ソーサリー・ピース

とm

冒険のプロローグ

序章Ⅰ

 ───ん……。


頬をかすめるイジワルな冷気と、追い出すのを躊躇ためらう、ふんわりと優しいコットンの温もり。


 ぐいっと眉根を寄せながら、左を向いて沈む体をソロリと歩きながら伸びをする猫ように伸ばしていく。 そしてふと、瞼を開けると瞳にボヤけた灰青色が差し込んだ。


 もう朝か─────


なにやら白い窓枠の向こうから、ささやかながらもせわしない音が聞こえてくる。


皿を拭くような声でチュンと囀ってみては、パタりパタりと羽をはためかせて、コツリと窓にぶつかる可愛い小鳥たち。夫婦で巣作りの内見に来てるのかな? なんて思うと心がウキウキとする。


続いて、人々の淋しそうでありながらも、だいぶ気合いが入った様子の掛け声や話し声。

普段なら私も起きなきゃなって気分にさせられて、ちょっとだけ憂鬱。なんだけど、今日に限ってはこれからしばらく聞けなくなるのかと。ちょっと寂しい。 やはり慣れ親しんだモノが離れる時って、こういう気持ちになるんだなあと、関心にも似た不思議な切なさを抱いた。


そして、時折ヒューっと、いつもより強く窓を押す風の音。


……今日は、また一段と冷え込みそうだと、戦慄する。


というか、部屋の中にしてはちょっと寒くはないだろうか? 昨日、寝る前に暖房を消したとは言っても、普段ならもう少し暖かいはず。

春だし。


きっと、素手で作業に取り組む人たちは今頃、悴んだ手のひらを電子ヒーターや白い息で、必死に温めているんだろうなあ。


大変だな。


なんて、これから制服のポッケに手を入れぬくぬくと学校に向かうつもりの私は、半分他人事のような気持ちで思った。


すると、脳が覚醒したのか、起きる気力が湧いてきた。


よし、起きるか。


今日は入学式であり出立の日​───────


洗いたてのタオルを抱きしめるようなワクワクと、未知の世界への緊張感が、いやに居心地の悪い寂しさを引き連れて、肥大化していくのが分かる。


早速、私はふかふかのマットレスに手をつき、膝を食い込ませながら上体を布団の海から引き上げていく。洗面所に向かうためだ。

 毛布が背中をさらりと撫でる。 ごくり。

暖かい布が全て上体から離れると、先程までそばにいた、聖母のような優しさが霧散した。


 寒ッ──!


脊髄反射で腕を抱き、肩を震わせるピース。


何これ、今春じゃなかったっけ!

四月七日は春だよね!?

なにこれ冬並の寒さなんだけど!!

もしかして、タイムリープした!?


 いつもなら、この時点で毛布を身体に巻き付けて、ロールケーキのようになるのだけど。


今日は早めに準備しないと遅刻する!


 ……というより、すぐにでも制服を着て、皆に見せて回りたい!


 早く反応が見たい!!!!!


 そういう事もあり、身体から離れた毛布の端がベッドから垂れて、床に触れそうになっている事にも、構わなかった。


 けれども、マットレスから立ち上がろうとした時、つい伸びをしながら盛大なあくびを漏らしてしまう。 起きてから二回目だ。


 あまりの寒さに冬眠したくなったのだろうか。

少しもどかしい。


 大きめな伸びが終わると目尻に豆粒ほどの涙を浮かべながら、左手で暖房用リモコンを掴んでボタンを押した。


「ん?」


 そこで私は足を停める。

身体を洗面所へ向かわせようとしたところだった。

ふと、部屋中に鳴り響いているはずのものが鳴っていないことに気付いたのだ。

もしかして、本当にタイムスリップした?

いや、目覚まし時計が鳴るより先に起きただけか。


実際、目覚まし時計が鳴るより先に、目を覚ますことなんて、それほど珍しくはない。

なんなら、ここ数ヶ月は目覚まし時計がなる十分前には起きているくらいだから。


されど、"何となく気になった"という感覚には抗えないのがピース。 つい、視線を近くの時計へとずらして行く。


 そして、止まった。


いや、厳密に言えば目覚まし時計に記された時刻を、視界の中央に捉えたとき、思わず呼吸を止めてしまったのである。


 (えっ……? なんで鳴ってないの?)

 

しばし、容量オーバーで固まる画面のように佇立するピース。


電子時計に記されたのは『4/7(水) 06:45 33.45』。


私の"何となく気になった"は、虫の知らせだったというのだろうか……!?


血の気がものすごい勢いで引いていくのが分かった。 全身が真っ青になりそうだ。


(いや、それよりも───────────)


 グゴゴゴゴゴ!!!!!!


