第3冊「瞑想常軌」⑦
ひいひい笑っていると、古本屋の中から一人の女性が声を掛けてきた。
ここに来て新たな登場人物である。
「あ、姫ー、こんな所にいた。済みません、うちの娘がご迷惑をおかけしませんでしたか?」
ゆるりとした服装を着用した、優しそうな女性だった。年齢は私より少し上、くらいだろうか。ただし眼つきは凛々しく、眼鏡をかけていても、その鷹のような眼光が、その女性を「格好良い人」に分類させていた。
「ああ、いえいえそんな……って、娘?」
虫姫の方を見ると、顔を真っ赤にして俯いて、「そう……ママ」と言った。ママ呼びなのかよ。いや違う、だって施設に育って、ご両親は亡くなってるって話じゃ……。
「あははー、この子今そういうのにハマってるんですよね。お蔭で何回私たち死んだことにされたかー。言ってませんでした? 親いないとか、施設生まれだ―とか」
「言ってましたね」
ぽんぽんと、頭を叩かれる虫姫。その姿は、なるほど等身大の小学生であった。照れ臭そうに、虫姫は視線を逸らす。家族じゃそういうキャラなのか。
「はい、嘘吐いたこと、お姉さんに謝りなさい」
「うん……その……えと、ごめんなさい」
いやいやいや! さっきまでの威勢はどうした! それに迷子だったのかよ! 辛いの寂しくて声かけたのか! 感動が台無しじゃん! 凶悪な眼つきどこいった! え、ママさんのスカートにぴとってくっついて! なにそれずるい!
凶悪なガキも、親の前では形無しだった。ギャップ萌えを狙っているのなら大命中である。嘘だろ、お前敬語とか遣えたのか……。親の教育というより、親へ同情してしまう。こんな子がいたらさぞ大変だろうに。
「この子、他に失礼なこと、言ってませんでしたー?」
どこかあけすけな口調で、ママさんは話す。
遺伝だなあと思ってしまった。失礼なことは沢山言われた気がするが、その失礼を塗りつぶすくらいには、助けられたことも事実だ。
ていうかこの人経産婦だったのか。超スタイル良いな。
「いえ、その。何というか、失礼とかじゃなく――はっと気づかされましたよ。子どもの一言って、すごいですね」
「あらそうですかー。まあ確かに。私も親になって気付きましたよー。良く見てますよね、大人のこと」
「まったくです」
私たちは笑った。いい人だった。
「うちの子も時々この本屋に来るので、お姉さんも、元気になったら、また会ってあげて下さいね」
「……っ!」
「ではまた」
悪戯っ子のような笑みを浮かべて、ママさんは後にした。私が元気じゃないことを知っていて、「ではまた」だと。また会おう。と、そう言ったのだ。いやいやいや――何一つ会話を聞いていないだろうに、遺伝どころじゃない、一体どこまで見透かしていたのだ。
この人こそが、本物。
少し立ち尽くして、後を追おうとしたけれど――もう遠くに行ってしまった。どうやら向こうから父親来ていたらしく、虫姫の「パパー!」という声が聞こえた。
どう辻褄合わせてんだよその声。そしてパパっ子かよ、つーか序盤とどうやって辻褄合わすんだそのキャラ。白い服で背の高い、笑顔の似合うパパさんだった。
そうしてその家族は、三人で手を繋いで、並んで先へと歩いていった。
まあ、こうして死ぬ以後のことが書かれているからもうお分かりかとは思うが、自殺計画は諦めることにしたし、結局小説も売らずに持って帰ってきてしまった。
「ただいま」なんて言ってみる。
死ぬつもりで家を出たので、部屋は綺麗だった。
立つ鳥跡を濁し、
性懲りもなく生きてしまった。
さてどうしよう。
明日から仕事へ行く気力はさすがにないが――取り敢えず、リュックの中に入れた紙袋から、小説を取り出す。
そのまま床にあぐらで座って、本を読む。
綺麗な部屋が少しだけ汚くなって、人間らしくなった。
取り敢えずそのあたりから、自分を始めてみようと思う。
私は
手水舎遥は、この後職場を退職し、自宅と心療内科で療養をすることとなった。一人だと思っていた遥ではあったが、療養の途中、声を掛けてくれた大学時代の友人がいた。そこでようやく、彼女は一人ではなかったと知ることになるが――それはまた、別の物語である。
(第3冊――読了)
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