05●ガリー、これぞ昭和の親父!
05●ガリー、これぞ昭和の親父!
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『ヴイナス戦記』には、当時、『ARIEL』シリーズで大ブレイクしOVA化を控えた新進気鋭のSF作家、笹本祐一氏がシナリオに参加されています。
作品のエンドロールでは、脚本が「笹本祐一 安彦良和」と並んで表記され、笹本先生のキャラ造形やストーリーテリングが大きく貢献していることが察せられます。
映画の『ヴイナス戦記』では、原作漫画にはない映画独自のキャラクターとして、通信社特派員のスゥ(スーザン・ソマーズ)と、ジャンク屋のガリーが重要な役回りを演じていますが……
たぶん、前者のスゥ(怒ると髪型が
『ヴイナス戦記』の二年後の1991年に上梓された笹本先生の小説『大西洋の亡霊 バーンストーマー(ソノラマ文庫)』の後半エピソードに、性格がそっくりな、アグレッシブで跳ねっかえり(フラッパー)の敏腕女性記者が登場していますので……
かたや、後者のガリー氏は、安彦良和監督の思いを投影したキャラクターかもしれないなあ……と想像したりもします。
もう、なんたって昭和のオヤジ。
ぶっきらぼうだけど人情味があり、テキーラのマリアッチなんぞ愛飲して変な錠剤(精神安定剤かな?)をたしなんでフテているけれど、やるときゃやるぜ! といった情念を蓄えた、ある意味、男の中の男って人物ですね。
そのまま放っておけば街のチンピラに成り下がりそうな、グレかかった少年少女を自分のヤードに寝泊まりさせてやり、まともな労働と報酬を提供し、ヒロからバイクゲームのチームを作りたいと提案されれば快諾して援助もする、話のわかるオッサンでもあります。
どうしてそんな、儲けにならないことをしてやるのかといえば……
たぶん、ガリーはグレて無軌道なティーンエイジャーたちに、自分の若かりしころの青春を重ねているんだろうな……と思います。
他人の不幸に共感してやれる、
しかしその優しさが災いして、スタジアムを占拠した敵戦車タコに戦争を吹っ掛けることになってしまうのですが……
ガリー氏のような人物は、極めて“昭和的”なキャラクターです。
昭和の時代から、“保護司”という職位があります。法律に定められた非常勤の国家公務員で民間人が任命され、“犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるために、その者を雇用する事業主の確保、その他の雇用の促進を図る”などの社会貢献活動をする人です。
坂本九さんが主演した映画『上を向いて歩こう』(日活1962:昭和37年)では、芦田伸介さんが演じる保護司が、世をすねた若者たちを自分の運送店に住み込みで雇い、運転免許を取らせてやるなど、社会更生の援助をする姿が描かれていました。
『あしたのジョー』のボクシングジムのオーナー、丹下段平氏もイメージが近いですね。
……ということで、ガリー氏のキャラは、社会からはみ出した“迷える子羊”であるヒロたちを導く“保護司”みたいなもの。
超きわめて“昭和的”なのです。
もしも、『ヴイナス戦記』が昭和三十年代、1962年頃に、登場する若者たちの年齢をやや引き上げて国産実写映画化されていたら……
ヒロ=浜田光夫、マギー=松原智恵子、
スゥ=吉永小百合、ウィル=長門裕之、
ミランダ=岩下志麻、ジャック=田中邦衛、
ミランダと共に生き残った三人=てんぷくトリオ
カーツ大尉=小林旭、シムス大佐=田崎潤、
ハウンドのメカニックのおっさん=宍戸錠、
ガリー=ハナ肇、ドナー准将=天本英世、
アフロディアの軍高官=森繁久彌、
そんな配役になりゃしないかなあ……
また、ガリー氏のキャラに重なって浮かんでくるのは、映画『冒険者たち』(1967)でジャンクヤードを営みながら、若者の冒険につきあう中年オーナーのおっさん。リノ・ヴァンチュラ氏が演じていましたが、こちらもかなり“昭和的”な人物像と言えるかもしれません。
いいですね、リノ・ヴァンチュラ。彼あってこその『冒険者たち』でした。
