第8話「自信喪失」

 主がいなくなったボス部屋で、アフロディーテは俺の治療を続けていた。アフロディーテの背中から流れ出る血が床を濡らす。俺は我慢できずに懇願した。

「アフロディーテ! お願いだから自分の怪我を先に治してくれ。このままじゃ、俺の胸が裂けそうだ」

 アフロディーテは俺の顔をじっと見る。そして、優しく微笑むと「はい、旦那様」と言った。


「ハイヒール」

 俺はアフロディーテの背中を覗き込むように見た。アフロディーテの白くてキレイな肌が、みるみるうちに再生していく。アフロディーテのきめ細かくて滑らかな肌が美しい。俺は、思わず抱きつきたくなる衝動を必死に抑えた。すると、アフロディーテの白くて細い腕が伸びてきて、逆に俺が抱きしめられた。

「旦那様が倒れた姿を見て、私の方こそ胸が張り裂ける思いでした」

 アフロディーテの涙が俺の肩を濡らす。

「アフロディーテ。すまなかった」

 俺は謝ることしか出来なかった。


 二人の治療が終わって、俺たちは魔法陣でダンジョンの入口に飛んだ。

 ダンジョンの外に出るとオレンジ色の景色に変わっていた。俺はアフロディーテの背中越しに右腕を回した。服の裂け目を隠そうと思ったからだ。アフロディーテは一瞬体を震わせたが、すぐに平然を装った。だが、小刻みな震えが俺の右手に伝わる。俺は右手に力を入れてアフロディーテの体を引き寄せた。二人の体を赤く染めた夕陽が、互いの頬の色を隠していた。


 ダンジョンからライア村までの距離は近いが、俺が感じた時間は長かった。俺の気持ちを表すように、長く伸びた二人の影が寄り添う。

 アフロディーテと離れたくはない。だが――。

『このままでは、俺はアフロディーテの足手まといにしかならない』

 この先も、俺を庇ってアフロディーテが傷を負うような事があれば、心が耐えられない。俺はアフロディーテの足手まといにならない方法を考える必要があった。


 宿に戻る前に、アフロディーテの服を買う。アフロディーテは美人だから何でも似合う。目に付く物を全て買いたいと思ったが、それは本人に断られた。替えを含めて三着買った。また、気に入った服がみつかれば買えば良い。


 宿で夕食を摂り、部屋で互いの体を拭く。今日こそは寝るぞ、と気合を入れた。

 ベッドに入って仰向けに寝た。アフロディーテが、いつものように横に滑り込んでくる。どうして、女性はこんなに甘い匂いがするのだろう。蜜に引きつけられる蜂のように、俺の意識がアフロディーテに引き寄せられる。


 そのとき、昼間の光景がフラッシュバックした。

 アフロディーテの白くて滑らかな肌が、今は目の前にある。そして、芳しい匂いに誘われて俺の心が揺れる。手を動かせば触れるアフロディーテとの距離。ゆっくりと上下する胸の起伏。目が、鼻が、俺を刺激する。

『ああ、今夜も眠れない!』


 三日三晩の徹夜で、俺は目の下にデッカイ隈を作った。

「冒険者ギルドへの報告は明日にして、今日は休みませんか?」

 アフロディーテの申し入れは、今の俺には大変ありがたい。すでに朦朧としている意識の下で、俺はアフロディーテの言葉を受け入れた。

「そうだな。そうしようか」

「村の南に小高い丘があります。そこに行きましょう」

 宿の人に景色の良い所を聞いたら、そこを教えられたと言う。


 朝食後に宿でお弁当を作ってもらい、俺たちは南の丘に向かった。南門を出て街道を真っ直ぐに進む。小さな森を迂回すると小高い丘が見えた。曲がりくねった道を登る。

「おお! すごく眺めが良い」

 遠くに湖が見える。そこへ流れていく青い川が朝日を受けて乱反射している。湖と川以外は森と草原しかないが、その青と緑のコントラストが美しかった。


 見晴らしの良い場所に腰を降ろす。俺は胡座をかき、アフロディーテは女座りをしている。膝から折り畳まれて、横に流された両足が綺麗だ。スカートからハミ出た太腿が色っぽい。景色も美しいが、アフロディーテはもっと美しい。


 空から降る陽射しが体を暖かくする。俺を眠りに誘う柔らかな光に抵抗できない。頭が自然と前に傾き、何度も持ち上げた。

「旦那様、どうぞ」

 アフロディーテの優しい声に顔を向けると、彼女は自分の膝を叩いた。すでに眠りかけている俺は考える事を放棄した。素直に膝を借りると、そのまま意識を手放した。


 夢の中で俺は、雲の上で仰向けに寝ていた。ふわふわと漂う体が気持ちいい。やがて、雲の中に、ゆっくりと体が沈み込む。そのまま、深く雲に飲み込まれていき、体が雲に包まれる。そして、意識がなくなる。


 とつぜん、意識が覚醒して目を開けた。目の前にアフロディーテの顔があった。あまりの近さに心臓が止まりそうになる。

「どのくらい寝ていた?」

「30分ほどです」

「それにしては、体が軽く感じる」


「しっかりと熟睡したら、そんな感じになるようです」

「そうなのか」

 アフロディーテの膝に頭を乗せて話しているので、二つの大きな障害物のせいで顔が半分隠れて見えない。

「ありがとう、アフロディーテ。もう大丈夫だから起きるよ」

 上半身を起こして、改めてアフロディーテを見た。優しい微笑みに心が癒される。


 その時だった。

「旦那様、争う音が聞こえます」

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