第1話 先輩と最後の晩餐
嫌になるくらいに空は青いのに、右も左も灰色の景色だ。ひび割れた道路に、倒壊したビル。この身体を運んでいるバイクを停めればエンジン音が消え、耳が痛くなる程の静寂が待っていることを僕は知っている。
「錦山君。お腹が空いたね」
僕の隣でその愛車を走らせる女性――先輩はのんびりとした口調で言った。彼女は足元の悪い道でも事故なく、涼しい顔で運転している。
「別に、僕は空いてないです」
かくいう僕は、先輩が運転役を申し出たのに任せる形で、こうしてサイドカーに座りっぱなしの毎日だ。
大したスピードを出していないので、大声でなくとも会話は容易い。それに何故か、先輩は声量が大きい訳でもないのに、すっと耳に入るよく透る声をしている。
「ふふっ。じゃあ私のお腹が空いたの」
何が楽しいのか、上機嫌に言う。
「非常食のビスケットでも食べますか?」
「えっと、それは……今は、遠慮しようかな」
昨日の朝は防災グッズのスープを食べた。昼と夜はビスケットで今日の朝食もビスケットだった。そろそろ飽きてくるのもわかる。ちなみに昼食は何も食べていない。
「もう少し進むと大きな街があるから、そこで何か探そうか」
先輩に言われ、胸元のポケットからよれよれになった紙の地図を取り出して見た。
「そうですね」
「では、あと少し。夕暮れ前には着くと思う」
「安全運転でお願いします」と言いつつ、これっぽっちも心配していない自分がいた。いつの間にこんなに信頼を寄せていたのかと我ながら驚く。
「大丈夫。大事な大事な錦山君を乗せてるからね」
嬉しそうに言って、先輩はハンドルを握り直した。
* * *
大きな街とやらに到着した。
この辺りはサブカルチャーの店が集まる発展したエリアだ。迎えるべき人もおらず、二度と修復もされることのない有様は、どうも無残に感じた。
崩壊したこの世界では、何度となく見てきた光景だが、そろそろ感情が麻痺してきてもおかしくない。
比較的、地面の損傷の少ない駐車場を見つけて、先輩はバイクを停めた。車が通る訳でもなく、ましてや駐車違反を咎める警察がいる訳でもない世界なのだから、どこに停めようが構わないと思うのだが、律儀な人だ。
「コンビニが見当たらないわね」
先輩は形の良い眉を下げて思案する。長い睫毛が、日焼けを知らない白い肌に影を落としていた。
「こんなところに突っ立っていても仕方ないか。適当に歩きましょう」
僕は「そうですね」とその後を追った。
「ここは……?」
「ミリタリーショップですね」
「ミリタリー?」
不思議そうな顔をしている先輩を無視して、ガラスが割れて枠だけになったドアを蹴り開ける。多少乱暴だが仕方ない。幸い天井が落ちてくる心配はなさそうだ。
「迷彩服とモデルガンがいっぱいね」
店内には無残にもガンラックから落ちた銃たちが散らばっていた。
「モデルガンは観賞用で射撃機能がない銃。ここにあるのはサバイバルゲーム用のエアガンで、BB弾なら撃てますよ」
「錦山君、意外と博識なのね」
先輩はそんなことを言いながら足元からハンドガンを持ち上げ、僕に銃口を向けた。
「ばん!」
もちろん弾は出てこない。
「フリでも人に銃口を向けちゃダメですよ」と言うと、先輩は「だって、君は可愛いからいじめたくなっちゃうの」と冗談めかして言った。
店内を奥へと進めば、目当ての物を見つけた。棚ごと倒れてはいるが、それぞれの包装に問題はなさそうだ。
「それはなに?」と、ひょいと先輩が後ろから覗き込む。
「各国軍隊のミリタリー飯ですよ」
そう告げると、彼女は“面白いモノを見つけた”と言わんばかりに目を輝かせた。
* * *
日は暮れて。
積荷から持ってきたランタンを灯し、並んで座る。あちこちの隙間から入り込む夜風が少し、冷たい。
ミートソースのラザニアを食べる先輩の横顔をそっと見る。
高校時代から大人びた容姿だと思っていたが、まるでそこから時間が止まっているみたいだ。
僕は炒飯を口に運びながら、「ミリタリー飯はどうですか?」と訊いてみた。
「うん、悪くないわ」と先輩は感心したように言う。
「でも、なんだか不思議ね」
先輩は天井を仰いで言った。
「それぞれの国の軍隊で支給されている非常食なんでしょう。戦争があった時、実際にこれが最期に食事になった人もいる」
「最後の晩餐ってヤツですね」
「それを、こうして錦山君とふたりで食べてる。世界はもう滅んでしまったから、私達はきちんとした最後の晩餐を食べ損ねちゃったね」
そう言ってから先輩は目を眇めてスプーンを見た。
「でも、明日も明後日もごはんの心配をしなくちゃいけない」
「そうですね」と僕は苦笑した。
――なんでもない平日のある日。高校時代から会っていなかった“先輩”が、突然会社に現れた。
その時はすでに若く美しい女性議員として有名だった彼女の登場に社内はザワついたが、その当の本人は「錦山君は本日をもって退職します。大変お世話になりました」と綺麗な所作でお辞儀をした。何がなんやら、一旦事情を聞こうと外に出たところで、いきなり車で拉致され、長い長い階段を降りた地下のホールに連れていかれた。そこはサッカーでも出来そうなくらい広かったが、一週間、僕の他には誰も訪れず、先輩とふたりきりで過ごした。
そして。
地上に出た時には。
冗談みたいに世界が滅亡していたのだ。
何が起こったのか、僕は知らない。
先輩が、なぜあんなシェルターの鍵を持っていたのかも。
そして何より。
あの広さのシェルターに、どうして“僕ひとりだけ”を匿ったのかも。
何も聞かないけれど。
僕はこうして、先輩の隣で飯を食っている。
多分、明日も明後日も。
……そのまたずっと先も。
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