序章Ⅱ

 明暗差のある灰色を塗り重ねたような曇天のもと


 見渡す限りの平原。 その一部分に点在するシャーシ付き、無しの、タイニーハウスにコンテナハウス、トレーラーハウス。


辺りには、疎ながら盛大な伸びをする人。 歩きながら談笑をしている人。 灰色の空をぼんやりと眺めやる人。


 一見するといつも通りで、つい気が緩みそうにはなるけれど、時たま髪の先をそよぐ青い風に、やっぱり今日が来たのだと、実感させられる。


 にしても冬のような寒さだなー。

 めっちゃ曇ってるし。

 確か、天気予報だと三十分後には雨六十%だっけ。


私は、はー。と、軽くため息を吐いた。


今日は朝からほんと、幸先が悪いっていうかなんというか……。


まあ、別にいいんだけど。どうせなら違う日であって欲しかったわー。


  これからの出来事に対する期待はそのまま、どこか上がりきらない感情を胸にげて、辺りの人たちと軽くいつもと違う挨拶を交わすピース。 するとふと、懐かしくも覚えのある感情を捉えて当惑する。


 え……。 これって……。


 硬直していると、鈴を転がすような、か弱く明るげな声が飛んできた。


「ピースっ、おはよっ! 制服似合ってるね!」


 見やると、こちらに小走りで来るサロペットにサスラン色のトレーナーを着こなす友達──ウォリー・アンダルーフ。


  フワッと一纏めにしたブラウンの髪束を背中に乗せ、サファイヤのように煌めく青い瞳を小刻みに揺らしながら、どこか自信が無い様子で手を振っている。


 私も普段通り明るげに「あ、おはよー! ありがと! おかげでちょっと自信ついた」と、挨拶を返すも内心は動揺でいっぱいだった。


 間違いない。

 

 珍しくささやかな嬉しさを含んではいるものの、この不安と緊張に淋しさと謎のモヤモヤ。そしてこのフルーツのような甘酸っぱくてほろ苦い感じ。


 ウォリーの感情だ。


 でも、どうしてだろう。


「それはよかった。 ピース?」


 二年前の梅雨を境に全く感じなくなったウォリーの感情。

 ウォリーは得意面で『修行の成果』『これでバレないね、私の感情』などと言っていた。


 その時は苦笑いで「すごいね」と返していた私だけど、感情を読みすぎたことで怒られたばかりなこともあって、したことを覚えている。 それ以来、気持ちが分からなくて不安になることも増えたのだが。


 まあ、私の制服姿を見て悩殺されたのだろう……。 んん、そうであったら良いな。 ソユコトニシトコ。


 というか、さっきから。 何だろうこの違和感は。 何か、いつもと……まあ今日がいつもと違うのだからいつもと違って当然なんだろうけども。 そういう事じゃなくて……


 すー……。 

 考え事に意識を飛ばすピースのよそで、ハッとした仕草を見せるとウォリーは唐突に空に手を伸ばしながら深く息を吸い始めた。

宇宙との交信だろうか? いやウォリーにそういった一面は無いはず……。

と、思いながら「て……。 何してるのウォリー?」と訊いてみるピース。


 ふー。


 私の反応に構わず、今度は、手を下げてゆっくりと息を吐いていく。 深呼吸をしていたのか。 でも、唐突にどうして?


そんな疑問は、ウォリーから放たれていた感情が消えたことで、解消された。


 あれ?

 

