々はなめらかに続き、少しずつ色を変えながら今が盛りと咲いている。

 見事な花畑の光景に、一人の少年ーーアルバスは駆け出した。

 大陸屈指の大国である聖王国の首都から、母の療養に付き添って湖畔の町へとやってきた十歳のアルバスにとって、見るもの触れるもの全てが目新しくて興奮するものだった。

「すげぇ! これ全部マグリアかよ!」

「そうよ。ここが湖畔の町が誇るマグリアの花畑。今の季節の花が咲いてるのはここだけ。すごいでしょ」

 薔薇に似たマグリアを覗き込んでいたアルバスは、得意げに胸を張る少女を振り返った。視線の先には、黒髪をお下げに結った同い年の少女・ノエル。褐色の肌にそばかすの浮いた肌。三つ編みを跳ねさせながら得意げに胸を張るノエルに、アルバスはにかっと笑うと親指を立てた。

「ありがとな、エル! マグリアの花冠を被ったら、母さんの病気なんかどっかいっちまうぜ!」

「だといいですね。……僕は帰りの支度をしますので、花冠を作るなら早めにお願いしますよ」

 ため息まじりな声に、アルバスは声の方を見た。そこにいるのは、三人の中では最年長の少年・グレイ。金髪碧眼で、サラサラなストレートの髪が印象的だ。背も高い。少し羨ましい。

 彼は確かに少年なのだが、まるで少女のような顔をしている。最初に会った時に女と間違えて一騒動あったのもいい思い出だ。いい思い出にしておきたい。そうしよう。

「おう、せんきゅーなレイ! そっちは任せたぜ!」

 親指を立てるアルバスの手を、グレイは無造作に払った。眉間に寄せた縦じわは深さを増し、睨みつけてくる視線には確かな苛立ちが乗っていた。

「何度も言いますが。僕はこの計画に反対です。今からハンググライダーで湖の対岸へ戻るなんて危険です。いくらアルバスの家がこの対岸で、最速で戻れると言っても……」

「なんだよ、怖気づいたのか?」

「そんな訳ないでしょう。ただここは大人しく、山小屋に泊まって明日戻るべきだと言っているんです!」

「嫌だね!」

 挑発するようなアルバスの笑みに、グレイはむっと頬を膨らませる。口論する二人に、ノエルがアルバスに賛成した。

「明日じゃアルのお母さんの誕生日が終わっちゃうじゃない。誕生日にマグリアの花冠を被ってお願い事をするとひとつだけ叶うって伝説、知らない訳じゃないわよね?」

「頼むよレイ! 俺、母さんに元気になって欲しいんだ!」

 懇願するアルバスに、グレイは大きなため息をついた。肺の中の空気を全部吐き出して頭を振ると、気持ちを切り替えるように顔を上げる。

「分かりました。では、なるべく早く作ってください。僕はハンググライダーを組み立てていますから」

「やった! せんきゅーな、レイ!」

 山小屋へ駆け出すグレイの背中を、アルバスは両手をぶんぶん振って見送る。無邪気なアルバスの肩を、ノエルは軽く叩いた。

「さ、作るわよ。時間がないのはその通りなんだから」

「おう!」

 頷いたアルバスは、早速マグリアに手を伸ばした。アルバスの隣で、ノエルもまた花冠を編み始める。黙々と編むことしばし。スルスル滑る上に折れやすい茎をものともせず編み上げたノエルは、満足そうに花冠を掲げた。

「できた! ……アルは?」

「ち、ちょっと待てよ! もう一回……」

 不器用な手付きで花冠を編むアルバスの足元には、無残を晒すマグリアの花が散らかっている。何度も挑戦するが、その度に難しい茎に弄ばれる。何度めかに崩壊した花冠が手の中から弾き出された時、アルバスは頭をかきむしった。

