第2話 先輩と、ある家の秘密
世界が滅んでも太陽は昇り、季節も巡るらしい。
どういうわけか、僕は突然の再会を果たした先輩と、そんな世界をふたりきりで旅をしている。
自分たち以外の人間が死体も残さずいなくなってしまったので、廃墟と化した街を巡って、食料を調達している。行くあてもない旅だが、「次はどこに行こうか?」と訊かれた時に、都会はこりごりだと思った。倒壊したビルは見飽きた。
「寒い地方は嫌ですね」と言えば、「沖縄でも目指そうか」と先輩は笑った。
そんな訳で、東京を離れて山道を走っている。富士山が見られる範囲というのは意外と広いんだなという、およそ今後生きていく上でなんの役にも立たない知識を得た。
* * *
「雨が降りそうだから、早くゆっくり休みたいね」
バイクを運転しながら珍しく先輩がぼやいた。昨日の宿は、県道沿いにあった『道の駅』だったのだが、建物の傷みが激しく、夜露こそ凌げたものの、寒さで一晩中震えるはめになった。期待していた食料も目ぼしいものはなく、旅の疲労感がどっと出た状態だ。
「確かに、綺麗なシーツで足を伸ばしたいです」
バイクとサイドカーは、山の斜面の道路を走る。僕は少しだけ身を乗り出して、眼下に広がる木々を眺めた。
――と。見慣れない銀色の輝きが目に入る。
「先輩」
「ん?」
「ちょっと止まってください!」
先輩はバイクを停めて、僕の指差す先を見た。
「パラボラアンテナに見えるね」
「こんな山奥にラジオ放送局でもあるんですかね?」
「行ってみようか」
こうして、今日の目的地が決まった。
「建物自体は意外と小さいですね」
ヘルメットを取り、旅を始めてからだいぶ伸びた髪を掻きながら先輩はそう言った。
確かに、思っていたよりもずっと小さい。遠くから見えた銀色の物体のイメージから、近未来的な大きな建物なのかと思いきや、アンテナの下は玩具のようなログハウスだった。
先輩は「お邪魔します」と律儀に断ってドアを開ける。幸い、鍵は掛かっていなかった。後ろから覗き込むと、一階は木材のインテリアでセンス良く整えられたLDKだった。
L字のソファに座って息をつく僕とは対照的に、先輩はキッチンを漁っているようだ。
「錦山君! お肉の缶詰が! 鹿肉と熊肉の缶詰がたくさんある!!」
先輩の大きな声は珍しい。
この建物の主は防災意識が高かったようで(と言っても死んでしまっているので皮肉な話だが)非常用の米や、ミネラルウォーターも十分に揃っていた。
「今日は温かいご飯を食べられるね」
先輩は鼻歌まじりに料理の準備をしている。
僕はソファに身を投げ出し、座りっぱなしで痺れた脚を労っているうちに、眠りについていた。
先輩の声と、鼻孔をくすぐる香りで目を覚ました。
窓の外は暗闇だが、室内はロウソクの柔らかな灯りがテーブルの上を照らしている。
「今晩はごちそうだよ」
視線が合うとそう言って先輩は笑う。どこから出してきたのか、真っ赤なエプロンがよく似合っていた。
ふらふらとダイニングテーブルに歩み寄ると、ゴクリと喉が鳴った。
「鹿肉のシチューで~す。レトルトを温めただけなんだけど、香草があったから少し足してみました。いつものビスケットも温めてあるよ」
「先輩素晴らしいですさすが天才です女神です」
「ふふふ。竈の手入れを欠かさなかったここの家主さんのおかげ」
先輩は楽しそうに笑ったあと、何か思いついたように言った。
「でも、せっかくだし料理代をいただきます」
ん?と怪しい雲行きに僕は眉根を寄せる。
「そんな大層なことじゃないよ」
先輩は、僕の目をじっと見つめる。
「錦山君に頭を撫でて欲しいなー」
赤面するのがわかった。冗談なのか本気なのか全くわからない。
しかし振り回されてばかりなのも悔しくて「いいですよ」と平坦な声で告げた。
先輩は照れたように笑うと、ちょこんと頭を傾ける。髪の毛に触れれば、それは思っていたよりもずっと柔らかかった。
久しぶりの温かな食事に舌鼓を打った後、思い出したかのように先輩が声を上げた。
「そう言えば、アンテナの正体を確かめてないね」
「確かに!」
ふたり揃って、すっかり失念していた。部屋の最奥にある木の階段は、こちらも手入れを欠かさなかったのだろう。ニスで艶めいていた。
二階に上がると、扉がふたつあった。手始めに開いた部屋は寝室で、狭いながらも、シワのない白いシーツが掛けられたダブルベッドが置かれていた。
「と、なるともう一つのドアだね」
「はい」
僕は扉の取っ手に手を掛けて、開いた。
そこに広がっていたのは――。
「天文台かぁ」
先輩は部屋一面に散らばった紙から一枚を拾い上げ、こちらに見せる。それは綿密に書き込まれた天文図だった。部屋の中心には旧式のテレビのような大きなディスプレイが真っ暗な画面のまま鎮座していた。部屋の隅にある机の上には、ペンや白黒の天体写真がぐちゃぐちゃに置かれている。ここは研究室のようだ。一階の細かな手入れのされようからは考えられないほどの乱雑さだった。主を亡くしたコーヒーカップには、黴が生えている。
