ふと空を見上げると、浅黒い雲がモクモクと広がっていた。

 今にも雨が降りそうだ。時計を確認する。


もう二十分経ったのか。早いな。


 ​───────急ごう。


 傘を取りに行き、道行く三人と別れの挨拶を交わした。

間に合った。 あとはロンリーさんとネクレス。

そんな時、鈴の音のようなお姉さんの声が飛んできた。


「お! ピース! おはよー!」


後ろへ振り向くと、手を振らながら走って来るロンリーさん。 会う前はお互い気まずいだろうと思っていたが、それは、ロンリーさんのあっけからんとした挨拶に、単なる思い込みだったと気付かされた。


「ロンリーさん! おはよー! 遅かったね!」


 親代わりであり親友の、ロンリー・スードニムは、ショルダーバッグを提げ、深緑の探検服のような仕事着を身に纏っている。

 黒髪セミショートから覗く顔は冷えた風あってか白桃はくとうのように輝き、無邪気な笑顔に映る黒い瞳は、冬の風を宿したような冷たい仄暗さを纏っていた。


「ごめん。 さっきまで熟睡してた」


「うそ。 寝れなかったの?」


「そりゃもう、ピースが新しい世界に羽ばたいてくと思ったら、ねー」


「あれ、それ昨日吹っ切れたんじゃなかったの?」


「不安の方はねー」


「不安の方?」


「そそ。 昨日寝れなかったのはワクワクが強かったからかな」


イタズラっぽい笑みを浮かべるロンリー。


「へー何それめんどくさ」


「ひどーい」


 それにしても、相変わらず分からないなー。


 先程の流れの通り、私は人の感情やその匂い、味を感じ取れる。 特に意識はしなくても、何となく分かるといったイメージだ。 それ故、色々と苦労も多いのだが。


 でも、そのネクレス含め、ロンリーさんの感情は何故か全く読み取れない。 

 意図的に隠しているのか、そういった体質なのかは分からないけど……。


まあウォリーの事を考えると、意図的に隠してるって方が納得は行きそうだけど、あの二人会った時からだもんな。


て、今考えることでもないか。


 別に、普段気にし過ぎて疲れてることを気にせずに済むのは、結構でいられるし。


「ピースのおたんこなす」


「あ、そういえば」


「無視されたー」


「なんか、お土産のリクエストある?」


「え?」


ロンリーさんの目が点になった。

ふと、え、私今柄じゃないことしてる? と心が呟く。

いや、そうだとしたら私、普段どう思われてんだよ?


