(仮)の夫婦になることが、彼女にとっては僕に【ざまぁ】をしていることらしい。おい、それは溺愛じゃないのか?
神伊 咲児
仮初め夫婦
自分の言った言葉には責任を持たなけらばならない。
まさか、こんなことになるとは思いもよらなかった。
眼前には食欲をかき立てる豪華な料理が並ぶ。
ああ、本当に後悔しかない。
あの時は、ただの喧嘩のつもりだったのだから────。
僕はクラスでも目立たない。どちらかといえば陰キャな方で、群れるより1人でいる方が好きなタイプだ。
名前は、
父親が、偉くて利口な人間になるようにとつけてくれた。
ご立派な名前だが、お陰様で、屁理屈ばかり捏ねる人間になってしまったと思う。
まぁそれでも、そんな自分が自分らしいと思っているので気分良く生きているつもりだ。
16歳の秋。
夏休みが終わって、クラスのみんなはそれぞれの友達グループができて賑わっていた。
僕は当然のごとく、誰とも話さないなのだけれど、そんな男に声をかける者がいた。
「あら角馬くん。またお1人様かしら?」
嫌味たっぷりで聞いてくるのは、
クラスメイトなのだが、彼女は謂わばクラスカースト上位層の人間。
可愛くて陽キャ。頭がよくてスポーツ万能。少しギャルっぽいが黒髪で、サラサラの長髪。全体から醸し出すのはお洒落な雰囲気だ。
それで、僕はそんな彼女に目をつけられてしまったらしく、毎日のごとく嫌味を言われ、クラスの笑いものにされているのである。
目をつけられたのは二学期が始まってからだった。
きっかけはよくわからない。とにかく、僕を虐めることが、彼女のトレンドらしい。
「あはは。童貞の臭いがプンプンするんですけどぉおお! アハハハ!」
下品な女だ。
見た目は100点だが、内面はマイナス100点だな。嫌いな人種と言っていい。
クラスのみんなは彼女の作る空気に乗っかかる。
最も楽しんでいるのはギャルっぽい女連中である。
「ちょっとぉ嶺愛。言い過ぎだってぇ。確かにそんな臭いはプンプンだけどさぁ」
「キャハハハ! 嶺愛の表現ウケるぅうう!!」
「角馬って、マジで童貞ぽいもんなぁ」
僕は無視をしていた。
言わせておけばいい。その内、鎮まると思ったからだ。
ところが、白江の煽りは止まることがなく。
1週間も続くと、僕の方がキレた。
「いい加減にしろ! 僕になんの恨みがあるんだ!?」
僕が机をドンと叩くと教室は騒めく。
「おい、角馬がキレたぞ」とみんなはボソボソと話した。
「あら。威勢がいいんだね。童貞くん」
やれやれ。
こんな女と言い合いしたってなんの得にもならんがな。
「お前は処女じゃないのか?」
「………」
彼女は黙り込んだ。
そもそも、高校生の初体験を笑い物にするのがおかしいんだ。なにせ、ほとんどの男子生徒が童貞に決まっているのだからな。
まるで自分たちが大人で、そういうことは既に済ましているといった雰囲気だ。
なら、聞いてやるよ。
クラスメイトに宣言すればいいさ。
自分が処女じゃないってな。
「………」
しかし、彼女は面食らったように黙った。
さては、俺が反撃するとは思わなかったようだな。
ふふん。
この問題は非常にナイーブなんだ。
処女であろうとなかろうと、自分の貞操観念を教室に知らしめることになるのだからな。
