第15話 それぞれの罪

 時夜が目を見開く。身体が固められたかのように動きが止まる。勢いづいた足は止められず朔が脇腹を蹴るも、時夜は呻いただけで反撃も何もしなかった。尋常ではない様子に気づいた朔は、恐る恐る時夜から手を離し、助けを求め音成の方へ目線をやった。

「シノちゃんは、一人で、居るんだね」

 音成はこれから残酷なことを告げる。詩乃の為に全てを尽くした時夜の根幹を揺るがしかねない宣告を。容赦をしてはならない。おそらくこれが最後のチャンスなのだ。そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと口を開く。

「独りぼっちで、君の帰りを待ってるんだね」

 出来る限り底意地の悪い響きになるように、ゆっくりと。

「シノちゃんが、本当はとても寂しがりで甘えたがりの女の子ってことを知ってて、一人にしたんだね。それがあの子を傷つけることだって、分かってるよね?」

 諭すように。脅すように。

「わざとじゃないから許されるなんてことはないけど、わざとやったのだとしたら、」

 時夜にとって詩乃に尽くすことは、喜びであり、願いであり、存在価値ですらあったのだろう。無遠慮な周囲のせいで傷ついてきた詩乃を、決して傷つけなかった唯一の存在が自分であることに、時夜は誇りを持っている。その認識を揺らがせば動揺するのは自明だった。

「誰よりも、時夜くんが、シノちゃんを傷つけてる」

 断言したことへの後悔に浸っている余裕はなく、音成は反撃に備えて構えた。

「兄さん……? 兄さん!」

 しかし時夜は朔の呼び掛けにも反応せず、ずるりと膝から頽れてしまった。音成は一瞬迷った後に彼らの方へ駆け寄る。あれだけ暴れ回っても微塵も乱れる素振りを見せなかった時夜の呼吸が酷く荒い。顔色が蒼ざめて見えるのは外灯のせいではないだろう。外界の刺激から身を守ろうと丸まっていく背中に手を当てる。すぐに跳ね除けられると思ったのに、触るなとすら言われない。それだけ音成に言われたことが酷だったのだ。この作戦を選んだ自分の非道さを改めて見つめるも、音成はそれから目を離さなかった。

「時夜くんは、間違ってた」

 悪役上等だ。この先で、三人が幸せになれるんだったら。

「君が本当にあの子の幸せを願ってるなら、どうしたら良いか分かるでしょ?」

 掌の下からくぐもった嗚咽が聞こえる。時夜は泣いていた。怒り、悲しみ、悔恨。これだけ大きな剥き出しの感情に触れるのは初めてだった。

 無機質なほどに冷静で、人間味を見せなかった時夜。あれほど脅威だった彼が、庇護されるべき子供へと変わる様を見せつけられる。否、元からそうだったのだ。だから大人である自分が助けなくてはと思い、結果として深く深く傷つけた。この事実を、音成は苦虫を噛み潰すように受け止める。こんなつもりはなかった、などとは口が裂けても言わない。

「あの子の居場所を教えて」

 時夜の隣にしゃがみ込んで、大きく上下する肩を注視する。まだカッターを隠し持っていたとしたら、次の瞬間には刺されてもおかしくない距離だが、そうはならないだろうという直感が音成にはあった。

「……東屋に」

 その声は先程までの余裕に満ち満ちた響きとはまるで別物の弱々しいそれだったが、音成と朔の耳にはしっかりと届いた。時夜の視線を辿ると、ぼんやり影が見える。朔が迷わず走り出した。東屋へ続く橋は、陸地とこの場所を繋ぐ橋より遥かに細く不安定だが、彼の足取りには躊躇も怯えも見られない。夜闇に紛れて朔が消え、すぐ後に声が響いた。

