イベント6 異世界帰りの幼なじみと勉強会をするらしい。参加者が俺以外、全員女子なんだが ①

 ――しかし、ぜんぜん授業についていけねえ……


 俺は心の中で呟く。

 

 こずえと高校に通い始めて、数日。

 俺は、幼なじみの巻き起こす様々な問題に頭を悩まされ続けてきたが、実は俺自身も深刻な事態に直面していた。


 学力不足だ。


 そりゃもうなんにもわからない。

 最後の学生生活から10年以上経っているので、ある程度の学力低下は予測していたのだが、現実はそれ以上にひどかった。


 特にいま受けている英語だ。


「ミスター木島きじま


 タイミングを見計らったように、英語教師が俺を指名する。


「今の英文を訳してくださーイ」

「えーと…………あー、すみません。わからないっす」

「オーノウ!」


 教師は片手を額に当て、大仰に首をふる。


「では、んー……」


 壮年の男性教諭はクラス内を見回し


「ミス依知川いちかわ


 よりによって、梢を指名した。


「ハッ!」


 きびきびと立ち上がる彼女。


「わかるところまででいいから、訳してくださーイ」

「ハッ!」


 手にしたテキストをじっと睨む梢。

 最初の一文は『Iam a queen.』だ。

 今の俺でもさすがにわかる。


 梢が口を開いた。

 

「私は土下座して命乞いする敵を見下ろした」


 教室中がクエスチョンマークに包まれる。


「…………ホワッツ? なにかなそれは」

「ハッ! この文章の意訳です」

「意訳?」

「私なりに行間を読んで補完して翻訳しました!」


 めんどくさいタイプの読書家のような解説を述べる幼なじみ。


 英語教師は両手を上に向け、フゥーッと天を仰ぐ。


「ミス依知川は私をからかっているのかナー?」

「まったくそんなつもりはないです」


 即答する梢。


「あー、先生」


 さすがに見かねた俺は、手を上げて発言した。


「彼女は俺と同じで、転校してきたばっかなんですよ」

「それはIknowだが、いくらなんでも――」

「しかも彼女、なんです」


 教師の眉がぴくりと動いた。


「……そーでしたカ。しかし、なぜ私が帰国子女とわかったのかナー?」

「あー、先生の英語がすごく流暢ですので。海外に住んだ経験のない他の教員とは全然違うなー、と」


 俺の言に、彼は顎に手をあて、フムフムと何度も頷く。


「エクセレント! 見事な推理でース!」

「やっぱり米国ですか?」

Seattleシアトルですヨ」

「いつ頃から?」

「私が6歳の時に父の転勤で――」


 英語教師はその後、終業のベルが鳴るまで、自らの生い立ちを語り続けた。

 いわゆる、授業の脱線というやつだ。


 やれやれ、なんとかうまくいったな……。




「で、ホントはどうやって帰国子女だって見抜いたの?」

 

 休み時間。

 梢の元へと向かう俺に、樹里じゅりが尋ねてきた。


「あー、あれか」

「発音が流暢だからとか、嘘でしょ?」

「まあな」


 俺は大きく肩をすくめてみせる。


「あの人、こんな感じの大袈裟なジェスチャーが多いだろ? あと、語尾が片言外国人の真似だし。こんな風にネ」


 先程の英語教師の口調を真似てみせると、彼女はぷっと吹き出した。


「なるほどねえ~。それでピンときた、と」

「そう」


 まあこの手の『俺は昔〇〇だったんだけど~』イキリを言動でほのめかすタイプは、俺のいた底辺ブラック職場ではよく見かけたし、ここ数日あの教師を観察し続けて、だいたいあたりをつけてたってだけの話であるが。


「まあ、あそこまで自分が語りするとは、俺も思ってなかったけどな」


 俺としては、梢から注意を逸らしたかっただけである。

 

「……やっぱり、たっちゃんは他の男子たちとは、精神年齢がぜんぜん違う気がするなあ。なんか成熟してる感じ」


 樹里はにっこり笑って、俺の顔を覗き込むようにうかがう。


「……気のせいだろ」


 俺は、ささっと目を逸らして告げた。

 

 ……いかんいかん、この子は勘が鋭いんだった。油断してると、俺が若返ったおっさんだってバレるぞ。


「それはそうと梢――!」


 俺は話題を変えるべく、本来の目的だった幼なじみに声をかける。


「さっきのはなんだったんだよ?」

「なにとは?」

「あの無茶苦茶な英訳に決まってんだろ」


 小首を傾げる梢。


「私は的確に翻訳したつもりだが」

「いやいやいや、梢ちゃん。どこをどう訳したら、Iam a queenが土下座して命乞いとかいう話になんのw」


 樹里も笑いながら尋ねかける。


 梢は英語の教科書を取り出すと、例の一文が記載されたページを開いた。


「まずこれだが――」


 細やかな指が、最初の単語である『I』を示す。

 

「これは人を見下している直立した人間だ」

「「なんで???」」

「まあ聞け。そのあとのamは地に四つん這いになって許しを請う敗者――つまり敵の姿を示している」

「なるほど、orzって――それは絵文字じゃねえかあああっっ!!」


 しかも、もはや死語になって久しいネット用語だ。


「最後のa queenはよくわからん。たぶんおまけだろう」

「わかった。おまえがとてつもなくバカだってことは、俺にもよくわかった」

「あははははははは」


 腹を抱えて笑う樹里と、こちらをまじめくさった顔で見上げる幼なじみ。

 それを絶望的な思いで見下ろす俺。


 そんな俺たちに横合いから声がかかる。


「queenは女王です」


 長谷はせだ。

 彼女は眼鏡をキラリと反射させて、梢に尋ねる。


「これを聞いたら、あなたならもうわかりますよね?」


 ハッとした顔になる梢。


「そうか! 女王が四つん這いで許しを請う者に罰を与えようとしている。これは、そういう一文だったのか!」

「そう。女王様と犬――いわゆる調教プレイです」

「ちげぇだろ!」


 俺の突っ込みを無視して、長谷は眼鏡を持ち上げつつ、告げる。


「性に目覚めたばかりの男子中学生でも気付かないような教科書に潜むエロを見抜くとは……さすがです」

「ちょっとこの子、大丈夫!? 初めてパンツをもらった時は、もっとマトモに見えたんだけど?」

「その初めてパンツをもらったっていうのもツッコミどころ満載なんだけど、まあ大丈夫だよ。けいちんは耳年増なだけだからー」


 悲鳴を上げる俺に、あっけらかんとした口調で樹里がこたえる。


「とにかく、このままじゃ洒落にならないから、ちょっとこいつの勉強を見てやってくれない?」


 俺は矢も楯もたまらず、二人にそう懇願した。


 ――苦労して異世界から帰ってきたというのに、このままじゃ俺の幼なじみは確実に留年コースに突入してしまう


 

 

 かくして、俺たち4人は放課後、長谷の家に集まって勉強会を開くことになったのであった。

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