既に捨てているとなっても、わざわざ宣言するのは下世話だろう。それに、処女であるならば、僕にしていた罵倒が無意味なことになる。
さぁ、答えてみろ。
僕はどちらの答えでも問題はないんだ。
貴様を地の底に落とし込んでやるよ。
「……セクハラね。犯罪だわ」
ほぉ。そう来たか。
明確の答えは避けた。
つまり、どう答えても自分に不利なのを悟ったようだな。
よって、論点をすり替えて、反撃と防御に出たんだ。
やれやれ。
犯罪というマウントを取りに来ているが、お前が不利なのは明白なんだよ。
文脈の整合性が破綻していることに気づかない愚か者め。ならば乗ってやる。
僕は貴様の土俵でも常に優位に立てるのだからな。
僕に喧嘩を売ったことを激しく後悔させてやるよ。
「その言葉をそっくりそのままお前に返してやる。セクハラは男でも成立するのだ。お前の発言は名誉毀損、もしくは侮辱罪に該当する」
「……証拠があるの?」
「何?」
「動画か音声。録ってないでしょ? 証拠がないんじゃ証明できないわね」
「他の生徒から証言を取ればいいだろう」
「上手くいくかしら? みんなは私の味方よ。口を揃えて「言ってない」と証言してくれるでしょうね。残念だけどあなたに味方はいないのよ」
ほぉ。味方ときたか。
確かに僕はボッチだからな。
だが、甘い。
「偽証罪だな。虚偽の証言は有罪なんだ。お前のために罪を背負うのか? そこまで人望が行き渡っているとも思えんがな。嘘の証言をしてくれるのはせいぜい仲の良い友達までだろう」
「……め、目線がいやらしいわ」
「なんだと?」
「君の目線は、いつも私の胸を見ているわ。そ、それってもうセクハラじゃない!」
やれやれ。次から次だな。
とにかく僕をやりこめたいらしい。
しかし、胸を見ているとは中々の攻撃だ。
褒めてやる。
事実の指摘こそが最大の攻め手なのだ。
そもそも、コイツが大きい胸をしているからいけないんだ。
それに、勝つのは簡単だ。彼女が言ったこと同様、動画の証拠を求めれば論破できるのだから。
あくまでも、胸が見られて困っているのはコイツの主観にすぎん。
つまり、動画などの明白な証拠を求めることで簡単に論破ができてしまうのだ。
がしかし、それでは能がなさすぎるだろう。
なにせ、動画の件は既出の案件だからな。
僕は同じことを言うのが嫌いなんだ。
「いいだろう。認めてやる。僕はお前の胸を見ていた」
彼女はここぞとばかり口角を上げた。
「ほら見なさい! 正体を表したわね! このセクハラ男!」
「しかし、そんなことはクラスの男子なら半数以上がしていることだ。君はクラスの中ではトップクラスの美貌だからな!」
「な……!?」
白江は頬を染めた。
「僕1人が罪を背負うならば、他の生徒にも罪が波及するだろう」
僕は集まっている男子らを睨みつけながら、
「お前たちはセクハラで罪人になりたいのか?」
そう言うと、彼らはすかさず目を逸らした。
やれやれだ。
普段から、コソコソと「白江っておっぱいデカいよな。たまんねぇ」と噂しているのは知っているんだ。というか、他のクラスの男子までもが言っているほどだ。
よって、僕1人に彼女の胸を見ていたことの罪を背負わすのは不可能なのだ。
「わかったか? これが現状だ。大きな胸を見られたくないのなら甲冑でも身につけることだな」
「……か、甲斐性なし」
ん?