「居た! 居ました! 寝てるみたいです!」

 朔の大声に呼応して、時夜が掠れ声で呟く。

「薬を、飲ませました。早く病院に……」

 気力を失った時夜の姿は、目を逸らしたくなるほど子供だった。

 もしも自分がちゃんとした大人だったら、時夜を傷つけずに済んだのだろう。己の未熟さに歯噛みしながら、粉々に打ちのめした彼の姿を目に焼きつける。口から溢れかけた謝罪の言葉を飲み込んで、音成は静かに告げた。

「……ありがとう。時夜くん」


◇◇◇


 脳がぼんやりと覚醒していく感覚を、詩乃は感じ取っていた。ここが彼岸かと感心するよりも先に、死ねなかったんだと自覚する。時夜はちゃんと逃げられたのか。そうであってほしい。願う気持ちに偽りはないはずなのに、怖くて仕方ない。これからの人生を、彼なくして過ごす方法など皆目検討もつかない。時夜の自由を願えたのは、自分が死んで全部終わりになると思ったからであって、一人で生きていく自信など全くなかった。このまま目を覚ましたくない。力尽きるまで瞑っていれば、死んだことにならないだろうか。詩乃の思考とは裏腹に、視界は勝手に開けていく。白く薄暗い天井。聴覚も覚醒する。等間隔の電子音、足音や呼吸音。触覚、硬い布、腕に違和感。嗅覚、消毒液。味覚、特になし。

「……病院かな、ここ」

 開口一番の予想は的中しており、腕の違和感の正体は点滴だった。親切な誰かの手による生きるための装置が、詩乃には厭わしくて堪らなかった。才能なる贈り物を勝手に授けてきた神様といい、なぜ誰も彼も温情の体で余計なことしかしないのかとすら思う。普通でいたかった。死にたかった。後者は、今からでも間に合うはずだ。管を引きちぎろうと伸ばした手を、誰かに握られる。

「姉さん!」

 詩乃が反射的に声の方を向くと、実の弟がすぐそこに居た。羨ましくて妬ましくて、大嫌いだと断言してしまいたかった存在。頭に渦巻くのは紛れもなく、ずっとぶつけたかった怨嗟だ。理想を求めてくる人間も、理想を見せたかった人間も、この部屋には居ない。思いつく限りの罵詈雑言を尽くしたって、朔は誰にも告げ口なんてしないだろう。そう思えてしまうからこそ詩乃は何も言えないし、手を振り解きも出来なかった。素っ気ない態度を取り続けたり手紙を読まずに捨てたりは出来たくせに、と自分を煽ってみても虚しい。それが精一杯の意思表明だったのだ。

「無事で、良かった……」

 音を噛み締めるように発せられた声には、一音ごとに感情が込められていると分かる。やめてくれと叫びたかった。あの事故から帰ってこれた弟に対して、自分はそんな風に言えなかったのに。

(わたしは世界で一番悪い姉なのに、朔は……)

 直視したくなかった事実を目前で浴びせられる。猫が生きている夢はもう見れない。胃が一気に縮小し、中身を戻してしまいかけたのを意地で押し戻す。口内に酸が広がる、味覚も正常。完全に詩乃は生きていた。最愛の人を失い、知らないふりをしていた事実は受け入れさせられた状況で、どうしようもなく生の実感が詩乃を満たしていった。嫌だ嫌だと喚いても、助けてくれる人の手は自ら離してしまったのだ。

「……どうして」

 何の答えを知りたいかも不明瞭なまま詩乃が呟いた疑問符を、朔は自分がここに居る理由を問い質していると捉えたようで、音成とのやりとりを語った。加えて、ずっと抱えていた悔恨を。

「姉さんの誕生日パーティーを台無しにしてごめんなさい。あの時謝れなくて、本当にごめんなさい」

「そんな、ことで」

「俺は姉さんにずっと我慢させてた。一年に一回の誕生日をそんなことだって言わせるくらい、ずっと我慢させてた。気づいてたのに謝りもしなくて、音成さんが居なかったら何もしないままだった。悪い弟で、ごめんなさい」