「あああ! なんでできないんだよ! この茎! この茎か! 折れるな切れるな暴れるなぁっ!」

 駄々っ子のように頭を抱えて地面を転げ回るアルバスを、ノエルはため息と共に見下ろす。突っ伏したまま動かないアルバスの前にしゃがみ込むと、後頭部に声を掛けた。

「……じゃあ、やめとく?」

「いや。もう一回やる」

 一通り暴れてすっきりしたのか。髪に花弁をつけたアルバスは、再びマグリアの花に手を伸ばした時、冷徹な声が響いた。

「アルバス。そろそろ行かないと。完全に風が変わったら、飛べなくなります」

「ちょ、ちょっと待てよ! あと一回だけ……」

「しょうがないわね」

 苦笑いをこぼしたノエルは、編み上げた花冠を少しほどくとアルバスに差し出した。

「ほら、ここに一輪編みなさいよ。それならアルが編んだって言えるでしょ?」

「お、おう」

 ノエルの提案に、アルバスはマグリアを一輪摘むと差し入れた。すぐ側に感じるノエルの呼吸に、心臓の鼓動が跳ね上がる。騒ぐ心を何とか宥めたアルバスは、茎を編むことだけに集中する。

「茎を無理に編もうとしちゃダメ。筋に沿ってゆっくり曲げるの」

「お、おう」

 ノエルのアドバイスに、アルバスは何とか花冠に一輪編み込む。できあがった花冠を受け取ったアルバスは、金色の太陽に花冠を掲げた。

 持ち上げても軽く投げても、崩れないし壊れない花冠。アルバスだけの力では絶対にできなかった立派な花冠に、自然と笑顔が浮かんでくる。

「できた……! これできっと、母さんも良くなるよな!」

「これだけ苦労したんだもの。当然よ」

「二人とも。静かに、ゆっくりこちらへ」

 微笑み合う二人に、グレイの鋭い声が響く。首を傾げたアルバスは、花冠を大切そうに背負袋にしまいながら一歩踏み出した。

「なんだよレイ。編み上がったから早く帰ろうぜ」

「アル」

 鋭いノエルの声に、アルバスは周囲の気配に気がついた。花畑を囲む森から、低く唸る狼の声が聞こえる。夜を前に活動を始めたヤマオオカミが、こちらを襲いかかる隙を虎視眈々と狙う気配がする。その野生の強さに、アルバスは息を呑んだ。

「ヤマオオカミ! てことは……」

「ヌシが来るかもね。さ、行くわよ」

 なんでもない風に歩くノエルの背中を、アルバスは追いかける。

 狼には気づいていない風を装いながら歩くが、背中に感じる殺気にアルバスは気が気ではない。それに、こんな時に限って鼻の奥がムズムズする。

「っくし!」

 思わず出たくしゃみを合図にしたように、狼達が一斉に襲いかかった。同時に駆け出す。背後を振り返らずに全力で走ったアルバスは、ノエルを追い越しグレイが待つ巨人用のハンググライダーの右隣に取り付く。

「ノエル!」

「行って!」

 鋭い声を掛けるグレイに、ノエルは応える。覚えたての風魔法で狼達を牽制するノエルを、アルバスは思わず振り返った。

「おい、エルは!」

「大丈夫ですから走って!」

 促されるままに、アルバスは駆け出す。振り返って確認したいが、鬼気迫るグレイの表情に必死に足を動かすしかない。

 だんだん崖が近づく。ノエルは大丈夫だろうか? 狼に追いつかれたりしないだろうか? もしもここでノエルが狼の餌食になってしまったりしたら、どうすればいいんだろう? だがここで立ち止まったところで、アルバスに何ができる訳でもない。ひ弱な都会っ子のアルバスは、グレイのように剣が使える訳でもノエルのように魔法が使えるわけでもない。唇と一緒に無力さを噛みしめるアルバスの隣で、グレイは鋭く動いた。

 手に持ったナイフを、ノエルに迫る狼の口中に投げつける。そのまま伸ばした手をノエルに差し出す。グレイの鋭い声が響く。

「ノエル!」

「グレイ!」

 声と共に、大きくジャンプ。大地を蹴って宙を舞うハンググライダーは、直後左へと傾く。崖から大きく跳んだノエルの手を掴んだグレイは、そのまま自分の左隣へと強引に引っ張り上げた。バランスを取りながら宙を舞うハンググライダーに、狼の悔しそうな遠吠えが響いた。

「エル! 大丈夫か?」

「大丈夫」

 気丈に答えるノエルの声に、アルバスは安堵の息を吐く。変わる風を必死になって掴むグレイの隣で、余裕を取り戻したアルバスは目の前の景色に再び歓声を上げた。

 眼下に見えるのは、三日月型に弧を描く湖と、湖畔の町並み。沈む太陽からあふれる茜色の光が、ぽつりぽつりと灯る町の灯りを包む。吹き抜ける風。深い森。沈む太陽。夕映えに染まる白い町並み。初めて見た上空からの湖畔の町に、アルバスは心から感動の声を上げた。