ふと現れた、考えもしなかった状況に驚き、つい動揺の色を見せるピース。


「これで、大丈夫かな。 感情は」


「え、あ。 うん」


 動揺を消せないままでいる私に、ウォリーは笑いながら「大丈夫、怒らないよ。 今回は私がドジっちゃったんだし」と、わざとらしく背中に手を隠した。


「あはは……それは良かったー」


 こんがらがる頭から出るなんとも言えない笑い声を上げたところで、私はふと、先程から浮上している違和感の正体に気付く。


「て、泣いてない。 ウォリーが……泣いてない……!」


 そうだ、あのウォリーが泣いてない。 それどころか笑っている。ぎこちなくはあるものの、どうして。


今日イチの驚きだった。 て、今日はまだ始まったばかりだけど。

ただ、今の私の顔はきっと、かの有名な叫びを描いた絵画のような迫力を醸している事だろう。


それを示すように、ウォリーが若干、大袈裟なものを見るかのような苦笑いを浮かべていた。


「え? 今気付いたの?」


「うん! 何かあった!?」


「何も無いよ」


 ウォリーは、ぎこちない笑みを浮かべる。

 というか、この少し赤い目元、もしかして。

 さっきからなんか赤いな、とは思っていたのだけど……


「ほ、ほんとー」


 一旦それには触れないようにと、用心しながら私は続ける。


「でもあの、私の部屋を見ただけで泣いていた、あのウォリーがねー」


「ふふん、感慨深いでしょ」


「まあね」


 ウォリーはとても繊細な人だ。


 私が初めてバイトをした際は、仕事を終えるとたちまち『幸せ』だと号泣していたし、初めて部屋を見せた日も、共に物や料理を作った時も『幸せ』だって泣いていた。 そして、私の誕生日を迎えると、その度に『成長がなんとか』と、滝のような涙を流して崩れ落ち……


ある意味、この村で一番、私が思い描く母に近い人だったのかもしれない。

まぁ、母が何かと言われれば結構、曖昧な所はあるけれど。


「これからピースが、こことは違う場所で成長していくって考えた時に、負けてられないなと思ってね」


 でも、そんなウォリーが今は笑って、って。 まぁ、そんなことを言ったところで、きっと私と会う直前までは、泣きまくっていたのだろう。目元の赤みから大凡おおよその想像はつく。

 だからこそ……凄いな……。 耐えてるとはいえ、ヴァリーなりに頑張ってるんだ。

 きっと、釣られやすい私の事も考えての……。

 て、あれ? なんか口の端、さっきよりちょっと歪んでない?

 今にも泣いちゃいそうな感じだけど。

 

 やめてよ。つられちゃうから。


 ただ、私にはそれがとても目新しく映った。


「なにそれ」


 ふと、これが成長のきざしなのかなって。直感に似た思考が脳裏によぎる。


 不意に腕時計を確認したウォリーの口角が、ふと歪んだように見えた。


「もう十分経つのかー」


「え、早いね」


 寂しさが胸をこ突く。これは私の感情だ。


「じゃあ。 朝礼近いし、私はこれくらいにしておくよ。 ピース、まだ挨拶できてない人いそうだし」


「あ、そうだった。 皆に挨拶して回らないと。 でもよく分かったね」


「勘かな」


「鋭すぎない?」


私の茶化すつもりの返しに「ふふ、まあね」と得意面を見せると、手を後ろにやって上目遣いで続ける。


「じゃあ……最後に私から一言。 手短に、済ませるね」


「え、うん」


 ウォリーはすっと息を吸い、潤んだ目で泣くのを我慢しながら言う。


「友達も大事だけど、喧嘩を恐れ過ぎたらダメだよ。 必要な喧嘩もある。それを忘れずにね。あと。困ったらすぐに相談!  ただ、乗ってくれないような人は、心に余裕が無かったりするから、ピース自身に余裕が無い場合は、ちょっと距離、置いた方が良いかも。


あ、あと、最後に。 お土産は美味しいのをお願いねっ。 帰ったら土産話聞きながら一緒に食べたいからっ」


 途中で、双眸そうぼうを斜め上に逸らし、しまいには背中を見せてきた。


 何後ろ向きながら言ってんねん!と、ツッコミを入れようとしたピースだったが、後ろに向く途中のウォリーの頬に一筋の涙が見えたから、グッと我慢した。


 「あ、うん」と一言。 続けて、何とも無しに「分かった」も、付け加えるピース。


 他にも何か言った方がいいと、直感が背中をさするも、ピースの口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。立ち込める空気が苦しかったからだろうか。


 ザワザワと気を急ぐ気持ちが強くなっていくのも分かる。


更に、つられているからか、私の胸の奥がじんわりと熱を帯びたのを感じる。つい目を泳がせながら言葉を探してしまう。


 されどウォリーは、そんなピースの心模様など分かりもしない。


気さくでありながら惜別せきべつの色を含んだ笑みを浮かべると、「じゃ」と、涙の絡んだ声を出す。


続けて、どこか恥ずかしそうに喉を鳴らすと先程より、澄んだ声で続けた。

「 じゃーねー。 ピースの成長"も"楽しみにしてるよー!」


「あ」

 ウォリーに投げかける別れの挨拶を考えるも、多すぎるのか喉の奥で絡まってしまう。


そして、その絡まり合った声の軋みが耳に入ったのか、ウォリーは背を向けたままピースに言った。


「あれー? ピースは挨拶して回るんじゃないの?」


 何故かは分からないが、私はそこで心臓を押し出されたような気がした。


「あ……あ、うん! 最高のお土産買ってくるから、楽しみに待っててね!」


 そうして出た言葉が、この言葉だった。


「うんー。 バイバーイ」


「ばいばーい」


 そうして、二人は別れの挨拶を終えた。


少しモヤが残る別れ方だとは思うけれど、これがウォリーの成長に繋がるのならと思う事で、嬉しさの笑みを浮かべられる。


それにしても────────

結局泣くのかよー。この泣き虫が。

でも……。


 貰い泣きしなくてよかったー!


