序章Ⅲ

空を見上げると、浅黒い雲がモクモクゴアゴアと不穏な広がりを見せていた。

 今にも降りだしてしまいそうだ。 あ。

ふと存在を思い出し、サッチェルバックから腕時計を取り出すと、確認して腕に装着する。


もう二十分経ったのか。早いな。


 ───────急ごう。


 走りながら傘を取りに行き、道行く三人と軽く別れの挨拶を交わした。


間に合った。 あとはロンリーさんとネクレス。

そんな時、鈴の音のようなお姉さんの声が飛んできた。


「お! ピース! おはよー!」


来たか。


後ろへ振り向くと、手を振りながら走ってくるロンリーさん。 会う前はお互い気まずいだろうと思っていたが、それはロンリーさんのあっけからんとした挨拶に単なる思い込みだったと気付かされた。


「ロンリーさん! おはよー! 遅かったね!」


 親代わりであり親友の──ロンリー・スードニム。彼女は今日もショルダーバッグを提げ、深緑の探検服のような仕事着を身に纏っている。


 黒髪セミショートから覗く顔は冷えた風あってか白桃はくとうのように輝き、無邪気な笑顔に映る黒い瞳は、冬の風を宿したような冷たい仄暗さを纏っていた。


「ごめん。 さっきまで熟睡してた」


「うそ。 寝れなかったの?」


「そりゃもう、ピースが新しい世界に羽ばたいてくと思ったら、ねー」


「あれ? それ昨日吹っ切れたんじゃ?」


「不安の方はねー」


「不安の方?」


「そそ。 昨日寝れなかったのはワクワクが強かったからかなー」


イタズラっぽい笑みを浮かべるロンリー。


「へー何それめんどくさ」


「ひどーい」


 それにしても、相変わらず分からないな。


 先程の流れの通り、私は人の感情やその匂い、味を感じ取れる。 特に意識はしなくても何となく分かるといったイメージだ。 それ故、色々と苦労も多いのだけど。


 ただ、ネクレス含め、ロンリーさんの感情は何故だか全く読み取れない。 

 意図的に隠しているのか、そういった体質なのかは分からないけど……。


まあウォリーの事を考えると、意図的に隠してるって方が納得は行きそうだけど、あの二人会った時からだもんな。


て、これ今考えることでもないか。


 別に、普段気にし過ぎて疲れてることを気にせずに済むのは、結構でいられるし。


「ピースのおたんこなす」


「あ、そういえば」


「無視されたー」


「お土産のリクエストとか、あったりする?」


「え?」


ロンリーさんの目が点になった。

ふと、え……今、私柄じゃないことしてる? と心が呟く。

いや、そうだとしたら私、普段どう思われてんだよ?


とりあえず私は続ける。


「いや、挨拶だけで済まそうと思ってたけど、ウォリーとシースタが美味しいお土産をお願いー、頼んだーってね。

どのみち皆にはお世話になったし、何かは買ってこようと思ってるんだけど、リクエストが二人いて、ロンリーさんに聞かないのはちょっとアレかなと思って、ついでに訊いてみたんだけど」


