第3冊「瞑想常軌」⑥
「本当、良く分かったね」
「半分は当てずっぽうだけどな。ごくたまにあるんだよ。小説を拠り所にしていて、それを最後通牒にしている人が――最後に古本屋に売りに来るって場面がさ。それに遥、眼の下隈だらけ――今にも死にそうだぜ。あたしじゃなくとも、そりゃ心配にもなっちまう表情だ」
「別に、身辺整理をしようって思っただけじゃないよ。自殺した後、家を調べられて、『○○先生の影響で』なんて報道されたく……なかったから」
今にも死にそう、ね。小学生からそう見えていたのなら、大人にはよりバレていたのかもしれない。会社の先輩が急に優しくなったことの理由付けが、ここに出来てしまった。
「良い奴なんだな、遥は」
「……やめてよ。虫姫。私のこと、罵倒しなよ。私は、自殺しようとしている人間だよ。堕落者だよ」
「…………」
何を言っているのだろう。
私は小学生に対して、何を言っているのだろう。
そんなことを言ったところで何も変わらないし――子どもに大人の不出来を見せるようなものではないか。
疑問とは裏腹に、私の言葉は、私の心は、止まってはくれなかった。
抑圧していた言葉が、溢れ出る。
「私はね、良い奴なんかじゃない。自分の気持ちにすら気付けない――駄目な奴だよ。普通に生きることばかり考えて、皆と同じように頑張ることに集中して、人に迷惑かけない方法ばかりを模索して、自分のことを疎かにして――それで自分を見失って、壊れそうになってる。駄目な大人、だよ。それで、挙句勝手に自殺しようとしてる。別に私がいなくったって、代わり、いるじゃん。知ってる? 社会って、人っていうパーツで出来てるんだよ。私は、パーツなの。欠けた部品は、補充されるだけ。誰も私なんて、必要としてないんだ」
何がガキだ、何がクソガキだ。虫姫より私の方がよっぽど、子どもじゃないか。
それが社会のルールであり、世の中のルールだろう。苦しい中、辛い中、皆それで頑張っているのだろう。当たり前のことで悩むのなんかやめろ。割り切れ。小説という幻想に逃げ込め。
はずかしい。はずかしい。はずかしい。はずかしい。はずかしい。
年端もいかない子どもに、何を言っているのだ、私は。
何もこんな所で、
あとちょっとで、誰にも迷惑をかけずに死ぬことが、できたのに。
言葉を紡ぐうちに、どんどん目頭が熱くなった。泣くな、泣かない、泣くもんか。
「ふうん、そうか」
それに対して、虫姫の反応は普通なものだった。先程までのように茶化してくれれば良いようなものを――
「でも私は、遥が死んだら、悲しいぞ」
「ッ……やめてよ。そういうこと、言うの」
呼吸を落ち着かせながら言ったつもりだったけれど、結構苦労した。
ただの台詞だ――ただの言葉だ。
気にする必要はない、いつも罵声や非難を
そもそも私は、誰かの話を聞くばかりで――誰も私の話など聞こうとなどしなくて。
だからこそ、そんな等身大の、まっさらな言葉に、少しだけ救われてしまうじゃないか。
「あのなあ」
虫姫はベンチの上に立った。親の顔が見てみたいと思ったが、もう亡くなっているのだった。ただ、ちゃんと靴を脱いでいたのは偉いと思った。
「この世は、面白い小説で溢れてんだ。なのにそれを、内容も知らずに死ぬなんてこと――あっていいわけねえだろ!」
「…………」
何も言えなかった。言えなかったとも。
「あれだろ。小説に集中できなくなったんだろ。小説を読む――物語を読むことすらできないくらい、あんたには余裕ってもんがねえんだろ。それは良くないんだよ。いいか、人生ってのはな――小説を読めるくらいに余裕がなきゃいけねえんだよ。読めなくなったらそれはもう人生じゃない。地獄だ。あんたはもう死んでいる――だから生き返ってこい」
「あ――」
なんだ、その死生観。
馬鹿じゃないのか。
しかも小学生女子に人生を説かれるだと。
あまりに馬鹿馬鹿しすぎる。
下らない、滑稽で、嘘っぱちの、虚構の世界。
まるで。
小説みたいだ。
「あははははははは!!!」
滑稽過ぎて、ついつい笑ってしまった。
滑稽すぎて、ついつい笑ってしまった。
頭の螺子が取れてしまったのだろうか。
結構交通量の多い道なので、道行く人がこちらを見ていたけれど、構わなかった。
久しぶりだったからだ。笑ったのなんて。
本当にいつぶりだったろう。
楽しいなんて、おかしいなんて、馬鹿馬鹿しくて笑うなんて。
本当に久しぶりで――なんだか、嬉しくて。
隣で、虫姫も一緒に笑っていた。
多分彼女には、私が笑う意味は分かっていない。
大人がなんだか笑っているから、楽しくなっちゃって一緒に笑っているだけだ。ノリと悪ノリで生きているクソガキらしい思考回路だ。
でも――誰かと笑えたのも、久々だった。
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