◇忘却のガンダルヴァ

 吹きすさぶ寒風かんぷうが荒野を枯らしてゆく。

 辺りは一面の銀世界だ。

 だが、その白さは雪によるものではない。

 塩の結晶がおおい尽くす、荒涼とした大地の姿だった。


 荒野は巨大なクレーター状の地形をなしている。広く浅い、盆地の姿がそこにはあった。そして、底へ進めば進むほどに、堆積する塩の量は増しているように見えた。


 中心部には遺跡と思しき尖塔せんとうが、半ばかしいだ状態で持ってそびえ立っている。ガッサニガ建築様式と呼ばれる古代の施工法で築かれた城塞跡だと分かる。塩分を多く含んだ寒風によって、その壁面は浸食されきっていた。


《冬の城》と呼ばれる古代遺跡の姿だった。

 遥か太古の時代――この世界を統べる神に叛逆したとされる、一人の魔術師が築き上げた城であり、その成れの果てでもあった。



 魔術師の名はガンダルヴァ。

 神から預かり受けた宝具アーティファクトでもって、その魔力を世界に誇示し、最終的には莫大な財宝をとみとして蓄えたとも言われている。いずれにせよ、遠い時代の言い伝えではある。


「……で、俺に命ぜられたのが、その〈アーティファクト〉の回収というわけだ」


 一人呟く男が遺跡の前に佇んでいる。長身の偉丈夫いじょうぶだ。

 青年と言っていいぐらいの年齢だろうか。若々しい肉体を藍色あいいろの外套に包んでいる。荒れ果てた原野を旅してきたためか、寒風に晒され続けた肌は荒れ、どこかいわおのような風貌を魅せつけてもいた。


 男は名をシルヴァという。一介の旅人、あるいは冒険者というべきか。

 どこか茫洋ぼうようとした表情とは裏腹に、そのまなざしは猛禽もうきんのように鋭い。武器のたぐいは携行していないが、羽織った外套の隙間からは、鍛え上げられた双腕が覗いてもいた。


 全体的に地味な身なりの男ではある――が、一点、その首には、鮮血で染め上げられたような色のマフラーが巻かれていた。風にたなびくそれは、銀世界においては目立ちすぎるほどである一方、ある意味では釣り合いの取れた旅装にも見えた。


 だが、シルヴァは鬱陶しそうにそれを払うと、


「この邪魔っ気な首輪とも、早くおさらばしたいものだぜ」


 吐き出されるのは苦々しい悪態。

 うんざりしたような表情がそこにはあった。


「――確かに。これはそなたを縛るかせに他ならぬのだからな」


 瞬間、蔑むような声がした。つやっぽい女の声だ。

 振り返れば、いつの間にか一人の少女が背後に立っている。たおやかな肢体を申し訳程度の布で覆った露出度の高いむすめだ。加えて射干玉ぬばたまの黒髪が眩しい。何者なのか。



「……またお前か」

「その言い方はないであろう? 我も神のご命令でなければ、わざわざ好んでこんな下界くんだりまでやってきたくもない。女神である我がこうやって監視してやっているのだ。少しはありがたく思え」

「……」

「おまけに何だこの場所は。大気中の塩分濃度が高くて、自慢の髪が傷みそうだ」


 女神を名乗った少女は、いやに芝居がかった仕草で己の長髪を摘むと、軽くねぶってみせた。口ぶりから察するに、神の使い――という立場らしい。


「ふん、お前の髪など俺の知ったことか」

「ほう? 随分な口をきくじゃあないか。我の機嫌を損ねればどうなるか……知らぬそなたではあるまい?」


 少女はそう言うと指を鳴らす。すると、シルヴァの首に巻かれたマフラーがギリギリと音を立てて、彼の頚椎を締めあげ始めた。どうやら何かの魔術的アイテムであるらしい。少女の言う「枷」とはこのことを指しているらしかった。