溢れんばかりの焦燥感が一気に胸のふもとまで押し寄せる。


「ああああああああ!!!!!」


慌てはためく手足を使って、強引に醒めきれない身体をベッドから投げ降ろした。


 昨日か今日か、いつ家を訪れたも分からない冷気が、布団を出て直ぐの身体を強ばらせる。


(ヤバいヤバいヤバいヤバい!!!!!

予定より十五分遅いじゃん!!)


 七帖程の冷たい木床をトストス。


「ひえっ!!」


反射的に飛び上がる。その様子は水中から飛び跳ねた魚のよう。


  そのままの勢いで、強張る足を、走るにしてはのろい速度で進めつつ、腕を抱き、か細い悲鳴を上げながらカントリーチックな部屋を駆ける。


   (もー!!!!!かんべんしてくれよもー!!!!! 昨日の私ホント! ポンコツすぎる!!!!!)


 鳴らなかった理由。それは至極単純で、目覚まし時計の設定を変更し忘れていたからだった。

 ちなみに、普段の設定では七時十分と、八時半頃から始まる仕事に備えていた。

 それに今、気付いたのだ。

今日はいつもより早く起きなきゃいけないって、結構前から言い聞かせていたはずなのに!!!


 昨日の有り余る時間に後悔の炎を燃やしながら「この私のポンコツやろー!!!」 と、叫ぶ。

 つい勢い余り、洗面台にもたれかかる─────が、何とか体勢を戻して鏡の自分と顔を見合せた。


  (まあ悔やんでいても仕方無いし、取り敢えず出る時間を七時に変更……あ、これは……)


 鏡に映る自分の、カサカサとした結晶で白くなった目尻に、そこから頬へと流れる乾いた涙の軌跡─────


 それを見つけた途端──


金属製のトレーラーハウス。

そのドアの前に設置された低い階段に、それを照らすオレンジの電灯。


その灯が射す階段に腰かけて、笑い泣くセミロングの女性に、自分の頬を伝う涙の感触。しょっぱい味。


ついでに、バカみたいな思い出話とタラレバ話に、その夜眺めたデカいほうき星まで。



うわー。 今だけは忘れておきたかった記憶がこうもありありとフラッシュバックするなんて。


 恥ずかしさのあまり私は、つい瞼を閉じてしまう。


 続いて、慌てた手で蛇口を捻り、バカみたいに冷たい水道水でバシャバシャと、顔、特に目元を擦っていく。感情ごと洗い流せ! と、言わんばかりに。

 

あーー昨日泣いてたんだ私。というかあれ夢じゃなかったんだな最悪だ───────


 あーーーーー!!!!!!!!!!!


  堪らず私は心の中で叫んだ。


ちなみに、そのセミロングの女性────ロンリーさんは、三年前身寄りのない私を拾ってくれた親代わりのような存在だ。

感謝の気持ちを忘れたことは一秒たりともないのだけど、今ではちょっと煩わしくもある友人のような人に思えて仕方がない。


まあ、それだけ親しみやすい良い人だ……恥ずかしいからやめよ。て、それよりも……。


 ───────合わせる顔が無い!


 (もういっそ、今すぐにでも出発しようかなっ……こっそり抜け出してね……て、まだ皆にお礼出来てないんだよ私)


 冷水による効果か、一旦冷静になった自分にツッコミを入れつつ、大きめのため息を漏らす私。 惨めだ。


 ───割り切ろう。


   歯ブラシを取り出す。


 次に歯磨き粉を付けると、せかせかと歯を磨きながら、空いた手で櫛を取り出し、肩まで伸びた赤毛の跳ねを梳いていく。


 普段は別々にゆっくりと済ませていくのだが、今回は時間がない。 新しい技に挑戦してみる事にした。


 (それにしてもあと六分か。 最悪、朝ごはん抜きで……)


 寝癖が落ち着いてきたところで、髪が数本、絡みついた櫛と、歯磨き粉で泡だった汚い歯ブラシを洗って、口内を軽くゆすいだ。


 (いや、やっぱご飯は食べておこう。

 入学式の途中にお腹鳴ったらやだし)


 仕上げにタオルで顔を拭くと、再び木床を駆ける。相変わらず冷たくはあるものの、足はもうすっかりと馴染んでいて、人間ってなんか凄いなっ。なんてちょっと呑気なことを思った。


 そして、冷凍庫を開けると、レーズン入りの大きめな蒸しパンを取り出してレンジで温める。


(まだ温まって無さそうだけど、時間無いからなー)


 少し暖めた後の蒸しパンが乗る皿を、コンと音を立てダイニングテーブルに乗せると、次は食器棚の元へと向かい、今見ると不出来に思える陶器のコップを取り出した。 相変わらずこの部屋の雰囲気と合っていない。


 続けて、冷蔵庫から大きめの真空ドリンクボトルを取りだして蓋を開け、作り置きのフルーツジュースを不出来なコップに注いでいく。

 甘酸っぱい香りに、新鮮なフルーツを頭に浮かべた。


 (余った分は皆に配るとして)