研究室を後にし、知らず息をつく。偶然にもそれは先輩と同じタイミングだった。あの部屋の熱量に圧倒されたのは、僕だけではなかったようだ。
先輩はタイミングが揃ったことがよっぽど嬉しかったのか「ふふっ」と笑い「今日はもう休もうか」と言った。
先輩に勧められて先に浴室に入り、タオルを濡らす。いつもならば身体を拭くだけだが、先程の寝室のシーツが脳裏に過り、髪も洗うことにした。水の蓄えが存分にあるところだ、多少の贅沢は許されるだろう。
と、シャンプーとコンディショナーがそれぞれ二種類あることに気がついた。男用と女用。
『夫婦が住んでいた』
そう気がつくと全てに合点がいった。星の研究以外には興味がない夫と、家を隅々まで磨き甲斐甲斐しく男の世話をする妻。ふたりは世界の終わりに何を思って、死んでいったのだろうか……。
柄にもなく胸に浮かんできたざわざわする想いを洗い流すように、冷水を被った。身体はぶるりと震えたが、今日の寝床ならば風邪を引くこともないだろう。
浴室を出て、脱衣所で新品の下着に肌を通す。以前立ち寄った量販店で手に入れたものだ。戸棚を開けると、男物の寝間着が綺麗に畳まれていた。おそるおそる手にとって匂いをかぐと、石鹸の香りがしたので、そのまま拝借することにする。
リビングに戻り「上がりました」と声を掛けた時、先輩の異変に気がついた。
「ねぇ錦山君……」
振り向いた先輩はぼんやりと呆けたような表情を浮かべていた。手には一冊のノートを持っている。
ロウソクのぼんやりとした光のなか、先輩の傍に寄った。
「どうしました?」
「日記なの」
「日記?」
「交換日記……」
手渡されたそれの一ページめを開くと、綺麗な文字が綴られていた。
この交換日記も何冊目でしょうね? 貴方はいつも部屋に籠もってばかり
次に一緒にごはんが食べられるのはいつかしら?
続いてページを捲ると、濃い筆圧で少し歪な文字が並んでいた。
お前に寂しい想いをさせているのは申し訳なく思う
だが、お前も昼に寝て夜に起きればいい。そうすれば何も問題はない
気がつけば、取り憑かれたようにページを捲っていた。
それは出来ません。わたしはお日様が好きだから
それに貴方のお仕事の邪魔になってしまうのは嫌だもの
――
もう、仕事なんかではない。これは僕の意地でやっていることだ
皆が無理だと嘲笑っている。だが止めることが出来ないんだ
――
他の人がなんと言おうと頑張っている貴方は素晴らしいと思う
奥さんには逃げられちゃったけど、
私は血の繋がった姉ですから最後まで面倒見るわ
僕は見てはいけないものを見てしまったかのようにノートを閉じた。
しかし先輩は「錦山君」とはっきりした声音で僕の名前を呼び、ノートの後半を開いて手渡してきた。
ねぇ。ニュース見たわよね? あと五日で世界はおしまい。
貴方は一体どうするの? どこかに逃げるなら、私も起こしてね!
――
すまない、お前だけでも逃げてほしい
幸せになってくれ、馬鹿な弟の分まで
僕は時間の許す限り粘りたいんだ
最後になるかもしれないから 教えて 伝えておく
僕のやり遂げたかったこと
それは、新しい星を見つける
その星に、お前に名前をプレゼントしたいと、そ う 願 っ
交換日記はそこで途切れていた。男はこの想いを直接伝えることが出来たのだろうか。一気に流れ込んできた他人の感情に、僕はやりきれない気持ちを感じていた。
と、いつの間にか立ち上がっていた先輩が背中からそっと腕を寄せてきた。
口を開く前に、先輩の声に遮られてしまう。
「ねぇ錦山君。この姉弟は、最期まで一緒だったと思う?」
「……」
「私は、一緒だったらいいなと思う」
「こんな天文台で新星が見つけられるものなのか、僕にはわかりません。もしかしたら男は学者でもなんでもなくただの気違いで、姉とやらがずっと介護役として束縛されていたのかもしないです」
「だとしたら、少し悲しいかな」
「それでも」
そう言って、僕は日記のあるページを開いた。
「この女性は幸せだったと思います、この文字を見るに」
そこには、『愛している』も『結婚しよう』も言えない代わりの、おそらくは精一杯の彼女の想いが綴られていた。
いつまでも、いつまででも、わたしは貴方を信じてる
* * *
翌朝、朝日の射し込むリビングで僕は先輩と朝食をつまんでいた。熊肉の大和煮とは、朝から豪勢なメニューだ。
「備蓄の全部はバイクに積みきれないし、もう何日か滞在しても良いかもね」
先輩は、竈と貯水タンクのあるこの家をすっかり気に入ったようだった。
「いっそ、私と錦山君で住んじゃおうか?」と悪戯っぽく言う。
僕はその提案に首を横に振った。
「この家は、あのふたりのものです。邪魔者はそろそろ退散しませんか?」
「そうだね」
先輩はなぜか嬉しそうに目尻を下げた。
「次はどこを目指そうか」
走行前のバイク点検をしながら、先輩はのんびりとした声をあげる。
「寒くなければ、どこでも」
僕は積荷の増えたサイドカーで足元の荷物を整理しながら答えた。
そう、僕たちには腐るほどの時間があるのだから。
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