15●追記1…実写合成の違和感と衝撃。それは意図的だった。
15●追記1…実写合成の違和感と衝撃。それは意図的だった。
申し遅れましたが『ヴイナス戦記』には、もうひとつ最大級の謎があります。
なぜ、実写との合成シーンが盛り込まれたのか?
ウィキペディアの解説では、「本作では、アメリカ合衆国のアリゾナ州化石の森国立公園の砂漠地帯が金星のイメージに近いと雑誌の写真で見た安彦の希望により、同地でロケーション撮影が行われた。」とされ、おそらくそれが、本編における二つのシーンで、背景に活用されたと思われます。
ひとつは、スゥがウィルのモノバイにリモートカメラを装備させ、送られてくる戦場の実況映像をTVモニターで見る場面。
もうひとつは、物語のラスト近く、ヒロが難民キャンプをめざしてヴイナスの荒野をただ一人、ひたすらに三輪バイクを走らせる場面です。
いずれも、20世紀のアメリカの風景にザラザラした質感の視覚効果を施したものを、ヴイナスの荒野として背景に使ったというのですが……
ネットのコメントを読むと、これが、すこぶる低評価、酷評に近い。
誉めている人は、まず皆無でしょう。
三次元の実写画像にアニメの二次元キャラを重ねるのですから、確かに違和感があります。
実写とアニメの合成といえば、古くは『メリー・ポピンズ』(1964)、TVドラマの『バンパイヤ』(1968-69)があり、後者では、実写の主人公が今や相棒を連れた特命刑事として大出世されましたね。ただし実写合成が成功したと言えるかどうか、それは微妙……
また成功作として名高いのは『ロジャー・ラビット』(1988)。
そうはいっても、成功例がまれであることは、画面に相当な違和感を伴う冒険的演出であることを物語っています。
どちらかといえば、「実写の世界にアニメキャラが入る」よりも、「アニメの世界に実写キャラが入る」方が、観ていて違和感が少ないと感じますが……。
アニメ作品の一部に実写合成を用いる最大のデメリットは、画面としての出来不出来以前に、アニメファン層から「作画の手間を省略した」と解釈されることにあります。時間とコストを節約するために、安易な手法に走ったのでは……と酷評されても反論できませんよね。
ことほどさように、アニメ作品への実写合成はリスキーであります。
ほぼ百%、作品の評価にはマイナスと出るのです。
しかし一方、そのことは、『ヴイナス戦記』の製作者たるもの、重々に承知していたはずです。安彦良和監督をはじめ
なにぶん神業級の作画レベルが終始一貫する傑作、その一部分に、明らかに観客の評価を損ねると思われる実写合成を用いたのは、それなりに熟慮した判断があったはずなのです。
*
アニメ作品の一部に実写合成を使うと、どんな効果があるのでしょう。
観客はアニメの世界に没入しています。
そこに、実写の背景が登場したとしたら……
いささか興ざめですが、観客は“現実に引き戻される”と感じるでしょう。
『ヴイナス戦記』で用いられた実写映像が、ウィキペディアの記述通りに「アメリカの風景」だったとしましょう。
それが画面の背景に登場したら……
「なんだ、20世紀の現在の風景じゃないか」と、観客は思うでしょう。
その場面では、アニメの登場人物は、21世紀のヴイナスでなく、20世紀の現在に無理矢理に放り込まれた……と、観客は感じるのではないでしょうか。
つまり、観客は“20世紀の現実”に引き戻されます。
これは、確かに興ざめです。
せっかくアニメという非現実の世界にいるのに、つまらない現実の“今”に引き戻される気分になる。
観客は戸惑い、なんだよこれは……と首をかしげることになりますね。
それは作品を観賞するうえで、一般にマイナスの心理効果とされます。
しかし……
この“興ざめ効果”が、制作者によって“意図的に仕組まれていた”とすれば、どうでしょう?
「ここは興ざめですが、観客のあなたの片足は現実に引き戻されてください」
そういう意図があったのではないでしょうか?