「すっ……げえ! なあ見ろよ! あれ教会だろ?」

「動かないでください! 風もバランスもギリギリなんですから」

 景色を楽しむ余裕なんて無い、と言わんばかりのグレイの真剣な声に触発されたように、大きく変わった風がハンググライダーを煽る。突然見える空の青さに悲鳴を上げるアルバスは、包み込むような風に顔を上げた。

 ノエルの風の魔法で何とか姿勢を戻したハンググライダーに、アルバスは恐る恐る隣を見た。

「なぁ、レイ。今更だけどよ、お前ハンググライダー得意なんだよな……な?」

 アルバスの問に、グレイは口元をひくつかせながらぞんざいに答えた。

「大丈夫ですよ。タンデムは以前、ひいおじいさまと一緒に一回だけしたことがありますから」

「それは得意とは言わねぇ!」

「暴れないでよアル!」

 三人を乗せたハンググライダーは、湖の上空を舞う。

 沈みゆく太陽は、三人の姿を優しく照らし出していた。


「……様! アルバス様!」

 グレイの声に、アルバスは居眠りから勢いよく覚醒した。

「お前、レイ! タンデムはしねぇけど飛ぶのはプロ級だって言っとけよ!」

「は?」

 怪訝そうに首を傾げるグレイの顔に、アルバスは周囲を見渡した。

 目の前にあるのは、成長し、騎士団長にまで上り詰めたグレイの姿。大概いい大人なはずだが、少女のような顔は変わらない。

 だが少年時代とは確実に違うグレイの姿に、アルバスは徐々に現実感を取り戻した。

 聖王国首都にある、聖王の居城。その更に奥にある国王執務室。贅沢を排した質素な執務室の机には、マグリアの花冠。遠くから聞こえる民衆の声に耳を傾けながら、アルバスは聖王となった自分の半生を振り返った。

 母は何の後ろ盾もない、湖畔生まれの炊事女だった。料理の腕を見込まれて王宮に上がり、聖王だった父の目に止まった。

 アルバスを産んだことで正妻のいじめを受け、王宮を追われた。しばらくは王都で暮らしていたが、母が病気になり湖畔の町へ戻って二人と出会った。王位継承権なんて無いようなものだったのだが、先王の急死から続く混乱で何の因果か王位を継承する羽目に陥ったのだ。

 聖王となり、長い時間を過ごした見慣れた風景に、アルバスは深く椅子に座り込んだ。そのままずるずると沈み込み、座っているのか寝転がっているのか分からない姿勢になる。

「どうしたの? 具合でも悪いのアル?」

 書物を手にしたノエルが、心配そうに覗き込む。紆余曲折を経て宰相にまでなったノエルの顔に、昔の面影がよぎる。勝ち気な少女は勝ち気なまま成長し、今は少し丸くなった気がする。

 夢の余韻が心に残る。美しいーー本当に美しかった湖畔の風景を目の奥に焼き付けたアルバスは、体を引き上げると椅子に座り直した。

「悪い悪い。ガキの頃の夢を見てたんだ。湖畔の町で三人で空を飛んだだろ?」

「ありましたね。結局対岸までは飛べなくて、湖の真ん中に着水して」

「おじさんの漁船に助けられたけど、あのあと三人とも、おじい様にものすごく叱られて」

 その剣幕を思い出した三人は、同時に肩をすくめた。湖畔の町を統治していた、グレイの祖父。普段は温和だが、怒ると烈火のようになり雷のように激しく怒鳴る。あの雷鳴のような声が、すぐそばで聞こえてくるような気がして思わず振り返った。良かった誰もいない。

「怖ぇ……」

「殺されるかと思いました」

「あたしなんて、まだたまに夢に見るわ」

 顔を見交わした三人は、同時に笑い合う。日付が変わるまでには解放されて、アルバスの母に誕生日の内に花冠を手渡すことができた。

 その時の母の笑顔を思い出したアルバスは、表情が硬くなるのを自覚した。

「あの時母さんが望んだのは、『俺が望む未来を叶えられますように』だったんだ。……馬鹿かよ。その後すぐに死んじまって、あれは何のための冒険だったんだよ。自分の健康を願えよな!」

