21. 脅迫は、金品じゃないんだが

 拳骨をかました鈴音は、どこか不機嫌そうに歩夢を見下ろす。

 その様子を見て多少はスッキリしたのか、千秋さんは不満げな表情で席へ座りなおした。


「……次に私を侮辱したら、次会う場所が裁判所になるわよ」

「わ、悪かったですって。ちょっとからかっただけですよ」

 どこか本当に訴えかねない詩織に、歩夢は苦笑いを浮かべる。


(……勘弁してくれ、ただでさえゴリラ幼馴染に武力で制圧されてるんだ。法律で組み負けたら俺には何も残らないだろ)

 未だに震える足腰で立ち上がった歩夢は、両手で這いずりながらも椅子に座り直した。


「……にしても、恥ずかしがる千秋さんは可愛かったな」

 歩夢がそう小さく呟くと、詩織の目がくわっと開いた。


 危機感を感じた歩夢は、急いで会話を再開する。

「それで……えっと、明日俺とデートする話でしたっけ?」

「はぁ……その小さなその小さな海馬によく刻んでおきなさい。私が未来人に金銭なんて要求する訳ないでしょって話よ」


 あわよくばと考えていた歩夢だったが、残念ながら詩織の方はしっかり覚えていた。

 仕方ないので再び、詩織の説得へと話を進める。

「金品じゃないとして。もし仮にリンが未来人だったら、千秋さんは脅迫して何を要求するんですか?」


 歩夢の質問に対し詩織は深く息を吸い、ゆっくりと吐く。

 そしてジッとリンを見つめ、好奇心旺盛な子供の様に目を輝かせた。


「私が未来人に求めるモノ、それは体験よ」

「体験、ですか?」

「えぇそう、体験。それも前人未踏の体験が欲しいわ」


 ポカンと惚けるリンから視線を逸らさず、そして止まる事なく詩織は語り口を続けた。

「私はね、未来人に対するリアリティを求めているの。だって、地救上にこれまで未来人と実際に対面した人間なんていないでしょう? だからこそ、知りたいの。未来人がこの時代で何を考え、何を好み、何を忌み、何に焦がれるのか。小説にそのリアリティを出すために、私は未来人の全てを観察して、理解したいの」


 詩織の輝かせた瞳の奥に好奇心の孕んだ狂気を、歩夢は抽象的に感じ取る。

(……この人は小説を心から愛してるんだな。それも異常過ぎるほどに)


 作家魂、とでも言うべきなのだろか。しかし歩夢にそれは、純粋なそれとはあまりに歪んで見えた。


 何かを感じ取ったのか、隣で鈴音もブルリと身震いする。

「つまり千秋さんはもしも、リンが未来人なら詳しい話が聞きたいんですよね?」

「まぁそんなところね。詳しく、というところに少し語弊があるかもしれないけれど」


 これなら最悪、押し切られてもタイムパラドクスは起きないだろう。と、詩織の回答に歩夢はそっと胸を撫でおろす。


( ……待てホントに起きないか? この人なら、監禁くらいしそうな気がしてきた)

 歩夢はそっと、小さな声で隣に座るリンへ耳打ちする。

「なぁリン、お前から見て千秋さんは」


 とリンの方を振り向いて、歩夢はすぐに違和感に気が付いた。


 リンがどこか妙に力んでいる。まるで、短距離走のクラウチングスタートを構える様な。

 あまりな不自然さに歩夢が訝しげに視線を送るが、リンはブツブツと小さく何かを呟いた。


「3……2……1……せーのっ!」


 唐突すぎるほどに、リンは全力で起立した。しかもその際、左足を椅子にぶつけ勢いよく転倒。

 立ち上がった際に左足をもつれさせ、右腕は椅子にぶつけて左腕は卓上の鈴音のコーヒーにクリーンヒット。マグカップさんはその着地点をリンの頭頂部(逆さ向き)とした。


 

 まるで嵐が通り抜けたような、見事なまでの大惨事である。



「な……⁉︎ 何やってんのリン⁉︎ ねぇちょっとホント何やってんの⁉︎」


 惨劇。

 惨状。

 爆発現場。


 そんな言葉が似合う状況に、驚きのあまり鈴音は目を瞬かせる。

 

当の本人はというと、うつ伏せでコーヒーを被ったまま無言でゆっくり起き上がった。


「お、お客さま⁉︎ どうかされましたか⁉︎」

 すると轟音を聞いて駆け付けた店員さんが、焦った様子で声を掛けてきた。

  歩夢も理解が追いつかないまま、苦笑いでとりあえず店員に頭を下げる。


「すみません、コイツが転んじゃって。片付けの方は俺たちでしますから」

「いえいえ、これも私共の仕事ですので! それよりお客様方にお怪我はありませんでしたか?」

「だ、大丈夫です。ボクに怪我はありません。ですが服や体が……」


 リンの服に現代アートのごとく撒き散らされたコーヒーはあまりに多く、お世辞にも無事とは言えない。


「頭からコーヒー浴びたんだから、無理もないでしょ。ここからだと……あたしの家が近いかな。あたしの古い服ならあるし、着替えてきた方が良いかも」


 一杯のコーヒーで最大限に服を汚したリンは、申し訳なさそうに眉端を下げる。

 その様子を見て、しばらく驚いていた詩織も続けて声を掛けた。


「私だって鬼じゃないわ。未来人についての詳しい話は、その子が着替えて戻ってきてからでも構わないわよ。とにかく、家がそう遠くないならまずは着替えてらっしゃい」

「すみません、ありがとうございます」

 リンがペコリと詩織に頭を下げる。


「徒歩でもそう遠くないし、さっさと行っちゃおうか」

 そう言って会計を済ませ、コーヒーの臭いがするリンは鈴音と店の外へと出て行った。

 それを見送る歩夢と詩織。


「……あなたは行かなくていいのかしら?」

「え? だって女子が着替えに行くんですよ? 俺がいたらむしろ邪魔じゃないですか」

「こちらにいても、私にとっては邪魔なのだけれど」


 悪気のない、シンプルな言葉のナイフに歩夢は少し泣きそうになった。

 けれど折れない。なぜならこの男の名前は信乃方 歩夢。彼女を作る事に命を懸けている男だ。


「言わせないでくださいよ千秋さん。俺がここに残ったのは……千秋さんと二人きりでお茶がしたかったからですよ。そう、二人っきりでね」

 歩夢が決め顔でウインクを決めると、千秋さんは心底嫌そうに顔を顰める。


「歩夢君……別に私は貴方とお茶したくないのだけれど」

 歩夢は真顔で会計を済ませ、鈴音とリンを追いかける為に涙目で店を後にした。

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