「いいよ」

 言いたいことはたくさんあった。でも、鬱々とした口調で謝罪を口にする姿を見た途端に呆気なく溶けてしまった。自分が数年にも渡って撒き散らかしてた毒素なんて、こんなものだったのかと思う。それでも、どんな事情があったとしても、詩乃は自分の意思で毒を持ち続けて、悪い姉を続けたのだ。その自覚は紡ぐべき言葉を自然に形成し、詩乃の口に語らせた。

「わたしの方こそごめんなさい。ずっと冷たく当たってて、せっかく送ってくれた手紙も読んですらなくて、悪い姉で。ごめんね。辛かったよね、朔」

「いいよ」

 数年越しの和解とは思えないほど、互いの罪は呆気なく許された。決別は詩乃にとっては望んで進んだ道ではあるけれど、やはり苦しみもあった。そうした枷も外された今、彼女の言葉を止めるものは何もない。

「ギフテッドなんて凄いねって色んな人に言われたけど、わたしはちっとも嬉しくなんかなかった……だって、元からそういう人間なんだもん。凄いのはわたしじゃなくて特性で、それを言うと嫌味だなんだって言われて」

「だからそれらしく振る舞ったら放っておかれた。ギフテッドだって人間だよ。寂しいよ。当たり前じゃん!」

「何で教えてくれなかったのなんて言わないでよね。言ったって流すでしょ、困るでしょ、自慢だって思うでしょ。知ってるんだから」

「朔が羨ましかった。お父さんにもお母さんにも構ってもらえて、友達もたくさん居て、皆に好かれてて。わたしが普通だったら朔みたいになれてたのかなって思ってたけど、そんなことを考える性格の悪さも本当に嫌だった」

 詩乃の発言の数々は、朔が咀嚼しきれるものではなかったけれど、姉もやはり苦しんでいたのだと再認識するのは容易かった。

「全然気づかなかった。気づかれなきゃ性格の良いも悪いも変わんないだろ」

 むしろ隠し通そうとする分優しいと思う。朔が言うと、詩乃は複雑そうに、でも穏やかに微笑んだ。ここまで晴れやかな気分になれたのはいつ以来だろうと思考を巡らせ、すぐに止める。思い出の何処にも、離してしまった愛しい人が存在して、その残光を手繰り寄せるのは胸が張り裂けそうになる。沈む心の誤魔化しを求めて、詩乃は話題を変えた。

「ねえ、お父さんとお母さんは元気?」

「まあまあ。やっぱり姉さんが居ないと寂しいって。この間もさ……」

 朔が語るあれそれは身内ならではの冗談とユーモアに溢れて、郷愁の念を呼び起こす。姉のどこか寂しげな表情を読み取ったらしい朔の口調がどんどん大袈裟になるものだから、次第に詩乃は笑わずにいられなくなった。

 病室に咲いた話の花はゆっくりと広がって、冷え冷えとした廊下にも流れていく。その一片は、ベンチに座らされた時夜と傍らに立つ音成の元へ届いた。

「……たのしそう」

 病室の方を向いて時夜が言う。目には何も映っていない。

「あーあ。これでもう本当におしまい……これから俺はどうやって生きてけば良いんだろう」

「……? シノちゃんの、」

 そう発音した後で、音成は咳払いした。

 詩乃にギフテッドだと打ち明けられてからずっと色眼鏡を掛けていたことに、先の詩乃の言葉を聞いてやっと気がついた。彼女に声を掛ける度、彼女の名前を呼ぶ度に、賞賛の意を込めていたのだ。詩乃はそうした周囲からの良くも悪くも特別扱いに傷つき疲弊して、本来なら誇れるはずの特性を厭い、普通でありたいと強く願う羽目になった。打ち明けられる前に、どうか自慢だと思わないでほしいと言われていたのに。音成さんになら言っても良いと言われるくらいに、信用してもらえていたのに。明言されるまで気づかなかった自分を、音成は今更のように恥じる。今夜だけで幾つの戒めを作っただろうか。

