◇忘却のガンダルヴァ
●
吹きすさぶ
辺りは一面の銀世界だ。
だが、その白さは雪によるものではない。
塩の結晶が
荒野は巨大なクレーター状の地形をなしている。広く浅い、盆地の姿がそこにはあった。そして、底へ進めば進むほどに、堆積する塩の量は増しているように見えた。
中心部には遺跡と思しき
《冬の城》と呼ばれる古代遺跡の姿だった。
遥か太古の時代――この世界を統べる神に叛逆したとされる、一人の魔術師が築き上げた城であり、その成れの果てでもあった。
魔術師の名はガンダルヴァ。
神から預かり受けた
「……で、俺に命ぜられたのが、その〈アーティファクト〉の回収というわけだ」
一人呟く男が遺跡の前に佇んでいる。長身の
青年と言っていいぐらいの年齢だろうか。若々しい肉体を
男は名をシルヴァという。一介の旅人、あるいは冒険者というべきか。
どこか
全体的に地味な身なりの男ではある――が、一点、その首には、鮮血で染め上げられたような色のマフラーが巻かれていた。風にたなびくそれは、銀世界においては目立ちすぎるほどである一方、ある意味では釣り合いの取れた旅装にも見えた。
だが、シルヴァは鬱陶しそうにそれを払うと、
「この邪魔っ気な首輪とも、早くおさらばしたいものだぜ」
吐き出されるのは苦々しい悪態。
うんざりしたような表情がそこにはあった。
「――確かに。これはそなたを縛る
瞬間、蔑むような声がした。
振り返れば、いつの間にか一人の少女が背後に立っている。たおやかな肢体を申し訳程度の布で覆った露出度の高い
「……またお前か」
「その言い方はないであろう? 我も神のご命令でなければ、わざわざ好んでこんな下界くんだりまでやってきたくもない。女神である我がこうやって監視してやっているのだ。少しはありがたく思え」
「……」
「おまけに何だこの場所は。大気中の塩分濃度が高くて、自慢の髪が傷みそうだ」
女神を名乗った少女は、いやに芝居がかった仕草で己の長髪を摘むと、軽くねぶってみせた。口ぶりから察するに、神の使い――という立場らしい。
「ふん、お前の髪など俺の知ったことか」
「ほう? 随分な口をきくじゃあないか。我の機嫌を損ねればどうなるか……知らぬそなたではあるまい?」
少女はそう言うと指を鳴らす。すると、シルヴァの首に巻かれたマフラーがギリギリと音を立てて、彼の頚椎を締めあげ始めた。どうやら何かの魔術的アイテムであるらしい。少女の言う「枷」とはこのことを指しているらしかった。
「ぐッ……よせ……」
うめき声を上げるシルヴァ。
瞬く間に呼吸が阻害され、意識が飛びそうになる。
これこそが、神が青年を縛り付けるために施した一種の魔術であり――その効能だった。呪具と言ってもいい。
だから、外してどこに逃げようが、これは必ず追ってきて青年の首を締め上げるのだ。言ってみれば神にとっての『アリアドネの糸』のようなものでもあった。ゆえに、必携することをを余儀なくされている。
「わ、わかった……わかったから縛りを解除してくれ……」
息も絶え絶えなシルヴァはそう言って
「ふん」
少女が鼻を鳴らすとマフラーの締め付けが緩まった。
これがある限り、シルヴァはかれらの言いなりで居続けるしかない。その代行者である女神の言うがままでもある。それというのも――
「ご先祖が神様に叛逆したからと言って、そのツケを何で子孫の俺が払わにゃならんのだ?」
「神はこうおっしゃる。『先祖の罪は、その末代にまで及ぶものである』と」
「くそ、厄介な先祖をもったばかりにこのザマかよ」
シルヴァを捕らえているものは、先祖である魔術師・ガンダルヴァと神の因縁だった。
「ふふ。それだけ憎まれ口がきけるなら問題はないな。さ、早く〈アーティファクト〉を回収せよ。それがそなたの役目だ。存分に励めよ」
少女は面倒臭そうに呟いた。
対するシルヴァは呼吸をととのえつつ、
「……例の〈アーティファクト〉はこの奥だという。それは間違いないな?」
「ああ、女神である我は嘘をつかぬ」
嘘か。確かにその通りだ。
だが、そんなことはどうでもいいことだともシルヴァは思っている。今は一刻も早く、
「取り出すだけなら容易なことだが……」とシルヴァ。しばし首を捻る。「何せこの遺跡は、ご先祖の張った魔術結界とやらで『宝を持ち出そうとすれば、そいつはたちまち塩の柱になっちまう』という厄介な仕掛けが施されていると来た」
そう言って遺跡の外を見やった。
確かに、と女神も頷く。
そう、クレーター外周に向けて広がる塩の荒野とは、これまでに盗掘を試みた冒険者たちの成れの果てだった。大半は崩れてしまっており、原形をとどめるものはごくわずかだ。
その数は計り知れない。
皆、結界のことも知らずにここを訪れ、同様の末路を辿ったのだろう。
「策はあるのか?」と女神。
「任せておけ」
シルヴァはそう言って、おもむろにマフラーを外し始めた……。
●
「ふふん、まさかあのような方法で
「ま、これで晴れて俺も自由のご身分というわけだ」
感嘆する女神にシルヴァはニヤリと笑いかけた。
その手の中には
これが魔力の源泉、
「……」
シルヴァがとった手段は、ごく簡単なものだった。
己を縛り付けるマフラーをわざと外し、それを
「よく思いついたというか、あるいは我が
「あのマフラーは神にとっての『アリアドネの糸』だぜ。そもそもが奴のとこに繋がってたんだ。つまるところ、必然的に神が
あの野郎、案外向こうで塩の柱になってたりしてな! そう言って笑うシルヴァ。いやはや、まったくご先祖様万々歳だぜ……。
青年はそう言うと荒野の彼方へ姿を消す。その
そして風が強く吹いた。
空の一角に、一枚のマフラーがたなびいたような気がしたが、もちろん彼らは気にもとめなかった。
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