 机に肘をついて、目頭を押さえる。あれからほどなくして、湖畔の町は突然の敵国の襲撃を受けた。大軍が押し寄せ、美しかった湖畔の町が火と血に染まる。混乱の中、離れ離れになった三人が再会するのに、長い歳月を要した。

「……悪いな。夢見が悪くてよ。こうしてられるのもあと少しなんだから、明るくいこうぜ?」

 笑みを浮かべたアルバスに、ノエルとグレイが顔を見合わせる。ひとつ頷いたノエルは、アルバスにそっと訴えた。

「ねえ、アル。あの法律、撤回して頂戴」

「それについては、僕も完全に同意します」

「嫌だね」

 端的な拒否に、沈黙が下りる。

 風が流れる。

 レースのカーテンを揺らしながら、風がアルバスの頬を撫でて過ぎ去っていく。

 さざなみのように、国民の声が遠くから響く。怒り泣き喚き懇願し、時に罵声が飛び交う国民の声に、アルバスは目を閉じた。


 静かな部屋に、彼の国民の声が響く。アルバスが半生を費やし作り上げた結果、手に入れた怒声と懇願と罵声と悲鳴。多くの国民が今、王宮前の広場に集まっている。皆一様に悲嘆に暮れ、大声で新しい法の撤回を訴えている。聖騎士達が押し留めているが、中には王宮に忍び込んで直訴しようという輩までいる。大きく息を吐くアルバスの耳に、ノックが響いた。

「開いてるぜ」

「陛下。そろそろお時間です」

 一礼して入室する若い侍従の少年の顔に頬を綻ばせたアルバスは、彼を手元まで招き寄せた。膝を突き最敬礼する十歳の少年の頭を、アルバスはもふもふ撫でた。

「へ、陛下!?」

「ユーリ。お前もでかくなったよなぁ。俺がじじいになる訳だ」

「お戯れはおよしください」

「いいじゃねぇか。こうしてお前の頭をもふれるのも、今日が最後なんだから」

「お願いですから陛下、そのような。グレイ様もノエル様も……」

 必死な声色で訴えたユーリは、救いを求めるようにグレイとノエルに視線を向ける。静かに首を横に振る二人に、ユーリは鋭く動いた。

「陛下が陛下でいてくださらないなら……!」

 一気に立ち上がり、袖口に隠し持ったナイフが空を裂く。ユーリのナイフがアルバスに届く寸前、鉛直下に叩き落とされた。

 手刀でユーリの手首を強打したグレイの手が、そのまま拘束する。ひとつ安堵の息を吐いたアルバスは、拘束されてなお狂った目で見つめてくるユーリの額に手を伸ばした。


 ユーリの額に伸ばされた指が、大きな音を立てて弾かれた。

「痛っ!」

 人差し指と親指で作った輪を弾き、少年の額の一番痛いポイントを直撃する。突然のデコピンに狂信の色を少し薄めたユーリの目を、アルバスは覗き込んだ。

「お前、なんでこんなことをしたんだ? レイがいる。エルもいる。失敗することは分かってただろう?」

「……陛下が! 陛下があんな法を強制施行するからです!」

「あれか……。本当に不評だな」

「当たり前です! どうして自ら退位などなさるのですか! 僕が望む未来は! 陛下による聖王国の統治です! これからも陛下の手で、聖王国を、王国の民を、お導きください! お願いです!」

「嫌だね」

 絶望の色を両目に浮かべる従者に、アルバスは大きくため息をついた。

 アルバスが今から施行しようとする法律。それは国家元首法と呼ばれる法律だった。国王の王権は全て、選挙で国民に選ばれた議員の中から選出された国家元首が担うものとする。元首の権限は議会の承認を得なければ行使できず、元首は議会を解散させる権限を持つ。象徴としての国王も置かず、全てを民の手に委ねる。諸外国では今後、血と革命により獲得されるであろう政治機構を、国王自ら権力を手放して無血で構築しようという法律だった。

 それは、アルバスが政治の第一線から退き、国政から離れることを意味していた。

「んな目をするなよ。俺だって大した事できてねぇのに、俺の跡継ぎが愚王だったらどうすんだ?」

「殿下が愚王になるはずがありません!」

「んなの、わかんねぇだろうが。例え俺の息子が賢王として立ったところで、その次は? そのまた次は? 俺の父王は聖王国を徹底的に荒らして死んだが、アレが再来しないと誰が言える?」