 ふと時計を見やる。


 (あと三分か)


 フルーツジュースを余した容器を、冷蔵庫に戻すと────


バタりッ───────そっそっそっそっ……


 コップからジュースを零さぬよう、気を付けながらゆっくりと食卓へ向かう。

 無事に着くと、陶器コップをテーブルに置き、椅子に深く腰掛けた。手を合わせる。


 あ。


 特性クリームが乗った手のひらサイズの皿を、冷蔵庫から持って来たところで、改めて手を合わせて朝食が始まった。


 (ちょっと冷たい……けど……。 美味い。 でも今日はちゃんと温めて食べたかったな。 まあちゃんとお礼も言えずに、ここを出る方が嫌だから我慢するけど。


 しっかし、これがしばらく食べられなくなるのか。 ちょっと寂しいな。 リルコでエッグベネディクトを食べられるのは、楽しみだけど)


 リルコとは、ラポール郊外の国境手前に立ち並ぶオーニングの一番前にあるカフェで、正式名称は【Lyrical Lucks Coffee】。


 外観、内装ともにシックで洗練された開放感を煌めかせていて、初めて入った時はその見慣れない内観に目を白黒させていた。


 そういえば、あの時立ち止まってあわあわしていた私に声をかけてくれた優しい店員さん。

 マナーや注文の仕方、この店のオススメまで教えてくれて、ほんと天使みたいだったなー。


 まあ。 終始側で、笑い堪えて見てただけのネクレスとガイドさんは悪魔みたいだったけど。


 店員さん、元気してるかなー。



 ちなみにエッグベネディクト、(正確にはラポール特性のエッグベネディクト)は、その店のオススメだ。


 ───────て、早く食べないと!!!


「ご馳走様!」


 両手を合わせて、洗ったお皿とコップを食洗機に入れると、最後は制服に着替えるべく、ハンガーポールの元へと走りだした。


 そして、ハンガーポールに着くと、先ずその横のベッドにベージュのパジャマを脱ぎ捨てる。


 あ、そういえば。ここを出たら、皆に家の掃除とメンテを任せることになるのか。

 場合によっては、工事とかも。

 ただでさえ忙しそうなのに、なんか申し訳ないな。


 下着姿になった私は、悪い魔女が植えた木のような形をしたハンガーポールから、急いで制服のシャツとリボン、ジャンパースカートを取り外していく。


 このハンガーポールもこの家には場違いだな。


 ふと、口角が緩んだ。


 友人のウォリーと会って間もない梅雨の出来事を思い出したからだ。  ハンガーポールやコップ、椅子をDIYすることになったあるバイトの休日。


 作ったはいいものの出来は最悪で、椅子に関してはその日の内に使い物でなくなってしまったが、ウォリーは『幸せ』だと、呟きながら号泣していた。 


 訳も分からず私もその涙に釣られちゃったんだけど、それをキッカケにウォリーといえば"泣き虫"、私と言えば"貰い泣き虫"というレッテルが付いたのは苦くもある"いい思い出"だ。


「もう、二年か」


 きっと今日も盛大に泣いてくれるだろう。貰い泣き虫の私からすると、何としてでも我慢して欲しいんだけど。て、誰が貰い泣き虫や! ついツッコんでしまった。


 まあ、あの泣き虫ウォリーのことだから仕方ないか。ハンカチ持っていこ。


 ちなみにウォリーは、私の数少ない友人の一人であり、それと同時に色々とお世話になったバイトの先輩でもある。


 シャツの胸元に緑のリボンをあしらい、風モチーフのロゴが胸元に入る紺のジャンスカを着ると、スーッと長めの靴下に脚を通していく。


 最後に後ろ髪を結い上げると、仕上げに近くにあるブラウンのサッチェルバックバックを持ち上げ、その中に入ったコンパクトミラーを取りだした。


 頭上にかざして身だしなみをチェックする。


 まずポニテはOK。スマイルは、ちょっとぎこちないけど別にいいとして。服の乱れは無しと。


ちょっとした遊び心でウインクをしたら、つい吐き気を催した。


 (時間は七時六分。 あと二十分か。 やっぱ予定通りには行かないなー)


 (ロンリーさんと会うの、まだ気まずいし)


 (……取り敢えず出るか)


 コンパクトミラーをサッチェルバッグにしまい、玄関へと走った。


   (て、パジャマ!)


 玄関の手前からベッドのもとへUターン。

 急いでパジャマをたたみ終えると、ついでに忘れていた暖房の電源を切った。


 そうして、家具や電化製品。 観葉植物のサンスベリアに別れの挨拶を掛けると、緊張とワクワク、複雑な思いを胸に携え、揚々ようようとした足取りで玄関のドアを開けるピースであった。

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