「ぐッ……よせ……」


 うめき声を上げるシルヴァ。

 瞬く間に呼吸が阻害され、意識が飛びそうになる。

 これこそが、神が青年を縛り付けるために施した一種の魔術であり――その効能だった。呪具と言ってもいい。


 だから、外してどこに逃げようが、これは必ず追ってきて青年の首を締め上げるのだ。言ってみれば神にとっての『アリアドネの糸』のようなものでもあった。ゆえに、必携することをを余儀なくされている。


「わ、わかった……わかったから縛りを解除してくれ……」


 息も絶え絶えなシルヴァはそう言って懇願こんがんする。


「ふん」


 少女が鼻を鳴らすとマフラーの締め付けが緩まった。

 これがある限り、シルヴァはかれらの言いなりで居続けるしかない。その代行者である女神の言うがままでもある。それというのも――


「ご先祖が神様に叛逆したからと言って、そのツケを何で子孫の俺が払わにゃならんのだ?」

「神はこうおっしゃる。『先祖の罪は、その末代にまで及ぶものである』と」

「くそ、厄介な先祖をもったばかりにこのザマかよ」


 シルヴァを捕らえているものは、先祖である魔術師・ガンダルヴァと神の因縁だった。


「ふふ。それだけ憎まれ口がきけるなら問題はないな。さ、早く〈アーティファクト〉を回収せよ。それがそなたの役目だ。存分に励めよ」


 少女は面倒臭そうに呟いた。

 対するシルヴァは呼吸をととのえつつ、


「……例の〈アーティファクト〉はこの奥だという。それは間違いないな?」

「ああ、女神である我は嘘をつかぬ」


 嘘か。確かにその通りだ。

 だが、そんなことはどうでもいいことだともシルヴァは思っている。今は一刻も早く、おのれに課せられた使命を全うせねばならない。何が悲しくて神の言いなりにならねばならないのか……。世の中とはまこと、理不尽なものなのだ。


「取り出すだけなら容易なことだが……」とシルヴァ。しばし首を捻る。「何せこの遺跡は、ご先祖の張った魔術結界とやらで『宝を持ち出そうとすれば、そいつはたちまち塩の柱になっちまう』という厄介な仕掛けが施されていると来た」


 そう言って遺跡の外を見やった。

 確かに、と女神も頷く。

 そう、クレーター外周に向けて広がる塩の荒野とは、これまでに盗掘を試みた冒険者たちの成れの果てだった。大半は崩れてしまっており、原形をとどめるものはごくわずかだ。


 その数は計り知れない。

 皆、結界のことも知らずにここを訪れ、同様の末路を辿ったのだろう。


「策はあるのか?」と女神。

「任せておけ」


 シルヴァはそう言って、おもむろにマフラーを外し始めた……。





「ふふん、まさかあのような方法で宝具アーティファクトを持ち出すとはなあ」

「ま、これで晴れて俺も自由のご身分というわけだ」


 感嘆する女神にシルヴァはニヤリと笑いかけた。

 その手の中には褐色かっしょくの石ころが一つ、握られている。

 これが魔力の源泉、宝具アーティファクトだと女神は言うのだが、だからどうしたという思いではある。まぁ、古物商にでも売り払えば当面の扶持ぶちには困るまい。


「……」


 シルヴァがとった手段は、ごく簡単なものだった。

 己を縛り付けるマフラーをわざと外し、それを宝具アーティファクトに結びつけたのだ。その後、自分は《冬の城》から脱出する。あとは宝具アーティファクトが結ばれたマフラーが自動的に追ってくるのをクレーターの外で待てばいい……。


「よく思いついたというか、あるいは我があるじが浅はかだったというべきか」

「あのマフラーは神にとっての『アリアドネの糸』だぜ。そもそもが奴のとこに繋がってたんだ。つまるところ、必然的に神が宝具アーティファクトを持ち出したことになるから……」


 あの野郎、案外向こうで塩の柱になってたりしてな! そう言って笑うシルヴァ。いやはや、まったくご先祖様万々歳だぜ……。


 青年はそう言うと荒野の彼方へ姿を消す。そのあとを女神がついて行く。

 そして風が強く吹いた。

 空の一角に、一枚のマフラーがたなびいたような気がしたが、もちろん彼らは気にもとめなかった。

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