「ですが!」

「いつまでも、俺に全責任をおっ被せてんじゃねぇよ」

 低く鋭い声に、侍従は思わず頭を上げた。子犬のように怯えた目に、アルバスは腕を組んだ。

「どいつもこいつも、俺一人に責任被せやがって。ちったぁ自分の頭で考えろ。なぁレイ、エル?」

 ユーリから視線を外したアルバスは、体を乗り出すと二人に声を掛けた。

「……」

「……」

 何も言えない二人に、アルバスはため息をつく。彼らの忠誠と献身は有り難いし、これまで何度助けられたか、数え出したら指がいくらあっても足りない。だが、アルバスは自分の信念を曲げるつもりはなかった。

 無言で嘆願する二人から目を逸したアルバスは、机の上に置かれたマグリアの花冠を見た。淡い紫色の花の香りはかぐわしく、湖畔で作った花冠を思い出させる。

「……知ってるよな? 誕生日にマグリアの花冠を被って願い事をすれば、一つだけ願いは叶うんだと。俺は昔、母の病気を治したくて昔のグレイとノエルと一緒に、無理してマグリアの花冠を作りに行ったんだ」

 今思えば、おじい様が怒るのも無理はない。ここにいるユーリが自分のために同じことをすれば、おじい様以上に怒るだろう。だが、あの時は真剣だった。真剣に母の病気を治したくて、友達になった二人に協力を仰いだ。

 そして受け取った、母の願い。あの出来事が、その後のアルバスの人生を決定づけた。

「母の願いは、『俺が望む未来を叶えられますように』だった。その願いはな、俺の中では絶対のものだ。王位を継ぐ羽目になった時も、それだけは守ると誓ったんだよ。例えそのために殺されるってんでも、本望だろ?」

「ではお伺いしますが、アルバス様が望む未来とは何ですか?」

「もう一度、きちんと話して頂戴」

 辛うじて問いかける二人の声に頷いたアルバスは、年若いユーリの目を覗き込む。涙に濡れた目が、本当に子犬のようだ。これが、今の聖王国民の代弁者なのだろう。響く声がそれを示している。だが誰に何を言われようと、例え斬首されようと、アルバスは自分の願いを覆すつもりはなかった。

「俺はな。俺の周りにいる連中には笑っていて欲しいんだよ。幸せになって欲しいんだよ」

「僕の幸せは、陛下と共にあることです! 陛下の治世を支え、陛下と共に働きたいのです!」

「それが叶わねぇなら、殺しちまおうってか? それは短絡すぎってもんだ。ーー今回のお前の行動、本当にお前自身が望んだことか? 誰かに唆されたり思い込まされたりしてねぇか?」

 アルバスの問に、ユーリは口を噤む。思い当たる節があるのだろう。迷うように視線をさ迷わせる侍従の頭を、アルバスは軽く叩いた。もふもふのくせ毛が、子犬のようだ。これからの聖王国を作るのは、彼らだ。

「自分の頭で考えて、自分の心で感じて、自分の足で行動しろ。最後に物を言うのは行動だがな、そこに至るまでに誰かの思い通りにさせられてねぇか? 他人の気持ちと自分の気持をまぜこぜにしてねぇか? よく考えるんだ。でなけりゃ、幸せなんて訪れねぇんだよ」

「幸せ……」

 言い切ったアルバスは、窓の外を見た。聞こえてくる国民の声。時にアルバスを苦しめ、何度見放してやろうかと思ったことか。だが、やはりアルバスは彼らに幸せになって欲しい。笑顔でいて欲しい。それが、偽らざる「アルバスのやりたいこと」の一つだった。そのための障害は、何であれ取り除く。例えそれが己の王位だったとしても。

