13●彼方なるツインタワー、スゥの青春の物語。

13●彼方なるツインタワー、スゥの青春の物語。



       *


 最後にスゥ、スーザン・ソマーズ嬢です。

 彼女もヴイナスで、大きく変わりました。

 その転機は、物語冒頭の地下バーでもらった拳銃を持って、ドナー准将に相対あいたいしたとき。

 今観るとゾクッとする場面でした。

 2022年7月8日の元総理銃撃事件を彷彿とさせたからです。

 彼女の動機は、現実のあの事件とほぼ同じでは?

 とはいえ拳銃に添えられた「生きて帰るつもりなら使わないこと」のメッセージが成就するのは、さすが伏線の巧みさ、ですね。


 一歩間違えば、彼女は間違いなく射殺されていました。


 にしてもドナー准将、吸い殻ギッチリの灰皿を投げるところが、なんとも昭和っぽくて……スゥも災難でしたね。


 ヴイナスで、スゥは別人のように変貌しました。

 戦争をミーハー感覚で、“明るく楽しくスリリング”に報道しようとしたスゥ。

 しかし、あの拳銃が、彼女を決定的に変えました。

 「生きて帰るつもりなら使わないこと」

 だから剣でなくペンで、つまり銃でなくメディアで戦う女性へと。

 悲しみと苦渋を辛い代償として、彼女もヴイナスでヒロたちとともに青春の蹉跌さてつを踏み越えたのでしょう。

 そして自分の“本当の戦い方”に目覚めた。


 それが、スゥの青春の物語です。


       *


 作品ラストのエンドロール直前、地球はインディペンデント通信社の建物。

 会社の看板が2カット登場し、「IND“I”PENDENT PRESS」となっています。スペルミスではなく、“EではなくIが正式な社名”ということでしょう。戦うべき敵(Enemy)は本当は自分(I)であるって趣旨かな?


 ここで注目したいのは、スゥがワープロでタイプしている原稿の内容です。

 静止画で拡大しなければ読み取れませんが、これが凄い……


 START(Strategic Arms Reduction Treaty:戦略兵器削減条約)について書かれているのです。

 それは1982年から米ソ間で交渉が開始された戦略核兵器の削減交渉であり、当時のソ連指導者ゴルバチョフと、米国の指導者レーガンが粘り強く会談しました。

 1985年11月、ゴルバチョフとレーガンは、戦略核兵器の50%削減努力を大筋で合意。その後、両者の核弾頭は6000個を上限とし、その発射ランチャーは1600基にまで減らしていこう……とか。

 そして1987年12月、両者はすべての中距離核兵器の廃棄を定めた中距離核戦力(INF)全廃条約に調印しました。


 STARTは当時、米ソ冷戦の雪解けを告げる革命的な出来事であり、1989年秋にはベルリンの壁が崩壊したことから、「いよいよ世界は本当に平和になる!」と全地球の若者を興奮させた、まさに当時最新の「希望の福音」だったのです。


 戦争から平和へ。人類は1990年代に世紀の大転換を実現する……

 現実は、それから30年が過ぎ去って、核兵器の総数だけは減ったものの、平和はほど遠く、“プーチンとトランプ”の関係がこの種の平和条約を滅茶苦茶にしてしまった感がありますが……


 しかし「世界は平和になる」というのが、1989年の確信的な時代の空気でした。


 そのことが、スゥがタイプする原稿から伝わってくるのです。

 この場面については「西暦2089年のスゥが、百年前を回顧した記事原稿を書いている」……と解釈するのが正しいでしょう。

 物語世界では、百年前に成立したSTARTがその後も発展し、めでたく地球上の核兵器全廃を実現したと思われます。

 だから、ヴイナスの戦役が通常兵器のみで戦われ、核兵器が使用されていないのでしょう。

 物語世界では、STARTが大成功していた、ということですね。


 実際それが、1989年時点での、楽観的とはいえ、ひとつの未来予測でした。

 安彦良和監督も、脚本に参加された笹本祐一先生も、その“史実”を前提として、『ヴイナス戦記』の世界観を組み立てられたのだと思います。


 だから2089年の地球は、戦争を卒業した平和な世界……と位置付けられました。

 作中でも、「こんな残酷なゲーム、地球じゃすぐに禁止」「平和な地球から、戦乱のヴイナスへようこそ」といったセリフがチラホラです。


 しかし……


 西暦2023年の今、『ヴイナス戦記』のエンドロールの場面を見たとき、異様なほど強烈な「時間の引き戻し感」に襲われませんか?

 マンハッタンの美しい摩天楼群。

 この風景は、作品世界では西暦2089年のマンハッタンであるはずです。

 しかし、夜景の彼方にくっきりとそそり立つのは、あのツインタワー。

 2001年に崩壊したことで、この風景は「失われた20世紀の追悼」を象徴するアイコンになりました。


 安彦良和監督が全く予期されなかった“史実”の力によって、このとき私たちの意識は20世紀へ……そして作品公開の1989年へと、怒涛のように巻き戻されるのです。


 これ、現実の歴史が、架空の『ヴイナス戦記』だけに与えたもうた神通力じんつうりきかもしれません。

 『ヴイナス戦記』の物語は、その最後の最後に至って、現実の1989年、“昭和の最後の年”が忽然こつぜんと出現し、私たち観客の視覚にオーバーラップするのです。

 偶然の椿事とはいえ、鬼気迫る演出が生まれたと思います。


 『ヴイナス戦記』は作り物の架空の物語、しかしそれはラストに至って、1989年の現実の物語として、私たちの心に焼き付けられる……。


 スゥがオフィスから歩み出した摩天楼の街は、その瞬間に、2089年から1989年のマンハッタンにスライドしている。

 当時は20世紀、そして今は21世紀に生きている私たち観客に、『ヴイナス戦記』は「今の物語、そして昭和の物語」として刻印される……そんな効果を感じます。


 これはある種の“永遠性”ではないでしょうか。




    【次章へ続きます】




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