第6話 そういえば性別変わってた

 確かに夢にしちゃあよくできてるとは思ってはいた。

 だが、眠りから目を覚まして視界に飛び込んでくる天井が、見慣れた家賃何万円のポロアパートのそれじゃないってことは、いよいよもって俺が「魔法少女マギカドラグーン」の世界に転生したのは確かだってことらしい。

 都心近くのタワーマンション、手に入る前に死んだ七億円があっても住み続けることが難しいようなそこが、魔法少女たちのセーフ・ハウスになっている都合、俺も、西條千早もまた同様にこの高級物件に在住しているということになる。

 

 まだ薄らぼんやりと漂っている眠気を払うかのように大きく身体を伸ばして、LED電灯に灯りを点す。

 枕元の充電器に繋いでいたスマホを見れば、時刻は大体朝の六時前後だった。

 前世だったらなんだこんな時間かと、バイトに間に合うギリギリまで二度寝を決め込んでいたのだろうが、生憎今世のシフトはフルタイムだ。

 

「……めんどくさいな」

 

 欠伸と共にこぼれ落ちてきた溜息代わりの一言は凛と透き通っていた。

 いよいよ本格的に、俺が「俺」じゃなくなったのだと否が応でもわからされる。

 昨日は死亡フラグ回避のために色々とテンションがおかしくなっていたけど、そもそもこの体からして俺のものじゃないんだよな。

 

 風呂に入って髪を乾かして……正直セーフ・ハウスに戻ってくるまでときてからの記憶は朧気だ。

 それでもただ一つわかることがあるとすれば、今の俺はTシャツにパンツ一枚というおよそ女子力をかなぐり捨てた姿で眠っていたということと、そして。

 ブラジャーという物体の構造が思ったよりも厄介な代物だったということだ。

 

「……慣れなきゃいけないんだろうけどなあ」

 

 寝る時もナイトブラとかつけてないとバストの形が崩れるとかなんとかっていうしな。女子は色々と大変だ。

 暇な時には四六時中ネットサーフィンしてたせいで無駄にそんな知識はある。

 ただ、誰かのそれを着け外しした経験なんか、二十五年の人生でおよそ一度もなかったんだよ。ほっといてくれ。

 

「まあ調べりゃ着け方ぐらい出てくるだろ」

 

 転生先がマルチバッドエンドなクソゲーだったのはともかく、現代社会なのは幸いだ。

 何か知りたいことがあれば手元にあるスマートフォンで、すぐ検索できるからな。

 とりあえずは歯を磨いて朝飯でも食って出勤、およそ健康的なサラリーマンみたいなスケジュールをなぞればいいんだな、と頭の中にぼんやりと考えを浮かべる。

 

「そう来たかぁ……」

 

 そしてスマホ片手に洗面所に辿り着いた時、俺の前には第二の壁が立ちはだかっていた。

 化粧水だの乳液だのスキンケア関連のあれこれだ。

 鏡に映る「西條千早」の顔は寝起きだってのに清々しいほど綺麗で、睫毛も長ければ、気を緩め切ってるのにもかかわらず、どこか緊張感を漂わせる切れ長の碧眼も美しい。

 

 うーん、百点満点の美少女だな。

 問題はこの美貌を維持するために西條千早がどんな苦労をしてきたかってことだけど。

 とりあえずは洗面台の下にある収納スペースを覗いてみれば、化粧水だの生活用品の予備はあっても、コスメの類は見当たらなかった。

 

 そこから察するに、西條千早という女は最低限のスキンケアだけでこの美貌を維持してきたらしい。

 世の中の女性諸君から盛大に恨みを買いそうなもんだが、俺としちゃ不幸中の幸いだ。

 化粧水と乳液の使い方ぐらいは知っている。だからさっさと顔を洗って歯を磨いて、朝飯にありつくとしよう。

 

 歯ブラシを動かしながら百面相を浮かべて見ても様になってる辺り、美少女ってのは凄いな。

 コンビニのバイトやってても、なんなら看板持って立ってるだけでも集客率が上がりそうだ。

 その分、美少女には美少女にしかわからん悩みとかもあるんだろうけどな。

 

 流れ作業のように歯磨きと最低限のスキンケア、そして寝癖のついた黒髪に櫛を通す一連の作業を終えて、俺は洗面所を後にする。

 そうしてキッチンの冷蔵庫に手をかけて開いてみれば、そこにあったのは飲みかけの牛乳と予備のストックが二本だけだった。

 

「……ああ、こいつそういや食に関心がないんだったな……」

 

