07. 特異点とか、壮大すぎるんだが

間に合った事に安堵しながら、アリサの表情は苦笑へと変わる。

「リンは世界で唯一、タイムマシンの開発・運転が可能な天才だ。……だが同時に、人類稀に見る程に時空酔いに弱くてな」

「すごいのか、凄くないのかよくわかんないなコイツ……」

 嘔吐を続ける天才を見て、歩夢の脳内では勝手に虹色に加工され爽やかなBGMまで掛かっているのであった。

 それからアリサは作業的にソレを処理し、リンを膝枕で横たわらせる。


「……全部、本当だったんだ」

 先までの体験を整理し、鈴音はポツリと小さく呟いた。


 未来人と言われた時は正気を疑ったが、ここまで見せられたら疑いようも無い。

 2人が未来人である事も、自分がタイムマシンを体験した事も、全て紛れもない事実なのだ。

 そしてまた、目の前の顔色の悪い少女が……実の娘だという話も。


「リンが回復するまで、私達の未来について話そうか」

 再び席に着いたアリサは目を細め、粛々と説明を始める。

「未来では現在より科学技術が遥かに進歩し、様々な卓上の理論が現実になった。……その中でも歴史を揺るがす大きな発明が、天才物理学者の水原リンによるタイムマシンの発明だ」

 息を呑む歩夢と鈴音に、アリサは説明を続ける。


「タイムマシンは人類に大きな叡智をもたらした。歴史的資産物や絶滅種も調査し放題。紀元前やビックバン前など人類の到達し得ない領域の開拓が進み、新たに溢れ出た情報は大海そのものだったよ」

「? ちょっと待ってください」

 アリサの説明を聞いた歩夢は妙な違和感を感じ、首を傾げる。


「せっかくタイムマシンがあるなら、未来の技術とか貰って来ればいいんじゃ無いですか?」

「……私もそう思う。だが、残念な事に不都合があるらしいんだ」

 アリサは何かを思い出したように顔を引つらせる。


「開発者であるリンが、未来への干渉を強く否定した。理論上は可能らしいが、リンは『タイムマシンを作り上げたこの時間軸より、先の未来にダイブしてはいけない』という絶対の仕組みを確立させた。……当然、リンは開発者で運転が可能な唯一無二の存在だ。世界政府としてもそれを無視する訳にはいかない」

 アリサの言葉を聞いて、歩夢はますます首を傾げる。


「理論上は可能なのになんで未来の技術を持ってこないんですかね?」

「それが私達にも理解できない。残念ながら、そもそもタイムマシンについてリン以外の人類には理解が追いついていないのが現状だ」

 そこまで言ってアリサは力が抜けるように項垂れた。


「世界中からどれだけ優秀な学者を集めても、誰1人としてリンの言っている理論が理解出来ない。故に、タイムマシンの複製も不可能。故にリン以外、なぜ未来に行ってはいけないのかもわからない。……そもそもリンの教え方が『だから、ここでドーンってなったらこっちがシャキーン! ってなるじゃないですか! 』とか『グルグルなったらこっちがビヨーンってなりますよね? 』とか感覚論しか言わないから理解出来ない」

 アリサ自身も一度、リンの解説を目にした事があった。


 招集された学者は誰もが歴史に名を残す有識者であり、人類の総頭脳とも取れる錚々たる面子。

 人類の総頭脳とも言える部屋で、リンは電子板に立ち感覚論ばかりな稚拙な解説を始める。

 ある学者は常に胡乱の目を向け、ある学者は稚拙な解説に侮蔑を隠さず、ある学者はしばらく考え込んだ後に……深淵を覗いた様に鼻血を垂らし、嘔吐していた。


 結局、理論を理解できるものは現れず、リンだけが保持する技術であることは変わらなかったのだ。


「あのすみません、ちょっと気になったんですけど」

 黙って聞いていた鈴音が、声を上げる。

「本で読んだんですけど、タイムパラドクス……だしたっけ? 過去とか干渉すると歴史がグチャグチャになっちゃうっていうやつ。そういうのってタイムマシンを使っても大丈夫なものなんですか?」

 心配いそうな顔で質問する鈴音に、アリサは穏やかな笑みで頷きながら

「それについては、未来でもリンがタイムマシンを完成させた当時から深く議題に上がっていた事の一つだ。全世界での度重なる会議の末に『歴史の破壊や矛盾を防ぐ為にタイムマシンの使用は、絶対的に一方的な観測のみと義務付ける』と決められた。つまり過去や未来の人間に姿を見せたり、干渉したりしてはいけないというルールが決まったんだ」


 アリサの回答に、深く鈴音は納得した。

 なるほど。徹底された非接触と非干渉。

 当然と言えば当然だが、やはりタイムマシンに関しては厳密な決まりがあるらしい。


「ん……ちょっと待てよ? それって矛盾してないか?」

 深く疑問の残った歩夢が声を上げた。

「だって今こうして俺と鈴音がアリサ先生と話してる事自体、既に決まりを破ってるだろ? 干渉するしない以前に、俺たちにタイムマシンを使ってまで未来人って証明しちゃったし」



「――――緊急事態。絶対非干渉のルールを、破る必要があったんです」



 歩夢の質問に答えた声は、アリサの膝元から聞こえた。

 目を覚ましたリンが、ゆっくりとアリサの膝から上体を上げる。

「緊急事態?」

 真剣なリンの眼差しに、鈴音はゴクリと自分の生唾を飲む音が聞こえる。


 絶対順守のルールを破ってまで、優先されるイレギュラー。

 リンはそのままアリサの横に座り、鈴音と歩夢の瞳を真っ直ぐに見つめて淡々と話した。


「その緊急事態とは……特異点の発生です」

 特異点。何らかの要因によって正しい過去に介入が入って間違った過去の事実が出来上がってしまい、未来に大きな影響を与えてしまう現象の事。

 ……つまりなんらかの要因が歴史に干渉し、今とは違う未来の可能性が生まれてしまった。

「もし織田信長が死んでいなかったら今とは違う日本になっていた、とかそういうイメージで合ってる……かな?」

「おおむねその通りだ」

 少し困惑する鈴音に、アリサは優しげに頷く。


「特異点は、大きくなり続けると私達の未来を飲み込んでしまう可能性すらある危険なものだ。だから先ほど言ったように厳しい決まりを作って特異点ができない様に防止してきたが、不本意ながら一つの特異点が観測されてしまった」

「その特異点を分析して正しい歴史にする為に、ボクとアリサはこの時代にやってきたのです」


 リンの言葉に、歩夢は背を反らせながら嘆息した。

 ……想像していたよりも遥かにスケールが大きかった。

 落ち着く為に深呼吸しつつも、歩夢は推測した情報を口に出す。


「俺たちに未来人であることを明かしたって事は、その特異点を一緒に解決してほしいってことだろ?」

「え⁉︎ そうなの⁉︎」

 目が飛び出るほど驚いた鈴音を無視し、歩夢はリンをジッと見つめる。

 すると動じることなく、リンは応えるように小さく頷いた。

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