01. 幼馴染、もはや妹みたいなんだが

「…き…さい。ち……く!あーもう面倒臭い!!!」


 引き剥がされた掛け布団がバサリ、と豪快に宙を舞う。

 春を迎えたとはいえ、太陽の光及ばぬ朝方。極寒の室温は衰えることを知らない。


 暖かい抱擁を迎える準備をしていた、信乃方しのかた歩夢あゆむの身体は極寒の針に滅多刺しにされた。


「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!いきなりこんな地獄に叩き落とすとか悪魔か⁉︎」


 急いで布団を回収し、熱を逃すまいと必死に丸くなる。


 だが晒された身体が簡単に温まる訳もなく、寒さにガチガチと歯を鳴らす。


「な、なんだよこれ⁉︎あの感動的な海は?俺の彼女はどこ行ったんだよ!」


 寒さに鼻を啜りながら、周囲を見渡して現状を確認する。

 聞き馴染みのある時計の音と、見覚えのあるカーテン。


「……夢、か」


 全てが夢に過ぎなかった事を悟り、眠気覚めない歩夢は虚しく目を擦った。

「どうせ起きてないだろうと思ってきてみたけど、案の定爆睡してるし……バカなこと言ってないで、早く準備してよ?」


 歩夢の布団を脇に抱え、呆れた様子でため息を吐く少女。


 母親譲りの赤髪は後ろで結われ、パリッと整った制服からはこれでもかと生真面目さが滲み出ている。


 加えてなんとも健康的なイメージを与える、学生らしいスラっと整ったスタイル。


「人が彼女とデートしてる時にいきなりこんな地獄に叩き落とすなんて……お前、人の心を持ち合わせてないのか?」


 嫌になる程に見知った少女の顔を見て、歩夢は恨めしそうな視線を送る。


 すると少女は腰に手を当て、再び呆れた表情でため息を吐いた。


「まだ寝ぼけたこと言ってるし……歩夢に恋人なんて居た事ないでしょ」


 少女の名前は、水原 鈴音みなはら すずね


 歩夢と同じく枝道高校2年4組所属。16歳の女子高生。


 歩夢とは両親が仲良く、幼少期から家族ぐるみで絡んでいる幼馴染……つまるところ腐れ縁である。


 女子とはいえ、ほぼ妹みたいな鈴音にドキドキする訳も無く、最近ではむしろ母親に似た面倒臭さまで感じつつあった。


 朝起きたら部屋にクラスメイトのJKがいる。なんて男子高校生にとって望んでも叶わない様なシチュエーションで、歩夢が微塵もドキドキしないのはそういう訳である。


「ほら、布団畳むからどいて。さっさと向こうで部屋で着替えてきてよ」

「……なぁ鈴音、最近お前の言動がすごいお袋と似てきた気がするんだけど」


 真顔で言い放った歩夢に「誰のせいだと?」と口端をヒクつかせながら、鈴音は抱えた布団を軽く畳んで投げ返す。


 とある事情から歩夢は1人暮らしをすることになったものの、遅刻の日常化はもちろん汚部屋化のカウントダウンに見かねた鈴音が自ら清掃役を買って出たのだ。


「なんかその……すまんな」


 布団を受け取った歩夢は丁寧にそれを配置し、枕も正しい位置に優しく戻す。

 寝る前の完璧なメイキング状態に戻した歩夢は、達成感と優しさに満ちた表情を浮かべ――

「じゃ、そういうことで」

 それらを装着して、流れるように入眠体勢に入った。


「……って、こらっ!また布団に包まって寝るな! さっさと起きなさーい!」


「うぉぉぉお嫌だ! この楽園を奪う悪魔め、この天国への鍵[オ・フトゥーン]だけは絶対に渡さないからな!外の世界は寒くて怖いんだ!! 俺はこの優しい世界で生きていくんだぁー!! 」