「どういう意味だ?」
「甲斐性がない。頼りない男だと言ったのよ!」
やれやれ。
無謀な攻撃だなぁ。
少し興が削がれるが、他視点からの指摘攻撃は評価してやろう。
「高一の男に甲斐性を求めるのか?」
「そうよ。男は高校生にもなれば頭角が現れるんだから! あなたは一生、日陰でウジウジしてる陰キャよ!」
「陰キャで悪かったな。だからといって甲斐性なしにはならんだろう」
「アハハ! なるわよ。どうせ生涯、結婚なんてできないんだから!」
おい、そこは結構的確な指摘じゃないか。大ダメージだ。
僕は、生涯ボッチだと自覚しているのだからな。
こんなひねくれた性格で彼女なんてできるわけがないだろう。
これは一気に窮地に立たされたぞ。
しかし、否定はしておこう。
未来というのは常に不確定なモノだからな。
「そんなことはわからないだろう。超能力者じゃあるまいし、普通の人間に確実な未来は予見できないさ」
「アハハハ! わかるわよ! あなたは1人の女も幸せにできないのよ! 一生童貞よ!」
やれやれ。
窮地に追い込まれたな。
だが、未来が予見できないのは周知の事実なのだ。
本来ならば、この不確定事実を突き詰めるべきであった。
しかし、同じ解答をするのは愚かな行為である。加えて既存の情報を繰り返すことほど無駄な時間はないだろう。よって、返答を変えた。
ああ、これが僕のミスなのだ。
「女の1人や2人、幸せにできるさ」
これが始まりであった。
「じゃあ、私があなたの妻になったら幸せにできるのかしら?」
「ああしてやる! お前の1人や2人。余裕だ!」
「アハハハ! 童貞の癖に!!」
「うるさい! 蒸し返すな!」
結局。
この言い合いは果てしなく続いた。
僕も白江も一歩も譲らなかったのだ。
最後の方は彼女の童貞推しの罵倒にイラついていた。もっとボキャブラリーはないのか? 多角的に相手を蹴落とす手法を身につけて欲しいものだ。
ああ、僕が少しでも大人になって、このバカ女の戯言をスルーしていれば、こんなことにはならなかったのだ。
本当に後悔しかない。
その日。僕はいつものように図書館に寄って家に帰った。
大好きな本を読んで気持ちを落ち着かせる。
これは人生を有意義に過ごす、最も効率のいい手法だ。
両親は外国で働いている。
僕は仕送りをもらいながら、格安のアパートを借りて過ごしていた。
そこは2階建て。
僕の部屋は202号室。
いつものように、ボロボロの階段を登り、扉の前に行く。
手にはコンビニで買った弁当をぶら下げて。
ふと、鰹出汁のいい匂いが鼻に入った。
ああ、お隣さんはお味噌汁でも作っているのかなぁ。
などと、温かい食卓を想像しながら扉を開けた。
「あ、お帰りなさい。ご飯できてるわよ」
え?
し、白江!?
「なんでお前が、僕の部屋にいるんだ?」
「え? だって、幸せにしてくれるって言ったじゃない」
はい?
「なんのことだ?」
「学校で言った言葉を忘れたの? 私の1人や2人。幸せにできるって言ったわよね?」
「お前は詭弁という言葉を知らんのか?」
「あら、嘘だったの?」
「感情論に流されたと言ってくれ。僕だって正確な判断が鈍る」
「私に押されていたからね」
「それはお前のことだろう。同じことの繰り返し。罵倒にもバリエーションを持て!」
「何よ。敵に塩なんか送って」
「お前が能のない煽りをしてくるからだ。僕に戦いを挑むのなら、それなりにレベルを上げてから来い。アリアハンからやり直せ」
「な、何よそれ!? 私はチャーハンしか知らないわよ!」
ああ、面倒くさい。
コイツと話すとすぐに喧嘩なんだ。
とにかく、
「どうやって入った?」
「一階に大家さんがいるじゃない。その人に角馬くんの姉ってことにして、この部屋を開けてもらったのよ」
「はぁ?」
「同じ高校の制服だったからすんなりと受け入れてくれたわ。あ、あと弟を呼ぶように「偉利の姉です」って言っといたから安心してね」
どこに安心できる要素があるんだ?