 身についた習慣はしばらく消えないけれど、これから気をつけることは出来る。音成は今一度慎重に言い直した。

「詩乃ちゃんの隣に居れば良いんじゃないの?」

 時夜は静かに首を振る。

「詩乃はもう俺を必要としませんよ。朔と仲直りした以上、実家に帰るでしょうし。それで交友を増やして、本当の幸福を知るんだ。俺がしてきたことは詩乃を苦しめてきただけだって、改めて認識するでしょうね。自業自得だと笑いたければどうぞ」

「そんなことするか! それで詩乃ちゃんが君を嫌うとは思えないけどな」

 音成の脳裏に、時夜を語る詩乃の表情が浮かぶ。

 時夜がもたらす夢の中に居た詩乃は、確かに幸せだったはずだ。傍目にはどれだけ歪んでいても、時夜は心から詩乃の幸福を願って行動していたし、詩乃もそれを喜んで享受していた。時夜のしたことが間違いなのは結果論で、最中に居た詩乃は確かに救われていたのだ。そうでなければ、あの嬉しそうな表情の説明がつかない。

「あの子をギフテッドだからって理由で特別視しなかったのは君だけなんでしょ? その一点だけで十分、詩乃ちゃんにとっては君が大事だったと思うよ。信じられないなら本人に聞いてきな」

「……嫌です。それで拒絶されたら」

「美味しいサンドイッチを作ってあげるよ」

 朔と会ったファミレスのレシピを盗用する気しか音成にはないのだが、個人利用なので神様もお目溢しをくれるはずだ。

「それが何の慰めになるんだとでも言いたげな目をしてるね。じゃあ言うけど、あの子は相当君のことが好きだよ。ちょっと時夜くんのこと聞こうとしたら、ヤキモチ焼いて睨んでくるし」

「だからそれは本性が知られた以上、何の根拠にも」

「でも幸せな思い出は消えない」

 音成はつい先日詩乃に語った自身の恋愛譚を、もう一度思い浮かべていた。薔薇色の記憶の片隅に墨汁が垂れようが、全体を通して見ればだいたい薔薇色なのだ。今になっても一言一句思い出せるくらいには強烈だった別れを告げられても、そこに至るまでは幸福に満ちていた。故に音成は今も当時も相手を憎まなかったし、いい思い出であると心から評した。

「今更あの子の人生に誰が登場したところで、今までずっと幸せでいさせてくれた君を差し置いて何が変わるんだか。二番三番それ以降が増えるだけで、一番大切なのは変わらず時夜くんだよ。お熱いことで」

「そんな都合の良い話があるわけ……」

「そんな都合の良い話を、わたしたちが紡ぐことって許されるかな」

 不意に差し込まれた声に、時夜も音成も驚いて顔を上げた。点滴台と朔に支えられて、詩乃がそこに立っている。

「駄目だよ安静にしてないと! 朔くんも何してるの!?」

「すみませんもう何を言っても兄さんのことを思い出して泣きそうになってて見てられませんでした」

 早口で捲し立てる朔も涙声になっている。なら仕方ないと思ってしまい、音成は首を振った。仕方なくはない。思考と動作は噛み合わないもので、時夜の隣を空けて、ついでに詩乃を座らせた。

「……逃げなかったんだね」

「元から俺は詩乃と死ぬつもりしかなかったよ」

 このことに関しては、争いの中で散々糾弾した。今は口を挟むべきではないと判断した音成は、朔と共にその場から少し遠ざかる。

「わたしのせいで、」

「違うよ。全部俺が望んだことで、だからいつかは限界が来て、嫌われて当然だって、分かってた。そんな日が来るくらいなら死ぬ方がずっと良かった」

「わたしが時夜を嫌うなんてある訳ない……!」

「俺は詩乃がギフテッドだってこと、多分誰よりも早く知ってたよ」

 えっ、と声を漏らしたのは朔だ。彼の認識では、詩乃がギフテッドであると証明されたのは時夜が引っ越した後だったのだから当然ではあるが。

「昔から何も忘れられないって言ってたのを手掛かりに調べてたら、ギフテッドの存在を知った。教えようかどうか迷ってたけど、訳も分からないまま特別扱いされるよりは、理由があった方が良いと思った。でも直接言って嫌われたくなかったから、教育施設の名前で書類を詩乃の家に送りつけた」