 設定資料に書いてあったことを思い出しながら、溜息を一つ。

 西條千早は出されたものは食べるけど、自分では必要最低限のものしか摂取しないタイプだ。

 それを証明するかのように、流し台にはお徳用サイズの完全食コーンフレークが鎮座していた。

 

 完全食。別に存在を否定するわけでもなければ俺も一時期食ってた、というか飲んでたけど、なんというかあれ「無」だよな。

 食事という行為をおよそ時間的なロスとしか考えてない人種にとっちゃ些細な問題でしかないんだろう。

 だが、俺にとっては、食事とはなんなのかを根本的に考えさせられる虚無だった。だから買うのをやめた。それだけだ。

 

「とはいえ、食えるもんがこれしかないならまあ食うか……」

 

 朝飯を抜いたりコンビニに買いに行くという選択肢もあるにはあるんだろうがめんどくさい。

 ダメ人間極まる発想の元、ルーチンワークのように、俺は五十グラム計れるカップに完全食フレークを詰め込んで、適当な深皿に牛乳と一緒にぶちまける。

 うーん、虚無だ。不味くはないが、ただ虚無の味がする。

 

 しかし、こんなもんをよく毎日食い続けられてるな。

 と、そんなことを考えつつ、きっちり測った五十グラムとプラスアルファを胃の中に収め終わった俺は、シンクに深皿とスプーンを浸して、着替えの準備に入る。

 防衛省直轄の特務機関「M.A.G.I.A」から支給された制服があるから着るもののコーディネートには悩まなくて済むものの、着替えるということはあの物体に向かい合わなきゃいけないってことだ。

 

 寝巻き代わりのTシャツを脱ぎ捨てれば、やたらと大きな胸元の膨らみが自然と目に入ってくる。

 誰かが見ているわけではないものの、とりあえずは左手で大事なところを隠しながら、クローゼットの中にあるそれを手に取って、スマホのAIに呼びかける。

 

「OK、ブラジャーの着け方」

 

 音声認識で検索結果を画面に出力してくれたスマートフォンくんの有能さに感謝する一方で、なにが悲しくてこんなことをしなきゃならんのだという虚無が再び押し寄せてくる。

 とりあえずは手順通りにやっときゃなんとかなるだろ。プラモデルなら組み立てたことあるしな、説明書読んどけば世の中大抵なんとかなるんだよ。

 とりあえずは画面に表示されている方法通りに胸を持ち上げてカップの中に押し込んで……なんというか柔らかいけど芯が残ってるみたいなハリがあるな──じゃなくて。

 

「背中のホックが閉まらねえ……!」

 

 なんだこれ、世の中の女子は毎朝こんなものと格闘してんのか。

 着けるのにも外すのにもコツがいるとかは聞いたことがあるが、それにしたって随分初見殺しだな。

 こっちは美少女生活一年生どころか生まれ変わりたての赤ちゃんみたいなもんなんだからもう少しこう、手心というか加減というか、そういうのはないのかそういうのは。

 

 魔法は説明なしで使えても、ブラを着ける方法は身体が覚えてませんとかなんの嫌がらせだ。

 そんなこんなで、ぐぬぬ、と唸り声を上げながらホックと格闘すること実に三十分近く。

 ようやく自分の胸をカップに収め切ったことに対する達成感よりも、朝っぱらからなにをやってるんだという、本日三度目の虚無に俺は襲われていた。

 

「……とりあえず出勤するか」

 

 プリーツスカートの方は単純な構造で実に助かったよ。

 指定の制服に身を包み、色々と物騒なものが隠されている学生鞄風のケースを持参して俺は、いつ以来なのかわからない朝の街へと繰り出していく。

 それにしたってスカートってのはスースーして落ち着かない。

 

 でも、これに慣れなきゃいけないんだろうし、嫌でも慣れていくんだろうな。

 自分の頬っぺたをむにむにと捏ね回してみれば、その柔らかさも、指の細さも、生前とは明らかに違ったものとして感覚が伝わってくる。

 もう俺は、俺であって俺じゃない。ゲシュタルト崩壊を起こしそうだけど、それが世界の真実ってやつなんだ。

 

 美少女生活二日目。転生して即座に死亡という事態はなんとか免れたものの、ルートを外れてしまったこの世界がどうなっていくのかもわからなければ、チュートリアルを死なずに乗り切ったからといって今後も死なない保証はどこにもない。

 お先真っ暗もいいところだ。

 それでもまずはこの世界を生きていくための第一歩として俺がやらなきゃならないことは。

 

「本当、さっさとこの身体に慣れることなんだよな」

 

 満員電車に揺られながら、不遜にも尻を触ろうとしてきやがったおっさんの手首を思い切り捻りながら、ぼそりと俺は呟いていた。

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