まぁ、さっきの会話。 次会った時には黒歴史になっていそうだけど。いっか別に。ウォリーだし。


  よし、次はだれにしよ。


 早く済ませてって、あー。 フルーツジュースを持ってくるのを忘れてた。どこまでポンコツなんだろうか私は。


 でもいっか。 ここを出る時、『家から持ってって』って伝えればいいし。 家の掃除は午後だから夕食のお供にでもしてもらおう。


 すると、後ろから元気そうな青年の声がやって来た。


「ピースよっす! 今日もまた元気そうだな! 」


 その晴れやかな声の元に目をやると、そこには季節外れにすら思える武道着のような半袖長ズボンを身に纏う青年、シースタ・カンパベルフの姿があった。


腕に巻かれた紫のアームバンドはまだ健在のようだ。ここに来た時から、すでにボロ切れみたいで、懐かしさすら感じるレベルだったが……。


余程、思い入れがあるのだろう。 いつ無くなってもおかしくないその儚さにハラハラしてたけど結局三年、ったからなー。


 数本の黄メッシュの入った紫のパーマを風に靡かせながらこちらに挨拶を投げつつ、手を自然に任せているような脱力感で、挙げては下げるシースタ。


 ウォリーを朝礼に呼びに来たのかな?

 とはいえ、シースタもちょっとは寂しいのか。


 寂しい風が頬を突き抜けた。


「よっす! シースタ! まあね! ウォリーのおかげさまで」


「それは良かった。 にしてもウォリー。 似合わないな。もっとギリギリまで話すと思ってたけど」


 言われてみればそうだ。 でも、そうか。

 これも、あのって気持ちの表れなのか。 ウォリーの克己心が相当強いことが今、改めてハッキリと分かった。

 私も、負けてられないな。


「私がまだ、皆に挨拶出来てなかったからかな」


 シースタは、分かりにくいほど小さく微笑む。


「そうか、相変わらずだな」


「それにしても、もう朝礼かー。早いなー」


 私は呟くように言った。


 その時、シースタに少し翳りを感じたような気がする。


「そうだな。 ピースはもうすぐここを出るしな。 心残りと忘れ物は大丈夫か?」


「私は大丈夫かな。あと、忘れ物も多分大丈夫だと思うけど……」と、言いながら一応確認してみると「あ」と、傘が無いことに気付いた。

 一応持っていこうと思ったそれは、きっと今、リビングの机にあることだろう。


「嘘。あんな分かりやすいとこに置いてたのに……」

 そう狼狽えていると、シースタが腕時計を確認して声を掛ける。


「まぁ、向こうでも頑張れよ! あと美味うまい土産もよろしく!」


 見送りの挨拶にも思えたそれに、私はあたふたと、傘との思考の切り替えにこんがらがりながら「あ、うん! それは任せて!」と返した。


 そして、その一言を合図とするように、シースタは仕事前の朝礼へと歩を進め始める。


「ウォリーを頼んだよ!」

 と、手を振るピース。


「おう! またなー!」


 シースタは手を挙げながらそう言うと、完全に背を向け、朝礼へと向かった。


「もうすぐか」


 いつもなら、このままウォリーとシースタに着いて回って、陶器作りの仕事や料理を作る仕事、時期によっては農家の手伝いをしていたな。


 最近だと、先月の春先から農家が忙しくなった影響で、ちょくちょく農家の手伝いに行ってて、たしか今日も行く予定だったと思うけど。

 この天気だと陶器作りに変更だろう。


 まぁどっちにしても私にとっては、凄く楽しいから少し羨ましく思うけど。

 思い返すとつい笑みが溢れた。


 というか、ふと思ったけどロンリーさんは、一体何してるんだ? 寝坊するタイプには思えないけど。


 あー、でも良いか。 ロンリーさん結構時間使いそうだし。


 よし、じゃあロンリーさん来る前に軽く挨拶済ませておくか。


 そう心を奮い立たせると、ピースは平原を走った。

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