彼女
麝香いちご
彼女
「ねえ、私のこと嫌いになってよ。」
いつも僕に何を期待しているのかが分からない問で困らせてきた彼女がもはやお決まりとなったセリフを口にした。
「そうだな。嫌いなところが見つけられないから無理だよ。」
こちらもお決まりになりつつあるセリフを吐く。
彼女はそう言うと決まって『ふーん。』とつまらなそうな、それでいてどこか辛そうに言うのだ。
彼女はある日泣きながら電話をしてきた。僕が大学2年、彼女が大学3年の夏だった。普段感情をあまり表に出さない彼女とはあまりにかけ離れていて心配した。とともに嫌な予感もしていた。
「君は、本当に優しいね。」
落ち着きを取り戻した彼女の一言目はそれだった。
すっかり普段の調子に戻ったようだ。なんの感情も読めない無機質な声でそういう彼女を見て僕は杞憂に終わったんだ、と安心した。
今思えば嫌いになれというわけも分からない要求をしてくるようになったのはこの頃だった。
彼女が亡くなって今日で1年。
あの日彼女が言った言葉の真意を知るには十分な時間だった。
彼女が亡くなったのを知ったのは彼女の母からの電話だった。
いつかと同じように泣きながら電話してきた。違ったのはそれが母だったということだけ。
『佳奈が、亡くなりました。』
頭が追いつかなかった。真っ白になるとはこの事だ。
そこから彼女の母は詳しく説明してくれた。
彼女は癌だった。ステージ4、末期の癌だった。
見つかったのは彼女が大学3年の夏らしい。
何故、教えてくれなかったのか。
何故、彼女なのか。
何故、何故、何故・・・・・・。
『ねえ、私こと嫌いになってよ。』
考えてもどうにもならない思考の海に溺れていた僕を引きずり出したのはその一言だった。
あぁ。そうか。
彼女は自らが死ぬことを知って僕を傷つけないよう先に嫌いにさせたかったんだ。
どこまでも不器用な彼女をやはり愛おしく思った。
花やらお菓子やらが備えられた墓の前で一人、僕は呟いた。
「あの日の問に答えるよ。」
先まで降っていた雨はやみ空はまるで空気を読んだかのように晴れ渡っている。
遠くからは子供達が遊ぶ声が聞こえる。
まるで周囲からは隔絶されているかのような、そんななんとも言えない雰囲気が漂う空間で一人また呟いた。
「やっぱり、僕は君のことが大好きみたいだ。」
空から懐かしい彼女のつまらなそうな声が聞こえた気がした。
彼女 麝香いちご @kasumimoto
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