第7話 国営メイド喫茶
手首を思い切り捻られた痛みに悶える痴漢を次の駅で警察に引き渡してタイムロスは大体十五分ぐらい、俺は喫茶「間木屋」の最寄り駅に到着していた。
しかしこの世界でもろくなこと考えないやつはいるんだな。見てくれは確かに美少女かもしれないが、中身は絶賛ダメ人間な享年二十五歳、元フリーターの俺だぞ。
まあ、名前も知らないおっさんがこっちの事情なんて知ってるはずもないんだろうが。
さて、そんなことはどうでもいいから忘れるとして、最寄り駅とはいってもここから喫茶「間木屋」までは大体自転車で二十分ぐらいかかる。
特級魔法少女たちの秘密基地も兼ねてるからしょうがないとしても、立地はおよそ最悪な部類だ。
しかも、住宅街からもオフィス街からも絶妙に離れたところにあるんだから余計にひどい。
「……機密保持ねえ」
思わず口ずさんでいたその言葉が名目として「間木屋」は建てられているんだが、なにをどうしたら秘密基地をメイド喫茶にしようという発想が出てくるのやら。
メイド喫茶といってもいわゆるご主人様に美味しくなる魔法をかけるタイプのそれじゃなく、単にクラシカルなメイドが接客を行うというだけのそれだったのは不幸中の幸いなのかもしれなかった。
もしもそんな真似をしろと言われたら、憤死する自信がある。
なにが悲しくて、見てくれこそ美少女でも、野郎が野郎に猫撫で声でご主人様呼ばわりや各種ファンサービスをしなきゃならんのだ。
そんなことを脳裏に浮かべながら自転車を走らせることきっちり二十分。
俺は複雑な路地を縫うようにして、「間木屋」に到着していた。
「先輩、今日は遅いんですねー」
店に入った俺を出迎えてくれたのは、昨日と同じく、クラシカルなメイド服に身を包んだ由希奈だった。
そういえば西條千早はゲームの中じゃ、鍵開け担当を除けば真っ先に店に来るんだったか。まあチュートリアルで死ぬから設定しか残ってないんだが。
ポップアップしてきた前世の記憶を投げ捨てるようにこほん、と咳払いをして、俺は声を整える。
「ああ、少しばかり野暮用で手間取ってな」
「野暮用ですか、まあそんな日もありますよねー」
正確にはブラジャーのホックとの格闘戦と痴漢を警察に突き出したことの二つだが、わざわざ説明する必要もあるまい。特に前者。
由希奈が店の床にモップをかけている中を歩いていくのもなんとなく悪い気はしたものの、そうしなければ勤務できないので仕方なくバックヤードに向かって進む。
ことバイトに関しちゃ最低限とはいえ真面目にやってたんだ、勤怠を気にするのは前世からの癖みたいなもんだった。
更衣室で制服を脱いで、ロッカーにかけてあるクラシカルなメイド服に身を包めば、メイド喫茶のアルバイトという表向きな身分の完成だ。
さっさと俺も掃除を手伝うかと更衣室を出ようとした、その時だった。
「……あっ……」
「こよみか、おはよう」
「……あっ、え、えっと……西條先輩……おはよう、ございます……」
遅れて到着したこよみとばったり出くわす形になった俺は、とりあえず当たり障りのない挨拶をして、ぺこぺこと何度も頭を下げるその小柄な姿を観察する。
銀髪に赤い瞳、色素が抜け落ちたようなこよみの容姿は、いわゆるアルビノというやつなのだろう。
俺より背が低くても出るところは出て引っ込むところは引っ込んでるそのプロポーションはちんちくりんという言葉からは程遠く、なんとなくこよみ目当ての客がいることも頷けた。
「……き、昨日は……っ……」
「どうかしたのか、こよみ?」
とりあえずは挨拶を済ませたからと店内清掃に協力するため、歩き出した俺を呼び止めるように、か細い声が鼓膜を揺らす。
眦にじわり、と涙の雫を滲ませながらも、こよみはぷるぷると小刻みに震えつつ、ぺこり、と一段深く頭を下げて言葉を紡ぐ。
「……昨日は、そ、その……助けて、くれて……ありがとう、ございます……っ……」
「そのことなら気にする必要はない。此方にとっても仲間を
精一杯の勇気を振り絞ったんだろうな。
迷惑に思われないかとか、こよみは頭の中じゃ色々考えてるんだろうけど、お礼を言われるってのはこっちとしちゃ案外悪くない。
だから、返した言葉も、「西條千早」を装ってこそいても建前じゃなくて、「俺」の本音百パーセントだった。