「お前、不法侵入じゃないか」
「人聞き悪いわね。何も盗ってないわよ。それに、部屋を片付けて夕食を作る侵入者がいるのかしら?」
そういえば、部屋が随分と綺麗になっているな。散乱していたラノベが本棚に収納されている。輝いて見えるぞ。
「パソコンも散らかってたからさ。綺麗にフォルダに入れといたからね」
「は!? お前、パソコンまで触ったのか!?」
「うん。片付けの一環ね」
「余計なことを!」
と、パソコンを立ち上げると、デスクトップがスッキリ整頓されていた。
確か、ダウンロードした動画がデスクトップに散乱していたはず。
し、しかも、絶対に他人には見られたくない動画だ。
こ、こんなことならロックをかけておくべきだった。1人暮らしだから油断した。
「……お前、どういうつもりなんだ? もしかして嫌がらせの延長でこんなことをしているのか?」
「……そうかも」
タチが悪い!
「いくらなんでもやり過ぎだろ!」
「だって、私を幸せにしてくれるって言ったもん。自分が言った言葉には責任を持ってもらわなくちゃ困るわ!」
「困るのは僕だ! それに学校で言った言葉は────」
詭弁なんだ。
と、言いたいが、これはさっき伝えてしまった。同じことの繰り返しは避けたい。
「……目的は? 本当の目的はなんだ? 単なる嫌がらせでここまではしないだろう?」
「私、あなたの妻になろうと思うの」
「はぁーー?」
「勿論、仮の夫婦よ」
「どっちでもいい。お前が僕の妻になるのが問題なんだ。そんなことをしてどうなるんだ?」
「君が、本当に私を幸せにできるのか確かめたいのよ」
「……お前、もしかて、僕に勝とうとしてるのか?」
「そうよ。君が、本当に有言実行できるのか確かめたいの。できなかったらあなたの負けね」
「負け?」
「そ! その時は土下座してもらうわ」
「なんで僕がそこまでやらないといけないんだ?」
「自分が言った言葉の責任を取って欲しいだけよ。それに、あなたが苦しんでいる姿は滑稽だもの」
悪魔だ。
ああ、激しく後悔する。あんな言葉、言うんじゃなかった。
しかも、どう考えてもやり過ぎだろう。いくら僕を苦しめるとはいえ、16歳の女の子が1人暮らしの男の家にやってくるなんて危険すぎる。
「これは真面目に言うのだが、親子さんがお前のことを心配するだろう?」
「それはないわね。両親は九州の方で働いていてね。私は1人暮らしなの。君の部屋に住むことなんて知らないわよ」
「……お前。自分が今どういう状況かわかっているのか? 狭い部屋で僕と2人きりなんだぞ。高校生の男子が異性に対してどういう印象を持っているのか、知らないわけではないだろう?」
彼女は真っ赤になって顔を逸らした。
「……も、勿論知っているわよ。パソコンを見たもの」
うぐぅう!
やはり、見られていた。
「帰れ! バカには付き合ってられん!」
「ふん! じゃあ負けを認める?」
「なぜそうなるんだ? そもそも勝ち負けを争論しているのではない」
「負けを認めるまで帰らないわ」
「うう……」
ダメだ。
どうすればこのバカ女に理解をさせられるんだ?
「とにかく食事にしましょうよ。お腹空いてるでしょ?」
確かに、怒った分、余計に腹が減った。
……話し合いは食後にするか。
僕専用だった小さなテーブルには2人分の食事が並ぶ。
鰹の匂い……味噌汁はこいつが作ったのか。ゴクリ。
「牡蠣フライに鰻の柳川鍋。オクラの和え物……。君の好みがわからなかったからさ。色々作ってみたんだけど……大丈夫かな?」
「別に嫌いな物はないが……。なんか変わったメニューだな」
「牡蠣と鰻とオクラは精力がつくのよ」
僕は蔑むように睨みつけた。
「精力をつけてどうする?」
彼女は真っ赤になって顔を逸らした。
やれやれ。
まぁいいか。
コンビニ弁当よりは豪華な感じがするしな。
彼女は炊き立ての白いご飯を装ってくれた。
一口食べる。
ふむ。
ふっくらと炊けている。
それでいて甘い。
味噌汁はどうだろう?