とりあえず私は続ける。


「いや、挨拶だけで済まそうと思ってたけど、ウォリーとシースタが美味しいお土産をお願いー、頼んだーってね。

買ってこようと思ってるんだけど、二人だけじゃちょっとアレかと思ってついでにロンリーさんにも訊いてみた」


「ピ、ピース……ったら。 ついで感覚なのはちょっとアレだけど……もう​───────


かっわいすぎでしょ!!!」


唐突にロンリーが体当たりでもするかのような勢いで、抱きしめてきた。


 思わず「んぐっ! 」と、変な音を上げてしまう。

 幸い少し屈んでれたおかげで肩の上から顔と声を出すことが出来た。


「ちょまっ」


 抱かれ慣れていないからか、悪寒に似た恥ずかしさが身体中を走る。つい反射的に声で拒むも、それに構わず抱いた腕をそのままに、吐き捨てるように続けるロンリー。


「制服も似合ってるし。 いつそんな女になった」


「やめて!」


「やめなーい」


「あっ! そういえば皆に挨拶して回らないと」

挨拶はとっくに済ませているが、この場を逃れるために嘘を吐くピース。


「ネクレス来てからでいいじゃーん」


いとも容易く一蹴されてしまった。


「制服が汚れるー!」


なんか口をついて出た。悪気は無かった。


「この子失礼過ぎる!」


けどあまり効いてなさそうだし、気にしなくていいか。


 密着した上体が、徐々に温もりを増していくのとは裏腹に、冷たくて心地よい空気が鼻腔をくすぐって、ゆっくりと嫌な恥ずかしさを緩和してくれる。

 諦めのため息が零れた。


 すると、ロンリーは私の肩に顎を乗せ、脈絡もなく、寂しそうな声で言葉を紡ぎ始める。


「これから暫くの間、こういう会話が出来なくなると思うと、ちょっと淋しいな」


「まだそんなこと言ってるの? というか、こそばゆい」


「ほんとだよね。 見送るための準備はとっくに済ましておいたはずなのにー。 心って不思議」


 なんか少し可哀想に思えてきた。 ただのめんどくさい人なのに。


「一応、連休とか、会おうと思えば会えるじゃん。スケジュールが合えばだけど」


「それでも、私にとってはかなり淋しいんですよー」


「あーそーって、あなたは私の彼女かなんかですかー?」


「親代わりですよー」


「いや、この感じだと子ども代わりだなー」


会った時からだけどほんと。


「辛辣ー」


めんどくさい性格してる。


 確かに三年は長いし、その間会えなくなるのに寂しさを感じるのはよく分かる。 私もそうだし。

でもそこまで寂しがることは無いように思う。別に数十年会えないとかでも無いんだし。

 そもそも休日で会おうと思えば会えるし。


そういう意味でちょっと子どもなのかなこの人は。 って、思う。


すると、耳にポタっと冷たい感触がぶつかった。雨だ。 ポロポロと弱目の雨が降り始めた。


「雨降って来たね」


ロンリーが声を弾ませる。


相変わらず子どもっぽい反応。

そう思いつつ、「制服濡れるから腕、ほどいて」

と言うと、ロンリーは私を抱いた腕を解いた。

私が頭上で傘を差すと、ロンリーさんに侵入される。


「いい大人なんだし、自分でさしてよ。 恥ずかしい」


この恥ずかしいは、常識的にと言うより、個人的な感情が強かった。


ロンリーさんは、当然のようにイタズラな笑みを浮かべて「やだね」と言った。


「ほんと、カップルか」


「親子でーす」


「そこ譲らないよね」


 なんかこのやり取り、親子というより距離感近い友達みたい。 そう思うとなんか吹き出した。


そして、同時にどういう訳かこの子どもっぽい人を見てると少し、心が広くなったような気がする。


 私は自分が思うより単純なのかもしれない。


「で、お土産、何が欲しいの?」


「ピース」


「は?」


 柔らかく、はにかみを混ぜた声で言うロンリー。

よくもまあそんな恥ずかしい事言えるなー。ほんと、何がピースなんだか。


 でも、お土産は別のチョイスにして欲しいので、軽めのツッコミを入れながら他の要望を促す。


「それ以外」


「ちぇー。 なら、手紙がいいかな」


 あー、手紙なら程よく連絡取れるし、あまり寂しい思いをさせずに済みそうだ。


「あ、それいいね」


 心を弾ませつつ、私がそう返すと、ロンリーは「出来れば毎日お願い」と続けた。


「仕方ないなー。 じゃあ一日の終わりに、日記でも書いて郵便で送るよ」


「やった」


 まぁ出来れば毎日という部分に少し重さを感じたけど、何故か今の私はいつもよりも寛大だ。折れてやるよ。 ほんと世話のやける人だ。

 なんて思いつつも、私はイタズラにイジワルな笑みを浮べる。ほんの嗜虐心しぎゃくしんだ。


「まぁこの先、新しい環境で色んな人と出会っては友達増やしたり、勉強したり、遊んだりで、それどころじゃなくなるかもしれないけど。 忘れたらごめんね」


 すると「泣くよ……? 」と、潤んだ声が返ってきた。やってやったぜ。


 ​────「ひゃっ」


 突如として首筋をふわっと刺激する、細い冷風。

 思わず私は変な声を上げる。


 そして、同時に聞こえた『ただいまーっ。 何してるのー?』って元気な声。


 咄嗟に振り向くと、そこには緑のショートヘアをフワッと弾ませる親代わりの──ネクレス・ロードナイトがいた。


 ロンリーさん同様の仕事服を身にまとっている。仕事中なのだろう。相変わらず忙しそうだ。まあそれはともあれ……


「いつも、ただいま感覚で驚かせるのやめてくれない? 心臓に悪い」


「え? なんの事かなー?」


「振り返った時、見えたんだけど。水色に光る指先を背中に隠したの」


「あ、ごめんちゃい。 でも心臓は強くしといた方がいいと思うけどねー。 これくらいヘッチャラって感じるくらいには」


「心臓はそんな方法で強くならないと思うけど」


「……ハッ! たしかに!」


 ネクレスも別の意味で子どもだなー。

 私はハッと細切りのため息を漏らした。


 ちなみに、私の親代わりはこのネクレスと、ロンリーさんの二人。


 まあ、最近はロンリーさんと同じく中々素直になれず、ついツンケンとした態度を取ってしまうのだが。(一応礼儀には気を付けている)


「というか、ネクレスが来てるということは、もう」


「分かってるじゃんねー」


 その言い方若干ウザイな。そう思いつつ、ふと、あることを思い出した。


「あ、最後に言いたいことが」


 すると、ネクレスはその言葉を察したように「ほほぉ」と呟くと、私が呼びかけるより早く、「みんなー! ピースもう行くよー!」と、腕を大きく振りながら、もう片方の手を口に添え、皆に呼びかける。