五つの力を合わせれば五百万パワーってわけじゃないだろうが、好き勝手に行動して死なれるよりは互いに庇い合い、助け合うのは当然のことだろう。
猜疑に歪んだ瞳がせせら笑おうとも、嘘を言うなと詰られようとも、それについては撤回するつもりはない。
こよみは様々な制約があって全力を出せないでいるが、俺たちの切り札にして「魔法少女マギカドラグーン」の主人公だ。物語的にも死なれちゃ困るし、なにより原作で散々曇ってきたこの子を死なせたくもないんだよ。
「……ぁ、あ……ありがとう、ございます……っ……わたし……」
「泣くな、こよみ。それでは客に心配されてしまうぞ」
「……ぁ……そう、ですよね……わたし……ごめんなさい……」
「これで良い。では、此方は一足先に店で待っているぞ」
「……はい……!」
目元に浮かんだ涙をハンカチで拭ってやると、控えめながらも、こよみは蕾が綻ぶような笑顔を見せる。
可哀想な子は確かに可愛いと思うことは俺だってある。
でも、こうして目の前で「中原こよみ」という女の子と接していると、泣かれるよりは笑ってほしいと思うのもまた、自然の摂理みたいなものだ。
身構えている時はどうのこうのとか、昔読んだジュブナイル小説に書かれていたことを思い返しながら俺は、由希奈がモップがけを終えた店内の机や椅子を布巾で拭いていく。
これがクソゲー世界で、魔法少女という宿命さえ背負っていなければ悪くないどころか願ったり叶ったりな生活なんだけどな。
残念なことに俺たちの本業はウェイトレスじゃなくて魔法少女だ。
だからこそ、この店も。
「店長ー、今日は全然お客さん来ないですねー」
「そうだな。向こうの店も今日は開いてることだし、適当にその辺で休憩しててもいいぞ?」
「はーい、それじゃソシャゲの周回してますねー」
モップの柄に細い顎を乗せて、由希奈が重役出勤してきた店長こと、小野順一大佐に不満を垂れる。
開店から二時間以上経っても、客の一人も入ってきやしない。
そりゃそうだよな。立地最悪で、おまけに向かい側には人気の隠れ家的レストランがあるんだから。
昨日はランチタイムの客入りが激しかったらしいが、それは向かいの店が臨時休業だったからだ……というのは、昨日の帰り道に葉月から聞いたことだった。
当の葉月は店の外に立って健気にビラ配りをしている。謙虚で真面目だな、本業じゃないってのに。
キッチン担当のまゆも手持ち無沙汰な様子で、頬杖を突きながら店長が眺めているテレビの画面を、困ったような顔で見つめていた。
「このお店、そのうち潰れちゃうんじゃないですかー?」
「潰れたりなんかしないさ、国から予算が降りてるんだからな」
「うわー、最悪の理由ですねー」
由希奈が言った通り、この店が防衛省直轄の秘密基地である以上、売れなかろうが赤字だろうが魔法少女の存在が不要にならない限りは、お国の力で嫌でも潰れない。
税金の源泉掛け流しみたいなもんだ。
知らないところで湯水の如く血税が注がれていくのが表向きはメイド喫茶だってんだから、魔法少女の存在があるとはいえ、もしも明るみに出たら暴動もんだぞ。
「でも、まゆのお料理を食べにきてくれる人がいないのは少し悲しいかなぁ……」
「ま、そりゃ同意するさ。とはいえ少なくともこんなところに来る物好き……じゃなかった、リピーターはいるんだから悲観することでもないよ」
褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ。
あはは、と苦笑するまゆの傍らで、俺もまた静かに溜息をつく。
今は閑古鳥が鳴いていても、昼飯時になれば店長が言ってたリピーターも来るんだから、由希奈のようにだらけて気を抜くわけにもいくまい。
幸い立ってるだけなら慣れてるしな。
入り口近くで美少女がお出迎えの準備をしてるとなれば客もそれなりに嬉しかろう。
中身は俺だという一点を除けばだが、そんなことがわかるやつなんているまいよ。
「いらっしゃいませ!」
ドアの向こうから、葉月の声が響き渡る。
由希奈もスマホをポケットにしまって、俺たちは早速やってきたその物好きこと、リピーターの客を出迎える。
今日は特種非常事態宣言が発令されないことを祈りながら。
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