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さて、物語では、バイクスタジアムに居座った敵戦車タコに一矢報いるべく、ヒロたちはガリーの加勢を得て戦闘を挑みます。
が、それがきっかけで、劣勢のアフロディア軍が急遽開発した戦闘バイク部隊“ハウンド”に拾われ、スカウト、というより事実上の強制連行をされてしまいます。
戦闘バイクに魅了されて本物の戦争に参加する少年ウィル、それを取材して記事にしようともくろむ女性記者スゥ、戦争に批判的なメンバーたち、それぞれの想いを載せて、戦闘バイク部隊ハウンドのキャリアー車は死線を超えて、イシュタル軍への総反攻に臨むことになりますが……
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ということで、物語の前半は明らかに、「ヒロとガリーの物語」です。
レース場に居座る敵戦車タコに戦争を仕掛けて一発やり返してやろうと沸き立つ若者たち。
そこで猛反対するガリーおっさん。
彼は若かりし頃に地球で戦車と闘ったことがあり、戦争で失うものの大きさを教示します。
しかし、ガリーのそんな態度を変えさせて、若者たちを無謀な戦闘に押しやることになったのは、ヒロのセリフ。
こんなやりとりです。
ガリー「(若い頃に戦った自分は)ガキだったんだ」
ヒロ「だった……だから」
ガリー「力と嘘を見ると、腹が立った」
ヒロ「右足と一緒に、そんな気分まで無くしちまったのかい」
この場面、ヒロがガリーを挑発したように見えます。
殴り合いのケンカにでもなるのか……
最初に『ヴイナス戦記』を観たときは、そう思いました。
が、そこは百戦錬磨のガリーです。
彼は、ヒロごとき青二才の挑発に乗るはずがないのです。
むしろガリーを変えさせたのは、ヒロたちとの“怒りの共有”。
「力と嘘を見ると、腹が立った」自分の過去との再会です。
“若い頃、おれも同じだった。おれにこいつらを止める資格はあるのか?”
ガリーは心から共感したのです、ヒロたち若者に。
ガリーの心中に、“青春”が甦った。そういうことでしょう。
しかし、その企てはあまりに危険。
ヒロが窮地に陥ります。
このときガリーはヒロを救おうと、死地に飛び込みます。
「もういい、お前はやるだけのことをやったんだ!」
これ、若かりし青春の頃、戦車と闘うガリーが仲間に告げた、あるいは仲間から告げられた言葉ではないでしょうか?
このときガリーは、自らの青春のデジャヴの中にいたのかもしれません。
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画面を移ろいゆく、昭和の幻影。
『ヴイナス戦記』の物語の前半は、実に昭和的な、レトロムード満載の人物に彩られます。
ガリーヤードの厄介になっている少年少女たちは、「明日なき金星の若者たち」とスゥから軽くあしらわれるほど、主体性のないハグレ者に見えながら、ガリーおっさんからは、決して邪魔者でも余計者としても扱われていません。
おそらく昭和的な「年功序列だけど終身雇用」な、運命共同体な親密感のある労働環境なのでしょう。
かれらは用済みになったらサヨナラされる派遣社員でなく、直接雇用です。
労働者派遣法ができたのは1986年ですが、その対象職種は高額報酬を得られる専門的な十数種に限定されていました。
『ヴイナス戦記』公開の1989年当時には、派遣社員制度は一般にはほとんど認知されていない特殊な雇用形態であり、21世紀の現在のように幅広く自由化されたのは十年後、1999年のことです。
それだけに『ヴイナス戦記』の世界においては、雇用者のガリー氏と、雇われて働く少年少女たちは、いわば“ガリー一家”であり、兄弟姉妹のような信頼関係も生まれていたことでしょう。
ガリーは、ヒロたちにとって、本物以上の
なにしろガリーの声は、“銭形警部な沖田艦長”でもありますし……。
『ヴイナス戦記』は、公開された1989年の時点ですでに、濃厚コテコテ、ベタでガチな青春が渦巻く“昭和ワールド”であったのです。
【次章へ続きます】
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