「ピ、ピース……ったら。 ついで感覚なのはちょっとアレだけど……もう───────


かっわいすぎでしょ!!!」


すると、ロンリーに突然、体当たりでもするかのような勢いで、抱きしめられた。


 思わず「んぐっ! 」と、変な音を上げてしまうピース。

 幸い少し屈んでれたおかげで肩の上から顔と声を出すことが出来た。


「ちょまっ」


 抱かれ慣れていないからか、悪寒に似た恥ずかしさが身体中を走る。つい反射的に声で拒むも、それに構わず抱いた腕をそのままに、吐き捨てるように続けるロンリー。


「制服も似合ってるし。 いつそんな女になった」


「やめて!」


「やめなーい」


「あっ! そういえば皆に挨拶して回らないと」

挨拶はとっくに済ませているが、この場を逃れるために咄嗟の嘘を吐くピース。


「ネクレス来てからでいいじゃーん」


いとも容易く一蹴されてしまった。


「制服が汚れるー!」


なんか口をついて出た。悪気は無かった。


「この子失礼過ぎる!」


けどあまり効いてなさそうだし、気にしなくていいか。


 密着した上体が、徐々に温もりを増していくのとは裏腹に、冷たくて心地よい空気が鼻腔をくすぐって、ゆっくりと嫌な恥ずかしさを緩和してくれる。

 諦めのため息が零れた。


 すると、ロンリーは私の肩に顎を乗せ、脈絡もなく、寂しそうな声で言葉を紡ぎ始める。


「これから暫くの間、こういう会話が出来なくなると思うと、ちょっと淋しいな」


「まだそんなこと言ってるの? というか、こそばゆい」


「ほんとだよね。 見送るための準備はとっくに済ましておいたはずなのにー。 心って不思議」


 なんか少し可哀想に思えてきた。 ただのめんどくさい人なのに。


「一応、連休とか、会おうと思えば会えるじゃん。スケジュールが合えばだけど」


「それでも、私にとってはかなり淋しいんですよー」


「あーそーって、あなたは私の彼女かなんかですかー?」


「親代わりですよー」


「いや、この感じだと子ども代わりだなー」


会った時からだけどほんと。


「辛辣ー」


めんどくさい性格してる。


 確かに三年は長いし、その間会えなくなるのに寂しさを感じるのはよく分かる。 私もそうだし。

でもそこまで寂しがることは無いように思う。別に数十年会えないとかでも無いんだし。

 そもそも休日で会おうと思えば会えるし。


そういう意味でちょっと子どもなのかなこの人は。 って、思う。


すると、耳にポタっと冷たい感触がぶつかった。雨だ。 ポロポロと弱目の雨が降り始めた。


「雨降って来たね」


ロンリーが声を弾ませる。


相変わらず子どもっぽい反応。

そう思いつつ、「制服濡れるから腕、ほどいてよ」

と言うと、ロンリーは呆気なくも私を抱いた腕を解いた。

次に私が頭上で傘を差すと、ロンリーさんに侵入される。


「いい大人なんだし、自分でさしてよ。 恥ずかしい」


この恥ずかしいは、客観的に見てと言うより、個人的な感情が強かった。


ロンリーさんは、当然のようにイタズラな笑みを浮かべて「やだね」と言う。


「ほんと、カップルか」


「親子でーす」


「そこ譲らないよね」


 ほんと。 これじゃ、親子というより距離感近い友達の方がしっくりくるよ。 そう思うとなんか吹き出した。

まあそれが、ロンリーさんの親しみやすさに繋がる一つの要素でもあるのだろう。

でもある意味、私にはそれぐらいが楽でいられて良いのかもしれない。


そう思うと、なんだか少し心が広くなったような気がする。


 私は自分が思うより単純な人なんだろう。


「で、お土産、何が欲しいの?」


「ピース」


「は?」


 柔らかく、はにかみを混ぜた声で言うロンリー。

よくもまあそんな恥ずかしい事を。

ほんと、何がピースなんだか。


 でも、お土産は別のチョイスにして欲しいので、軽めのツッコミを入れながら他の要望を促す。


「それ以外」


「ちぇー。 なら、手紙がいいかな」


 あー、手紙なら程よく連絡取れるし、あまり寂しい思いをさせずに済みそうだ。


「あ、それいいね」


 心を弾ませつつ、私がそう返すと、ロンリーは「出来れば毎日お願い」と続けた。


「仕方ないなー。 じゃあ一日の終わりに、日記でも書いて郵便で送るよ」


「やった」


 まぁ出来れば毎日という部分に少し重さを感じたけど、何故か今の私はいつもよりも寛大だ。折れてやるよ。 ほんと世話のやける人だ。

 なんて思いつつも、私はイタズラにイジワルな笑みを浮べる。ほんの嗜虐心しぎゃくしんだ。


「まぁこの先、新しい環境で色んな人と出会っては友達を増やしたり、勉強したり、遊んだりとで、それどころじゃなくなるかもしれないけど。 忘れちゃったらごめんね」


 すると「泣くよ……? 」と、潤んだ声が返ってきた。やってやったぜ。


 ────「ひゃっ」


 突如として首筋をふわっと刺激する、細い冷風。

 思わず私は変な声を上げる。


 そして、同時に聞こえた『ただいまーっ。 何してるのー?』って元気な声。


 咄嗟に振り向くと、そこには緑のショートヘアをフワッと弾ませる親代わりの──ネクレス・ロードナイトがいた。


 ロンリーさん同様の仕事服を身にまとっている。仕事中なのだろう。相変わらず忙しそうだ。まあそれはともあれ……


「いつも、ただいま感覚で驚かせるのやめてくれない? 心臓に悪い」


「え? なんの事かなー?」


「振り返った時、見えたんだけど。水色に光る指先を背中に隠したの」


「あ、ごめんちゃい。 でも心臓は強くしといた方がいいと思うけどねー。 これくらいヘッチャラって感じるくらいには」


「そんな方法で心臓は強くならないと思うけど」


「……ハッ! たしかに!」


 ネクレスも別の意味で子どもだなー。

 私はハッと細切りのため息を漏らした。


 ちなみに、私の親代わりはこのネクレスとロンリーさんの二人。


 まあ、最近はロンリーさんと同じく中々素直になれず、ついツンケンとした態度を取ってしまうのだけど。(一応素直でいようと、頑張ってる)


「というか、ネクレスが来てるということは、もう」


「分かってるじゃんねー」


 その言い方若干ウザイな。そう思いつつ、ふと、あることを思い出した。


「あ、最後に言いたいことが」


 すると、ネクレスはその言葉を察したように「ほほぉ」と呟くと、私が呼びかけるより早く「みんなー! ピースもう行くよー!」と、腕を大きく振りながらもう片方の手を口に添えて皆に呼びかける。