「これからの聖王国に、王様はいねぇ。お前たちが選んだ元首が、お前たちを統治する。選挙も投票も、議員の選出で慣れたモンだろう?」

「ですが、そうして選ばれた元首が愚か者だったらどうするんですか? やはり先王のように、国をダメにしてしまうかも知れませんよ」

 静かなグレイの問に、アルバスは肩をすくめた。

「気に入らなきゃ首をすげ替えろよ。それでもダメなら、潔く滅びろ。そのための制度だろうが」

「確かに、国家元首法には元首の不信任決議も含まれてるわね」

「さすがエル。よく読み込んでるじゃねぇか」

「草案を作ったのは私だもの」

「せんきゅーな」

 仕方がない、というように微笑むノエルに手を振ったアルバスは、改めて侍従に向き合った。

「国王って奴は、お前たちが選んだ訳じゃねえ。血筋だけで選ばれた人間が国王やって国を滅ぼすだなんて、やってられねぇだろ? 救いはねぇわな。だけどよ、お前たちが選んだ元首が馬鹿やって国を滅ぼすんなら、それはお前たちの責任だ。自分で感じて、自分で考えて、自分が選んだ元首なんだから、仕方ねぇ一緒に滅びろ。それが嫌なら首をすげ替えろ。国王にそれをしようと思ったら、たくさんの血と戦火と、混乱を経なきゃならねえ。それは涙しか産まねぇ。分かるな? ーー俺はな、国王なんかやりたくねぇんだよ」

 何も言えないユーリに、アルバスは独り言のように続けた。

「国王なんかやりたくねえ。政治なんかまっぴらごめんだ。俺は自由気ままに、旅をしたいんだよ。日銭でも稼ぎながら色んな場所に行って、色んな景色を見てぇ。あの日見たマグリアの花畑や、空から見た湖畔の町みてぇなワクワクする景色を見てぇんだ」

 脳裏に浮かぶのは、あの日見た光景。もしもアルバスが王位を継承しなければ、世界中を旅して回る旅人になっただろう。行商でもして日銭を稼いで、世界中を旅して回る。

 なんと心が沸き立つことか。

 だが、運命はアルバスを王位へと導いた。

「あの時、俺が継がなきゃ国は滅んでいた。そうしたら皆が泣く。皆が泣くところも見たくねぇ。だから王位を継いだんだ。だが国王なんかまっぴらごめんだ。これは今も変わらねぇ。だから、俺は権力を得たんだ。誰にも文句を言わせねぇ権力で、大多数が泣かねぇ強い国を作った。議会を作って代表者同士で物事を決める仕組みも作った。今俺の仕事は書類にサインする事だけだ。今日、この日、王位から心置きなく降りるために、俺は頑張ってきたんだ」

 静かに涙を流し続けるユーリの頭を、もふもふと叩く。アルバスは手に入れた絶対的な権力を持って、やりたいことをやる。それが権力者の醍醐味というものだ。

「泣くなよ。お前たちならできる。この国を、お前たちの心と、頭と、体で、いい方向に導いていけるさ。お前の処分は司法に任せるが、俺の希望としちゃ、お前には立ち直って欲しいよ。俺がいない聖王国を任せられるのは、お前たちなんだからな」

 静かに言いきったアルバスは、杖を手に立ち上がった。机の上にあるマグリアの花冠を無造作に頭に乗せる。今日はアルバスの誕生日。誕生日にマグリアの花冠を被って願い事をすれば、一つだけ叶うという伝説。

 一歩ずつ歩みを進める。グレイが、ノエルが、臣下達がそれに続く。

 失った左足も、光を映さない右目も、全てが愛おしい。

 ここまで長い道のりだった。長年アルバスを迎えてくれた執務室も、これが最後の見納めだ。

 国民の声が聞こえる。アルバスの退位と新しくできる国家元首法の撤回を求める声が響く。自分はなんて、幸せなのだろうか。

「俺は、自分がやりたいようにやってきただけ、なんだがなぁ」

 ぽつりと呟いたアルバスは、執務室を振り返り、ひらりと手を振る。

「じゃあな」

 執務室の扉が閉じ、バルコニーの扉が開く。

 最後の聖王を迎える国民の声に、アルバスは両腕を広げた。


 この日。

 強行施行された国家元首法により聖王の座を退いたアルバスは、湖畔に居を移した。

 その後も国の行く末を見守り続けたアルバスは、新しい国が軌道に乗るのを見届けるとふいに姿を消した。

 旅に出たとも、暗殺されたとも噂されたが、確かなことは何も分からなかった。

 聖王アルバスが残した国と制度は、その後続く世界の動乱期を乗り切り、聖王国の民を守る原動力となった。

 己の心が感じたことを、己の頭で考え、己の手と足で実行する。

 誕生日にマグリアの花冠を被り願い事をすると、一つだけ叶えてくれる。

 アルバスの残した意思とこの風習は、その後永きに渡って継承されていくのだった。

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