第二話 花の枯れ時、老人に出会う

 

 花は枯れ、橙の鼈甲が睨みつける。青い輸液を注いでも、黒く変色した栄養剤は何の変化も起こさない。ただ、背後に樹海を見て、それが透明なカーテンである現実に、引き戻されるだけの飽和水蒸の規則。消し炭と言っていい程に黒焦げた、炭化物質を食べる事には、抵抗はない。同居人達は、珈琲を。もしくは、香りの強い紅茶を。会話にする事もなく、ただ機械的に口に運んでいた。

 やがて、金属の冷たさが唇に触れるようになる。私は、フォークを白い皿に重ねて、口まで運んでいた霞を飲み込んでしまうと、呼吸すら溢す事なく椅子から降りて、流しへと食器を持って行った。キッチンは塵と言う概念を無くしてしまう程に、静かで落ち着いている。

「…。」

 キッチンへ行った足で、そのまま玄関へ向かう私は、席に着いたままの同居人達を、ちらりと振り返った。一人目はヘルメットを被った作業服の影。二人目はフライ返しを持ったエプロン姿の影。互いに言葉を交わすこともない姿に、視線を逸らした私は玄関の扉を開け、夕方の眩しい光を受けて、家を出ていった。

 同居人二人。黒猫の方がマシだろう、大人の影。二人の姿が、若干異なっていることに何の意味があるのか、終ぞ私が理解したことはなかった。



「…それで、金属の花は腐食が進み。私は、家に帰ることを時間によって余儀なくされたの。」

「何とも怪しい店に、足を運んだことだな。」

 釣り針に餌を括り付け、ビール瓶が入っていたのであろう箱に腰かけている老人は、穏やかそうな顔に皺を滲ませて、私の頭を軽く撫でた。

「息急いで、私の下へ来たかと思えば。その様な体験をしていたのだな。」

「うん。ノア以外に話を聞いてくれる人が、見つからなくて。」

 再生のエデンを繋ぐ、高温のマザーボード。花の枯れ時を知らなかった私を、揶揄する水面に指を付けて首を傾げる。一連の動作を認めたノアは、釣れない魚に溜息をつきながら私に語った。

「オアシスのある地では、機械に死を招くショーをTRIPとして、我々に魅せると言う。大方、高値で売ろうと売人が持ってきたのだろうよ。だが、君が触れたことによって、その花は既なる死を迎えたのだ。」

「そう。」

 赤茶けた建物と、土壁に挟まれた水路には生きた魚がいるのか。

「不思議なことに流れ着き、私に釣られる者が居るのだよ。」

 銀紙で口を塞がれた魚と同じく花も、焼き尽くされた太陽の前では死滅し、ただ金属で形を帯びた物だけが錆びるまで黄金の血脈を轟かせる。

 老人の言葉から、確からしさがない応答ばかりを受け付けてしまう。問い掛けに言葉を紡ごうとしたが、ノアが呟く脈絡のない単語を聞いて、野暮なのだと悟った。

「今日は、釣れそう?」

 代わりに二人の間で、最も大事なフレーズを口に残しておく。

「いや。ダメだなぁ、これは。」

 釣り糸を引っ張ってみたが、重みはない。今日も魚はないのだろう。

 そんなことを考え、ふとノアの深い皺で少し小さくなった瞳を見つめると、視線が合った。

「…。」

 梢とも判別つかない神秘性の高い、発熱。しばらく時が経てば、どちらともなく表情が緩み。自然と二人、魚の取れない川を太陽が照らす瞬間を映すが如く、笑みが零れたのだった。




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