 そういうことか、と音成は納得していた。時夜はどこまでも詩乃に嫌われることを恐れて、特性を目の当たりにしても気づいていない振りをしていた。そこに打算があったとしても、音成に時夜を責める資格はない。自分だって、詩乃との友情の始まりは打算混じりだったのだから。

「その結果、ますます君は特別扱いされていたって知って、後悔したし、腹が立ったし、……チャンスだって思った。詩乃を特別扱いする全ての人間から引き剥がせばずっと幸せなままでいさせられて、独り占めも出来るって思った」

 時夜は音成を一瞥し、言葉を続けた。

「でも、バレちゃったな。俺みたいな自分勝手じゃない、世間には本当に詩乃のことを考えてくれる良い人が居るんだって。……これを聞いても好きだなんて言える? もう、詩乃に俺は必要ないでしょ」

「わたしは時夜のことが大好きだよ」

 当然の返答に、時夜だけが戸惑いの表情を浮かべている。

「だって、ずっと一緒に居てくれた。特性じゃない、ただの人としてのわたしを見て好きだと言ってくれた。いつだって味方をしてくれた。あんなに無理をしてでも、わたしに幸せな夢を見せてくれた。独り占めしたいからって? それでも良いよ。むしろ嬉しい。好きなんだから」

 詩乃の目から涙が伝う。

「朔にも音成さんにも迷惑をかけちゃったけど、それでもわたしは時夜が好きなんだ。誰よりも、大好きなんだ。譲りたくなんかない……」

 溢れて止まらない涙を拭うのは、自分の役目ではないのだ。音成は老婆心を堪えて、事の成り行きをじっと見守る。

「一緒に居るだけで、周りを不幸にしてしまったけれど、わたしは君のことすら不幸にしてしまって、幸せになってとか言ったくせにって思うかもしれないけれど」

 次の言葉を、音成も朔も固唾を飲んで待ち構えていた。

「わたしは時夜の側に居たい。許してくれる?」

 そのお伺いを聞き届けて、音成は朔の横顔を見た。まったく嫌になるほど姉弟だ。周りに気を遣いまくって、自分が加害者だと頑なに信じて、ただ自分の人生を生きるだけのことに誰かの許しを欲しがっている。

「恋仲を引き裂くほど野暮なこともないでしょ」

 音成がわざとらしく大声を出すと、続いたのは意外にも朔だった。

「兄さんが良いなら良いんじゃない?」

 虚ろだった時夜の目が、僅かに音成と朔を認める。唇を真一文字に結んで、深々と頭を下げて、それから詩乃の方を向いた。

「……詩乃が望むなら、喜んで」

 歓声に似た声を上げて、詩乃が時夜を抱きしめる。それでも時夜の両手はまだ迷って、空を彷徨っていた。

「抱きしめてあげてよ、兄さん」

 もう完全に怯えの取れた口調で朔が言う。

「兄さんがいなかったら姉さんはずっと不幸だったし、俺もあの貯水池に沈んで死ぬはずだった。兄さんのおかげで生きてられる。色々あったけど、恩人ってことに変わりはないよ」

 朔の言葉を聞き届けた時夜が、詩乃の背中に回した手へ力を入れていくのを見て、音成は安堵の溜息をつく。正真正銘、これでもう大丈夫だ。

「音成さん、本当にありがとうございました。あの二人の分も、ありがとうございました」

 立ったまま前屈でもしてるのかと聞きたくなるほどの角度で頭を下げた朔を、半ば強引に元の体勢へ戻して音成が問う。

「朔くんはこれで良かったの?」

「はい。だって二人とも幸せそうじゃないですか」

 目を細める朔の表情は、仲の良かった三人組だった当時のそれそのものなのだろう。少し呆れの入った笑みに、初対面の時の卑屈さなど微塵も感じられなかった。

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