「ジュル……」
カツオと昆布の出汁が抜群だ。
おかずもいってみる。
こ、これは……。
「美味いな」
「あは! 良かった。料理には自信があるのよ」
コンビニ弁当が比較にならないな。
バカ女にも取り柄があったか。
「ねぇ、呼び方なんだけどさ。偉利くんでいいかな?」
「……じゃあ、僕は白江さんと呼ぼう」
「なんでそうなるのよ。仮にも夫婦なんだから!」
「勝手に決めるんじゃない」
「いいじゃない。仮なんだから。あなたが負けを認めれば好きなように呼べばいいわ。それまでは嶺愛と呼ぶように」
一体、なんの勝負なんだ?
よくわからなくなってきたな。
「じゃあ、嶺愛。学校での呼び方はどうするんだよ? みんな驚くぞ」
「校内では隠しましょうよ。仮の夫婦はこの部屋だけなんだから」
やれやれ。
面倒臭いことになったな。
夜になると、彼女は布団を敷いた。
花柄の布団は彼女の物だ。
「お前、布団まで持ってきたのか?」
「生活用品を一式ね。ここで暮らすんだもん」
「お前、本気か? 僕を信用しているようだが、僕だって男なんだぞ?」
彼女は全身を赤らめた。
「わ、わかってるわよ……。パソコンを見たし」
「ぬぐ……」
「でも参ったな……。旦那様は胸の小さい子が好みなんだよね」
「はぁあ!?」
「生意気なメスガキをわからせるのがいいのか……」
「おい!」
「困ったな。私は胸が大きい方なんだ」
「いい加減にしないと本当に追い出すぞ。秋の夜は寒いんだ」
「あはは。おやすみーー」
はぁ。
疲れたぁ……。
こいつ、本当に僕の家に居座る気だ。
照明を消すと、部屋の中は月明かりだけとなった。
「ねぇ、偉利くん」
「なんだよ?」
「夫婦なら……同じ布団で寝てもいいよね?」
と、にじり寄ってくる。
「追い出すぞ」
「へへへ。じゃあ……。手を握ってよ」
「……何、言ってんだよ?」
「だってぇ……。私たちは夫婦(仮)だもん」
「僕は認めてないぞ」
「私を幸せにできるんでしょ? あの言葉は嘘だったの?」
またそれか。
「そうやって僕を困らせて楽しいのか?」
「にへへ。それが妻(仮)の勤めです。ねぇ、いいでしょ? 手」
「ったく。それをしたらお前は幸せになるのか?」
「す、少しだけね。……本当に少しだけなんだから」
やれやれ。
真偽はどうでもいいんだ。
僕は面倒くさいだけなんだからな。
「ほら」
と布団から手を出す。
「へへへ。ありがと」
彼女の手は温かく、スベスベだった。
指は細く、か弱い。
やはり、女の子なのだ。
それに、彼女は良い匂いがする。
「い、偉利くん……。こういうのドキドキするね」
「…………」
無視だ。
うっかりチラッと顔を見てしまったが、可愛い過ぎて凝視できない。
く、悔しいがドキドキしてしまうな。
「ねぇ。学校でさ。……私に経験があるか聞いたでしょ?」
「ああ」
しかし、大体察したさ。
こんなにも大胆に男の部屋にやってくるんだからな。
きっと慣れているんだ。処女にできる行動じゃないさ。
「ないよ」
え……?
「私……。男の人と付き合ったことなんか……ないから」
信じられない。
でも、問い詰めるのも違う気がする。
「ねぇ。偉利くんはあるの? ……女の人とさ」
「お前がそれを聞くのか?」
学校では散々、童貞扱いして笑っていた癖に。
「だってぇ……。私は真剣に答えたもん」
昼間とは、まるで人が違うな。
「ねぇ。どうなの?」
やれやれ。
隠すことでもないしな。
「ないよ」
そう言うと、彼女は僕の手をぎゅっと握った。
「そう。良かった。えへへ」
「なんだよそれ」
「ふふふ。じゃあ、初めて同士の夫婦(仮)だね」
「僕は認めてないぞ」
「ふふふ」
やれやれ。
……それにしても、どうして僕にこだわるのだろうか?