 朝礼や作業を中断して集まっていく皆。計十一人。先程までの忙しそうな空気感が弛緩した。


 ネクレスがイタズラっぽくウインクを飛ばしてきた。私は、その仕草もウザイ。 と、思いながらも、小さく「ありがと」と、呟く。


そして、あらゆる方向にいる皆に向けて大声で挨拶を始める。


「皆さん。三年間と長いようで短い期間でしたが、今日までお世話になりました。


 親代わりとなって私を保護してくれたロンリーさんとネクレス、そして私の生活を支えてくれた皆がいたから今の私があります。


 向こうに行ったら、ここでのことは全部任せっきりになるので、余計に恩を、いやそれを通り越して申し訳なさすら感じてくるけど。


 多分、長期間の休みとかで、一度戻ると思うから、その時に、お土産とかで少しでも恩返ししていければなと……」


 すると、爽やかな風に乗って明るい声が飛んできた。


「恩とか気にしなくていいよー! 私たちはやりたくてやってるだけだからー! あ、そういうネタだったらごめんねー」


「そんなかしこまっちゃってー」


 なんか、泣きそう。いや、ロンリーさんとネクレスの前でだけは、泣きたくない。


「ね、ネタじゃないんだけどなーって、あ、と、見せかけてバレた?」


 ここはネタってことにしておいた方が面白いんだった。危ない危ない。


「じゃあ、行こっか」

 そうネクレスは軽く肩に手を置いて促した。

 もうタイムアップか。そう悟り、私は皆に手を振る。 


「あ、皆ー! お土産のリクエストあったら手紙で送って! 量と値段次第ではスルーするけど!」


 皆に手を振りながら、ネクレスの元へと歩を進める。


 そして、私はみんなに見守られながら「じゃあねー」と叫び、ネクレスと共にラポールのラポールシティへとワープした。 


 すると、地面は平原から石畳へと、視界にはシックで華々しいオーニングの列や、巨大な裸眼立体視の液晶画面が設置された高層ビル、林立する雑多ビルに、街を行き交うオシャレで華やかな人々が広がった。


 辺りには赤や黄色、緑に光るモノアイを灯したゴミ箱ロボットが、プラスチックと金属、燃えるゴミと、それぞれのカテゴリを持って彷徨っている。


 「うあー半年ぶりだねー! 変わらないなー」


「まあ、半年だし」


「それもそうだねー」


ネクレスが金属製の腕時計を見やる。


「ピース緊張してる?」


「……まあ」


淀みながら言うと、ネクレスはイタズラに、得意げに微笑んだ。


「リルコ寄るか」


「うん。その表情ムカつくなー」


「素直でかーわいっ」


「うるさい」


実の所、ここに来ることを計画してる際に、緊張するかもしれないから十五分くらいは余裕を持って行こうという事になっていた。

ネクレスの作戦だった。


そしてその時の私は、皆と話せる時間が減るからと反対していた。


結局は、休日会おうと思えば会えるし、それに良く考えれば出発の日の十五分なんて別れまでの猶予を伸ばして、私の心をよりもたつかせてしまうだけだ。と、いうことでネクレスの作戦を呑んだ。


そして今、その作戦のおかげで安心出来ているという。 少し自分に腹が立った。


一本取られたみたいでなんか悔しい。


何より、ネクレスが『ほらねー』と言わず、得意げに笑いかけて来てるところがもう、見透かされているみたいでーー


何がうふふっだよ。


そして、同時に当然かのようにこういう機知を効かせて来るところに、大人の気配すら感じて恨めしさすら感じる。


どうせ私はまだまだお子ちゃまだよ。と心の中で不貞腐れた。


そうして、私たちはネクレスのワープ魔法でリルコの近くへと向かった。


少し距離を置いた理由は、きっと少し話すためだと思う。 焦らされてるみたいだ。


ネクレスが微笑みかける。


「それはそれとして、何してたの? 相合傘なんかしてー?」


ヒューヒューと茶化すように言うネクレス。ノリがムカつく。


「雨降ってきたから傘さしたら侵入してきたんだよ」


「なるほどー。 ロンリーのやつ相変わらずだなー。 メイクで涙跡隠してたし」


「え?」


「あ」


そんな時、突如としてゾッとするようなネガティブな感情が肌を撫でてきた。


なにこれ​──────


周囲の空気がガラッと変わった。


ふと、ネクレスを見る。

(ネクレスは気づいていなさそう)


様々なネガティブを混ぜたような空気がより濃度を強めていく。


私の体調がたちどころに、悪くなっていくのが分かる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る