 朝礼や作業を中断して集まっていく皆。計十一人。先程までの忙しそうな空気感が弛緩した。


 ネクレスがイタズラっぽくウインクを飛ばしてきた。私は、その仕草もウザイ。 と、思いながらも小さく言葉にならない『ありがとう』をモゴモゴで表現する。


そして、私はあらゆる方向にいる皆に向けて緊張と恥ずかしさが混ざる大声で挨拶を始めた。


「皆さん。三年間と長いようで短い期間でしたが、今日までお世話になりました。


 親代わりとなって私を保護してくれたロンリーさんとネクレス、そして私の生活を支えてくれた皆がいたから今の私があります。


 向こうに行ったら、ここでのことは全部任せっきりになるので、余計に恩を、いやそれを通り越して申し訳なさすら感じてくるけど。


 多分、長期間の休みとかで、一度戻ると思うから、その時に、お土産とかで少しでも恩返ししていければなと……」


 すると、明るい声が爽やかな風に乗って飛んできた。


「恩とか気にしなくていいよー! 私たちはやりたくてやってるだけだからー! あ、そういうネタだったらごめんねー」


「そんなかしこまっちゃってー」


「その棒読み感、台本暗記してるなー?」


 なんか、泣きそう。いや、ロンリーさんとネクレスの前でだけは、絶対に泣きたくない。

あと、台本暗記バレてるのちょっと恥ずかしい。


「ね、ネタじゃないんだけどなーって……

あ、と、見せかけてバレた?」


 ここはネタってことにしておいた方が面白いんだった。危ない危ない。


「じゃあ、行こっか」

 そうネクレスは軽く肩に手を置いて促した。

 もうタイムアップか。そう悟り、私は皆に手を振る。 


「あ、皆ー! お土産のリクエストあったら手紙で送って! 量と値段次第ではスルーするけど!」


 皆に手を振りながら、ネクレスの元へと歩を進める。


 そして、私はみんなに見守られながら「じゃあねー」と叫び、ネクレスと共にラポールのラポールシティへとワープした。 


 すると、地面は平原から石畳へと、視界にはシックで華々しいオーニングの列や、巨大な裸眼立体視の液晶画面が設置された高層ビル、林立する雑多ビルに、街を行き交うオシャレで華やかな人々が広がった。


 辺りには赤や黄色、緑に光るモノアイをともしたゴミ箱ロボットが、プラスチックと金属、燃えるゴミと、それぞれのカテゴリを持って彷徨っている。


 「うあー半年ぶりだねー! 変わらないなー」


「まあ、半年だし」


「それもそうだねー」


ネクレスが金属製の腕時計を見やる。


「ピース緊張してる?」


「……まあ」


淀みながら言うと、ネクレスはイタズラに、得意げに微笑んだ。


「リルコ寄るか」


「うん。その表情ムカつくなー」


「素直でかーわいっ」


「うるさい」


実の所、ここに来ることを計画してる際に、緊張するかもしれないから十五分くらいは余裕を持って行こうという事になっていた。

ネクレスの提案だった。


そしてその時の私は、皆と話せる時間が減るからと反対していた。


けれど結局。 休日に会おうと思えば会える訳で、何より良く考えれば出発の日の十五分なんて別れまでの猶予を伸ばして、私の心をよりもたつかせてしまうだけだ。と、いうことでネクレスの提案を呑むことになった。


そして今、その提案のおかげで安心出来ているという。 少し自分に腹が立った。


一本取られたみたいでなんか悔しい。


何より、ネクレスが『ほらねー』とは言わず、得意げに笑いかけて来ているところがもう、


しかも、そんな私を、どこか見透かされている気にすらさせる──


何がうふふっだよ。


そして、同時に当然かのようにこういう機知を効かせて来るところに、大人の気配すら感じて恨めしさすら感じる。


どうせ私はまだまだお子ちゃまだよ。と心の中で不貞腐れた。


そうして、私たちはネクレスのワープ魔法でリルコの近くへと向かう。


入り口から十メートルは離れた場所に到着した。 ホントなんなのこの人は。奢って貰う以上は文句を言えないということも相まってよりムカついた。


まあ着地点を目標から少し離したのは、きっと少しでも私と長く話すためだとは思う。

別にそれは良いんだけど、なんか手のひらの上で踊らされては焦らされてるように感じて腹が立つ。


ネクレスが微笑みかける。


「それはそれとして、何してたの? 相合傘なんかしてー?」


ヒューヒューと茶化すように言うネクレス。ノリがムカつく。


「雨降ってきたから傘さしたら侵入してきたんだよ」


少し不機嫌に答える私。ネクレスの微笑みは少し困ったような笑みに変わった。知った事ではない。


「なるほどー。 ロンリーのやつ相変わらずだなー。 メイクで涙跡隠してたし」


「え?」


「あ」


そんな時、突如としてゾッとするようなネガティブな感情が肌を撫でてきた。 同時に胃酸のようなしょっぱい味によく分からない苦味が口の中に広がっていく。


なにこの空気──────


周囲の空気がガラッと変わった。


ふと、ネクレスを見る。

(ネクレスは気づいていなさそうだ)


様々なネガティブを混ぜたような空気がより濃度を強めていく。


私の体調がたちどころに、悪くなっていくのが分かった。

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