 必死で歩夢がホールドして全力で死守する布団を、鈴音は両手でしっかりと掴み込む。


「せーの、ふんっ!」

「うぉぉぉお⁉︎」


 鈴音が両腕に力を込めると、引き剥がした布団は歩夢ごと豪快に宙を舞う。


「っ痛てぇ!」

 凄まじい音と共に顔面から床に着地した歩夢に対し、鈴音は覗き込んだ。


「……やっぱり歩夢、ちょっと貧弱すぎない?」

「んな訳あるか!俺が弱いんじゃなくてお前が強すぎるんだよ!」


 鈴音の実家である水原剣術道場は、その厳しい指導と確かな実績で名が売れている。


 その一人娘とあれば手厚くそして厳しく指導されるのは当然の流れだった。


 幼い頃から過酷な修練と竹刀を振り続けた結果、鈴音はまさに男勝りな……いや、もう人間勝りな筋肉を手に入れた。というか手に入れてしまったのだ。


「クソ……もう完全に目が覚めてしまった。俺の愛しい彼女が……」


 何度やっても鈴音に入眠を阻まれてしまい、もう先の夢を見るのは難しいと悟った歩夢は渋々メイキングを終えてベッドから立ち上がる。


「んで、なんで鈴音は俺の部屋に何しに来たんだ?」

「……やっぱり忘れてるし」

「掃除なら一昨日来たし、遊びに来るとしてもこんな早い時間じゃないだろ」


 当日の朝に締め切りの提出物を出してきた子供を見る親の視線で、鈴音は呆れと不満の表情を浮かべる。

「……なんであたしが制服着てると思ってるの?」


「……コスプレ?」

「違うわよ!あたしはちゃんと現役jkだから!まったく……春休みは昨日で終わって今日から登校日でしょ?わざわざ寄ってあげた、この美少女に感謝しながら準備しなさいな」

「あーはいはい、どうもどうも」


 かくいう歩夢も完全に忘れていたわけではなく、ここ一週間のゲームとアニメまみれの春休みや先までの幸せすぎる夢に、新学期初日という現実を見たくないだけという節もあった。


「それにしても俺は幸せ者だな、こんな珍しい体験が出来るなんて」

「珍しい体験?なんの事?」

「いやお前さっき、自分で美少女な幼馴染とか言ってただろ?現役jkがそんな事言って恥ずかしくなかったのかって」


「…………」


 勢いで出てきた自分の言葉が今更じわじわ羞恥を運んできたらしく、鈴音は耳まで顔を赤を染め硬直する。


 母親のような世話焼きクラスメイトのようやく同年代らしい一面を見て、歩夢はここぞとばかりに口元を緩めた。


「え?困る困る美少女。勝手に自称して恥ずかしがるなよ美少女!いつもありがとうな美少女!ところで着替えるからちょっと向こうの部屋行っててくれ美少女!」


「ちょ、ちょっと勢いで言っただけでじゃん!冷蔵庫からなんか勝手にもらうから!」


 逃げ出るように隣室に移動する鈴音を見て、歩夢は朝から摂取する女子高生の羞恥の心地よさに両手を掲げてビクトリーポーズを決める。




 そんなカスもとい歩夢がワイシャツに腕を通すと、ふと壁に貼られた『彼女を作る、絶対に』と達筆な文字が目に入ってきた。


「新学期か……今年こそ、絶対に彼女を作ってやる」

 ただひたすらに彼女が欲しい、リア充で在りたい。

 それだけが信乃方 歩夢が枝道高校みちえだこうこうに通う理由である。


 不純な動機だと軽蔑される事もあったが、歩夢自身がその声に耳を貸すことはただの一度も無かった。


 彼女ができれば退屈が壊れる。退屈が壊れれば人生は豊かになる。つまり彼女は人生を豊かにする。

 自身が考え出したその理論を疑う事なく、歩夢はひたすらに恋人を求め続けている。

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