彼女と接点があったのは……。
夏休みが終わった二学期の始め。
そういえば……カラオケに誘われたことがあったかもな。
あの時の彼女はブルブルと震えていたっけ。
『ね、ね、ねぇ……。か、角馬くん……。カ、カ……カラオケ行かない?』
なんだか、気持ちが悪かった。
彼女とは接点がないからな。いきなりカラオケと言われても気軽に付き合うことはできない。それに、僕が知っている歌といえば、せいぜいアニソンくらいだからな。僕が、クラスカースト上位勢の中に混じってアニソンを歌う姿が想像できないよ。
だから、
『悪いが僕はカラオケが好きじゃないんだ』
そう言って断った。
次の日からだよな。彼女が僕を虐め始めたのは。
アレが原因だったのかな?
「なぁ。白江さん」
「……むぅ」
ああ、そうだった。
「嶺愛」
「にへへ。なぁに、偉利くん?」
「お前が僕を恨んだのってカラオケが原因かい?」
「そんなわけないじゃない」
即答だな。
そんなわけないのか?
「じゃあ、なんでこんなに僕にこだわるんだよ?」
「…………ひ、秘密よ」
「なんだそれ?」
☆
白江 嶺愛は思い出す。
それは夏休みの出来事。
ドブ川で、小学生の小さな男の子が必死に何かを探していた。
それは涙目で、本当に必死だった。
彼女はそれを遠巻きに見る。
なんなら手伝ってあげようかとも思った。
しかし、流れる水は真っ黒いドブ水である。
手伝うのに躊躇する。
そこに通りかかったのが、角馬だった。
「どうした。少年?」
「バケツを落としちゃったんだ」
くだらない、本当に他愛もない物だった。
わざわざドブ川に入って探すまでもない。買い換えれば済む物である。
しかし、
「しょうがないな。僕も手伝ってやるよ」
「ありがとうお兄ちゃん」
角馬はドブ川に入って小さなバケツを見つけた。
「あったぞ。これだろ?」
「わは! ありがとうお兄ちゃん。これでママに叱られずに済むよ!」
「そうか。それは良かったな。じゃあね」
そう言って、彼は満足げに帰って行った。
嶺愛はその後ろ姿を見つめる。
彼のズボンの裾は泥水で汚れていた。
その瞬間。
彼女の体に稲妻が走った。
鼓動は早くなり、全身から汗が噴き出る。
何気ない出来事だったが、彼女は角馬に一目惚れをしてしまったのだ。
そんなことがあって、二学期の始め。
彼とどうしても会話をしたかった。
ところが、なんとか会話を試みるも全く上手くいかない。
意を決してカラオケに誘ってみるが、それもあっけなく断られてしまった。
直感で通じ合う彼女にとって、偉利の性格は真逆だったのだ。
彼との通じ合いが上手くいかないことに苛立つ。彼女の恋心は歪みに歪んで、彼を罵倒することでコミュニケーションを図ろうとしたのだ。
そうして、今にいたる。
嶺愛は幸せ一杯だった。
喧嘩はしてしまうが、それも彼女にとっては、彼と交流できる、嬉しいイベントにすぎなかったのだ。
「偉利くん……。これから、よろしくね」
「……断ってもダメなんだろ?」
「ま、負けを認めない限りね」
「お前……。僕が負けを認めなかったらどうなるんだ?」
「そ、それまではずっと一緒よ」
「本気か?」
「私たちは仮の夫婦なんだから!」
「やれやれ」
こうして、偉利の言った言葉を実現する為、仮初めの夫婦生活が始まったのだった。
おしまい。
(仮)の夫婦になることが、彼女にとっては僕に【ざまぁ】をしていることらしい。おい、それは溺愛じゃないのか? 神伊 咲児 @hukudahappy
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