*
といいますのは……
『ヴイナス戦記』の作品中で、実写合成が行われた場面は、前述したように二カ所だけです。
一つ、ウィルの二回目の戦場をスゥがモニターで見る場面。
二つ、ヒロがただ一人、マギーとの再会を願ってバイクを走らせる場面。
それ以外の場面では使われていません。
この点はちょっと不思議ですね。単純に、ヴイナスの風景を実写との合成で済ませようとするならば、ウィルの一回目の戦闘場面や、ヒロが宇宙港の激戦に向かう場面、あるいは物語前半のイシュタル軍の侵攻場面や、ハウンドの三両のキャリアーが荒野を進む場面などで、多用されていてもおかしくないのです。
それなのに、前述した二つの場面だけに限定して、実写映像を使用した。
これは、単なる偶然で片付けることもできますが、私としましては、「前述した二つの場面を選んで、あえて制作者が観客の意識を現実に引き戻すために、実写映像との合成を意図的に用いた」と解釈したいのです。
というのは、この二つの場面では、「視点が主観的である」という特徴があるからです。
一つ目の場面では、スゥがモニター画面を通じて、生々しい戦場の殺戮を見ています。彼女の背後にはギャラリーの連中もいますが、基本的にこの場面は、“スゥ本人だけが見た心象風景”と言えるでしょう。
二つ目の場面では、ヒロがただ一人、ヴイナスの荒野を走っていきます。彼の望みはマギーとの再会、ただひとつ、そこに実写で流れる荒々しい大地とひとすじの道は、“ヒロ本人だけが見た心象風景”と言えるでしょう。
それぞれの場面で、観客のあなたは、スゥ、そしてヒロに感情移入して、実写映像を見ています。
それぞれの場面で、あなたは、スゥ、そしてヒロとともに、“20世紀の現実に引き戻されている”のです。
*
ということは……
『ヴイナス戦記』の制作者は、この二つの場面を特別に選んで、あえて無理を承知で、「20世紀の現実との接点を作った」のではないでしょうか。
それが、この二つの場面でのみ実写映像との合成を用いた真の目的ではないかと思うのです。
じつは、この二つの場面は、全編を通じて極めて重要な場面です。
作品のテーマがダイレクトに表現されているからです。
一つ目の場面、ここでスゥはモニターを通じて恐るべき戦場の実態を目にします。
それは、兵士の高揚感とは裏腹に、あまりにも理不尽で残酷な、あっけない死の世界です。
その画面に、20世紀の実写風景が合成されます。
そのことによって、観客は、「スゥの視点を通じて、20世紀の現実に引き戻される」という、奇妙な映像体験に引き込まれます。
観客が観ているのはヴイナスの戦争である、しかし同時にそれは、「20世紀の現実でもある」というメッセージが、そこに汲み取れるのではないか、と思います。
「あまりにも理不尽で残酷な、あっけない死、それが戦争だ。そしてこれは20世紀の今の現実でもある」と、画面は語りかけてくるのです。
そして二つ目の場面、ヒロはヴイナスの荒野を見つめてバイクで疾走します。
それは、愛する人との再会だけを願い、生きる希望と幸せを求めて、ただひとり走り抜ける世界。
その画面に、20世紀の実写風景が合成されます。
そのことによって、観客は、「ヒロの視点を通じて、20世紀の現実に引き戻される」という、奇妙な映像体験に引き込まれます。
観客が観ているのはヴイナスの荒野である、しかし同時にそれは、「20世紀の現実でもある」というメッセージが、そこに汲み取れるのではないか、と思います。
「愛する人との再会だけを願い、生きる希望と幸せを求めて、ただひとり走り抜ける、それが青春だ。そしてこれは20世紀の今の現実でもある」と、画面は語りかけてくるのです。
『ヴイナス戦記』の中心的なテーマは、おそらく「戦争と青春」です。
これが戦争だ。
これが青春だ。
この二つのテーマを語るメッセージがこめられた、物語の中で最重要ともいえる場面に、あえて“20世紀の現実”である“興ざめ”の実写画面を合成したことは、制作者の“怠慢”ではなく、“勇断”だったのではないでしょうか。
そうすることで、ここに“20世紀の現実との接点”が作り出され、20世紀の“現在”にいる観客にとって、二つのテーマがより深い現実感をもって認識されるのではないかと……。
*
じっさい、『ヴイナス戦記』を最初に一度観て、そして
違和感ありすぎ。
それゆえに、くっきりと記憶に残るのです。
兵士たちの高揚感とは裏腹に、あっけなく残酷な死をもたらすだけ、これが戦争。
愛をもとめて、一人孤独に荒野を疾走する、これが青春。
作品のメッセージは、強烈に観客の脳裏を走り抜け、心に刺さります。
作品に描かれた「戦争と青春」は、20世紀の現在の自分自身につながっているのだ……と。
この場合の観客は、作品公開の1989年時点の、十代から二十代の若者です。
かれらは作品テーマの「戦争と青春」を、実写合成の違和感とともに、20世紀の現在を生きている“自分のもの”として感じ取ったのではないでしょうか?
これも『ヴイナス戦記』の、傑作たるゆえんでありましょう。
敢えて観客に違和感をもたらす実写合成を逆手にとって、安彦良和監督は、作品のテーマを観客の心にくっきりと刻印することに成功されたのです。
【次章へ続きます】
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